【完結】絵師の嫁取り

かずえ

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十七 交渉

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「弟子だか何だか知らないが、とりあえず出ていってもらおうか」 

 楼主ろうしゅは、苦々しい顔で吐き捨てた。

「その男はうちのお抱えで、お前さんはうちの見世とは何の関係もない。開く前の見世に、金も払わず上がり込んでんだ。何なら、女の一人二人買って、理由付けでもしてもらわねえと納得はいかねえな」

 話しているうちに、自分が有利と気付いたのだろう。声が落ち着いてくる。師弟となったのだといったところで、今交わされた口約束。遊斎は、こちらの見世の雇われとして賃金を貰っている。人を間に入れて話を付ける段になったとして、分があるのは楼主の方だった。
 ふん、と落ち着きを取り戻したその姿は、太夫を抱えた大見世を仕切る楼主なりの、威厳があった。

「そうだねえ、このままだと面倒だ。けれどあたしに、馴染みを作る気はない。一人に縛られるなんてごめんだよ」

 誰か遊女を指名すれば、他の遊女とは会いにくくなる。他の遊女に移るときには、手続きを踏んで手切れ金も渡さなくてはならない。それができないなら、浮気として罰を受ける。
 だから、こうして皆の絵を描いていきたいなら、誰か一人を指名して寝ちゃいけないよ、と教えてくれたのは、澄尾すみお太夫だった。この吉原の、千人いると聞く遊女たちの頂点。たった三人しかいない太夫の一人。くるわ言葉の良くわからない遊斎に、分かりやすいように話してくれた。
 流石は師匠。そういった遊郭の基本をしっかりと身に付けていらっしゃる。
 遊斎が感心していると、少し厳しい目がこちらを向いた。

「お前、馴染みなど作っとりゃせんだろうね?」
 
 慌てて頷くと、よし、と頷き返される。

「吉原の絵師が長続きしないのは、それが原因だからねえ」

 そして、含み笑いで言われる。

「お前は、そういう欲が薄そうだ」

 少しむっとするが、確かに旺盛な方ではない。性欲どころか、人として生きていくために必要な食欲にすら、絵を描くという欲が勝ってしまう結果が、このひょろひょろと細い体である。

「よし、うちの見世で食事にしよう。お抱え代は幾らだい?」

 しばし考えた宇多麿うたまろが言った。うちの見世、というのは、宇多麿うたまろを抱えている大見世、揚浜あげはま屋のことだろう。宇多麿うたまろの浮世絵で大人気の浮雲うきぐも太夫を擁する人気の見世である。

「お抱え代?」
「そやつはまだ、お試しだ」

 遊斎の疑問と、楼主の声が重なった。

「なんだ。まだお抱えじゃねえじゃねえか。なら、何にも気にするこたあねえや。遊斎、おいで」
「待て。今、払う。今すぐお抱えにする」

 遊斎に向かって伸びてきた楼主の手は、宇多麿うたまろ煙管きせるにばちり、と叩かれた。

「うちの子を正式に雇いたいなら、それなりの金を持ってうちの見世へ来な」

 宇多麿うたまろの仕草や台詞は、まるで良くできた芝居のようで見惚れてしまう。そうして、見惚れている間に遊斎は、肩を抱かれたまま揚浜あげはま屋へと移動したのであった。
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