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お食事はワインと一緒に(嘔吐)
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傷の手当も程々に、夕食のためにご主人さまから新しい服をいただきました。仕立ての良い、肌触りの良い布とレースがいっぱいにあしらわれております。ほかの使用人たちにお着替えを手伝っていただかないと着るのが難しいお洋服でありました。使用人に支給される簡素なものばかり着ていた記憶しかないので慣れない小恥ずかしさもございますが、可愛らしいこのお洋服は小さい頃夢見たそのもので、何だが心が晴れやかになります。ご主人さまが来るまでお待ち下さいと告げて他の使用人たちは他の業務のためにお部屋から出ていってしまいました。大きな鏡が目の前にあって、着慣れないワンピースがあればやることは1つに限られるのでありませんか。その場で回ってみればスカートはふわりと広がり、中のパニエが見えるのも相まって花束のようでございます。幼少期を過ぎてもお姫様に憧れる心は忘れていないようです。面白くて何度もターンをしてしまいます。
「気に入ったようで何より」
油断しておりました。声の方へ目を向ければご主人さまがお部屋にいらっしゃいました。いつから見られていたのでしょう。小恥ずかしさから本当の恥ずかしさへと変わり顔が熱くなるのを感じます。そんな私を面白がったのか、いつも冷たいご主人さまの表情が綻びます。こちらへ近づき似合っている、そう笑いかけられればどんな女性でも心が揺らいでしまうほど愛らしいお顔でございます。
手を取られ、どこまでも続く廊下と毛足が長く柔らかいカーペットを歩きながらご主人さまに連れられて出たのは日頃彼がお食事を取られている場所でした。舞踏場にあるもの程ではないにしてもいつ見ても絢爛豪華なシャンデリアがそこあります。あれを見ると体が強ばるのはなぜでしょう。
椅子を引き、座るように促されたのは恐縮ながらご主人さまの正面でございました。給仕が様々なお料理をもってきてくださるようです。盛り付けにまで手の込んだそれは、見るだけで楽しくなります。私はキッチン担当ではなかったのかお料理の知識はございませんでした。最初は魚介のお料理でしょうか。小さなお料理がいくつか並んでおり、一口食べてみればそれはもう頬が落ちてしまいそうです。
「美味しいね」
ご主人さまも料理の味に満足されているご様子です。きっとお抱えの料理人の腕がよろしいのでしょう。
「こんなお料理初めてで、なんだか落ち着きません」
他愛のない一言である心積もりでございました。しかしながらご主人さまが一瞬目を見開かれたのを私は見逃しませんでした。君は何も覚えていないんだねと呟くご主人さまに深く言い及んでも良いものかと逡巡しましたが何をどう聞けば良いのかわからず黙ってしまいます。
「久々に目が覚めたお祝いだよ。ゆっくり楽しもう」
とはいえ悩んでいても私の疑問は尽きません。思い出せない私自身のこと、ご主人さまのこと。久々に目が覚めた?私はいままで何をしていたの?お食事中なら何もされないでしょう。思い切って聞いてみるのです。
「私は一体何者なのですか」
「愛玩道具?」
即答された答えにそういうことじゃなくって!という私。ご主人さまは次の言葉を促すご様子なので続けます。
「この館の使用人だったのは思い出せるのです。例えば、そう。あのシャンデリアを見れば丁寧に扱わないと、と体が訴えてくるのです」
「だって君、このシャンデリア落として割ったしね」
あまりの衝撃に手を止める私に対してくすくすと笑うご主人さま。知らないエピーソードも様々教えていただきました。とにかくまあ、なんと形容すればよろしいのか。とにかくドジといえば可愛いものの、間抜けな使用人であったことを知りました。お恥ずかしいことこの上なく存じるのです。
そんな思い出話が盛り上がり料理も進み、傍らのワインも非常に美味しく、体ほんのり熱を帯び楽しい気持ちになります。
「彼女にあのワインをお願い」
そう言われた給仕は空になったワインカップに注いでいきます。銀で作られたそれはご主人さまの富の象徴であり、またお命を狙う人間が多いことの証明でしょう。光を乱反射し、艶のある、より真紅な液体はまるで……
「さっきの君の血みたいだね」
その色にご満悦なご主人さまのワインカップにも同じようなものが注がれていきます。先程から思っていましたがご主人さまは見た目によらずお年を召しておられるのでしょうか。
「僕のは葡萄のジュースだよ」
そうとは思えないほど真っ赤であるのですが、これ以上聞くのは野暮でしょう。それよりもわざわざお出ししていただいたこのワインは先程のと何が違うのか気になります。聞けば飲めばわかるよとだけ彼は答えるので好奇心に負け1口、口に含みました。たしかにふんわりと広がる香りが違うような。あまりワインには詳しくないようです。
