【完結】人形と皇子

かずえ

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第六章 家族と暮らす

36 温泉に浸かる  三郎

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 かこーん……。
 鹿威ししおどしが、綺麗な音を響かせる。屋外の解放感。低めの気温が頬を適度に冷やしてくれて、少しぬるめの温泉の湯は、いつまででも入っていられそうに気持ちがいい。

「ぷはー!気持ちいい!露天風呂、最高!」

 隣で満面の笑みを浮かべる力丸りきまるさんは、温泉を満喫している。

「な、三郎さぶろう?」
「あ、はい……」
「うるさい、力丸りきまる。情緒が足りん、情緒が」

 そう言う荘重むらしげさま、いや荘重むらしげさんも、すっかり寛いで温泉に浸かっていらっしゃった。
 はあ、と息を吐く。
 九条になってから、ほとんどの相手に敬称を付けて呼んではいけなくて、戸惑いが抜けない。ずいぶんと、身分が高くなってしもたらしい。
 私なんかが……。
 ざぱ、と顔をお湯でこすってまた、露天風呂を見渡した。
 かこーん……。一定時間毎に、ええ音が響く。
 大の大人が三人入ってもまだ余る広さの露天風呂。この部屋に泊まった者だけが使うには何とも贅沢な……。
 三郎さぶろうとして暮らしはじめてから、癖になっている思考が頭をもたげる。
 なんぼかかるんやろ……。
 ずいぶん、高そうやな。
 いやまあ、緋色ひいろ殿下はお金を持ってはるから、何も心配することはないんやけど。皇族やから使えるお金が多い、とかやなくて、ご自分の仕事で稼いでいらっしゃるから凄い。
 自分の力量で、したいことを全て叶えてしまうんが、ほんまに凄い。

「あー、気持ち良かった。あーがろ」

 ざば、と力丸りきまるさんが立ち上がった。動きやすそうな筋肉の付いた身体を惚れ惚れと見上げて、はっとする。
 え、もう?
 すっかり気を抜いて温泉を堪能していたので、慌ててしまう。

「あ、ほな、私も……」
三郎さぶろう、自分のちょうど良いだけ入りなさい。力丸りきまるは烏の行水でいかん」
「あ、えーと……」
「急がなくていいよ。俺、あんまり温もると汗が止まんなくなるんだよなあ」
「じゃあ、はい。もう少しだけ」
「たくさん入ってこいよ」

 言葉に甘えて、上げかけた腰を下ろした。うちでは今まで通り話してくれる荘重むらしげさんの今の言葉に、ここはなんやな、とほっとしたのもある。
 それにしても。
 何となくそうやないかと思ってはいたけど、力丸りきまるさんはほんまに、ここにいる人たちと連絡なんて何にも取ってなかった。下手したら、宿の玄関で追い返されてたかもしれん。
 そやのに、荘重むらしげさんは、早かったな、と言った。緋色ひいろ殿下は、遅かったな、と仰った。どちらも、力丸りきまるさんがここに来るのが当たり前のような顔で。私のことも、来たか、と仰った。成人なるひとさまは、ただ、おはよ、といつも通りの挨拶をしてくれた。誰もが驚いてなどいなくて……。
 私は、ここにおってもおかしくないんか、と驚いているのは私の方で。
 
「これ、さい父上から緋色ひいろ殿下に渡すようにと言われた書類です」

 朝の挨拶の後、仕事を果たさねばと渡した書類を受け取った緋色ひいろ殿下は、中をぱらぱらとめくって、あー、成る程、と呟いた。

「受け取った。三郎さぶろう、仕事は終わりだ」
「へ?あ、いや……。え?」
「俺も、朱実あけみ殿下から緋色ひいろ殿下へ渡す書類持ってんだけど、どうします?」
「いらん」
「了解でっす」

 どうやら、仕事なんて本当に口実で。ほんまに、遊びに来た?
 私も?
 さい父上は、そのつもりで書類を?
 ゆらゆらと揺れる湯を眺めて考え込んでいると、隣の荘重むらしげさんが、ざばりと立ち上がった。衰えを全く感じさせない、実用的な筋肉の付いた身体が見えて、格好ええな、と思う。

三郎さぶろう逆上のぼせる前に上がれよ。仕事が済んだのだから、ここからは休みを満喫せねばな」

 これは……。
 何がなんでも遊んで帰らねばならぬらしい。
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