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第八章 郷に入っては郷に従え
49 忘れ得ぬ光景がある限り 八代
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「何を言っている?」
「言葉の通りだ」
佐波は、心底理解できない、といった様子だった。折角、成人殿下がお持ちくださったわらび餅に、手をつけてもいない。かく言う私も、殿下方のいらっしゃる間は、またしても不敬を働く者がいないかと気が気ではなく、口にしてもよく味が分からぬだろう、と一口頂いただけであったので、続きを堪能することにする。
ふむ。ひたすら滑らかで、上品な蜜の甘さ。まだ乳しかお口になさることのできぬ皇子殿下が、今少し大きくお育ちになられた暁には、お口に含みやすいおやつとして活躍するかもしれぬ。これはきっと、わらび餅にはきな粉をかける、といった常識にとらわれることはないのだという教えなのだろう。その上で、皇太子殿下はきな粉の方がお好みだということも、覚えておこう。
「お前は!至高の献立の数々を何だと思っているのだ!」
「大昔から伝わる、指南書の一つにすぎんよ」
佐波は、怒りで顔を真っ赤にした。つかつかと私の側に寄ると、机をばん、と叩く。
「我らの使命は、この国に残る最高の献立の数々を忠実に再現することであろう!それを、それを、お前は!」
「その最高の献立がお口に合わぬと、皇太子殿下は仰せだ」
「そんなはずはない!」
何を言っている?先ほど、そう仰られていただろう?直接的な言い方はなされなかったが、とてもはっきりと宣言されたではないか。
「聞いただろう?皇太子殿下は、これから共に、満足のいく食卓を作り上げていこうではないか、と仰った。それはつまり、これまでの食卓に満足ではなかったということだ。なんとも、情けないお言葉ではないか。私は、料理人として恥ずかしい」
「そんな。そんな馬鹿な……。我らが作るのは、後世まで伝えよと歴代の陛下が仰った至高の献立だぞ。それを、きっちりと指南書通りに作りあげてお出ししているというのに、何がご不満なんだ?」
「どんなにたくさんの人々に素晴らしいと言われる品も、お口にされる方にとってお好みでなければ、ご不満となろう」
「お好み……?お好みだなんて、そんなもの、至高の献立の前には……」
「では聞くが、佐波殿。あなたは、家でもずっと指南書通りの食事をとっているのか?家でも、指南書通り寸分違わぬ献立を作り上げて、口にしているのか?三食、必ず?それでも飽くことなく食べ続けられるほど、あなたの口に合っているのか」
「な、何を言っている?至高の献立は、いと尊き方々の口にするものであって、我らがおいそれと口にできるようなものではなかろう」
「では、家ではどのような味付けで食べているのだ」
「自らの口に合うものを食しているに決まっている!」
当たり前のことを聞くな、と言わんばかりの剣幕。それが答えだと、何故気付かぬ。
「皇太子殿下も、自らの口に合うものを食したい、と仰せだ。我らは、これだけ長くお仕えしながら、皇太子殿下が、陛下が、王妃殿下がどのようなお食事を好まれるのか、碌々知らぬことを恥じよう。そして、これからは全力で、お好みのお食事を作って出すことができるように、腕を磨いていこうではないか」
「しかし。しかしそれでは、我らのこれまでは……」
これが正しい、と信じていた道がそうではなかった。道しるべが、消えてしまった。これまでの研鑽も全て無駄だったのか、と思ってしまう。私も、今、とてつもなく恐ろしい。道はもう目の前にはなく、自分で切り開いて行くしかないのだから。
それでも、昨日の皆様方の食卓を思い出せば、いつもあのように召し上がってほしい、と考えてしまう。あのような食卓が続くように努力しよう、と思えるのだ。
私は、心に浮かんだ昨日の光景に深く頷くと、佐波の顔をゆったりと見た。
「どうしても賛同できぬ、というのなら、辞めてもらって構わない」
息を呑む音が、幾つか聞こえた。仕方ないだろう?私と、私を全力で支えてくださると宣言してくださった皇太子殿下に賛同できぬなら、ここにはいられないじゃないか。
「皆も、よく聞いてほしい。自らの腕をより良く生かせる場所があるなら、遠慮なくそちらへ移るべきだ。この厨房のこれからの方針は、先より述べている通りである。私についていけない、納得がいかない、と言う者は是非申し出てほしい。皇城で腕を磨いた者であるとの推薦状は、心を込めて認めると約束しよう」
