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九 片恋
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「隅に置けないね、このお人も」
「何にも口を聞かないくせに、どうやって人気の美人三味線師範を落とすんだ?」
「本当だよ。黙って立ってて惚れられる見目でもあるまいに」
散々な言われようである。だがまあ、口が重いのはそれこそ幼少の頃から言われているので流石に自覚がある。松木はただむっすりと、おかめと同僚の綾ノ部藩士、田端伊三郎の話を聞いていた。
だいたい、人気の美人三味線師範を落としたとは何の話だ?
相変わらずの与兵衛長屋の裏木戸辺り。時間さえあれば剣を振っている松木と違い、田端はおかめとのんびり腰を下ろしている。
この春先には、お忍びの綾ノ部藩主、志木政景が長屋へとやってきて、作次とおみつと出かけ、花見を楽しんでいた。嫡男、一之進が元服したため、早う引退してこちらに住みたいなどと言い出して周りを慌てさせていた。
「それで?松木様は、どうするんだい?」
「どう、とは?」
「その美人師匠に求婚するのかい?住まいは?ここに連れてきて、師匠は通いかい?」
は?と松木は目を見開いた。
おかめたちとおれば、口を開かずとも話が勝手に進むから楽でよい、と思っていたが、それはあくまで他人事であった場合である。このままではいつの間にか、婚姻の日取りまで決まってしまいそうだ。
「いや」
「しかしなあ。某などはそんな話があっても良いが、貴殿はそうはいくまい」
不意に、田端が真面目な顔で口を挟んだ。松木が否定する間もないのはいつもの事であるが、田端が真面目な顔をするのは珍しい。
「おや、そうなのかい」
三年ずっと長屋に住み続けている奇特な二人の武士相手には、もう身分の礼儀などはとうに抜けて、おかめの口調は気安い。
「そうさ。松木殿は某のような三男坊と違って跡取りの長男だ。家督を継がなくちゃいけないだろう?くにに、許嫁なんかもいるんじゃないのか」
「まさかの浮気とは……!」
浮気ではない。今、許嫁はいないはずだ、多分。少なくとも、領地へ帰っていないので顔合わせをしていないし、了承の返事もしていない。
そもそも、三味線の師範と恋仲になった覚えはない。……松木は、相手が元許嫁のさよだと確信しているから、片恋はしていることになるのかもしれないが。
「娘たちから見たら、こんな風なのがいいのかねえ」
「田端様も、剣のひとつも振ってみたらどうだい」
「いつ使うんだ、それ」
「その姿が素敵だと思う娘っこが、出てくるかもしれませんよ」
「剣なんて使わねえのが一番さ」
「違いないねえ」
「それで?実際どうなんだ」
話が逸れていくので、知らん顔で剣を振っていたが、そういう訳にはいかなかったらしい。
「その方と恋仲となった覚えはない」
「そうなのか。あれだけ熱心に通っていて、まだ想いを告げていないのか」
想い。確かにある。けれど、告げても迷惑なだけだろう。さよが本当に大変な時に傍らにいてやることもできなかった男だ。婚約は破棄されている。
ただ無事な姿を見られたらそれで良い。
「…………」
「まあ、三味線の師範では釣り合いが取れないな」
松木が家督を継ぐのであれば、家の者が新しく準備しているだろう娘と伴侶とならなければならない。家からは、幾度も文が届いていた。前回の殿の帰郷と共に帰らなかったことを心配する内容であった。次こそは帰れと、矢のような催促が届いている。
季節は春の終わり。間もなく梅雨の時期が過ぎれば、殿が国元へ帰るための準備が始まる。それに付随すれば、もう二度とさよと会うことは叶わないかもしれない。
あと三月……。せめてその間、毎日無事を確かめに行こうと松木は思った。
「何にも口を聞かないくせに、どうやって人気の美人三味線師範を落とすんだ?」
「本当だよ。黙って立ってて惚れられる見目でもあるまいに」
散々な言われようである。だがまあ、口が重いのはそれこそ幼少の頃から言われているので流石に自覚がある。松木はただむっすりと、おかめと同僚の綾ノ部藩士、田端伊三郎の話を聞いていた。
だいたい、人気の美人三味線師範を落としたとは何の話だ?
相変わらずの与兵衛長屋の裏木戸辺り。時間さえあれば剣を振っている松木と違い、田端はおかめとのんびり腰を下ろしている。
この春先には、お忍びの綾ノ部藩主、志木政景が長屋へとやってきて、作次とおみつと出かけ、花見を楽しんでいた。嫡男、一之進が元服したため、早う引退してこちらに住みたいなどと言い出して周りを慌てさせていた。
「それで?松木様は、どうするんだい?」
「どう、とは?」
「その美人師匠に求婚するのかい?住まいは?ここに連れてきて、師匠は通いかい?」
は?と松木は目を見開いた。
おかめたちとおれば、口を開かずとも話が勝手に進むから楽でよい、と思っていたが、それはあくまで他人事であった場合である。このままではいつの間にか、婚姻の日取りまで決まってしまいそうだ。
「いや」
「しかしなあ。某などはそんな話があっても良いが、貴殿はそうはいくまい」
不意に、田端が真面目な顔で口を挟んだ。松木が否定する間もないのはいつもの事であるが、田端が真面目な顔をするのは珍しい。
「おや、そうなのかい」
三年ずっと長屋に住み続けている奇特な二人の武士相手には、もう身分の礼儀などはとうに抜けて、おかめの口調は気安い。
「そうさ。松木殿は某のような三男坊と違って跡取りの長男だ。家督を継がなくちゃいけないだろう?くにに、許嫁なんかもいるんじゃないのか」
「まさかの浮気とは……!」
浮気ではない。今、許嫁はいないはずだ、多分。少なくとも、領地へ帰っていないので顔合わせをしていないし、了承の返事もしていない。
そもそも、三味線の師範と恋仲になった覚えはない。……松木は、相手が元許嫁のさよだと確信しているから、片恋はしていることになるのかもしれないが。
「娘たちから見たら、こんな風なのがいいのかねえ」
「田端様も、剣のひとつも振ってみたらどうだい」
「いつ使うんだ、それ」
「その姿が素敵だと思う娘っこが、出てくるかもしれませんよ」
「剣なんて使わねえのが一番さ」
「違いないねえ」
「それで?実際どうなんだ」
話が逸れていくので、知らん顔で剣を振っていたが、そういう訳にはいかなかったらしい。
「その方と恋仲となった覚えはない」
「そうなのか。あれだけ熱心に通っていて、まだ想いを告げていないのか」
想い。確かにある。けれど、告げても迷惑なだけだろう。さよが本当に大変な時に傍らにいてやることもできなかった男だ。婚約は破棄されている。
ただ無事な姿を見られたらそれで良い。
「…………」
「まあ、三味線の師範では釣り合いが取れないな」
松木が家督を継ぐのであれば、家の者が新しく準備しているだろう娘と伴侶とならなければならない。家からは、幾度も文が届いていた。前回の殿の帰郷と共に帰らなかったことを心配する内容であった。次こそは帰れと、矢のような催促が届いている。
季節は春の終わり。間もなく梅雨の時期が過ぎれば、殿が国元へ帰るための準備が始まる。それに付随すれば、もう二度とさよと会うことは叶わないかもしれない。
あと三月……。せめてその間、毎日無事を確かめに行こうと松木は思った。
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