56 / 61
56 ブラン子爵夫人
しおりを挟む
ブラン子爵夫人は、浮かれていた。自分から手紙など書いたことのない夫から手紙が届いたことも嬉しかったし、王都へ来て欲しいと書かれていたことも嬉しかった。
王都へ行けるなんて。こんな田舎に住んでいては、なかなかできない。子どもが大きくなって学園へ通うようになった頃にもまだ夫が王宮勤めなら、王都で屋敷を借りて家族で暮らすのも良いかと思っていたりはしたが、子どもが小さい今は、領地で夫がたまに帰ってくるのを待つしかなかったのだ。もう少し収入があれば良かったのだけれど。
とはいえ、生活に困るようなことはない。領地の収入はほどよくあるし、夫の王宮での仕事は順調なようだ。それなりに暮らしていくことができていた。
一人目の奥方が病死してからの後妻なので、使用人たちにもすんなり認めてもらうことができた。前妻が病弱だったからか、身軽に動き回っているだけで褒めてもらえるくらいだ。夫も、大切にしてくれる。快適だった。
目が見えないという前妻の子だけが、煩わしかった。夫はこの子どもの目が見えないと言っていたが、普通に生活しているように思える。少し気味が悪い。どういうことなのだろう。見えないどころか、人に見えないものまで見えているような目をしているのだが。
目が見えないのに家庭教師を呼んで勉強もしている。なんて無駄なことだと、すべて解約した。見られているのが気持ち悪くて、部屋に閉じ込めた。人に移る病気を持っていると言いふらし、使用人たちも近寄らせないようにすれば、衰弱していなくなってくれるのではないかと思ったが、案外しぶとかった。
学園から入学の案内が来たときは、学園に放り込んでしまえばもう、自分の目にはつかないと心底ほっとしたものだ。寮で何があろうと、私には関係がない。王都までは遠いが、もう十二歳だ。お金を渡して家から出せば、義務を果たしたことになるだろう。
夫の手紙にはリュシルのことが聞きたい、とあったが、突然どうしたのだろう。今まで一度も尋ねてきたことなど無かったのに。あの子がどうしているかなど知らない。学園から休学届けがきていたことがあったように思うけれど、届けが出ているのなら学園にはたどり着いたのだろう。たどり着けるとは思っていなかったので驚いたが、その後の連絡はない。もうすっかり忘れていた。
小さな子どもを連れての旅はとても時間がかかったが、楽しいものだった。初めての旅に子どもたちも大はしゃぎしていた。王都で夫と合流して、家族四人で宿を借りて、休みを取ってくれていた夫と王都を見物して。私は幸せ者だわ、と子どもたちの寝顔を見ながら、久しぶりに会う夫を見た。
ダニエル・ブラン子爵は、ここからが本題だと真面目な顔を妻に向けた。
「リュシルが学園に入ったことを知らなかったのだが。」
「十二歳になったら入学するのは、貴族の子弟として当然のことですわ。」
「だが、あの子は病気だったのだろう?部屋からも出られない、と君が言っていたではないか?」
「ちょうど入学前に治りましたので、送り出しました。」
「あの子は目が見えない。馬車で出かけたこともないはずだ。一人で出したのか?」
「もう十二歳ですもの。お金も渡しましたし、あの子を可愛がっていたエマとかいう侍女が退職届けを出していましたから、付いていったのではないかしら?」
「着いたかどうかの確認は?仕送りは?」
「仕送りは余裕が無くて、しておりません。朝晩の食事は寮で出されるのですから、昼が無くても死にはしないでしょう?私の在籍中にも、そういう学生はたくさんおりました。休学届けが出された旨の手紙がきていたようですので、学園に着いたのは間違いありませんわ。病気が再発したのかしら?」
「休学しているなら、今、どこにいるんだ?」
「存じません。帰ってきていないもの。」
「学園に尋ねたら、お嬢様の具合はどうですか、と聞かれたのだぞ。もう最終学年だから、復学か退学か決めろと。」
「では、退学届けを出してきたらよろしいのでは?本人がいないのでは、復学できませんし。」
「なぜ君はそんなに冷静なんだ。子どもが消えたのだぞ。生死も分からない。」
「貴方はなぜ今さらそんなに焦っておられるのですか?もう三年近く、あの子のことなど尋ねたこともございませんでしたのに。」
確かに妻の言う通りだ。誰かに聞かれなければ、思い出しもしない。だが、気になった以上、放っておくわけにもいかない。
「つまり君は、二年前にリュシルを家から放り出した後は何も知らない、というわけだな。」
「放り出した、ですって?きちんとお金と着替えを持たせました。学園ですもの。着いたら寮で暮らせるでしょう?自分は知らんぷりのくせに、なんて言い方なの!王宮と学園は近いんですから、様子を知ることくらいできるでしょう?病気なら、近くにいた貴方が見に行くべきだわ。」
ブラン子爵夫人は、先程までの幸せな気分をすっかり害されて、ひどく腹が立った。リュシル、いなくなっても私をこんな気分にさせるなんて。本当に、ひどい子だわ。
「ああ、そうだな。事情が聞きたかっただけなのだ。悪かった。君はよくやってくれたよ。」
夫がそう言うのを聞いて、少しだけ機嫌を直した。
王都へ行けるなんて。こんな田舎に住んでいては、なかなかできない。子どもが大きくなって学園へ通うようになった頃にもまだ夫が王宮勤めなら、王都で屋敷を借りて家族で暮らすのも良いかと思っていたりはしたが、子どもが小さい今は、領地で夫がたまに帰ってくるのを待つしかなかったのだ。もう少し収入があれば良かったのだけれど。