違いがわからないなあと思いつつ、またお食事に手を付けようとしたところ突然手が痙攣を始めるのです。震えた手で持つカトラリーは皿とぶつかり合い嘲笑しいるかのようでございます。疑問を感じる間もなく何かが起こるのです。
何度も嘔吐き、汗は止まることを忘れ、胸やけがすさまじい。血の気が引き、体が冷たいような感覚と猛烈な吐き気に襲われます。先程まで美味しくいただいていたものが胃を逆流していく感覚がございます。我慢して無理に出たものを嚥下するのですが、そんな私の努力も虚しく嘔吐してしまうのです。生暖かい液体が喉を通過した気持ち悪さと胃液の酸味で口の中がいっぱいでございます。その場で戻してしまったためカトラリーにも綺麗に盛り付けられていたお料理にも吐瀉物がかかり原型をとどめておりません。それでもまだ収まらず、我慢しきれずにまた何度も吐くのです。いつの間にかご主人様は傍らで私の背中を優しくなでてくださいます。その上、一通り済んだ後にお水を出していただきました。涙、汗や吐瀉物でぐちゃぐちゃになった私とは対をなす、涼し気なご主人さま。けれどもその口角は上がっており彼の加虐嗜好が見え隠れしております。
「どんな痛みなの?教えて」
「気持ち、わるい」
それしか答えられませんでした。詳しい症状も何も、そもそも思考がまともに働かないのです。声を出すのもやっとで、本来なら息だけしていたい。酸素が足りないのを本能的に察知していたからでございます。過呼吸でこれ以上伝えることは不可能でございます。
「そっか。かわいそうに」
横に控えている使用人に医者を呼ばせ、お薬を用意するように伝えております。ご主人さまは私に水を何度か飲ませ嘔吐するよう言います。何度も繰り返していけば段々とその吐瀉物は胃の内容物を含ます、ただの液体に変わっていくのです。
「解毒薬。さっきので毒は吐ききったと思うんだけど一応ね。これで死にはしないよ」
飲まされた薬のおかげか、しばらくすれば嘔気も落ち着いてきました。まだ内臓などが痛むものの、呼吸も整い、転がっているワインカップを見ればその内側は褐色に変化しております。何者かの謀が混ぜられているのは明白でした。あれほどまでに美味しい料理の中でご主人さまは常にこのような危険性と共にお食事をされていたのでしょうか。
「よろしいのですか」
「何が」
「ご主人さまのお命を狙っている人間がいらっしゃるのではないですか?」
変色したそれを見せるとご主人さまは合点がついたようでした。早く犯人を捕まえなければ、今度は刺し殺されてしまう可能性があります。しかし彼は特に切羽詰まっておりません。冷静に考えてみれば片付けを命じられた他の使用人も、ワインを入れた給仕も全員何事もなかったかのように業務をしているのはなぜでしょう。嫌な予感が脳裏をよぎります。ご主人さまは使用人に用意させたタオルで私の顔を拭ってくださります。何かを察し、怯えた目をした私に気づいたのでしょう。
「苦しんでいる君が本当に美しいから、意地悪したくなっちゃった」
いたずらっ子がいたずらがバレたような、どこか反省していない表情は純粋そのものでございました。そんな幼いご主人さまと行っている残虐さとの乖離に私は冷や汗が流れるのを感じました。
「気に入ったようで何より」
油断しておりました。声の方へ目を向ければご主人さまがお部屋にいらっしゃいました。いつから見られていたのでしょう。小恥ずかしさから本当の恥ずかしさへと変わり顔が熱くなるのを感じます。そんな私を面白がったのか、いつも冷たいご主人さまの表情が綻びます。こちらへ近づき似合っている、そう笑いかけられればどんな女性でも心が揺らいでしまうほど愛らしいお顔でございます。
手を取られ、どこまでも続く廊下と毛足が長く柔らかいカーペットを歩きながらご主人さまに連れられて出たのは日頃彼がお食事を取られている場所でした。舞踏場にあるもの程ではないにしてもいつ見ても絢爛豪華なシャンデリアがそこあります。あれを見ると体が強ばるのはなぜでしょう。
椅子を引き、座るように促されたのは恐縮ながらご主人さまの正面でございました。給仕が様々なお料理をもってきてくださるようです。盛り付けにまで手の込んだそれは、見るだけで楽しくなります。私はキッチン担当ではなかったのかお料理の知識はございませんでした。最初は魚介のお料理でしょうか。小さなお料理がいくつか並んでおり、一口食べてみればそれはもう頬が落ちてしまいそうです。
「美味しいね」
ご主人さまも料理の味に満足されているご様子です。きっとお抱えの料理人の腕がよろしいのでしょう。
「こんなお料理初めてで、なんだか落ち着きません」
他愛のない一言である心積もりでございました。しかしながらご主人さまが一瞬目を見開かれたのを私は見逃しませんでした。君は何も覚えていないんだねと呟くご主人さまに深く言い及んでも良いものかと逡巡しましたが何をどう聞けば良いのかわからず黙ってしまいます。
「久々に目が覚めたお祝いだよ。ゆっくり楽しもう」
とはいえ悩んでいても私の疑問は尽きません。思い出せない私自身のこと、ご主人さまのこと。久々に目が覚めた?私はいままで何をしていたの?お食事中なら何もされないでしょう。思い切って聞いてみるのです。
「私は一体何者なのですか」
「愛玩道具?」
即答された答えにそういうことじゃなくって!という私。ご主人さまは次の言葉を促すご様子なので続けます。
「この館の使用人だったのは思い出せるのです。例えば、そう。あのシャンデリアを見れば丁寧に扱わないと、と体が訴えてくるのです」
「だって君、このシャンデリア落として割ったしね」
あまりの衝撃に手を止める私に対してくすくすと笑うご主人さま。知らないエピーソードも様々教えていただきました。とにかくまあ、なんと形容すればよろしいのか。とにかくドジといえば可愛いものの、間抜けな使用人であったことを知りました。お恥ずかしいことこの上なく存じるのです。
そんな思い出話が盛り上がり料理も進み、傍らのワインも非常に美味しく、体ほんのり熱を帯び楽しい気持ちになります。
「彼女にあのワインをお願い」
そう言われた給仕は空になったワインカップに注いでいきます。銀で作られたそれはご主人さまの富の象徴であり、またお命を狙う人間が多いことの証明でしょう。光を乱反射し、艶のある、より真紅な液体はまるで……
「さっきの君の血みたいだね」
その色にご満悦なご主人さまのワインカップにも同じようなものが注がれていきます。先程から思っていましたがご主人さまは見た目によらずお年を召しておられるのでしょうか。
「僕のは葡萄のジュースだよ」
そうとは思えないほど真っ赤であるのですが、これ以上聞くのは野暮でしょう。それよりもわざわざお出ししていただいたこのワインは先程のと何が違うのか気になります。聞けば飲めばわかるよとだけ彼は答えるので好奇心に負け1口、口に含みました。たしかにふんわりと広がる香りが違うような。あまりワインには詳しくないようです。
違いがわからないなあと思いつつ、またお食事に手を付けようとしたところ突然手が痙攣を始めるのです。震えた手で持つカトラリーは皿とぶつかり合い嘲笑しいるかのようでございます。疑問を感じる間もなく何かが起こるのです。
何度も嘔吐き、汗は止まることを忘れ、胸やけがすさまじい。血の気が引き、体が冷たいような感覚と猛烈な吐き気に襲われます。先程まで美味しくいただいていたものが胃を逆流していく感覚がございます。我慢して無理に出たものを嚥下するのですが、そんな私の努力も虚しく嘔吐してしまうのです。生暖かい液体が喉を通過した気持ち悪さと胃液の酸味で口の中がいっぱいでございます。その場で戻してしまったためカトラリーにも綺麗に盛り付けられていたお料理にも吐瀉物がかかり原型をとどめておりません。それでもまだ収まらず、我慢しきれずにまた何度も吐くのです。いつの間にかご主人様は傍らで私の背中を優しくなでてくださいます。その上、一通り済んだ後にお水を出していただきました。涙、汗や吐瀉物でぐちゃぐちゃになった私とは対をなす、涼し気なご主人さま。けれどもその口角は上がっており彼の加虐嗜好が見え隠れしております。
「どんな痛みなの?教えて」
「気持ち、わるい」
それしか答えられませんでした。詳しい症状も何も、そもそも思考がまともに働かないのです。声を出すのもやっとで、本来なら息だけしていたい。酸素が足りないのを本能的に察知していたからでございます。過呼吸でこれ以上伝えることは不可能でございます。
「そっか。かわいそうに」
横に控えている使用人に医者を呼ばせ、お薬を用意するように伝えております。ご主人さまは私に水を何度か飲ませ嘔吐するよう言います。何度も繰り返していけば段々とその吐瀉物は胃の内容物を含ます、ただの液体に変わっていくのです。
「解毒薬。さっきので毒は吐ききったと思うんだけど一応ね。これで死にはしないよ」
飲まされた薬のおかげか、しばらくすれば嘔気も落ち着いてきました。まだ内臓などが痛むものの、呼吸も整い、転がっているワインカップを見ればその内側は褐色に変化しております。何者かの謀が混ぜられているのは明白でした。あれほどまでに美味しい料理の中でご主人さまは常にこのような危険性と共にお食事をされていたのでしょうか。
「よろしいのですか」
「何が」
「ご主人さまのお命を狙っている人間がいらっしゃるのではないですか?」
変色したそれを見せるとご主人さまは合点がついたようでした。早く犯人を捕まえなければ、今度は刺し殺されてしまう可能性があります。しかし彼は特に切羽詰まっておりません。冷静に考えてみれば片付けを命じられた他の使用人も、ワインを入れた給仕も全員何事もなかったかのように業務をしているのはなぜでしょう。嫌な予感が脳裏をよぎります。ご主人さまは使用人に用意させたタオルで私の顔を拭ってくださります。何かを察し、怯えた目をした私に気づいたのでしょう。
「苦しんでいる君が本当に美しいから、意地悪したくなっちゃった」
いたずらっ子がいたずらがバレたような、どこか反省していない表情は純粋そのものでございました。そんな幼いご主人さまと行っている残虐さとの乖離に私は冷や汗が流れるのを感じました。
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