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五 一長一短
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「おこうさん、無事なのかい?」
開けたままであった戸から中へ入った女が声を掛けてきた。井戸へ走った女中たちや隣のおかよにも声は掛けていた様子だが、やはり本人を見なければ気がすまなかったようである。
おこう、と呼ばれた三味線の師匠が、
「ちいとも大丈夫じゃないよ」
と、声を上げた。
「随分熱心に稽古に通っていると思ったら、やっぱりかよが目当てだったのさ。あの男は出入り禁止にしておくれ」
「ああ」
長屋の女は、得心したように声を上げた。
「このところ、どうにもその手合いが多すぎるね」
「もう私ゃ、男の弟子は懲り懲りだよ。かといって、本当に熱心なお人も中にはいらっしゃるのだから見分けをつけるのが難しい」
「おこうさんに三味線を習いたいという人は引きも切らないから」
「何の。人より長くやっているというだけさ。もう歳だから徐々に終いじたくをしていたものが、かよの為にとまた弟子を増やしたのが良くなかったのかねえ」
「弟子を減らして萎んでいたおこうさんより、かよちゃんを拾って忙しい忙しいと言っているおこうさんの方が、らしくて安心していたんだけどね」
「はは。のんびりさせておくれではないのかい?年寄りをこき使うものではないよ。それにしても、何事も一長一短だねえ」
はあ、と溜め息を吐いたおこうが本当に疲れている様子であったので、松木はそっと傍を離れた。
「少し横になるといい」
「松木様はどうなさる?」
「表で待たせてもらう」
このおこうという師匠は、どうやら武家の出ではないか、と松木は思った。町の者と話す時は、阿と言えば吽と言うかのように返事を返すが、松木へと言葉を掛ける時には非常に品のある様子を見せる。武家の者相手にも稽古を付ける事ができるような礼儀を知っているのでは、と感じさせた。
おみつを預けるには丁度良いのかもしれない。……此度のような騒ぎさえ無ければ。
「申し訳ないことだよ」
「構わぬ」
松木が部屋を出ていくのを、おこうはそれ以上止めなかった。
女中たちが中に残って戸を閉める。傷の手当ては済んだし、あとの世話は任せて大丈夫だろう。共に出てきた長屋の女が、まじまじと松木を見て口を開いた。
「お侍さんは、三味線を習いにきたお人ではないのですか?」
「違う」
「そうですか」
どこか残念そうに言う女に、松木は首を傾げる。
「武家も来るのか?」
「来なさるよ。もう少し若い時分には、武家屋敷に呼ばれることもあった程のお方さね」
「さもあろう」
弟子のかよがあの腕前だ。師匠は更に凄かろう。更に礼儀を弁えているとなれば、引く手数多と思われる。頷く松木に、女は満足気な顔をした。
「おこうさんをずっと慕っていらした男弟子がいらっしゃったんだが、突然連絡もないまま姿が見えなくなってね。あの方がいらした間は、誰が習いに来ても私らは安心していたものだったんだが。おこうさんも口では、所詮手習いだから、と気丈なことを言っていても、すっかり気落ちしていたんだ。そんな所におかよさんを拾ってね。また元気を取り戻したと思いきやこの騒ぎ。見目が良いのも一長一短なんだねえ」
なるほど。おこうも確かに、若い頃は大した見目の良い顔であったのかもしれない。松木は、人の顔の美醜は言われてもあまり分からないので、曖昧に頷いておいた。
「だからさ。あなた様みたいな強そうなお侍さまが二人の傍に居てくれるなら、あたしらはまた安心できると思ったんですよ。習いに来たのでないってんなら残念なことです」
開けたままであった戸から中へ入った女が声を掛けてきた。井戸へ走った女中たちや隣のおかよにも声は掛けていた様子だが、やはり本人を見なければ気がすまなかったようである。
おこう、と呼ばれた三味線の師匠が、
「ちいとも大丈夫じゃないよ」
と、声を上げた。
「随分熱心に稽古に通っていると思ったら、やっぱりかよが目当てだったのさ。あの男は出入り禁止にしておくれ」
「ああ」
長屋の女は、得心したように声を上げた。
「このところ、どうにもその手合いが多すぎるね」
「もう私ゃ、男の弟子は懲り懲りだよ。かといって、本当に熱心なお人も中にはいらっしゃるのだから見分けをつけるのが難しい」
「おこうさんに三味線を習いたいという人は引きも切らないから」
「何の。人より長くやっているというだけさ。もう歳だから徐々に終いじたくをしていたものが、かよの為にとまた弟子を増やしたのが良くなかったのかねえ」
「弟子を減らして萎んでいたおこうさんより、かよちゃんを拾って忙しい忙しいと言っているおこうさんの方が、らしくて安心していたんだけどね」
「はは。のんびりさせておくれではないのかい?年寄りをこき使うものではないよ。それにしても、何事も一長一短だねえ」
はあ、と溜め息を吐いたおこうが本当に疲れている様子であったので、松木はそっと傍を離れた。
「少し横になるといい」
「松木様はどうなさる?」
「表で待たせてもらう」
このおこうという師匠は、どうやら武家の出ではないか、と松木は思った。町の者と話す時は、阿と言えば吽と言うかのように返事を返すが、松木へと言葉を掛ける時には非常に品のある様子を見せる。武家の者相手にも稽古を付ける事ができるような礼儀を知っているのでは、と感じさせた。
おみつを預けるには丁度良いのかもしれない。……此度のような騒ぎさえ無ければ。
「申し訳ないことだよ」
「構わぬ」
松木が部屋を出ていくのを、おこうはそれ以上止めなかった。
女中たちが中に残って戸を閉める。傷の手当ては済んだし、あとの世話は任せて大丈夫だろう。共に出てきた長屋の女が、まじまじと松木を見て口を開いた。
「お侍さんは、三味線を習いにきたお人ではないのですか?」
「違う」
「そうですか」
どこか残念そうに言う女に、松木は首を傾げる。
「武家も来るのか?」
「来なさるよ。もう少し若い時分には、武家屋敷に呼ばれることもあった程のお方さね」
「さもあろう」
弟子のかよがあの腕前だ。師匠は更に凄かろう。更に礼儀を弁えているとなれば、引く手数多と思われる。頷く松木に、女は満足気な顔をした。
「おこうさんをずっと慕っていらした男弟子がいらっしゃったんだが、突然連絡もないまま姿が見えなくなってね。あの方がいらした間は、誰が習いに来ても私らは安心していたものだったんだが。おこうさんも口では、所詮手習いだから、と気丈なことを言っていても、すっかり気落ちしていたんだ。そんな所におかよさんを拾ってね。また元気を取り戻したと思いきやこの騒ぎ。見目が良いのも一長一短なんだねえ」
なるほど。おこうも確かに、若い頃は大した見目の良い顔であったのかもしれない。松木は、人の顔の美醜は言われてもあまり分からないので、曖昧に頷いておいた。
「だからさ。あなた様みたいな強そうなお侍さまが二人の傍に居てくれるなら、あたしらはまた安心できると思ったんですよ。習いに来たのでないってんなら残念なことです」
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