とはいえ、生活に困るようなことはない。領地の収入はほどよくあるし、夫の王宮での仕事は順調なようだ。それなりに暮らしていくことができていた。
一人目の奥方が病死してからの後妻なので、使用人たちにもすんなり認めてもらうことができた。前妻が病弱だったからか、身軽に動き回っているだけで褒めてもらえるくらいだ。夫も、大切にしてくれる。快適だった。
目が見えないという前妻の子だけが、煩わしかった。夫はこの子どもの目が見えないと言っていたが、普通に生活しているように思える。少し気味が悪い。どういうことなのだろう。見えないどころか、人に見えないものまで見えているような目をしているのだが。
目が見えないのに家庭教師を呼んで勉強もしている。なんて無駄なことだと、すべて解約した。見られているのが気持ち悪くて、部屋に閉じ込めた。人に移る病気を持っていると言いふらし、使用人たちも近寄らせないようにすれば、衰弱していなくなってくれるのではないかと思ったが、案外しぶとかった。
学園から入学の案内が来たときは、学園に放り込んでしまえばもう、自分の目にはつかないと心底ほっとしたものだ。寮で何があろうと、私には関係がない。王都までは遠いが、もう十二歳だ。お金を渡して家から出せば、義務を果たしたことになるだろう。
夫の手紙にはリュシルのことが聞きたい、とあったが、突然どうしたのだろう。今まで一度も尋ねてきたことなど無かったのに。あの子がどうしているかなど知らない。学園から休学届けがきていたことがあったように思うけれど、届けが出ているのなら学園にはたどり着いたのだろう。たどり着けるとは思っていなかったので驚いたが、その後の連絡はない。もうすっかり忘れていた。
小さな子どもを連れての旅はとても時間がかかったが、楽しいものだった。初めての旅に子どもたちも大はしゃぎしていた。王都で夫と合流して、家族四人で宿を借りて、休みを取ってくれていた夫と王都を見物して。私は幸せ者だわ、と子どもたちの寝顔を見ながら、久しぶりに会う夫を見た。
ダニエル・ブラン子爵は、ここからが本題だと真面目な顔を妻に向けた。
「リュシルが学園に入ったことを知らなかったのだが。」
「十二歳になったら入学するのは、貴族の子弟として当然のことですわ。」
「だが、あの子は病気だったのだろう?部屋からも出られない、と君が言っていたではないか?」
「ちょうど入学前に治りましたので、送り出しました。」
「あの子は目が見えない。馬車で出かけたこともないはずだ。一人で出したのか?」
「もう十二歳ですもの。お金も渡しましたし、あの子を可愛がっていたエマとかいう侍女が退職届けを出していましたから、付いていったのではないかしら?」
「着いたかどうかの確認は?仕送りは?」
「仕送りは余裕が無くて、しておりません。朝晩の食事は寮で出されるのですから、昼が無くても死にはしないでしょう?私の在籍中にも、そういう学生はたくさんおりました。休学届けが出された旨の手紙がきていたようですので、学園に着いたのは間違いありませんわ。病気が再発したのかしら?」
「休学しているなら、今、どこにいるんだ?」
「存じません。帰ってきていないもの。」
「学園に尋ねたら、お嬢様の具合はどうですか、と聞かれたのだぞ。もう最終学年だから、復学か退学か決めろと。」
「では、退学届けを出してきたらよろしいのでは?本人がいないのでは、復学できませんし。」
「なぜ君はそんなに冷静なんだ。子どもが消えたのだぞ。生死も分からない。」
「貴方はなぜ今さらそんなに焦っておられるのですか?もう三年近く、あの子のことなど尋ねたこともございませんでしたのに。」
確かに妻の言う通りだ。誰かに聞かれなければ、思い出しもしない。だが、気になった以上、放っておくわけにもいかない。
「つまり君は、二年前にリュシルを家から放り出した後は何も知らない、というわけだな。」
「放り出した、ですって?きちんとお金と着替えを持たせました。学園ですもの。着いたら寮で暮らせるでしょう?自分は知らんぷりのくせに、なんて言い方なの!王宮と学園は近いんですから、様子を知ることくらいできるでしょう?病気なら、近くにいた貴方が見に行くべきだわ。」
ブラン子爵夫人は、先程までの幸せな気分をすっかり害されて、ひどく腹が立った。リュシル、いなくなっても私をこんな気分にさせるなんて。本当に、ひどい子だわ。
「ああ、そうだな。事情が聞きたかっただけなのだ。悪かった。君はよくやってくれたよ。」
夫がそう言うのを聞いて、少しだけ機嫌を直した。
72
お気に入りに追加
191
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界転移したら騎士団長と相思相愛になりました〜私の恋を父と兄が邪魔してくる〜
伽羅
恋愛
愛莉鈴(アリス)は幼馴染の健斗に片想いをしている。
ある朝、通学中の事故で道が塞がれた。
健斗はサボる口実が出来たと言って愛莉鈴を先に行かせる。
事故車で塞がれた道を電柱と塀の隙間から抜けようとすると妙な違和感が…。
気付いたら、まったく別の世界に佇んでいた。
そんな愛莉鈴を救ってくれた騎士団長を徐々に好きになっていくが、彼には想い人がいた。
やがて愛莉鈴には重大な秘密が判明して…。
【完結】悪役令嬢と呼ばれた私は関わりたくない
白キツネ
恋愛
アリシア・アースベルトは飛び級により、転生者である姉、シェリアと一緒に王都にある学園に通うことが可能になった。しかし、学園の門をくぐった時にある女子生徒出会う。
彼女は自分を転生者だと言い、何かとアリシアに突っ掛かるようになってきて…!?
