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第1章 真実

第4話 迫り来る現実

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★◇◆◇◆◇◆◇


 宮殿内をそろりそろりと歩きながら、ターメリックは父のことを考えていた。
 サフランはスパイス帝国の外交官であり、皇帝陛下直属の宮仕えとして勤続していた。
 スパイス帝国内でも珍しいクリスタン教信者だが、仕事ができる男として皇帝陛下に気に入られ、外交官にまで出世したのだった。

 サフランはもちろん、遥か西の果てにある聖地クリスタニアへも行ったことがあると、ターメリックにもよく語って聞かせてくれた。
 サフランがクリスタニアへ行ったのは、ターメリックが生まれる前のことだったのだ。

 大陸の西岸、ちょうどスパイス帝国の対岸に位置するクリスタニアは、どの国にも属さないクリスタン神の領地である。
 クリスタニアは自給自足の土地であり、神殿を守る神の使いと呼ばれる者が住んでいる。
 そして、神の使いはクリスタニアを訪れた者にフィリアを授けるのが主な仕事である。

 神の使いからフィリアを授かったクリスタン信者は、自分の子どもにもフィリアを授けてよいことになっている。
 そのため、ターメリックの「ジュスト」というフィリアは父から授かったものだった。

 ちなみに、サフランはクリスタニアで神の使いから、
『生まれた子どもには男女問わず、必ずジュストというフィリアを授けるように』
 と、告げられたという。

 ……こんなものいらない。
 何度そう思っただろう。
 クリスタン神を心から信じられないターメリックは、自分に授けられたフィリアはもちろん、古くから伝わるクリスタン神話にも興味が湧かなかった。

 まだ幼かった頃、仲良くしてくれていた物知りのクリスタン信者が、親切にいろいろと教えてくれたこともあった。
 しかし、ターメリック本人に覚える気がなかったので、クリスタン神話の知識はもちろん無駄になって終わった。
 そして、その信者もターメリックに愛想を尽かしたのか、いつの間にか行方知れずになってしまい、今に至る。

 自分みたいな「エセ信者」が、どうしてこんなにクリスタン教に関わっているのだろう……
 こんなのがクリスタニアへ行ったところで、何かが変わるとは思えないのに。
 でも……
 こんな自分に、ほかにできることなんてあるんだろうか……

「……」

 ……いや、ない。
 悲しいけど、何もない……っ!

 仕方ない……
 今は、父のことだけ考えよう。
 今までだって父の言うことはうざったかったけれど、間違いはなかった。
 何もかも正しかった……と思う。

 だからきっと、今回もうまくいく!
 大丈夫!

 気持ちを新たに、息は潜めて、ターメリックは絨毯の廊下を進んでいく。
 曲がり角を右に抜け、ようやく城下町へ抜ける扉が見えてきた。

 やっと、この静まりかえった不気味な宮殿から外に出られる。
 安心して駆け出したターメリックだったが、ここで警戒を怠ってしまった。
 完全に油断していたターメリックの目の前、その曲がり角から、何者かが音もなく現れて立ち塞がった。

「あっ……」

 慌てて立ち止まったターメリックに向かって、その男は深紅の髪をなびかせて近づいてきた。

「お前は確か……サフランの息子の雑用係だな」

 耳にへばりつく、地を這うような低い声……
 見上げた先で怪しく光る、何を考えているのかわからない瞳……

「か……カイエン大臣……!」

 突然、足下が不安定になった気がして、ターメリックは靴先を見つめた。
 本能で恐怖を感じ取ったのだろうか……
 ターメリックの足は小刻みに震えていた。

 そして、俯いた先にあったカイエンの靴に目を留めて、思わず声を上げそうになった。
 カイエンはガラムマサラ皇帝を刺した後、返り血を浴びた服は着替えたのだろうが、靴までは気が回らなかったのだろう。
 真新しい黒靴には、乾いて濁った人血がこびりついていた。

「……」

 百聞は一見にしかず……
 今さらになって、父の説明がターメリックの中で現実味を帯びてきた。
 そんなターメリックに、カイエンが一歩ずつ近づいて来た。

「お前……この廊下を歩いてきたということは、地下牢のサフラン元外交官から話を聞かされてきたのだな。では……なぜ、おれを皇帝と呼ばない」
「……」

 暗く淀んだ、それでいて殺気のこもった眼がターメリックを睨みつける。
 このままじゃ、捕まる……!
 ターメリックは逃げ出そうと方向転換したものの、カイエンの合図で現れた兵士と剣士に行く手を阻まれてしまった。

「スパイス帝国の皇帝は、神として崇められる。つまり、おれが世界を統べる神となるのだ」
「……」
「外交官であったサフランは、利用価値があると踏んで地下牢に入れた。しかし息子のお前は……ふっ、あまり使えそうにないな」
「……」
「ちょうどいい。今からサフランに土産を持っていってやるとしよう。あいつも驚くだろうな。自分の息子が、目の前で死体となって現れたなら……」

 えええーっ!?
 は、早く逃げなきゃ!!
 捕まるどころか、殺されるじゃんっ!!

 ターメリックが兵士と剣士たちの隙をついて駆け出したのと、カイエンが彼らに合図を出したのは、ほぼ同時だった。
 ターメリックは全速力で廊下を駆け抜けた。
 ここで、捕まる、わけには、いかない……っ!

「早くここへ連れて来い! 宮殿外……いや、国外へ逃がすと厄介だぞ!」

 カイエンの狂ったような絶叫が、人気のなくなった宮殿内に響き渡っていた。


★◇◆◇◆◇◆◇


「ちぇっ! なんだよ! 絶対ぼくみたいな雑用係がいないと掃除もろくにできないくせに『お前は……ふっ、あまり使えそうにないな』とか言っちゃってさ!」

 兵士や剣士の集団に追われながらも、ターメリックは先ほどの恐怖もどこへやら、カイエンのモノマネまで入れてひとり悪態をついていた。
 そして、地下牢の父に言ったように「怒るところはそこではない」と自分に言い聞かせた。

 兵士たちも剣士たちも、だれもターメリックには追いつけないでいる。
 朝寝坊の常習犯として毎日全速力で走っているターメリックと、日々ゆるい訓練しかしていない平和ボケした兵士と剣士たち……
 足の速さも体力も、雲泥の差であった。
 ターメリックは速度も落とさず、独り言を呟き続けていた。

「でもなぁ……たとえ何かの役に立ちそうだとか、何かに使えそうだって言われても……あの人の下で働くのは、死んでも嫌だ!」

 踏み出す足に力を込める。
 ぐんと速度を上げたターメリックに、ついていける兵士や剣士がいるわけもない。

 前方には長い廊下が続いている。
 ここを抜ければ城下町の裏路地に出られる。
 よし、逃げ切れる!
 ……と思った、そのとき。

 ターメリックの前方から、角を曲がって別の兵士と剣士たちが現れた。
 どうやら、挟み撃ちにされてしまったらしい。
 長い廊下には、もう曲がり角はない。
 どうしよう……
 このまま捕まって、そして……

「……」

 立ち止まったターメリックは、為す術もなく項垂れた。
 残念だけど、ここまでみたいだ……
 って、いくらなんでも早すぎだろ!
 父さんに怒られちゃうよ!
 ……父さん。
 頭の隅のほうに、真剣な父の顔が浮かんだ。

 父さん、ごめんなさい……
 やっぱりぼくには……
 ぼくには……

「……」

 ターメリックは、ぎゅっと目を閉じた。
 覚悟を決めた、そのとき……

「ターメリックさん!」

 名前を呼ぶ声とともに、突然廊下の壁に大穴が開いた。
 ターメリックは、文字通り目が点になった。

 は……?
 え? え?
 ちょ、ま……!?
 しかも、驚きはそれで終わりではなかった。

「こちらです! 早く早くっ!」

 廊下の大穴からは、まるで飛び出す勢いで腕が伸びてきた。
 そして、ターメリックの腕を力強くを掴むと、穴の中に引きずり込んてしまった。


つづく
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