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第20話 『偽物と刺客』(1837/7/5)
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天保八年 六月三日(1837/7/5)
肥前国は現在の佐賀県と、壱岐と対馬を除く長崎県にあたる、律令制下の西海道に属していた国である。
その中でも西側に位置する大村藩は彼杵地方(彼杵郡)にあり、南北に延びた西彼杵半島(西海市・西彼杵郡)と、大村湾を挟んだ東岸の大村市、東彼杵郡を有していた。
厳密に言うと東岸部分の彼杵郡北部の七カ村は平戸藩領、長崎周辺は天領、そして南部の六カ村は佐賀藩領であったが、ほとんど(三七カ村)が大村藩領である。(高来郡古賀村は大村藩)
次郎左衛門武秋の領地(まだ当主ではないが)である太田和村は、彼杵郡の外海地域とされ、半島の西側にあって角力灘に接していた『風光明媚』な場所であった。
■半島東岸長浦村と西岸雪浦村の境 <次郎左衛門>
「だから、鷲之助様はすごいんだよ! 何でもできる。武芸諸般に学問は蘭学にも通じている。無論俺たちに比べれば専門とまではいかないが、それでも理解がある。だから藩閣(藩の閣僚。幕閣が幕府の閣僚だから略して)の中でも少し浮いてるんだ」
俺は長崎での商談の帰りに、信之介や一之進、お里に話して聞かせる。実際、俺の記憶ではなく次郎左衛門の記憶なのだが。
「わかったわかった。何度目だよそれ」
信之介がハイハイという風に流す。
「馬鹿、俺たちが今こうやってちゃんとやっていけているのも、鷲之助様が城内でいろんな根回しをしてくれるからなんだぞ」
事実そうだ。今も昔も古今東西、権力が集まる場所というのは魑魅魍魎が跋扈する血なまぐさい場所なのだ。
鷲之助様は生まれてこのかた、城下給人として政争の渦の中で生きてきた。
俺なんかよりよっぽど世渡り上手じゃなければやっていけない。
「それで、どうだったんだ? 良くわからんけど、藩論というのか何なのか、ちょっとはましになったのか?」
今度は一之進が聞いてきた。
信之介は登城を許されたが控えの間どまりだ。
当然だが平民の一之進に、女性のお里が城に入れるはずがない。だから話の内容はその後すぐに教えたのだが、派閥の話はしていない。
普通、そんな派閥の話なんて、誰も興味ないからだ。
でも、俺たちにとっては死活問題。直接どうこうしなくても、知っておくべき事柄だ。
「うん、一門の家老、彦次郎様は今のところ味方とみていいと思う。あの人は実利主義だね。俺がやっている事が実際に利益になっているから正しい、とシンプルでわかりやすい」
「他には?」
お里が聞いてくる。
? みんな疑問に思ったかもしれないけど、俺たち4人は基本的に一緒に行動している。別行動をとるにしても、例えば太田和村内程度にしか離れない。
もちろん、必要があれば離れるだろうけど、正直心細いというのが本音だろうか。信之介は毎日のようにうちにくるし、一之進とお里も同居している。
無意識の生存本能ともいうべきだろうか。
将来、俺たちが個々人で実力をつけてきて、身を守る術が出来たなら変わるかもしれない。でも今は、一緒にいた方が安心だと全員が思っているんだろう。
それに一之進とお里は行くところがない。もちろん、四六時中べったり、という意味ではないよ。
「あとは~。新三郎様や又左衛門様は、ちょいこっち側って感じかな。あからさまに旗色を決めてはいないけどね。でもアドバンテージは殿だよ。藩主様がこっちサイドだから、基本的には安心なんだけど、なんか、ねえ……」
「なんだ、どうした?」
信之介が聞いてきた。
「うーん、なんだか嫌な予感がするんだよねえ……。時代劇じゃないけどベタな予感が」
「なんだそれ。ようわからんけど、気にしすぎだよ。ははははは」
この辺は無頓着というかアホというか、鈍感というか、天才となんとやらは紙一重って奴か?
そんな笑い話と真剣な話を交えながら7人で峠を越え、下り坂に差し掛かった時であった。
突然馬が暴れ出した。次の瞬間。
だーん。
銃声が鳴った。
「ぎゃああ!」
いってえ! 痛ええ! 右腕に激痛が走って落馬しそうなところを助三郎が馬をおさえ、角兵衛が俺を抱えて馬から降ろしてくれた。
隣にいた信之介も馬から降りて叫ぶ。
「おのれ! 何やつじゃ!」
信之介は叫んで辺りを見回すが、民家もない山中だ。仮に銃声が聞こえたとしても、来るのには時間がかかるだろう。
「大丈夫! ? 次郎くん!」
お里が駆け寄ってきた。うーん、映画やドラマでよくあるシーン? なんだろうか。やべえ、痛みでそれどころじゃねえ……。
俺、死ぬんやろうか? また、死ぬんやろうか?
痛い。痛すぎるよお……。
「出血がひどい、ターニケット(駆血帯)はないから、えーっとなんでもいい」
一之進は角兵衛の荷物から帯のようなものを取り出し、次郎左衛門の右腕の脇、二の腕にグルグル巻く。
角兵衛も緊急時なので何も言わずに差し出した。一之進はさらに布を探す。
お里がこれ使って! となにやら大きなハンカチ? 手ぬぐいのようなものを取りだして一之進に渡す。
「一ちゃん、次郎君大丈夫?」
「一応、止血はしたから血が止まれば、今のところは大丈夫だと思う。だけど、感染症の問題もあるから、100%とは言えない。まずは雪浦村の鷲之助様の屋敷へ急ごう。それからだ」
出血部位を圧迫止血した一之進が言った。
■玖島城下
「まあ! 何ですの! この石けんとやら、評判とは全然違う、偽物じゃありませんの?」
騒ぎは玖島城下にある武家屋敷で起こった。
次回 第21話 『黒幕と顛末顛末』
肥前国は現在の佐賀県と、壱岐と対馬を除く長崎県にあたる、律令制下の西海道に属していた国である。
その中でも西側に位置する大村藩は彼杵地方(彼杵郡)にあり、南北に延びた西彼杵半島(西海市・西彼杵郡)と、大村湾を挟んだ東岸の大村市、東彼杵郡を有していた。
厳密に言うと東岸部分の彼杵郡北部の七カ村は平戸藩領、長崎周辺は天領、そして南部の六カ村は佐賀藩領であったが、ほとんど(三七カ村)が大村藩領である。(高来郡古賀村は大村藩)
次郎左衛門武秋の領地(まだ当主ではないが)である太田和村は、彼杵郡の外海地域とされ、半島の西側にあって角力灘に接していた『風光明媚』な場所であった。
■半島東岸長浦村と西岸雪浦村の境 <次郎左衛門>
「だから、鷲之助様はすごいんだよ! 何でもできる。武芸諸般に学問は蘭学にも通じている。無論俺たちに比べれば専門とまではいかないが、それでも理解がある。だから藩閣(藩の閣僚。幕閣が幕府の閣僚だから略して)の中でも少し浮いてるんだ」
俺は長崎での商談の帰りに、信之介や一之進、お里に話して聞かせる。実際、俺の記憶ではなく次郎左衛門の記憶なのだが。
「わかったわかった。何度目だよそれ」
信之介がハイハイという風に流す。
「馬鹿、俺たちが今こうやってちゃんとやっていけているのも、鷲之助様が城内でいろんな根回しをしてくれるからなんだぞ」
事実そうだ。今も昔も古今東西、権力が集まる場所というのは魑魅魍魎が跋扈する血なまぐさい場所なのだ。
鷲之助様は生まれてこのかた、城下給人として政争の渦の中で生きてきた。
俺なんかよりよっぽど世渡り上手じゃなければやっていけない。
「それで、どうだったんだ? 良くわからんけど、藩論というのか何なのか、ちょっとはましになったのか?」
今度は一之進が聞いてきた。
信之介は登城を許されたが控えの間どまりだ。
当然だが平民の一之進に、女性のお里が城に入れるはずがない。だから話の内容はその後すぐに教えたのだが、派閥の話はしていない。
普通、そんな派閥の話なんて、誰も興味ないからだ。
でも、俺たちにとっては死活問題。直接どうこうしなくても、知っておくべき事柄だ。
「うん、一門の家老、彦次郎様は今のところ味方とみていいと思う。あの人は実利主義だね。俺がやっている事が実際に利益になっているから正しい、とシンプルでわかりやすい」
「他には?」
お里が聞いてくる。
? みんな疑問に思ったかもしれないけど、俺たち4人は基本的に一緒に行動している。別行動をとるにしても、例えば太田和村内程度にしか離れない。
もちろん、必要があれば離れるだろうけど、正直心細いというのが本音だろうか。信之介は毎日のようにうちにくるし、一之進とお里も同居している。
無意識の生存本能ともいうべきだろうか。
将来、俺たちが個々人で実力をつけてきて、身を守る術が出来たなら変わるかもしれない。でも今は、一緒にいた方が安心だと全員が思っているんだろう。
それに一之進とお里は行くところがない。もちろん、四六時中べったり、という意味ではないよ。
「あとは~。新三郎様や又左衛門様は、ちょいこっち側って感じかな。あからさまに旗色を決めてはいないけどね。でもアドバンテージは殿だよ。藩主様がこっちサイドだから、基本的には安心なんだけど、なんか、ねえ……」
「なんだ、どうした?」
信之介が聞いてきた。
「うーん、なんだか嫌な予感がするんだよねえ……。時代劇じゃないけどベタな予感が」
「なんだそれ。ようわからんけど、気にしすぎだよ。ははははは」
この辺は無頓着というかアホというか、鈍感というか、天才となんとやらは紙一重って奴か?
そんな笑い話と真剣な話を交えながら7人で峠を越え、下り坂に差し掛かった時であった。
突然馬が暴れ出した。次の瞬間。
だーん。
銃声が鳴った。
「ぎゃああ!」
いってえ! 痛ええ! 右腕に激痛が走って落馬しそうなところを助三郎が馬をおさえ、角兵衛が俺を抱えて馬から降ろしてくれた。
隣にいた信之介も馬から降りて叫ぶ。
「おのれ! 何やつじゃ!」
信之介は叫んで辺りを見回すが、民家もない山中だ。仮に銃声が聞こえたとしても、来るのには時間がかかるだろう。
「大丈夫! ? 次郎くん!」
お里が駆け寄ってきた。うーん、映画やドラマでよくあるシーン? なんだろうか。やべえ、痛みでそれどころじゃねえ……。
俺、死ぬんやろうか? また、死ぬんやろうか?
痛い。痛すぎるよお……。
「出血がひどい、ターニケット(駆血帯)はないから、えーっとなんでもいい」
一之進は角兵衛の荷物から帯のようなものを取り出し、次郎左衛門の右腕の脇、二の腕にグルグル巻く。
角兵衛も緊急時なので何も言わずに差し出した。一之進はさらに布を探す。
お里がこれ使って! となにやら大きなハンカチ? 手ぬぐいのようなものを取りだして一之進に渡す。
「一ちゃん、次郎君大丈夫?」
「一応、止血はしたから血が止まれば、今のところは大丈夫だと思う。だけど、感染症の問題もあるから、100%とは言えない。まずは雪浦村の鷲之助様の屋敷へ急ごう。それからだ」
出血部位を圧迫止血した一之進が言った。
■玖島城下
「まあ! 何ですの! この石けんとやら、評判とは全然違う、偽物じゃありませんの?」
騒ぎは玖島城下にある武家屋敷で起こった。
次回 第21話 『黒幕と顛末顛末』
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