19 / 59
十九
しおりを挟む
骨の傷んでいる右腕は、流石にすぐに治りはしない。だが、その他の、ひどく打たれた部分の怪我は、安静にして湿布薬をこまめに替えてもらっているうちに、次第に腫れが引いて行った。しっかりと食事をして、たくさん寝たのも良かったのだろう。伊之助は、みるみる元気になった。
そうなると、実家で、寺子屋へ行く時間以外はずっと使用人たちの仕事を手伝っていた伊之助は、じっとしているのが申し訳なくなってくる。
「何かお手伝いすることはありますか?」
と、朝も早くから、通いの使用人たちに声を掛けては、
「怪我が悪化したらどうするんです? いいから坊ちゃんは安静にしていてください」
と、布団に戻された。そのうち、余四郎がやってきて、楽しく遊んでいるうちに一日が終わってしまう。
「働かざる者食うべからず、っていうのに、おいら、遊んでばっかりでいいんですかね?」
と、仕事から帰宅した草庵に聞けば、
「その腕で、何をする気なんです? 無理をしたら、おかしな形に腕が曲がっちまいますからね。絶対に、動かしちゃあいけませんよ」
と、叱られてしまった。しょんぼりとうなだれる伊之助を見た草庵は、頭を掻く。
「その、なんだ、……あれだ。若様のお相手をすることが伊之助さまのお仕事だ、って思ってりゃいいじゃありませんか」
良いことを思いついたように言われるが、それは仕事ではない。
「そんなの、楽しいばっかりだ」
伊之助が言うと、草庵はにこにこ笑った。
「子どもは、楽しく遊びながら育つもんでしょ」
「……そ、そうなんですか」
「そうなんですよ」
そうなのか。
確かに今は、働けなくても衣食住には困っていないけれど。扶持は殿様に頂いている、と良庵先生は言っていた。
「子どもは遊ぶのも仕事のうちだ、って、おいらも昔、うちの先生に教えてもらいました」
「へええ」
「うーん。とはいえ、ずっと家の中にいるのも退屈ですかね。藩校でのお勉強を再開しましょうか? いや、しかし、藩校には、あなたをそんな目に合わせた方も通っていらっしゃるんでしたね……」
正直、兄に会いたくはない。それに、右腕が動かなければ、習字ができない。あの、よく意味の分からない書物を音読するだけなら、伊之助は藩校に行きたくなかった。
「……寺子屋に、行っちゃいけませんか?」
「寺子屋?」
「はい。おいら、ほんの少し前まで寺子屋に通ってて」
「え? 藩校ではなく?」
「はい。その……おいらに合うとこに通わせてやる、と」
「そうですか……」
「それが、急に、藩校に行け、と言われて。行ったんですけど……その、難しくて」
「まあ、そうですよねえ」
「はい。だから、おいらは、今まで通り寺子屋に行って勉強したいです。おいらに合ってるとこだし。何も言わずに急に行かなくなったから、皆心配してると思うし……」
ああ、そうだ。
伊之助は、本当に急に、ふいと行かなくなったから、皆心配していることだろう。きっと、心配している。そういう仲間たち。
しばらく会えていない寺子屋仲間の顔を思い出して、伊之助はふと寂しくなった。
そうなると、実家で、寺子屋へ行く時間以外はずっと使用人たちの仕事を手伝っていた伊之助は、じっとしているのが申し訳なくなってくる。
「何かお手伝いすることはありますか?」
と、朝も早くから、通いの使用人たちに声を掛けては、
「怪我が悪化したらどうするんです? いいから坊ちゃんは安静にしていてください」
と、布団に戻された。そのうち、余四郎がやってきて、楽しく遊んでいるうちに一日が終わってしまう。
「働かざる者食うべからず、っていうのに、おいら、遊んでばっかりでいいんですかね?」
と、仕事から帰宅した草庵に聞けば、
「その腕で、何をする気なんです? 無理をしたら、おかしな形に腕が曲がっちまいますからね。絶対に、動かしちゃあいけませんよ」
と、叱られてしまった。しょんぼりとうなだれる伊之助を見た草庵は、頭を掻く。
「その、なんだ、……あれだ。若様のお相手をすることが伊之助さまのお仕事だ、って思ってりゃいいじゃありませんか」
良いことを思いついたように言われるが、それは仕事ではない。
「そんなの、楽しいばっかりだ」
伊之助が言うと、草庵はにこにこ笑った。
「子どもは、楽しく遊びながら育つもんでしょ」
「……そ、そうなんですか」
「そうなんですよ」
そうなのか。
確かに今は、働けなくても衣食住には困っていないけれど。扶持は殿様に頂いている、と良庵先生は言っていた。
「子どもは遊ぶのも仕事のうちだ、って、おいらも昔、うちの先生に教えてもらいました」
「へええ」
「うーん。とはいえ、ずっと家の中にいるのも退屈ですかね。藩校でのお勉強を再開しましょうか? いや、しかし、藩校には、あなたをそんな目に合わせた方も通っていらっしゃるんでしたね……」
