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刃の章
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とりあえず食事を取り始めた女を横目に、皇子へと近付く。
「おはようございます。」
人一人分の距離を開けて、なるべくゆっくりと、小さめの声で話しかける。びくり、と肩が揺れた。ゆるゆると顔が上がる。
人は、ほんの数日でここまでやつれるものなのだろうか。頬はこけ、目の下に黒い隈をはき、顔色は土気色になっている。
俺は、思わず息をのんだ。
初めて覗きに来たときには、本当に玻璃皇子とよく似ていて、驚いたものだ。親子というのは、年齢差からあり得ないが、血縁関係があるのは間違いない。髪は、平民のように短いが、そう思わせるほどに、よく似ていた。
だが、今は。
この姿を見たら、誰も術士の言うことを聞く気にはならなかっただろう。あの姿だったから、偽物だ、手妻だと言いながらも、このように留め置いているのだ。
「俺の、言葉は分かるか?」
実のところどうなのだ、と思いながら、ゆっくりと話しかける。不安げに揺れる瞳が、俺を見た。目を合わせて、にこりと笑って見せる。皇子は、おずおずと頷いた。
え?
分かるのか?
「そいつ、話しかけたって無駄だよ。分かっちゃいないんだから。」
女が大きい声を出して、また皇子が、びくりと肩を揺らして目をさ迷わせ始めた。
思わず、舌打ちが出る。
「少し、黙っていて頂けますか?」
黙れ、と叫びそうになって、これ以上怯えさせてはいけないと声を押さえる。
「僕と服を取り替えて、ここから出ますか?」
「は?」
「身代わりをして差し上げます。出ますか?」
とにかく邪魔だ。
このままでは、話もできない。
俺は、手早く着物を脱いで、女に差し出す。
「そ、そんなの気付かれるに決まってる。」
下穿きだけとなった俺を、まじまじと見ながら、女が言う。
「いいから、とっとと着物を脱げ。それとも、ここで、仕事を失敗したとして始末されることが望みか?」
俺は、低い声で早口にまくし立てた。
女は、ひっと喉を鳴らして、きょろきょろと辺りを見渡すと、しどけなく引っかけていた着物を脱いだ。手早く俺の渡した着物を着て、豊満な乳を押し込む。俺も、渡された着物を乱れた感じに着込み、髪紐を解く。女のだらしなく流されている髪を、髪紐で纏めた。
「化粧を落とせ。ここに、水場はあるのか?」
「厠で、手を洗うことくらいはできる。」
「急げ。」
女は、覚悟を決めたのか素早く化粧を落としてきた。案外あっさりした顔をしていたので、これなら、と頷く。
「盆に、空いた皿を載せて出ていけ。」
「本当に大丈夫なんだろうね?」
「その口調を改めて、丁寧な仕草と口調を心掛けることだな。部屋を出た後まで、面倒は見られん。」
「……分かった。恩にきるよ。」
「口は開かない方がいい。」
女は、むっとしたように口を閉じて盆を持ち、戸を叩く。問題なく戸は開いて、女が出ていった。
ほっと、皇子の方を向くと、ただただ戸惑う様子で、膝を抱えている。もう一度、目を合わせて笑って見せた。
「もう、大丈夫だ。俺は、刃。助けに来た。」
「おはようございます。」
人一人分の距離を開けて、なるべくゆっくりと、小さめの声で話しかける。びくり、と肩が揺れた。ゆるゆると顔が上がる。
人は、ほんの数日でここまでやつれるものなのだろうか。頬はこけ、目の下に黒い隈をはき、顔色は土気色になっている。
俺は、思わず息をのんだ。
初めて覗きに来たときには、本当に玻璃皇子とよく似ていて、驚いたものだ。親子というのは、年齢差からあり得ないが、血縁関係があるのは間違いない。髪は、平民のように短いが、そう思わせるほどに、よく似ていた。
だが、今は。
この姿を見たら、誰も術士の言うことを聞く気にはならなかっただろう。あの姿だったから、偽物だ、手妻だと言いながらも、このように留め置いているのだ。
「俺の、言葉は分かるか?」
実のところどうなのだ、と思いながら、ゆっくりと話しかける。不安げに揺れる瞳が、俺を見た。目を合わせて、にこりと笑って見せる。皇子は、おずおずと頷いた。
え?
分かるのか?
「そいつ、話しかけたって無駄だよ。分かっちゃいないんだから。」
女が大きい声を出して、また皇子が、びくりと肩を揺らして目をさ迷わせ始めた。
思わず、舌打ちが出る。
「少し、黙っていて頂けますか?」
黙れ、と叫びそうになって、これ以上怯えさせてはいけないと声を押さえる。
「僕と服を取り替えて、ここから出ますか?」
「は?」
「身代わりをして差し上げます。出ますか?」
とにかく邪魔だ。
このままでは、話もできない。
俺は、手早く着物を脱いで、女に差し出す。
「そ、そんなの気付かれるに決まってる。」
下穿きだけとなった俺を、まじまじと見ながら、女が言う。
「いいから、とっとと着物を脱げ。それとも、ここで、仕事を失敗したとして始末されることが望みか?」
俺は、低い声で早口にまくし立てた。
女は、ひっと喉を鳴らして、きょろきょろと辺りを見渡すと、しどけなく引っかけていた着物を脱いだ。手早く俺の渡した着物を着て、豊満な乳を押し込む。俺も、渡された着物を乱れた感じに着込み、髪紐を解く。女のだらしなく流されている髪を、髪紐で纏めた。
「化粧を落とせ。ここに、水場はあるのか?」
「厠で、手を洗うことくらいはできる。」
「急げ。」
女は、覚悟を決めたのか素早く化粧を落としてきた。案外あっさりした顔をしていたので、これなら、と頷く。
「盆に、空いた皿を載せて出ていけ。」
「本当に大丈夫なんだろうね?」
「その口調を改めて、丁寧な仕草と口調を心掛けることだな。部屋を出た後まで、面倒は見られん。」
「……分かった。恩にきるよ。」
「口は開かない方がいい。」
女は、むっとしたように口を閉じて盆を持ち、戸を叩く。問題なく戸は開いて、女が出ていった。
ほっと、皇子の方を向くと、ただただ戸惑う様子で、膝を抱えている。もう一度、目を合わせて笑って見せた。
「もう、大丈夫だ。俺は、刃。助けに来た。」
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