20 / 36
二十 絵師
しおりを挟む
遊斎が、聞いた話の恐ろしさに青くなっていると、声かけもなく、からりと障子が開いた。
「おや?浮気と聞いて、駆け付けんしたが、ちいとも色っぽい様子じゃござんせんねえ」
落ち着いた声は、耳に心地好い。座って障子を開いた女は、手に盆を持って中へと入ってきた。
「太夫自らお茶を淹れて頂けるとは、光栄でござりんす」
宇多麿が、煙管を一つ吹かしてから、ふざけた様子で言葉を返す。
「高うつきますえ」
「情人割引きで頼むよ」
「浮気の疑いで割り増しでござんす」
見目麗しい二人の軽いやり取りを、遊斎は呆然と聞いていた。
太夫。
揚浜屋の太夫と言えば浮雲太夫だ。吉原に三人しかいない太夫の一人。
この人が。
遊斎は、まだそれほど飾り立てていないのに美しい遊女に、目を奪われた。
「成る程。可愛らしい旦那さま、ねえ」
「へ?」
浮雲太夫から、ふわりと漂う香は、宇多麿から香るものとよく似ていた。遊斎は、間近に寄った浮雲太夫が、優雅に自分の目の前に茶を置いて微笑みかけてくれる顔を、まじまじと見つめる。
手本に、と買った宇多麿の浮世絵に数多く登場する美女。着飾って淡く微笑む様子はもちろん美しかったが、肌が半分見えている、支度途中の姿は更に、心に響いた。少し気を抜いたその表情すら、いや、その表情の方が美しいと遊斎は思っていた。
その憧れの美女が、目の前で動いている。
ああ。俺なら、どうこの姿を描こうか。
「ふっ。ふふふふふ」
心底おかしそうに笑いながら、浮雲太夫は宇多麿の横にしどけなく座る。しっかりと寄り添って座る様子は、とてもよく馴染んでいた。
二人を揃えて描きたい!
そんなことを考えて二人の姿から目を離せない遊斎を、浮雲は、楽しそうに笑って見ている。
「妬けるね……」
宇多麿が、ぼそりと呟いた。
「まあ、旦那さま。嬉しい」
「ふん」
本当に機嫌が悪くなってきた様子の宇多麿に遊斎が首を傾げていると、無邪気に笑っていた浮雲が、ぎゅうと宇多麿に抱きついた。
「あれは、主さまと同じ生き物でござんす」
「へえ?」
「わっちを絵に描きたい、と思っている顔でありんす」
「…………」
宇多麿は、浮雲の腰をしっかりと引き寄せ、遊斎をじろりと睨んだ。今までは向けられなかった鋭い目線にたじたじとしていると、不意にふっと緩む。
「なんだい?あたしのことまで描きたいのかい?」
「はいっ」
このままの二人の表情を描いて、この二人に見せてみたい。俺が見ているものが、どんなに素晴らしいかを伝えたい。
「ははっ」
「ほほほ」
二人は、くつろいだ様子で笑った。
「こりゃ、いい拾い物をしたようだ。太夫に欲情しちまったあたしより、お前は、よほど立派な絵師だよ」
「おや?浮気と聞いて、駆け付けんしたが、ちいとも色っぽい様子じゃござんせんねえ」
落ち着いた声は、耳に心地好い。座って障子を開いた女は、手に盆を持って中へと入ってきた。
「太夫自らお茶を淹れて頂けるとは、光栄でござりんす」
宇多麿が、煙管を一つ吹かしてから、ふざけた様子で言葉を返す。
「高うつきますえ」
「情人割引きで頼むよ」
「浮気の疑いで割り増しでござんす」
見目麗しい二人の軽いやり取りを、遊斎は呆然と聞いていた。
太夫。
揚浜屋の太夫と言えば浮雲太夫だ。吉原に三人しかいない太夫の一人。
この人が。
遊斎は、まだそれほど飾り立てていないのに美しい遊女に、目を奪われた。
「成る程。可愛らしい旦那さま、ねえ」
「へ?」
浮雲太夫から、ふわりと漂う香は、宇多麿から香るものとよく似ていた。遊斎は、間近に寄った浮雲太夫が、優雅に自分の目の前に茶を置いて微笑みかけてくれる顔を、まじまじと見つめる。
手本に、と買った宇多麿の浮世絵に数多く登場する美女。着飾って淡く微笑む様子はもちろん美しかったが、肌が半分見えている、支度途中の姿は更に、心に響いた。少し気を抜いたその表情すら、いや、その表情の方が美しいと遊斎は思っていた。
その憧れの美女が、目の前で動いている。
ああ。俺なら、どうこの姿を描こうか。
「ふっ。ふふふふふ」
心底おかしそうに笑いながら、浮雲太夫は宇多麿の横にしどけなく座る。しっかりと寄り添って座る様子は、とてもよく馴染んでいた。
二人を揃えて描きたい!
そんなことを考えて二人の姿から目を離せない遊斎を、浮雲は、楽しそうに笑って見ている。
「妬けるね……」
宇多麿が、ぼそりと呟いた。
「まあ、旦那さま。嬉しい」
「ふん」
本当に機嫌が悪くなってきた様子の宇多麿に遊斎が首を傾げていると、無邪気に笑っていた浮雲が、ぎゅうと宇多麿に抱きついた。
「あれは、主さまと同じ生き物でござんす」
「へえ?」
「わっちを絵に描きたい、と思っている顔でありんす」
「…………」
宇多麿は、浮雲の腰をしっかりと引き寄せ、遊斎をじろりと睨んだ。今までは向けられなかった鋭い目線にたじたじとしていると、不意にふっと緩む。
「なんだい?あたしのことまで描きたいのかい?」
「はいっ」
このままの二人の表情を描いて、この二人に見せてみたい。俺が見ているものが、どんなに素晴らしいかを伝えたい。
「ははっ」
「ほほほ」
二人は、くつろいだ様子で笑った。
「こりゃ、いい拾い物をしたようだ。太夫に欲情しちまったあたしより、お前は、よほど立派な絵師だよ」
41
お気に入りに追加
87
あなたにおすすめの小説
【完結】ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
居候同心
紫紺
歴史・時代
臨時廻り同心風見壮真は実家の離れで訳あって居候中。
本日も頭の上がらない、母屋の主、筆頭与力である父親から呼び出された。
実は腕も立ち有能な同心である壮真は、通常の臨時とは違い、重要な案件を上からの密命で動く任務に就いている。
この日もまた、父親からもたらされた案件に、情報屋兼相棒の翔一郎と解決に乗り出した。
※完結しました。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
【完結】天下人が愛した名宝
つくも茄子
歴史・時代
知っているだろうか?
歴代の天下人に愛された名宝の存在を。
足利義満、松永秀久、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。
彼らを魅了し続けたのは一つ茶入れ。
本能寺の変で生き残り、大阪城の落城の後に壊れて粉々になりながらも、時の天下人に望まれた茶入。
粉々に割れても修復を望まれた一品。
持った者が天下人の証と謳われた茄子茶入。
伝説の茶入は『九十九髪茄子』といわれた。
歴代の天下人達に愛された『九十九髪茄子』。
長い年月を経た道具には霊魂が宿るといい、人を誑かすとされている。
他サイトにも公開中。
淡々忠勇
香月しを
歴史・時代
新撰組副長である土方歳三には、斎藤一という部下がいた。
仕事を淡々とこなし、何事も素っ気ない男であるが、実際は土方を尊敬しているし、友情らしきものも感じている。そんな斎藤を、土方もまた信頼し、友情を感じていた。
完結まで、毎日更新いたします!
殺伐としたりほのぼのしたり、怪しげな雰囲気になったりしながら、二人の男が自分の道を歩いていくまでのお話。ほんのりコメディタッチ。
残酷な表現が時々ありますので(お侍さん達の話ですからね)R15をつけさせていただきます。
あッ、二人はあくまでも友情で結ばれておりますよ。友情ね。
★作品の無断転載や引用を禁じます。多言語に変えての転載や引用も許可しません。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
日本が危機に?第二次日露戦争
杏
歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。
なろう、カクヨムでも連載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる