【完結】人形と皇子

かずえ

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第六章 家族と暮らす

66 頬の痛みの……  朱実

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「歩けそう?」

 赤璃あかりの言葉に軽く目を開いた。就業時間中に、この無様な顔を晒して歩く気は無かったからだ。夜番の使用人たちだけになる時間帯まで、この部屋で仕事をするつもりだった。

「そりゃあ……」

 言いかけて、何とも話がしにくいことに苛立つ。発音が上手くいかない。あまり声を張ると傷に響く。

「歩けるよ」

 頬が痛むだけなのだから歩くのに支障があるわけないだろう?だが、人に会いたくないから今は出歩かないでおくよ、と本当はここまで言いたかったのだが、口から出せたのは単純な答えだけ。

「じゃあ、部屋に帰りましょ」

 やはり、口に出したいことを出せないとこのように噛み合わない会話になるのだな、と思いつつ、上半身をゆっくりと起こす。最も近くで、一番心配そうな顔をしている成人なるひととの距離が開いて、少しほっとした。
 緋色ひいろ。ソファでのんびり座っていないで、成人なるひとをとっとと回収してくれないかな。

「ここで仕事をする」
「駄目」

 成人なるひとに言われる筋合いはない。

「医師として、休養をお勧めします。こちらの痛み止めを飲んで、今日と明日はお休みください」
「いや、いい」

 自分の体は自分が一番分かっている、頬が腫れていたところで、書類を読んで署名することに差し支えはない、と言いたかった。まあ、痛み止めは、眠たくならないのなら、飲んだ方が効率はいいだろう。

「痛み止めは無くてもよろしいのですか?こういうときは、我慢せずに痛みを止めた方が回復は早いものですよ」
「あ、いや……」
「熱を下げる薬は飲まない方がいいけど?」

 痛み止めはもらいたい、と告げる前に成人なるひとの声が響いた。

成人なるひと、よく覚えてましたね。でもそれも、時と場合によります。感染症の時は、感染源と戦うために体が熱を上げるから、薬で下げてしまうと体の戦う力が弱まります。けれど、熱が高すぎると命に関わりますから、それも戦う力が無くなってしまう。薬を飲むかどうかはきちんと医師に聞いてくださいね。疲れて熱が出るときも、体からの休めという警告なのですから、薬で抑えずにちゃんと休むんですよ」

 生松いくまつ成人なるひとに答えている。何の講義が始まったんだ?内容的には少し耳が痛い。熱など、薬で抑えてしまったことは多々あるからな。渋る医師に薬を処方させた。怠い日数は長引いたが、仕事に穴は開けなかったのだからいいだろう。

「痛み止めは、我慢せずに使用した方が体も休まるし、治りも早いと思われます。動かず休める環境にあれば、ですが。痛みは、どこに怪我があるかを知らせてくれて、無理に怪我の箇所を動かさないように教えてくれるためのものですから」

 生松いくまつは、成人なるひとに言っているように見えて、実際は私に言っているのだろうか。

「部屋に帰りましょう」

 赤璃あかりは、私の目を見ながらもう一度言った。

「仕事なら緋色ひいろ殿下がするわ」
「はあ?」
「当たり前でしょ」
「…………当たり前ではないだろ」
「こちらの非に対しての謝罪はしたけれど、あなたが朱実あけみを、仕事もままならない状態にしたのだから、その責任は取ってもらわないと」

 こちらの非に対しての謝罪?
 
緋色ひいろ、ごめんなさい、しなきゃ!」
「ああ?」
「皇太子殿下、緋色ひいろが痛いことしてごめんなさい。止めるの、間に合わなかった」

 何でお前が謝るんだ?

「なる。こちらこそ、朱実あけみが酷いことを言ってごめんね」

 何で赤璃あかりが謝るんだ?

「……殴ったのは悪かった」

 呆然と赤璃あかり成人なるひとを見比べていると、緋色ひいろの声がした。そっぽを向いているが、確かに私への謝罪の言葉。

「え?あ、いや……」

 緋色ひいろが素直に謝った?

「あら」

 赤璃あかりも少し驚いている。

「嫁にだけ謝らせるわけにいかねえだろ」

 それはつまり、私も……。

「私も、反省するよ」

 こちらにも反省すべき点はあったように思う、との言葉は、頬が痛くて短く口から出た。

「そうか」

 と、緋色ひいろがこちらを向いたから、これで良かったのかもしれない。
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