面倒なので関わってこないでほしいな。そう願いながらもこちらからは何もしないことを決意する。けれど、彼女はこちらの気持ちもお構いなしに関わろうと嫌がらせをしてくる始末。
アリシアはそんな面倒な相手と関わりながら、多くのことに頭を悩ませ続ける。
カクヨムにも掲載しております。
婚約者を奪い返そうとしたらいきなり溺愛されました
宵闇 月
恋愛
異世界に転生したらスマホゲームの悪役令嬢でした。
しかも前世の推し且つ今世の婚約者は既にヒロインに攻略された後でした。
断罪まであと一年と少し。
だったら断罪回避より今から全力で奪い返してみせますわ。
と意気込んだはいいけど
あれ?
婚約者様の様子がおかしいのだけど…
※ 4/26
内容とタイトルが合ってないない気がするのでタイトル変更しました。
異世界転生した攻略キャラから提案ですが姫様隠しキャラ落としませんか?
かぎのえみずる
恋愛
主人公は事故に遭い、気がつけば前世で気紛れに遊んだ乙女ゲーの攻略対象キャラに転生していた。
リーチェという王子になり、乙女ゲーヒロインのキャロラインや、キャロラインをサポートする隠れ落としキャラに出会う。
隠れ落としキャラのヴァスティはヒロインと、他の攻略キャラをくっつけたいらしく、リーチェに協力を申し出るが、リーチェは思い出した。ヴァスティ自身は、ヴァスティルート以外だと死んでしまうと。
リーチェはキャロラインを振り向かせつつ、ヴァスティのキャロラインへの片思いを叶えようとする。
しかもこの世界はRPG要素もあるらしく、ヒロインのライバルキャラが魔王へ闇落ち?!
ライバルキャラのシルビアはキャロラインに宣戦布告する、「私、リーチェが好きよ」と愁いを帯びながら。
*タイトルが長いので、やや短くしました!*
変更前:乙女ゲームの世界に来ちゃった?!噂の異世界転生――隠しキャラのほうを落としてくださいよヒロイン様――
異世界で王城生活~陛下の隣で~
遥
恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。
グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます!
※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。
※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。
闇黒の悪役令嬢は溺愛される
葵川真衣
恋愛
公爵令嬢リアは十歳のときに、転生していることを知る。
今は二度目の人生だ。
十六歳の舞踏会、皇太子ジークハルトから、婚約破棄を突き付けられる。
記憶を得たリアは前世同様、世界を旅する決意をする。
前世の仲間と、冒険の日々を送ろう!
婚約破棄された後、すぐ帝都を出られるように、リアは旅の支度をし、舞踏会に向かった。
だが、その夜、前世と異なる出来事が起きて──!?
悪役令嬢、溺愛物語。
☆本編完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。
虐げられ続けてきたお嬢様、全てを踏み台に幸せになることにしました。
ラディ
恋愛
一つ違いの姉と比べられる為に、愚かであることを強制され矯正されて育った妹。
家族からだけではなく、侍女や使用人からも虐げられ弄ばれ続けてきた。
劣悪こそが彼女と標準となっていたある日。
一人の男が現れる。
彼女の人生は彼の登場により一変する。
この機を逃さぬよう、彼女は。
幸せになることに、決めた。
■完結しました! 現在はルビ振りを調整中です!
■第14回恋愛小説大賞99位でした! 応援ありがとうございました!
■感想や御要望などお気軽にどうぞ!
■エールやいいねも励みになります!
■こちらの他にいくつか話を書いてますのでよろしければ、登録コンテンツから是非に。
※一部サブタイトルが文字化けで表示されているのは演出上の仕様です。お使いの端末、表示されているページは正常です。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる