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二十一 一世一代の
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おこうとかよは、藩主が招いた演者という体になっているので、上等な座布団を置かれた客間に案内された。茶を置いて頭を下げ、下がっていった女中を見送って、四人はようやく、ぐんにゃりと姿勢を崩す。
「おこう殿。体が辛いなら、布団も準備させるが?その際は我らは部屋を出る故、遠慮はいらぬ。かよ殿も」
「ご親切に、ありがとうございます。できれば、すぐにでも帰りたいのですが、これ以上動けそうにありませぬ」
おこうの言葉に、田端はすぐに席を立って布団を手配しに行った。本当に、身軽な男である。おこうは、行儀が悪くてすまないね、と言いながら足を崩して壁に体をもたせかけた。
「正一郎様……。此度は、誠に……」
かよは、そう言って松木の正面に座り、頭を下げると肩を震わせた。
「さよ、いや、かよ。無事で何より」
「はい。はい……!」
顔を上げたかよの目から、ぽろぽろと涙が零れた。
「ああ。申し訳、申し訳ござい、ございま、せん」
止まらぬ涙を隠そうと手で顔を覆い、かよは、ひくりひくりとしゃくり上げる。
「かよ。かよ。もう大丈夫。もう大丈夫だ」
「はい。はい」
頷きながらも、かよの涙は止まらない。
戻ってきた田端が部屋を一瞥して、失礼、と言いながらおこうを助け起こした。
「布団は、隣の客間に敷いてもらった故、連れていく。殿への報告は、我らだけで良いとのことだ。長屋への使いは手配した」
「何から何まですまぬ」
「本当に、貴殿は気の利かぬ男だ」
田端の容赦の無い言葉に、松木は打ちひしがれる。
「我が身は、何と役立たずかと今まさに落ち込んでいる」
「今、貴殿にできることを教えてやろう」
縋るように田端を見上げた松木へ、いつも長屋でおかめと話している時のような顔で田端は笑った。
「許嫁殿を、優しくその胸に抱き込んで、背をさすってやることだ」
へ?と松木が間抜けな声を上げた時には、おこうに肩を貸した田端はもう廊下へと出ていた。
「あ……いや……」
同じく、へ?と顔を上げたかよが、涙に濡れた目で松木を見ている。ひくっとかよの喉が鳴った。扇情的なその姿に、松木の手が自然と伸びる。しっかと胸に抱き込めば、かよは体を固くした。松木は構わず、抱き込んだ頭へ向けて話しかけた。
「かよ。殿にお許しをもろうた。万次郎に家督を譲ること」
びく、とかよが体を揺らす。身動ぐので、少しだけ体を離し、顔が見えるようにした。腕の中から出す気は無かった。
「某は、江戸詰でのお役目をもろうた」
ぱち、ぱち、とかよの濡れた目が瞬く。
「今まで通り、長屋暮らしだ」
「正一郎様……」
かよは、喜んで良いのかどうか迷うように言葉を途切れさせた。誰から見ても、それは出世とは逆の道である。継ぐ家がありながらそれを捨てるなど、正気の沙汰とは思えない。
だが。
それなら、共にいることができる。江戸で、共に。
「かよ。長屋暮らしで良ければ、末永う共にいてはくれまいか」
松木は、しっかとかよの目を見て言った。一世一代の場面は、今ここであろう。運の良いことに、格好は整っている。……先に、腕の中に囲ってしまったことは、申し訳無かったが。
「…………!」
しばしの沈黙が恐ろしい。もしや、この体勢では、断るにも断れないという事だろうか。そう考え、少しづつ体を離す松木の着物の胸元を、か細い手がぎゅうと握った。
「かよ……!」
俯いたかよが、小さく頷くのが見えた。うなじや耳が赤く染まっている。ああ、何て美しいことだろう……。
「おーい。そろそろいいか」
田端の無粋な声が聞こえるまで、二人はそのまま抱き合っていた。
「おこう殿。体が辛いなら、布団も準備させるが?その際は我らは部屋を出る故、遠慮はいらぬ。かよ殿も」
「ご親切に、ありがとうございます。できれば、すぐにでも帰りたいのですが、これ以上動けそうにありませぬ」
おこうの言葉に、田端はすぐに席を立って布団を手配しに行った。本当に、身軽な男である。おこうは、行儀が悪くてすまないね、と言いながら足を崩して壁に体をもたせかけた。
「正一郎様……。此度は、誠に……」
かよは、そう言って松木の正面に座り、頭を下げると肩を震わせた。
「さよ、いや、かよ。無事で何より」
「はい。はい……!」
顔を上げたかよの目から、ぽろぽろと涙が零れた。
「ああ。申し訳、申し訳ござい、ございま、せん」
止まらぬ涙を隠そうと手で顔を覆い、かよは、ひくりひくりとしゃくり上げる。
「かよ。かよ。もう大丈夫。もう大丈夫だ」
「はい。はい」
頷きながらも、かよの涙は止まらない。
戻ってきた田端が部屋を一瞥して、失礼、と言いながらおこうを助け起こした。
「布団は、隣の客間に敷いてもらった故、連れていく。殿への報告は、我らだけで良いとのことだ。長屋への使いは手配した」
「何から何まですまぬ」
「本当に、貴殿は気の利かぬ男だ」
田端の容赦の無い言葉に、松木は打ちひしがれる。
「我が身は、何と役立たずかと今まさに落ち込んでいる」
「今、貴殿にできることを教えてやろう」
縋るように田端を見上げた松木へ、いつも長屋でおかめと話している時のような顔で田端は笑った。
「許嫁殿を、優しくその胸に抱き込んで、背をさすってやることだ」
へ?と松木が間抜けな声を上げた時には、おこうに肩を貸した田端はもう廊下へと出ていた。
「あ……いや……」
同じく、へ?と顔を上げたかよが、涙に濡れた目で松木を見ている。ひくっとかよの喉が鳴った。扇情的なその姿に、松木の手が自然と伸びる。しっかと胸に抱き込めば、かよは体を固くした。松木は構わず、抱き込んだ頭へ向けて話しかけた。
「かよ。殿にお許しをもろうた。万次郎に家督を譲ること」
びく、とかよが体を揺らす。身動ぐので、少しだけ体を離し、顔が見えるようにした。腕の中から出す気は無かった。
「某は、江戸詰でのお役目をもろうた」
ぱち、ぱち、とかよの濡れた目が瞬く。
「今まで通り、長屋暮らしだ」
「正一郎様……」
かよは、喜んで良いのかどうか迷うように言葉を途切れさせた。誰から見ても、それは出世とは逆の道である。継ぐ家がありながらそれを捨てるなど、正気の沙汰とは思えない。
だが。
それなら、共にいることができる。江戸で、共に。
「かよ。長屋暮らしで良ければ、末永う共にいてはくれまいか」
松木は、しっかとかよの目を見て言った。一世一代の場面は、今ここであろう。運の良いことに、格好は整っている。……先に、腕の中に囲ってしまったことは、申し訳無かったが。
「…………!」
しばしの沈黙が恐ろしい。もしや、この体勢では、断るにも断れないという事だろうか。そう考え、少しづつ体を離す松木の着物の胸元を、か細い手がぎゅうと握った。
「かよ……!」
俯いたかよが、小さく頷くのが見えた。うなじや耳が赤く染まっている。ああ、何て美しいことだろう……。
「おーい。そろそろいいか」
田端の無粋な声が聞こえるまで、二人はそのまま抱き合っていた。
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