「言葉の通りだ」
佐波は、心底理解できない、といった様子だった。折角、成人殿下がお持ちくださったわらび餅に、手をつけてもいない。かく言う私も、殿下方のいらっしゃる間は、またしても不敬を働く者がいないかと気が気ではなく、口にしてもよく味が分からぬだろう、と一口頂いただけであったので、続きを堪能することにする。
ふむ。ひたすら滑らかで、上品な蜜の甘さ。まだ乳しかお口になさることのできぬ皇子殿下が、今少し大きくお育ちになられた暁には、お口に含みやすいおやつとして活躍するかもしれぬ。これはきっと、わらび餅にはきな粉をかける、といった常識にとらわれることはないのだという教えなのだろう。その上で、皇太子殿下はきな粉の方がお好みだということも、覚えておこう。
「お前は!至高の献立の数々を何だと思っているのだ!」
「大昔から伝わる、指南書の一つにすぎんよ」
佐波は、怒りで顔を真っ赤にした。つかつかと私の側に寄ると、机をばん、と叩く。
「我らの使命は、この国に残る最高の献立の数々を忠実に再現することであろう!それを、それを、お前は!」
「その最高の献立がお口に合わぬと、皇太子殿下は仰せだ」
「そんなはずはない!」
何を言っている?先ほど、そう仰られていただろう?直接的な言い方はなされなかったが、とてもはっきりと宣言されたではないか。
「聞いただろう?皇太子殿下は、これから共に、満足のいく食卓を作り上げていこうではないか、と仰った。それはつまり、これまでの食卓に満足ではなかったということだ。なんとも、情けないお言葉ではないか。私は、料理人として恥ずかしい」
「そんな。そんな馬鹿な……。我らが作るのは、後世まで伝えよと歴代の陛下が仰った至高の献立だぞ。それを、きっちりと指南書通りに作りあげてお出ししているというのに、何がご不満なんだ?」
「どんなにたくさんの人々に素晴らしいと言われる品も、お口にされる方にとってお好みでなければ、ご不満となろう」
「お好み……?お好みだなんて、そんなもの、至高の献立の前には……」
「では聞くが、佐波殿。あなたは、家でもずっと指南書通りの食事をとっているのか?家でも、指南書通り寸分違わぬ献立を作り上げて、口にしているのか?三食、必ず?それでも飽くことなく食べ続けられるほど、あなたの口に合っているのか」
「な、何を言っている?至高の献立は、いと尊き方々の口にするものであって、我らがおいそれと口にできるようなものではなかろう」
「では、家ではどのような味付けで食べているのだ」
「自らの口に合うものを食しているに決まっている!」
当たり前のことを聞くな、と言わんばかりの剣幕。それが答えだと、何故気付かぬ。
「皇太子殿下も、自らの口に合うものを食したい、と仰せだ。我らは、これだけ長くお仕えしながら、皇太子殿下が、陛下が、王妃殿下がどのようなお食事を好まれるのか、碌々知らぬことを恥じよう。そして、これからは全力で、お好みのお食事を作って出すことができるように、腕を磨いていこうではないか」
「しかし。しかしそれでは、我らのこれまでは……」
これが正しい、と信じていた道がそうではなかった。道しるべが、消えてしまった。これまでの研鑽も全て無駄だったのか、と思ってしまう。私も、今、とてつもなく恐ろしい。道はもう目の前にはなく、自分で切り開いて行くしかないのだから。
それでも、昨日の皆様方の食卓を思い出せば、いつもあのように召し上がってほしい、と考えてしまう。あのような食卓が続くように努力しよう、と思えるのだ。
私は、心に浮かんだ昨日の光景に深く頷くと、佐波の顔をゆったりと見た。
「どうしても賛同できぬ、というのなら、辞めてもらって構わない」
息を呑む音が、幾つか聞こえた。仕方ないだろう?私と、私を全力で支えてくださると宣言してくださった皇太子殿下に賛同できぬなら、ここにはいられないじゃないか。
「皆も、よく聞いてほしい。自らの腕をより良く生かせる場所があるなら、遠慮なくそちらへ移るべきだ。この厨房のこれからの方針は、先より述べている通りである。私についていけない、納得がいかない、と言う者は是非申し出てほしい。皇城で腕を磨いた者であるとの推薦状は、心を込めて認めると約束しよう」
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