【完結】絵師の嫁取り

かずえ

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二十 絵師

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 遊斎が、聞いた話の恐ろしさに青くなっていると、声かけもなく、からりと障子が開いた。

「おや?浮気と聞いて、駆け付けんしたが、ちいとも色っぽい様子じゃござんせんねえ」

 落ち着いた声は、耳に心地好い。座って障子を開いた女は、手に盆を持って中へと入ってきた。

「太夫自らお茶を淹れて頂けるとは、光栄でござりんす」

 宇多麿うたまろが、煙管きせるを一つ吹かしてから、ふざけた様子で言葉を返す。

「高うつきますえ」
「情人割引きで頼むよ」
「浮気の疑いで割り増しでござんす」

 見目麗しい二人の軽いやり取りを、遊斎は呆然と聞いていた。
 太夫。
 揚浜あげはま屋の太夫と言えば浮雲うきくも太夫だ。吉原に三人しかいない太夫の一人。
 この人が。
 遊斎は、まだそれほど飾り立てていないのに美しい遊女に、目を奪われた。

「成る程。可愛らしい旦那さま、ねえ」
「へ?」

 浮雲太夫から、ふわりと漂う香は、宇多麿うたまろから香るものとよく似ていた。遊斎は、間近に寄った浮雲太夫が、優雅に自分の目の前に茶を置いて微笑みかけてくれる顔を、まじまじと見つめる。
 手本に、と買った宇多麿うたまろの浮世絵に数多く登場する美女。着飾って淡く微笑む様子はもちろん美しかったが、肌が半分見えている、支度途中の姿は更に、心に響いた。少し気を抜いたその表情かおすら、いや、その表情かおの方が美しいと遊斎は思っていた。
 その憧れの美女が、目の前で動いている。
 ああ。俺なら、どうこの姿を描こうか。
 
「ふっ。ふふふふふ」

 心底おかしそうに笑いながら、浮雲太夫は宇多麿うたまろの横にしどけなく座る。しっかりと寄り添って座る様子は、とてもよく馴染んでいた。
 二人を揃えて描きたい!
 そんなことを考えて二人の姿から目を離せない遊斎を、浮雲は、楽しそうに笑って見ている。
 
「妬けるね……」

 宇多麿うたまろが、ぼそりと呟いた。

「まあ、旦那さま。嬉しい」
「ふん」

 本当に機嫌が悪くなってきた様子の宇多麿うたまろに遊斎が首を傾げていると、無邪気に笑っていた浮雲が、ぎゅうと宇多麿うたまろに抱きついた。

「あれは、ぬしさまと同じ生き物でござんす」
「へえ?」
「わっちを絵に描きたい、と思っている顔でありんす」
「…………」

 宇多麿うたまろは、浮雲の腰をしっかりと引き寄せ、遊斎をじろりと睨んだ。今までは向けられなかった鋭い目線にたじたじとしていると、不意にふっと緩む。

「なんだい?あたしのことまで描きたいのかい?」
「はいっ」

 このままの二人の表情かおを描いて、この二人に見せてみたい。俺が見ているものが、どんなに素晴らしいかを伝えたい。

「ははっ」
「ほほほ」

 二人は、くつろいだ様子で笑った。

「こりゃ、いい拾い物をしたようだ。太夫に欲情しちまったあたしより、お前は、よほど立派な絵師だよ」
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