正直、兄に会いたくはない。それに、右腕が動かなければ、習字ができない。あの、よく意味の分からない書物を音読するだけなら、伊之助は藩校に行きたくなかった。
「……寺子屋に、行っちゃいけませんか?」
「寺子屋?」
「はい。おいら、ほんの少し前まで寺子屋に通ってて」
「え? 藩校ではなく?」
「はい。その……おいらに合うとこに通わせてやる、と」
「そうですか……」
「それが、急に、藩校に行け、と言われて。行ったんですけど……その、難しくて」
「まあ、そうですよねえ」
「はい。だから、おいらは、今まで通り寺子屋に行って勉強したいです。おいらに合ってるとこだし。何も言わずに急に行かなくなったから、皆心配してると思うし……」
ああ、そうだ。
伊之助は、本当に急に、ふいと行かなくなったから、皆心配していることだろう。きっと、心配している。そういう仲間たち。
しばらく会えていない寺子屋仲間の顔を思い出して、伊之助はふと寂しくなった。
544
お気に入りに追加
375
あなたにおすすめの小説
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
その部屋に残るのは、甘い香りだけ。
ロウバイ
BL
愛を思い出した攻めと愛を諦めた受けです。
同じ大学に通う、ひょんなことから言葉を交わすようになったハジメとシュウ。
仲はどんどん深まり、シュウからの告白を皮切りに同棲するほどにまで関係は進展するが、男女の恋愛とは違い明確な「ゴール」のない二人の関係は、失速していく。
一人家で二人の関係を見つめ悩み続けるシュウとは対照的に、ハジメは毎晩夜の街に出かけ二人の関係から目を背けてしまう…。
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
【BL】こんな恋、したくなかった
のらねことすていぬ
BL
【貴族×貴族。明るい人気者×暗め引っ込み思案。】
人付き合いの苦手なルース(受け)は、貴族学校に居た頃からずっと人気者のギルバート(攻め)に恋をしていた。だけど彼はきらきらと輝く人気者で、この恋心はそっと己の中で葬り去るつもりだった。
ある日、彼が成り上がりの令嬢に恋をしていると聞く。苦しい気持ちを抑えつつ、二人の恋を応援しようとするルースだが……。
※ご都合主義、ハッピーエンド
【運命】に捨てられ捨てたΩ
諦念
BL
「拓海さん、ごめんなさい」
秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。
「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」
秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。
【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。
なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。
右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。
前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。
※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。
縦読みを推奨します。
愛する人
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
「ああ、もう限界だ......なんでこんなことに!!」
応接室の隙間から、頭を抱える夫、ルドルフの姿が見えた。リオンの帰りが遅いことを知っていたから気が緩み、屋敷で愚痴を溢してしまったのだろう。
三年前、ルドルフの家からの申し出により、リオンは彼と政略的な婚姻関係を結んだ。けれどルドルフには愛する男性がいたのだ。
『限界』という言葉に悩んだリオンはやがてひとつの決断をする。
一日だけの魔法
うりぼう
BL
一日だけの魔法をかけた。
彼が自分を好きになってくれる魔法。
禁忌とされている、たった一日しか持たない魔法。
彼は魔法にかかり、自分に夢中になってくれた。
俺の名を呼び、俺に微笑みかけ、俺だけを好きだと言ってくれる。
嬉しいはずなのに、これを望んでいたはずなのに……
※いきなり始まりいきなり終わる
※エセファンタジー
※エセ魔法
※二重人格もどき
※細かいツッコミはなしで
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる