33 / 36
三十三 告白
しおりを挟む
二人で帰路につく道にはまだ、客が入ってきていない。間もなく客が入るから、見世を開ける準備に忙しいのだろう。朝よりなお、吉原の門へ向かう道に人は少なかった。
「おふくちゃん、ありがとう。心配かけて、ごめん」
歩きながら、万感の思いを込めて遊斎が言う。
「ご飯をちゃんと食べてて、良かった」
「食べてた。漬け物とご飯と味噌汁しか無かったけど」
「そうなの?」
「うん。遊郭では、おかずは自分で買わなきゃならないらしい」
「そう」
「金のある客がついたら、買ってもらえることもあるけど、自分で買えるのは、よほどの売れっこだけみたいだ」
「そう……」
きらびやかな着物。頭に飾られた何本もの簪。口に差す紅。自分の外側を飾り立てるために使われる稼ぎは、なかなか食べ物までは回らない。
ふくは、かなしい気持ちになりかけて、でもそれは違う、とも思った。
自分が、美味しいものを食べるのが好きなように、その身を飾るのが好きな人もいるだろう。それなら、あの境遇は、辛いばかりでもない。人のことを、何も知らずに同情したり食べ物を恵んだりするのは、相手を下に見ている行為なのだ。よく知り合ってから、助けを求められたり、助けが必要だと自分が本当に思えたなら、手を差し伸べればいい。
歩きながら遊斎を見ると、ぱちりと目が合った。遊斎は、ふくのことばかりを見ていたらしい。
「おふくちゃん。俺、おふくちゃんが好きだ」
思わず足を止めて、まじまじと遊斎を見てしまう。遊斎も、足を止めた。
「ちっともちゃんとできなくて、心配ばかりかけて、迎えにまで来てもらって、本当に情けないから、もっとちゃんと売れて、しっかりした人間になってから言おうと思ってたんだけど、どうしても、我慢できなくて」
こういうのを、気持ちが溢れる、と言うのだろうか、なんてふくは心のどこかで思う。それを言うなら、こんなところまで迎えに来てしまったふくの気持ちも、すっかり溢れかえっているのかもしれない。
「本当は、すごく心配してた」
「ああ、ごめん」
「ご飯を食べてるかどうかも心配だけど、吉原から帰らないなんて、そういうことかと」
「そんなわけない!」
「でも、どこかの部屋には泊まったんでしょ」
「師匠の。あの、さっき一緒にいた宇多麿さんの部屋に居たんだ」
「あの人、本当に男の人?綺麗だったけど」
「当たり前だ。あの人には、ちゃんと恋人がいて、その……」
思わず口から飛び出した言葉の数々に、自分がこんなに不安だったことをふくは初めて自覚した。口に出すだけで、昨日からのもやもやした気持ちがほどけていくようだ。遊斎が必死で否定してくれるのが嬉しかった。
ああ、そうか、私も。
「私も、遊斎さんが好き」
遊斎の、ぽかんとした顔を見ていると、笑いが込み上げてくる。
ふくが、ここまで迎えに来ているというのに、その可能性は全く考えていなかったのだろうか?気持ちが返ってくるとは、思ってもいなかった?
その時、正午の鐘が鳴った。吉原の大門が開いて、客がちらほらと入り始める。
「ふく。遊斎」
ずっと門のところで足止めをされていたらしい平政の部下二人が走ってきた。
「松木様」
見覚えのある一人に声をかけ、遊斎が頭を下げる。ふくも頭を下げた。
「ご隠居は?」
「後始末をしてからお帰りになるそうです」
「分かった。三好屋だな?」
「はい」
松木は、もう一人を三好屋へ行かせて、自分は残った。
「ふく、帰るのだろう?送ろう」
「いえ、そんな。あの、遊斎さんもいますし」
「遊斎では心許ない」
真顔で言われて、大いに吹き出す。
三人は早足で、吉原の大門を出た。
気持ちのよい昼だった。
「おふくちゃん、ありがとう。心配かけて、ごめん」
歩きながら、万感の思いを込めて遊斎が言う。
「ご飯をちゃんと食べてて、良かった」
「食べてた。漬け物とご飯と味噌汁しか無かったけど」
「そうなの?」
「うん。遊郭では、おかずは自分で買わなきゃならないらしい」
「そう」
「金のある客がついたら、買ってもらえることもあるけど、自分で買えるのは、よほどの売れっこだけみたいだ」
「そう……」
きらびやかな着物。頭に飾られた何本もの簪。口に差す紅。自分の外側を飾り立てるために使われる稼ぎは、なかなか食べ物までは回らない。
ふくは、かなしい気持ちになりかけて、でもそれは違う、とも思った。
自分が、美味しいものを食べるのが好きなように、その身を飾るのが好きな人もいるだろう。それなら、あの境遇は、辛いばかりでもない。人のことを、何も知らずに同情したり食べ物を恵んだりするのは、相手を下に見ている行為なのだ。よく知り合ってから、助けを求められたり、助けが必要だと自分が本当に思えたなら、手を差し伸べればいい。
歩きながら遊斎を見ると、ぱちりと目が合った。遊斎は、ふくのことばかりを見ていたらしい。
「おふくちゃん。俺、おふくちゃんが好きだ」
思わず足を止めて、まじまじと遊斎を見てしまう。遊斎も、足を止めた。
「ちっともちゃんとできなくて、心配ばかりかけて、迎えにまで来てもらって、本当に情けないから、もっとちゃんと売れて、しっかりした人間になってから言おうと思ってたんだけど、どうしても、我慢できなくて」
こういうのを、気持ちが溢れる、と言うのだろうか、なんてふくは心のどこかで思う。それを言うなら、こんなところまで迎えに来てしまったふくの気持ちも、すっかり溢れかえっているのかもしれない。
「本当は、すごく心配してた」
「ああ、ごめん」
「ご飯を食べてるかどうかも心配だけど、吉原から帰らないなんて、そういうことかと」
「そんなわけない!」
「でも、どこかの部屋には泊まったんでしょ」
「師匠の。あの、さっき一緒にいた宇多麿さんの部屋に居たんだ」
「あの人、本当に男の人?綺麗だったけど」
「当たり前だ。あの人には、ちゃんと恋人がいて、その……」
思わず口から飛び出した言葉の数々に、自分がこんなに不安だったことをふくは初めて自覚した。口に出すだけで、昨日からのもやもやした気持ちがほどけていくようだ。遊斎が必死で否定してくれるのが嬉しかった。
ああ、そうか、私も。
「私も、遊斎さんが好き」
遊斎の、ぽかんとした顔を見ていると、笑いが込み上げてくる。
ふくが、ここまで迎えに来ているというのに、その可能性は全く考えていなかったのだろうか?気持ちが返ってくるとは、思ってもいなかった?
その時、正午の鐘が鳴った。吉原の大門が開いて、客がちらほらと入り始める。
「ふく。遊斎」
ずっと門のところで足止めをされていたらしい平政の部下二人が走ってきた。
「松木様」
見覚えのある一人に声をかけ、遊斎が頭を下げる。ふくも頭を下げた。
「ご隠居は?」
「後始末をしてからお帰りになるそうです」
「分かった。三好屋だな?」
「はい」
松木は、もう一人を三好屋へ行かせて、自分は残った。
「ふく、帰るのだろう?送ろう」
「いえ、そんな。あの、遊斎さんもいますし」
「遊斎では心許ない」
真顔で言われて、大いに吹き出す。
三人は早足で、吉原の大門を出た。
気持ちのよい昼だった。
36
お気に入りに追加
88
あなたにおすすめの小説

【完結】ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

軟弱絵師と堅物同心〜大江戸怪奇譚~
水葉
歴史・時代
江戸の町外れの長屋に暮らす生真面目すぎる同心・十兵衛はひょんな事に出会った謎の自称天才絵師である青年・与平を住まわせる事になった。そんな与平は人には見えないものが見えるがそれを絵にして売るのを生業にしており、何か秘密を持っているようで……町の人と交流をしながら少し不思議な日常を送る二人。懐かれてしまった不思議な黒猫の黒太郎と共に様々な事件?に向き合っていく
三十路を過ぎた堅物な同心と謎で軟弱な絵師の青年による日常と事件と珍道中
「ほんま相変わらず真面目やなぁ」
「そういう与平、お前は怠けすぎだ」
(やれやれ、また始まったよ……)
また二人と一匹の日常が始まる
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
浅葱色の桜
初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。
近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。
「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。
時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。
小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。
鷹の翼
那月
歴史・時代
時は江戸時代幕末。
新選組を目の敵にする、というほどでもないが日頃から敵対する1つの組織があった。
鷹の翼
これは、幕末を戦い抜いた新選組の史実とは全く関係ない鷹の翼との日々。
鷹の翼の日常。日課となっている嫌がらせ、思い出したかのようにやって来る不定期な新選組の奇襲、アホな理由で勃発する喧嘩騒動、町の騒ぎへの介入、それから恋愛事情。
そんな毎日を見届けた、とある少女のお話。
少女が鷹の翼の門扉を、めっちゃ叩いたその日から日常は一変。
新選組の屯所への侵入は失敗。鷹の翼に曲者疑惑。崩れる家族。鷹の翼崩壊の危機。そして――
複雑な秘密を抱え隠す少女は、鷹の翼で何を見た?
なお、本当に史実とは別次元の話なので容姿、性格、年齢、話の流れ等は完全オリジナルなのでそこはご了承ください。
よろしくお願いします。
田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜
皐月なおみ
歴史・時代
わけあり夫婦のところに、わけあり子どもがやってきた!?
冨岡八幡宮の門前町で田楽屋を営む「のぶ」と亭主「安居晃之進」は、奇妙な駆け落ちをして一緒になったわけあり夫婦である。
あれから三年、子ができないこと以外は順調だ。
でもある日、晃之進が見知らぬ幼子「朔太郎」を、連れて帰ってきたからさあ、大変!
『これおかみ、わしに気安くさわるでない』
なんだか殿っぽい喋り方のこの子は何者?
もしかして、晃之進の…?
心穏やかではいられないながらも、一生懸命面倒をみるのぶに朔太郎も心を開くようになる。
『うふふ。わし、かかさまの抱っこだいすきじゃ』
そのうちにのぶは彼の尋常じゃない能力に気がついて…?
近所から『殿ちびちゃん』と呼ばれるようになった朔太郎とともに、田楽屋の店先で次々に起こる事件を解決する。
亭主との関係
子どもたちを振り回す理不尽な出来事に対する怒り
友人への複雑な思い
たくさんの出来事を乗り越えた先に、のぶが辿り着いた答えは…?
※田楽屋を営む主人公が、わけありで預かることになった朔太郎と、次々と起こる事件を解決する物語です!
※歴史・時代小説コンテストエントリー作品です。もしよろしければ応援よろしくお願いします。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる