【完結】人形と皇子

かずえ

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第六章 家族と暮らす

58 ひとでなし  朱実

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「なんで?」

 真っ直ぐに紡がれた言葉には、何の裏の意味も感じることは無かった。ただ純粋に、何故かを聞いているだけ。
 何故か?
 何故?そんなの決まっている。

緋色ひいろの婚姻相手がお前だったからだ」
「俺?」
「女性でもなく、人間でもない」

 一呼吸あったかないかのうちに、物凄い衝撃が頬を襲った。ぐわん、と頭が鳴ってソファに倒れ込む。じんじんと左頬に痛みがわき上がり、左耳からキーンとおかしな音がした。
 殴られた?
 くらくらと起き上がれずに見上げると、成人なるひとを左腕に抱いたまま立ち上がっている緋色ひいろが目に入る。ソファとソファの間に机があったことと、緋色ひいろの腕の中に成人なるひとがいたことで、この程度で済んだらしい。
 高校では、皇族でありながら武術科に席を置き、常陸丸ひたちまるに次いで次席で卒業した男。それが、私の弟だ。戦場でも、隠れることなく前線に出ていたことは知っている。だから、吹っ飛んできた戦闘人形ドールを拾うなどということができたのだ。
 私がどれだけ戦場に出ることを止めても、ただ後ろの方で報告を聞くだけでいいのだと言っても、全く言うことを聞かなかった。
 あの時、緋色ひいろは何と言っていた?
 俺なら、現場も知らない奴の言うことを聞くのは御免だ。
 その言葉通りに、緋色ひいろの指揮した軍は良く動き、瞬く間に戦争は終わりを迎えた。もともと優勢だったとはいえ、驚くほどの早さで。
 
「俺が女なら良かったの?」
 
 拳を握りしめたままの緋色ひいろに気を取られていると、いつも通りの成人なるひとの声が響く。少し掠れた高めの声は、耳鳴りに紛れても聞き取りやすかった。

「どうかな……」

 痺れて、動かしにくい口を動かす。自らの声はくぐもって、とても聞き取りにくかった。

戦闘人形ドールじゃなきゃ良かった?」
「そうだな……」

 それは間違いない。戦闘人形ドールなど、人かどうかも怪しい生き物だ。……人ならば、例えば敵の捕虜でも良かったのかと言われると、それも否ではあるが。
 見つめている緋色ひいろの拳がまた、ぎちっと握られる。握りすぎて手を傷つけないかと心配になった。

緋色ひいろ。手、ぎゅってしたら痛いよ」

 ふうぅ、と荒い呼吸を何度かした緋色ひいろの拳が開く。目を上げると、ちゅ、ちゅ、と成人なるひとの唇が緋色ひいろの頬に軽く何度も押し当てられていた。
 緋色ひいろの開いた右手が持ち上がって成人なるひとの頬に当てられる。二人の唇が躊躇いなく重なって何度か触れ合った後、そっと離れた。

「俺もう、戦闘人形ドールじゃない」

 真っ直ぐにこちらを向いた成人なるひとと目が合う。
 目が、合う。笑って、話す。文字を書き、文字を読む。子どもたちと遊ぶ。食事をする。トイレへ行く。
 人の心配をする。心配を……していた。私と同じ心配を。握りすぎたら緋色ひいろの手が傷つくと、私も思ったのだ。
 思っただけの私。手を開かせた成人なるひと
 戦闘人形ドールじゃない?……戦闘人形ドールじゃない。
 ああ、そうだな。まだ、泣いて寝て乳を飲むだけの朱音あかねより余程、人間らしい。
 緋色ひいろに拳を握らせる私より余程、緋色ひいろに必要な……。

「痛い?」

 痛いな。

「かなしい?」

 かなしいのかもしれない。
 小さく細い右手が、ソファに倒れたままの私の頭を撫でる。よく緋色ひいろが許可したな、と視線を動かしたけれど、ぼやけた視界には誰の表情も映らなかった。

「痛くても、かなしくても、寂しくても、嬉しくても、人は泣くんだって」

 皇帝は、感情を表に出さないものだ、怒ったり泣いたりするなどもっての他だと習ったんだ。
 人でないのは、私の方かもしれないな。

「よしよし」

 どうして、頭を撫でるんだ、成人なるひと
 私は、泣いたりしないよ。
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