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二十八 何が真でどこから嘘か
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「ええ、と。清兵衛、さん?」
「清兵衛じゃ」
「はあ……」
遊斎は、ご隠居様、と呼ばないように気を付けないと……、と背筋を伸ばす。
客と会うために部屋を貸してくれた宇多麿が横で、ぶっ、と吹き出した。
「清兵衛ではないと言うておるようなもんだ」
「いや、ええと、清兵衛さん、です」
「ええい、面倒くさい。もうええわい。帰ってこなんだ理由を説明せえ」
清兵衛と名乗ったのはもちろん、大塚平政こと、長屋のご隠居様だった。揚浜屋へ行けと三好屋で言われてきたので、ほいほいとやってきた訳である。
遊斎はおるか、と聞けば、これまたあっさりと通ったので、拍子抜けしているところだった。
「あの。こちらの宇多麿さんが、俺の絵の師匠になってくださる、と仰ってくだすったんで、ありがたくご指導頂いとる間に、夜が更けておりました」
「それだけか」
「へえ、それだけです」
他に何があるのかと言わんばかりの遊斎の言葉に平政は、がくりと首を項垂れた。
「お主が食事に来ん、と心配して、朝も早うからふくが長屋へ訪ねてきたというのに、相も変わらず食事を忘れて絵を描いておったとは」
滔々と言ってから、はあ、と溜め息を一つ。
「この馬鹿もんが!一度、それでお陀仏しかけて、長屋中に迷惑をかけたことを、ころりと忘れたとみえる。お主なんぞを心配して走り回っておるふくが不憫でならん。こんな男はやめておけと、わしが直々に伝えてくれるわ」
「へ?」
おふくちゃんが、俺のことを心配して走り回って?
「宇多麿さんとやら。うちの長屋の者が迷惑をかけましたな。こんな上等なところの泊まりには、幾らかかるものか、とんと見当がつきませんので、ご教示頂きたい。もちろん、遊斎の支払いじゃ」
呆然としている遊斎は放っておいて、平政は宇多麿に声をかけた。
「いいええ。あたしがこの子の腕を見込んで弟子にしたいと思ったから連れて帰ってきたの。清兵衛様、三好屋にご足労頂いたのに、連れ出していてごめんなさいね」
艶然と微笑んで宇多麿が答える。
「あ、ご隠居様。三好屋さんにも行かれたんですか?」
「当たり前じゃ。行くじゃろ。お主は三好屋で仕事をしとる、とふくが聞いておるんだから」
「はあ、すみません。それで、その、おふくちゃんは?」
「三好屋に留め置かれておる。旦那のこさえた借金を払うまで、この見世から帰さん、言うてな」
「はあ?」
色々と、おかしい言葉が聞こえて、遊斎は大きな声を上げた。
「清兵衛じゃ」
「はあ……」
遊斎は、ご隠居様、と呼ばないように気を付けないと……、と背筋を伸ばす。
客と会うために部屋を貸してくれた宇多麿が横で、ぶっ、と吹き出した。
「清兵衛ではないと言うておるようなもんだ」
「いや、ええと、清兵衛さん、です」
「ええい、面倒くさい。もうええわい。帰ってこなんだ理由を説明せえ」
清兵衛と名乗ったのはもちろん、大塚平政こと、長屋のご隠居様だった。揚浜屋へ行けと三好屋で言われてきたので、ほいほいとやってきた訳である。
遊斎はおるか、と聞けば、これまたあっさりと通ったので、拍子抜けしているところだった。
「あの。こちらの宇多麿さんが、俺の絵の師匠になってくださる、と仰ってくだすったんで、ありがたくご指導頂いとる間に、夜が更けておりました」
「それだけか」
「へえ、それだけです」
他に何があるのかと言わんばかりの遊斎の言葉に平政は、がくりと首を項垂れた。
「お主が食事に来ん、と心配して、朝も早うからふくが長屋へ訪ねてきたというのに、相も変わらず食事を忘れて絵を描いておったとは」
滔々と言ってから、はあ、と溜め息を一つ。
「この馬鹿もんが!一度、それでお陀仏しかけて、長屋中に迷惑をかけたことを、ころりと忘れたとみえる。お主なんぞを心配して走り回っておるふくが不憫でならん。こんな男はやめておけと、わしが直々に伝えてくれるわ」
「へ?」
おふくちゃんが、俺のことを心配して走り回って?
「宇多麿さんとやら。うちの長屋の者が迷惑をかけましたな。こんな上等なところの泊まりには、幾らかかるものか、とんと見当がつきませんので、ご教示頂きたい。もちろん、遊斎の支払いじゃ」
呆然としている遊斎は放っておいて、平政は宇多麿に声をかけた。
「いいええ。あたしがこの子の腕を見込んで弟子にしたいと思ったから連れて帰ってきたの。清兵衛様、三好屋にご足労頂いたのに、連れ出していてごめんなさいね」
艶然と微笑んで宇多麿が答える。
「あ、ご隠居様。三好屋さんにも行かれたんですか?」
「当たり前じゃ。行くじゃろ。お主は三好屋で仕事をしとる、とふくが聞いておるんだから」
「はあ、すみません。それで、その、おふくちゃんは?」
「三好屋に留め置かれておる。旦那のこさえた借金を払うまで、この見世から帰さん、言うてな」
「はあ?」
色々と、おかしい言葉が聞こえて、遊斎は大きな声を上げた。
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