623 / 1,321
第六章 家族と暮らす
58 ひとでなし 朱実
しおりを挟む
「なんで?」
真っ直ぐに紡がれた言葉には、何の裏の意味も感じることは無かった。ただ純粋に、何故かを聞いているだけ。
何故か?
何故?そんなの決まっている。
「緋色の婚姻相手がお前だったからだ」
「俺?」
「女性でもなく、人間でもない」
一呼吸あったかないかのうちに、物凄い衝撃が頬を襲った。ぐわん、と頭が鳴ってソファに倒れ込む。じんじんと左頬に痛みがわき上がり、左耳からキーンとおかしな音がした。
殴られた?
くらくらと起き上がれずに見上げると、成人を左腕に抱いたまま立ち上がっている緋色が目に入る。ソファとソファの間に机があったことと、緋色の腕の中に成人がいたことで、この程度で済んだらしい。
高校では、皇族でありながら武術科に席を置き、常陸丸に次いで次席で卒業した男。それが、私の弟だ。戦場でも、隠れることなく前線に出ていたことは知っている。だから、吹っ飛んできた戦闘人形を拾うなどということができたのだ。
私がどれだけ戦場に出ることを止めても、ただ後ろの方で報告を聞くだけでいいのだと言っても、全く言うことを聞かなかった。
あの時、緋色は何と言っていた?
俺なら、現場も知らない奴の言うことを聞くのは御免だ。
その言葉通りに、緋色の指揮した軍は良く動き、瞬く間に戦争は終わりを迎えた。もともと優勢だったとはいえ、驚くほどの早さで。
「俺が女なら良かったの?」
拳を握りしめたままの緋色に気を取られていると、いつも通りの成人の声が響く。少し掠れた高めの声は、耳鳴りに紛れても聞き取りやすかった。
「どうかな……」
痺れて、動かしにくい口を動かす。自らの声はくぐもって、とても聞き取りにくかった。
「戦闘人形じゃなきゃ良かった?」
「そうだな……」
それは間違いない。戦闘人形など、人かどうかも怪しい生き物だ。……人ならば、例えば敵の捕虜でも良かったのかと言われると、それも否ではあるが。
見つめている緋色の拳がまた、ぎちっと握られる。握りすぎて手を傷つけないかと心配になった。
「緋色。手、ぎゅってしたら痛いよ」
ふうぅ、と荒い呼吸を何度かした緋色の拳が開く。目を上げると、ちゅ、ちゅ、と成人の唇が緋色の頬に軽く何度も押し当てられていた。
緋色の開いた右手が持ち上がって成人の頬に当てられる。二人の唇が躊躇いなく重なって何度か触れ合った後、そっと離れた。
「俺もう、戦闘人形じゃない」
真っ直ぐにこちらを向いた成人と目が合う。
目が、合う。笑って、話す。文字を書き、文字を読む。子どもたちと遊ぶ。食事をする。トイレへ行く。
人の心配をする。心配を……していた。私と同じ心配を。握りすぎたら緋色の手が傷つくと、私も思ったのだ。
思っただけの私。手を開かせた成人。
戦闘人形じゃない?……戦闘人形じゃない。
ああ、そうだな。まだ、泣いて寝て乳を飲むだけの朱音より余程、人間らしい。
緋色に拳を握らせる私より余程、緋色に必要な……。
「痛い?」
痛いな。
「かなしい?」
かなしいのかもしれない。
小さく細い右手が、ソファに倒れたままの私の頭を撫でる。よく緋色が許可したな、と視線を動かしたけれど、ぼやけた視界には誰の表情も映らなかった。
「痛くても、かなしくても、寂しくても、嬉しくても、人は泣くんだって」
皇帝は、感情を表に出さないものだ、怒ったり泣いたりするなどもっての他だと習ったんだ。
人でないのは、私の方かもしれないな。
「よしよし」
どうして、頭を撫でるんだ、成人?
私は、泣いたりしないよ。
真っ直ぐに紡がれた言葉には、何の裏の意味も感じることは無かった。ただ純粋に、何故かを聞いているだけ。
何故か?
何故?そんなの決まっている。
「緋色の婚姻相手がお前だったからだ」
「俺?」
「女性でもなく、人間でもない」
一呼吸あったかないかのうちに、物凄い衝撃が頬を襲った。ぐわん、と頭が鳴ってソファに倒れ込む。じんじんと左頬に痛みがわき上がり、左耳からキーンとおかしな音がした。
殴られた?
くらくらと起き上がれずに見上げると、成人を左腕に抱いたまま立ち上がっている緋色が目に入る。ソファとソファの間に机があったことと、緋色の腕の中に成人がいたことで、この程度で済んだらしい。
高校では、皇族でありながら武術科に席を置き、常陸丸に次いで次席で卒業した男。それが、私の弟だ。戦場でも、隠れることなく前線に出ていたことは知っている。だから、吹っ飛んできた戦闘人形を拾うなどということができたのだ。
私がどれだけ戦場に出ることを止めても、ただ後ろの方で報告を聞くだけでいいのだと言っても、全く言うことを聞かなかった。
あの時、緋色は何と言っていた?
俺なら、現場も知らない奴の言うことを聞くのは御免だ。
その言葉通りに、緋色の指揮した軍は良く動き、瞬く間に戦争は終わりを迎えた。もともと優勢だったとはいえ、驚くほどの早さで。
「俺が女なら良かったの?」
拳を握りしめたままの緋色に気を取られていると、いつも通りの成人の声が響く。少し掠れた高めの声は、耳鳴りに紛れても聞き取りやすかった。
「どうかな……」
痺れて、動かしにくい口を動かす。自らの声はくぐもって、とても聞き取りにくかった。
「戦闘人形じゃなきゃ良かった?」
「そうだな……」
それは間違いない。戦闘人形など、人かどうかも怪しい生き物だ。……人ならば、例えば敵の捕虜でも良かったのかと言われると、それも否ではあるが。
見つめている緋色の拳がまた、ぎちっと握られる。握りすぎて手を傷つけないかと心配になった。
「緋色。手、ぎゅってしたら痛いよ」
ふうぅ、と荒い呼吸を何度かした緋色の拳が開く。目を上げると、ちゅ、ちゅ、と成人の唇が緋色の頬に軽く何度も押し当てられていた。
緋色の開いた右手が持ち上がって成人の頬に当てられる。二人の唇が躊躇いなく重なって何度か触れ合った後、そっと離れた。
「俺もう、戦闘人形じゃない」
真っ直ぐにこちらを向いた成人と目が合う。
目が、合う。笑って、話す。文字を書き、文字を読む。子どもたちと遊ぶ。食事をする。トイレへ行く。
人の心配をする。心配を……していた。私と同じ心配を。握りすぎたら緋色の手が傷つくと、私も思ったのだ。
思っただけの私。手を開かせた成人。
戦闘人形じゃない?……戦闘人形じゃない。
ああ、そうだな。まだ、泣いて寝て乳を飲むだけの朱音より余程、人間らしい。
緋色に拳を握らせる私より余程、緋色に必要な……。
「痛い?」
痛いな。
「かなしい?」
かなしいのかもしれない。
小さく細い右手が、ソファに倒れたままの私の頭を撫でる。よく緋色が許可したな、と視線を動かしたけれど、ぼやけた視界には誰の表情も映らなかった。
「痛くても、かなしくても、寂しくても、嬉しくても、人は泣くんだって」
皇帝は、感情を表に出さないものだ、怒ったり泣いたりするなどもっての他だと習ったんだ。
人でないのは、私の方かもしれないな。
「よしよし」
どうして、頭を撫でるんだ、成人?
私は、泣いたりしないよ。
432
お気に入りに追加
4,981
あなたにおすすめの小説
侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
【完】ちょっと前まで可愛い後輩だったじゃん!!
福の島
BL
家族で異世界転生して早5年、なんか巡り人とか言う大層な役目を貰った俺たち家族だったけど、2人の姉兄はそれぞれ旦那とお幸せらしい。
まぁ、俺と言えば王様の進めに従って貴族学校に通っていた。
優しい先輩に慕ってくれる可愛い後輩…まぁ順風満帆…ってやつ…
だったなぁ…この前までは。
結婚を前提に…なんて…急すぎるだろ!!なんでアイツ…よりによって俺に…!??
前作短編『ゆるだる転生者の平穏なお嫁さん生活』に登場する優馬の続編です。
今作だけでも楽しめるように書きますが、こちらもよろしくお願いします。
【完結】塔の悪魔の花嫁
かずえ
BL
国の都の外れの塔には悪魔が封じられていて、王族の血筋の生贄を望んだ。王族の娘を1人、塔に住まわすこと。それは、四百年も続くイズモ王国の決まり事。期限は無い。すぐに出ても良いし、ずっと住んでも良い。必ず一人、悪魔の話し相手がいれば。
時の王妃は娘を差し出すことを拒み、王の側妃が生んだ子を女装させて塔へ放り込んだ。
【完結】狼獣人が俺を離してくれません。
福の島
BL
異世界転移ってほんとにあるんだなぁとしみじみ。
俺が異世界に来てから早2年、高校一年だった俺はもう3年に近い歳になってるし、ここに来てから魔法も使えるし、背も伸びた。
今はBランク冒険者としてがむしゃらに働いてたんだけど、 貯金が人生何周か全力で遊んで暮らせるレベルになったから東の獣の国に行くことにした。
…どうしよう…助けた元奴隷狼獣人が俺に懐いちまった…
訳あり執着狼獣人✖️異世界転移冒険者
NLカプ含む脇カプもあります。
人に近い獣人と獣に近い獣人が共存する世界です。
このお話の獣人は人に近い方の獣人です。
全体的にフワッとしています。
追放されたボク、もう怒りました…
猫いちご
BL
頑張って働いた。
5歳の時、聖女とか言われて神殿に無理矢理入れられて…早8年。虐められても、たくさんの暴力・暴言に耐えて大人しく従っていた。
でもある日…突然追放された。
いつも通り祈っていたボクに、
「新しい聖女を我々は手に入れた!」
「無能なお前はもう要らん! 今すぐ出ていけ!!」
と言ってきた。もう嫌だ。
そんなボク、リオが追放されてタラシスキルで周り(主にレオナード)を翻弄しながら冒険して行く話です。
世界観は魔法あり、魔物あり、精霊ありな感じです!
主人公は最初不遇です。
更新は不定期です。(*- -)(*_ _)ペコリ
誤字・脱字報告お願いします!
【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
【完結】ゆるだる転生者の平穏なお嫁さん生活
福の島
BL
家でゴロゴロしてたら、姉と弟と異世界転生なんてよくある話なのか…?
しかも家ごと敷地までも……
まぁ異世界転生したらしたで…それなりに保護とかしてもらえるらしいし…いっか……
……?
…この世界って男同士で結婚しても良いの…?
緩〜い元男子高生が、ちょっとだけ頑張ったりする話。
人口、男7割女3割。
特段描写はありませんが男性妊娠等もある世界です。
1万字前後の短編予定。
【完】俺の嫁はどうも悪役令息にしては優し過ぎる。
福の島
BL
日本でのびのび大学生やってたはずの俺が、異世界に産まれて早16年、ついに婚約者(笑)が出来た。
そこそこ有名貴族の実家だからか、婚約者になりたいっていう輩は居たんだが…俺の意見的には絶対NO。
理由としては…まぁ前世の記憶を思い返しても女の人に良いイメージがねぇから。
だが人生そう甘くない、長男の為にも早く家を出て欲しい両親VS婚約者ヤダー俺の勝負は、俺がちゃんと学校に行って婚約者を探すことで落ち着いた。
なんかいい人居ねぇかなとか思ってたら婚約者に虐められちゃってる悪役令息がいるじゃんと…
俺はソイツを貰うことにした。
怠慢だけど実はハイスペックスパダリ×フハハハ系美人悪役令息
弱ざまぁ(?)
1万字短編完結済み
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる