37 / 59
三十七
しおりを挟む
「であれば」
ほんの少し、しんとした部屋の空気を変えるように、良庵が声を上げた。
「うちで勝手にしてよい、ということでありましょう」
「ああ、そうだな」
「その通りだ」
「立派な元服の儀を執り行いましょう」
小太郎まで、身を乗り出している。
そんなことより小太郎さまの元服のお話を、と伊之助としては言いたいところである。元々、そのことで思い悩んだ小太郎が、伊之助のもとに話をしに来たのではなかっただろうか。
「そうと決まれば、紋付き袴を仕立てねば」
良庵が、何故かずいぶんと張り切っている。まるで、我が子のようによくしてくださるのは嬉しいが、そんな上等なもの、伊之助には分不相応である。
「飯原家の紋にするのは癪だな。ああ、そうだ。もう、玉乃川家の紋をつけてしまうのはどうだ」
「兄上。私と同じ紋か?」
「ああ。私とも同じだ。どうせそのうち同じになるのだ。それでよいじゃないか」
「そうだな、よいな、そうしよう。いの、同じ紋だ。嬉しいな」
若様方が、何かとんでもないことを仰っている。どうして、小太郎さまも先生も止めないんだ。
「いや、まさかそんな訳には……」
皆の勢いに気圧されていた伊之助は、ようよう言葉を絞り出した。
「いの、いやか?」
「いや。あ、いいえ! 嫌とか嫌ではないとかそういうところのお話ではなく。してもよいのかどうかのお話かと……」
嫌なわけがない。紋というのは、その紋を持つ家に所属している、という証なのだから、付けたいに決まっている。家名すら、名乗っていいのかどうか自信の持てない伊之助にとって、紋付きの品は憧れのものだった。だが、いつ無かったことになるかもしれぬ許婚程度の伊之助が、この領地で一番偉い家の紋を身に付けてよいとは思えない。
「私や兄上がよいと言っているのだから、よいではないか」
「よいぞ。そうだ、こたも作るか。こたももうすぐ元服だから、四人で揃いにしよう」
「……」
小太郎が目を見開く。
「どうした? こたはまだ、直井家の紋を付けたいか? それならそれでもよい。こたの好きにしたらよい。だが、いずれ近いうちに同じ紋を付けるのは決まっているからな。それは譲らん」
時行は、ふんと胸を張った。
「私は、考えなしでものをいうきらいがあるとよく注意を受けるし、そうなのかもしれないと思う時は多々ある。だがな。男を嫁にしろと父上に言われてすぐに、それならこたが良い、と言ったことについては考えなしだとは思っておらぬ。私の一言で、こたが直井家を継げなくなったことや子を残せなくなったことについては申し訳なく思っているが、この婚約を取り消す気は毛頭ない。すまん、こた。きっと父上に言われなくともいずれ、私はこたが誰より好きだ、と告げていたやもしれぬ」
「……っ」
小太郎は、息を詰めて口元を手で押さえた。ようやく赤みの引いてきた目元が、また潤む。
ああ。良かった、と伊之助は思った。
きっと小太郎のどんな悩みも、今、吹き飛んだことだろう。
ほんの少し、しんとした部屋の空気を変えるように、良庵が声を上げた。
「うちで勝手にしてよい、ということでありましょう」
「ああ、そうだな」
「その通りだ」
「立派な元服の儀を執り行いましょう」
小太郎まで、身を乗り出している。
そんなことより小太郎さまの元服のお話を、と伊之助としては言いたいところである。元々、そのことで思い悩んだ小太郎が、伊之助のもとに話をしに来たのではなかっただろうか。
「そうと決まれば、紋付き袴を仕立てねば」
良庵が、何故かずいぶんと張り切っている。まるで、我が子のようによくしてくださるのは嬉しいが、そんな上等なもの、伊之助には分不相応である。
「飯原家の紋にするのは癪だな。ああ、そうだ。もう、玉乃川家の紋をつけてしまうのはどうだ」
「兄上。私と同じ紋か?」
「ああ。私とも同じだ。どうせそのうち同じになるのだ。それでよいじゃないか」
「そうだな、よいな、そうしよう。いの、同じ紋だ。嬉しいな」
若様方が、何かとんでもないことを仰っている。どうして、小太郎さまも先生も止めないんだ。
「いや、まさかそんな訳には……」
皆の勢いに気圧されていた伊之助は、ようよう言葉を絞り出した。
「いの、いやか?」
「いや。あ、いいえ! 嫌とか嫌ではないとかそういうところのお話ではなく。してもよいのかどうかのお話かと……」
嫌なわけがない。紋というのは、その紋を持つ家に所属している、という証なのだから、付けたいに決まっている。家名すら、名乗っていいのかどうか自信の持てない伊之助にとって、紋付きの品は憧れのものだった。だが、いつ無かったことになるかもしれぬ許婚程度の伊之助が、この領地で一番偉い家の紋を身に付けてよいとは思えない。
「私や兄上がよいと言っているのだから、よいではないか」
「よいぞ。そうだ、こたも作るか。こたももうすぐ元服だから、四人で揃いにしよう」
「……」
小太郎が目を見開く。
「どうした? こたはまだ、直井家の紋を付けたいか? それならそれでもよい。こたの好きにしたらよい。だが、いずれ近いうちに同じ紋を付けるのは決まっているからな。それは譲らん」
時行は、ふんと胸を張った。
「私は、考えなしでものをいうきらいがあるとよく注意を受けるし、そうなのかもしれないと思う時は多々ある。だがな。男を嫁にしろと父上に言われてすぐに、それならこたが良い、と言ったことについては考えなしだとは思っておらぬ。私の一言で、こたが直井家を継げなくなったことや子を残せなくなったことについては申し訳なく思っているが、この婚約を取り消す気は毛頭ない。すまん、こた。きっと父上に言われなくともいずれ、私はこたが誰より好きだ、と告げていたやもしれぬ」
「……っ」
小太郎は、息を詰めて口元を手で押さえた。ようやく赤みの引いてきた目元が、また潤む。
ああ。良かった、と伊之助は思った。
きっと小太郎のどんな悩みも、今、吹き飛んだことだろう。
631
お気に入りに追加
375
あなたにおすすめの小説
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
その部屋に残るのは、甘い香りだけ。
ロウバイ
BL
愛を思い出した攻めと愛を諦めた受けです。
同じ大学に通う、ひょんなことから言葉を交わすようになったハジメとシュウ。
仲はどんどん深まり、シュウからの告白を皮切りに同棲するほどにまで関係は進展するが、男女の恋愛とは違い明確な「ゴール」のない二人の関係は、失速していく。
一人家で二人の関係を見つめ悩み続けるシュウとは対照的に、ハジメは毎晩夜の街に出かけ二人の関係から目を背けてしまう…。
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
【BL】こんな恋、したくなかった
のらねことすていぬ
BL
【貴族×貴族。明るい人気者×暗め引っ込み思案。】
人付き合いの苦手なルース(受け)は、貴族学校に居た頃からずっと人気者のギルバート(攻め)に恋をしていた。だけど彼はきらきらと輝く人気者で、この恋心はそっと己の中で葬り去るつもりだった。
ある日、彼が成り上がりの令嬢に恋をしていると聞く。苦しい気持ちを抑えつつ、二人の恋を応援しようとするルースだが……。
※ご都合主義、ハッピーエンド
【運命】に捨てられ捨てたΩ
諦念
BL
「拓海さん、ごめんなさい」
秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。
「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」
秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。
【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。
なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。
右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。
前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。
※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。
縦読みを推奨します。
愛する人
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
「ああ、もう限界だ......なんでこんなことに!!」
応接室の隙間から、頭を抱える夫、ルドルフの姿が見えた。リオンの帰りが遅いことを知っていたから気が緩み、屋敷で愚痴を溢してしまったのだろう。
三年前、ルドルフの家からの申し出により、リオンは彼と政略的な婚姻関係を結んだ。けれどルドルフには愛する男性がいたのだ。
『限界』という言葉に悩んだリオンはやがてひとつの決断をする。
一日だけの魔法
うりぼう
BL
一日だけの魔法をかけた。
彼が自分を好きになってくれる魔法。
禁忌とされている、たった一日しか持たない魔法。
彼は魔法にかかり、自分に夢中になってくれた。
俺の名を呼び、俺に微笑みかけ、俺だけを好きだと言ってくれる。
嬉しいはずなのに、これを望んでいたはずなのに……
※いきなり始まりいきなり終わる
※エセファンタジー
※エセ魔法
※二重人格もどき
※細かいツッコミはなしで
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる