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矛盾救世パラドックスター!

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「オレたちで、世界を救うんだ!!」

 ――それは今思うとオレの、プロポーズの言葉だった。



『矛盾救世パラドックスター!』



 オレがガキの頃、確か小学校低学年くらいの時の話だ。
 クラスのリーダー格みたいなポジションに居た活発な女子が遊びの延長でうっかり教室の窓を割っちまって、担任教師にこっぴどく叱られていた。
 怒鳴って説教がヒートアップする担任の剣幕に怯え、いつもその女子の周りに居たやつらはそそくさと、さも自分たちは関係ないですよとばかりにあからさまにその場から離れて行って。
 担任に叱られて怒られて、その女子はわんわんと泣きじゃくっていた。
 だけど。
 いつも教室の隅っこで本を読んでばかりいた明らかにおとなしくて目立たない、また別の一人の女子が。
 渦中の叱られているリーダー格……だった女子に近付いた。
 そいつが遊びに参加していたわけでもないのに、本当にそいつには関係のないことだって言っても良いのに。
 そいつは自分が一番怖いだろうに震えながら涙目になりながら、それでも窓を割っちまった女子の手をぎゅっと握って傍に居て寄り添って、もはやいささか感情的になってしまっている担任の説教を一緒に受けていた。
 ――ああ。
 あいつなら、きっと。
 気付いた時にはオレの身体が動いていた。
 駆け出し、飛び出し、勢い良く――オレも体当たりで窓ガラスを思いっ切りぶち割った。
 呆然とする担任と、これまた呆然としている窓を割った先駆者の女子の視線を浴びながら、ガラスの破片で少々傷を負いながら。
 それでもオレは、この場で一番驚いている例のおとなしい女子の目を真っ直ぐに見て、はっきりとあの台詞を――。  



「……翼くん、翼、くん。あの、起きて……?」

 肩を遠慮がちに揺さぶられる感覚に、オレは口を思いっ切り開けて大きな欠伸をしながら目を覚ます。
 机に突っ伏していた体を起こし、ぐっと伸びをする。
 視界に広がるのは、ざわつく賑やかで平和な教室。
 傷一つ無い窓ガラスの向こうには晴れ渡る青空が広がっている。
 極めつけに自分が着ている学ランに目を落とし、今の今まで幼少期の夢を見ていたんだとようやっと確信できた。
 オレは日羽ひわつばさ。17歳。高校2年生。
 将来の夢は、そんなもん決まってる。
 ――世界を、救うこと。
 オレはそんな、多分普通の男子高校生とはちょっとばかし考え方がかけ離れた男子高校生だ。
 きっかけは確実にガキの頃に夢中になってた特撮ヒーロー番組。
 将来の夢の作文用紙には毎回ヒーローと書き、進路調査表にも毎回ヒーローと書き、担任に再提出を命じられて親に引っ叩かれて、気付けばオレはもう高校生だ。
 まだ身体中に残っているような怠さを少しでも吐き出すようにもう一度欠伸をすると、オレの席の傍で困ったようにオレを見つめている、オレを夢の世界から起こしてくれた女子と目が合った。
 小学生の頃と変わらずちんまいまんまの身長。確かまだ140cm台くらいの筈だ。
 中学時代にオレの方に凄まじい成長期が来てオレの身長が今や190は越えてしまったから尚更ちっこく感じる。
 元からこいつは髪の色素が薄いらしく、染めてはいない栗色の髪が白いリボンに一部分だけ結われてオレの視界の中で控えめに揺れていた。

「あ、あの……翼くん……授業中、寝ちゃ、だめだよ……せ、先生、凄く睨んでたよ……?」

「あー、わりぃ。ちょっと学校に悪のテロリストが襲撃してきてオレが正義パワーでそいつら全員ぶっ飛ばすシミュレーションしてて、気付いたら寝てたわ。小枝、ノート見せてくれ」

「ぇ、ぁ……きょ、今日も、あの……そ、壮大だね……?」

 相変わらず困ったような戸惑った顔をしながら、それでも甲斐甲斐しくも綺麗な文字で要点をわかりやすくマーカーで引きつつのノートをオレに差し出してくれたのはオレの幼馴染の秋月あきづき小枝こえだ
 小学生時代のオレに、オレが小枝に対して言うんじゃなきゃ意味が無い『二人で世界を救おう』なんて言葉を言い放たれてしまった女子だ。
 小枝とはあれからずっと一緒にいる。ずっとだ。
 オレと小枝は色々な意味で対極にある二人だと思う。
 オレは頭は悪いけど体だけはずっと鍛えてきたしガタイも良いし、力仕事や運動神経ならそこらの奴らにはそう簡単には負けない自信がある。
 一方小枝は昔から真面目で頭は良いけど、とても気弱でおどおどびくびくしてて身体もちっこくてほそっこくて、オレから見ればちょっとこけただけで骨が折れちまうんじゃないかと心配になるくらいのひ弱っぷりだ。
 そんな何もかもオレとは正反対な小枝にオレがどうして世界を救おうなんて持ちかけたのか。
 ちょうど幼少期の夢を見た名残で、ちょいとそこらへんを回想すると。



 まずオレは昔っからフィジカルだけは誰にも負けなかった。
 ただしメンタルの方が豆腐並みにクソ雑魚だった。
 自分がバカなのも、何かしらのネジが他人と違うところで外れているところも少しは自覚していたが、そこを他人に叱られたり注意されると、それはもうショックを受けて物凄くずるずると引きずって地獄の底まで落ち込んでしまうのだ。
 世界を救いたいっていう強い思いだけは凝り固まっていて中途半端に腕っぷしにだけは自信があったから、もしかしたらオレにならそれができるんじゃないか、頑張れば夢に近付けるんじゃないか、という自分への期待はあった。
 だけど心の弱さと切り替えの出来なさだけはオレ一人ではどうにもならない問題だった。
 他人から向けられる悪意に、罵声に、優しさからくる怒声や冗談まじりのからかいにすらオレはどうもだめだった。
 しかしうまく言い返したり見返す知恵も回らない始末だったから、いつまで経っても泣いて癇癪を起こして、結果八つ当たりの如く暴れるガキんちょのまんま。実際ガキだったが。
 そんな時、あの、教室の窓ガラスが割れた日に小枝を見て。
 自分には非がないのに小さい身体で怯えながらも自ら怒声に向かっていって、特別仲良くもない関係なのに窓を割った女子に寄り添い続けるという、ひたすら他人を思いやる気持ちだけで行動していた小枝はオレにとっては何よりも誰よりも心が強く見えた。
 だから思った。
 小枝がオレの傍に居てくれたら、小枝となら、オレは世界を救える。
 というわけで今すぐ傍に居てほしかったけど、どうしたら小枝と近付けるかわからなかったから、とりあえずオレもダイレクトアタックで窓を割った。
 当然担任にこっぴどく叱られたオレを狼狽えながらも小枝が見捨てずに下校しなかったことで、オレは確信した。
 こいつは、小枝は、オレの相棒だ。
 確か、窓ガラスにぶつかった身体の痛みと担任のゲンコツの痛みが引いた後の小枝との会話はこんな感じだ。

「オレがお前の全部を守るから、お前はオレの心を守ってくれ」

「え……こ、こころ……?」

「おう。オレが泣いたり落ち込んだりしたら、お前がオレの傍に居てくれよ。そうすりゃオレは何だって頑張れるから」

「え、え……? あ、あの、日羽くん……?」

「翼。つーばーさ。オレの名前。そう呼べよ。さて、よし、行くぞ、小枝! オレたちで、世界を救うんだ!!」

「わ、ま……待って……!」

 小枝のちっこい手を無理矢理引っ張って駆け出した夕暮れの帰り道は何だか妙に綺麗で、オレの守るべき世界が一瞬でばっと変わった気がした。
 オレが守りたい世界は、オレが思っていたよりもっと素敵なものに思えたんだ。
 オレから見た小枝は、おとなしいけど芯は強い。心は強い。オレにとっては世界一。
 でも小枝はフィジカルはボロボロだ。体力無いし運動音痴。あと毎年風邪を引きやすい。
 ならオレが小枝を守ればいい。
 フィジカル強くてメンタルに欠点があるオレが小枝を守って、メンタル強くてフィジカルに欠点がある小枝がオレを守って、それでいつか、オレと小枝は世界を救うんだ。
 最強の矛と、最強の盾。
 ……おお、そう思うと、なんかオレたち。
 かっけー、なあ。



「つ、翼くん……ノート写しながら寝ちゃ、だめだよ……文字、ミミズみたいになっちゃってるよ……?」

「んあ?  あー……わり、なんか、英語って、見てるだけで眠くなんだよな……」

「あ、あの……翼くん、これ、英語じゃなくて、古文のノートだよ……?」

   知らんうちにまた寝てた。
 ノートを写そうと鉛筆を軽く走らせるだけで飽きが来てぐらぐらと船を漕ぐオレの口元に、ぽんぽんと優しい感触の布があてられる。
 小枝がハンカチでオレのヨダレを拭いてくれているようだ。
 やべ、小枝のノートにはヨダレ垂らしてねえよな? 
 ちょっと確認。よし、セーフ。
     オレは小枝がハンカチを離したタイミングで教室の時計を見やる。
 昼休みが始まってから五分は経っちまったようだ。

「なあ小枝、午後の授業なにからだっけ?」

「え?  え、と……体育、だよ。男子は、柔道で……女子は、バドミントン。翼くんとは、別になっちゃうね……翼くん、柔道着持ってきた……?  だ、大丈夫……?」

「大丈夫だ。オレは学ランでも素っ裸でも取っ組み合いなら誰にも負けねぇ。男は裸一貫でも道を切り拓くって言うだろ」

「つ、翼くん……あの……柔道着は、あの、身を守るというよりも、なんというか……相手や、武道に対する心構え、とか、そういう意味で着るのが大事、だった気がするから……ま、また先生に怒られちゃうよ……?」

 小枝が、おずおずと心配そうな顔をしてオレに問う。
 だけどオレは真顔で小枝の目を真っ直ぐに見つめ返して、絶対の自信をもって言った。

「でも、お前がいるだろ」

「……え」

「オレには小枝がいるから、何も心配いらねーよ」

「……ぇ、あ……あの?  ありが、とう……?」

 困ったような顔をして、まだ慌てているような素振りを見せる小枝。
 いいなあ、女子はバドミントンか。バドミントンも、オレやりてえな。
 オレは部活はやってねえけどスポーツならあらかたやれるように日々色々特訓している。
 スポーツやホビー系は、それを用いて世界征服を目論む悪の組織が潜んでるって相場が決まってるからだ。あとカードゲーム。
 世界の危機に備えてぬかりはねえ、オレは何が来ても負けないし何からだって世界を救う。小枝と一緒に。
 と言っても腹が減っては戦はできぬ。
 オレは毎日、昼の弁当を小枝にねだっているけど今日は何作ってきてくれたんだろうか。小枝は料理、上手いんだよな。あと手先も器用だし。   
 さすがオレの相棒。
 ちら、と青空が広がる窓をまた見る。
 今からでもドーンと巨大ロボットとかが降ってきて世界の存亡を賭けた戦いが始まったりしたら、オレは絶対全力で戦うし負けねえのに――。

「……あ」

 オレは窓の向こうを見て、ぽつりと声を漏らして小枝の手をぎゅっと掴む。

「……え?」

「――来た!!」

 そう叫んでオレは小枝の手を引いて、それからもっと全力で走れるように小枝を俵担ぎして教室を飛び出した。
 窓を振り返った小枝が息を呑む音が聞こえて、オレはさっき見たものが見間違いじゃないのだと確信してワクワクが滾るまま笑った。
   窓の向こう、ビル街と名前も知らない山々の間に。
 モノクロの巨大なロボットが、確かにそびえ立っていたんだ。



 小枝を担ぎながら街を駆ける、駆ける、駆ける。
 常日頃、何か世界を騒がす事件がその辺に潜んでないか小枝を連れてあちこちを駆け回ってるせいかオレには割と土地勘みたいなものは備わってるらしい。地図読めねえけど。地理の授業とか苦手だけど。
 でも大体は感覚でいける。
 目の前、遠くにだけど確かに居るロボットに近付く為に経路をひたすらショートカットしてぽんぽんと移動すべく小枝を抱えたまま塀を飛び越えたり坂道を駆け上がったり時には名前も知らんビルに勝手に侵入して避難階段をちゃっちゃと登らせてもらったり。
 こんくらいはオレにとっちゃ朝飯前だ。いや時間的に昼飯前か。準備運動にすらなっちゃいない。
 ただ、避難階段を一気に駆け上がってビルの屋上に着いてようやくこの目で自分たちの立ち位置を確認して気付いた。
 オレが小枝を連れて目指しているあのロボットの元に向かう為には、このビルと向こうのビルの間を飛び越えて何とか向こうのビルの屋上まで移り渡らなきゃならない。
 そこに気付いたのはやっぱりオレより小枝の方が先だったらしい。
 不安そうな、か細くか弱い小枝の声が確かにオレの耳に届く。

「つ……翼くん……あの……ここからじゃ、もう行き止まりだよ……?」

「おう、そうだな!」

「う、うん……」

 小枝はこの状況を詰んだ、と捉えているらしい。
 きっとオレたちがあのロボットに辿り着くまでは他にも色々なルートや方法がある。
 だけどオレはまだ何も諦めていない。
 だって。
 ――だってオレには、小枝がいるんだ。

「よし! 起こすか、奇跡!」

「……え……?」

 自信しか満ち溢れていないオレの台詞に小枝が僅かに困惑した気配がした。
 でも、これはもう小枝と出会ってからのオレの口癖みたいなもんだ。
 それまで俵担ぎにしていた小枝をまた新しい体勢で抱え直す。
 横抱きみたいな体勢でしっかり小枝を抱き締めて固定して、オレは真っ直ぐに前を見据えた。
 フェンスは無い代わりに低い柵がある。
 あのくらいなら大丈夫だ、オレは。
 ビルとビルの間の距離がどれくらい離れているのか、オレには正確なもんは計算も想像もできない。
 そんな賢さや判断力はオレにはない。小枝にはその力があるんだろうけど。
 そんな小枝がオレの傍に居てくれるからこそオレにはできることが沢山ある。
 今だって、そうなんだ。

「よっしゃ!! 行くぜ、小枝!!」

「え……ぁ、わ、つ、翼く……!?」

 小枝をぎゅっと抱き抱えてオレは助走から全開フルスロットルでその場から真っ直ぐ前に向かって一気に走り出す。
 とにかく勢いをつけて、そのままただ勢いのまま突っ走る。
 低い柵を飛び越え、増して増して増した勢いのままオレは小枝と一緒に、跳んだ。
 心地好い風を感じる。同時に気分が上がる。
 着地を失敗したら死ぬ? もしここから落ちたら死ぬ? 飛び移れなかったら死ぬ?
 そんな不安、オレには最初から全く無かった。
 だってオレには小枝がいる。
 オレはたった今、小枝をこの腕に抱き締めている。
 だから、オレは全部大丈夫なんだ。小枝と一緒なら無敵なんだ。
 小枝を抱えてれば、オレはどんな困難だって振り切れる。
 普通じゃ有り得ない奇跡だって、いくらでも起こせるんだ。
 気付いたらオレは無事小枝を抱えたまんま、両足でしっかりと目的のビルの屋上を踏みしめていた。
 着地、成功。
 ほら、やっぱり。
 オレはどんな時も、小枝と奇跡を起こすんだ。

「な? 起こせたろ? 奇跡!」

 腕の中の小枝に問いかけると小枝は今の流れでだいぶ緊張したのか少し青い顔をしながら小さく頷いた。

「う、ん……翼くん、凄いね……」

 オレが、凄い?
 違う。今のはオレだけの力じゃない。
 そんなことを考えながらオレはまた駆け出した。

「……なあ、小枝がいるからだぞ?」

「え……」

「小枝と一緒なら、オレ、何でもできんだよ」

 傍に小枝が居るからオレは奇跡を起こせるんだ。小枝じゃないと意味が無いんだ。
 全部全部、オレと小枝だから、なんだ。

「……わた、しは……」

 小枝がか細い声で何かを呟く。
 それに耳を傾けようとしたところで前方に影が差した。
 顔を上げると、オレが小枝を連れて目指していた、あのモノクロで彩られた巨大ロボットが、いつの間にやらオレたちのすぐ目の前にそびえ立っていた。
 へえ、そっちから来てくれんのか。
 オレは高鳴る鼓動を抑えられないまま、体当たりするようにそのロボットに向かって走り出す。
 ふとあの日、ガキの頃、小枝の目の前で窓ガラスにタックルしたことを思い出す。
 あの日と違うのは、オレの腕の中に小枝が居ること、居てくれることだった。
 ロボットにまた一歩近付いた瞬間だ。
 急に視界が真っ白な光に包まれて明らかに世界が変わる気配がした。
オレが救いたい、オレと小枝の世界が。



 声が聞こえた。
 知らない声だ。
 どこか無機質な、性別すらも判断できない声だった。

『……人の子よ。人の子らよ、聞こえますか』

 人の、子?
 そりゃオレは人の子だ。小枝だってそうだ。
  鳴り響く謎の声を聴いてからようやく目を開けると、オレはまだ小枝を抱きかかえたまんまで。
 良かった、小枝がオレの傍に居る。
 それだけでオレは簡単に全部に安心した。

「小枝、大丈夫か? どっか怪我とかしてねえ?」

「う、うん……私は、大丈夫……だよ。翼くんは、大丈夫……?」

「ん? おう、全然平気だ。無傷」

「そ、そっか……良かった。でも、あの……ここ、どこ……?」

 小枝に言われてようやく気付いた。
 あのロボットに近付いて白い光に包まれて、それからオレたちはどこに辿り着いた?
 オレたちは今どこに居る?
 辺りを見回すとそこはオレが肉眼で見たことの無い、創作物でしかオレが情報を知らないような、ロボットのコックピットみたいな空間だった。
 座席、操作方法、そんなもんはオレには良くわからん。
 でもわかっとかないと何も始まらないから辺りをもっと詳しく見回そうとする。それでもわからなかったら小枝に聞けば大丈夫だ。
  だけど謎の声に行動を遮られた。

『人の子よ。……いえ、対象Y・日羽翼と対象X・秋月小枝。自分は、永い永い間、貴方たちを探していました』

「は?? 対象Y?? 対象X?? オレと小枝が?? 何でだよ」

 謎の声の言葉の内容が良くわからずオレが首を傾げてると、小枝がおどおどと自信がなさそうに呟いた。

「あ……あの……た、確か、性染色体……が……あ、あの、性別を決定づける情報みたいなものが……ね、X型とY型の、二種類あって……XYの組み合わせだと男性、になって、XXの組み合わせだと……女性、になるから……だから、翼くんが対象Y、で、私が対象X、なのかも……」

「え、マジか。すげーな、小枝! めっちゃ物知りじゃねえか!」

「……え……い、いや、結構最近でも授業で触れ……あ、え、えと、あの、違ってたらすみません……」

 小枝が何故かオレに困惑した表情を向けてから、姿すらわからない声の主に律儀に謝る。
 声の主はやはり淡々と言った。

『いえ、その認識で合っていますよ。対象X』

「……なあ、ちょっと待て。思ったんだけどよ」

 オレは軽く挙手して、声の主にある提案をする。
 物凄く個人的に引っかかっていたところがあるからだ。

「……オレ、対象Yらしいけどよ。対象Zとかの方が、なんか、響き的にかっこよくないか……?」

『対象Y、最初に気にする問題を貴方は根本的に間違っていると思いますよ』

「いや、これは大事な問題だぞ!? このままじゃオレは対象Yっつーヒーロー名でいくことになるのか!? Yってなんか……なんか……なんかこう、違くね!? それならオレは小枝と同じ対象Xの方が……いやだめだ、やっぱオレはZだって! 対象Zでいこうぜ!?」

『対象Y、本題に入らせてください』

「だからぁ! 対象Zって呼んでくれって! もしくは普通に名前で、翼! 日羽翼!」

 個人的にはとても重要なこだわりのせいで駄々を捏ねまくるオレだが小枝の方は呼称問題に納得しているのか、くいくい、と弱々しく遠慮がちにオレの学ランの裾を引っ張ってくる。

「つ、翼くん……まずは、あの……お話、ちゃんと、聞こ……? 状況、把握しないと……」

「……ん? それもそうか。んじゃ小枝、いつものアレ頼む」

「え? う、うん……」

 その台詞と共にオレは小枝にあるものを渡し、じっと前をまっすぐ見据える。
 オレたちに語りかけている声の主が実際は前方に存在しているのかはわからないがオレの視線を皮切りに声はゆっくりと話し始めた。

『では、改めて。初めまして、対象Y・日羽翼、対象X・秋月小枝。自分の名はパラドックスター。精神汚濁色素・【ジレンマ】殲滅目的に造られた、自律型歩行戦闘機です』

 色々知らん言葉が沢山出てきた。
 ええと、一個ずつ整理していくか。
 難しい話を聞いた時はそういうゆっくりとした理解する姿勢……とかも大事だっていつか小枝が言ってた気がするし。
 まずオレたちに話しかけているこの声の主の名前は『パラドックスター』。
 で、自分のことを戦闘機……とか言ってたし、オレたちがこの空間に来た流れを考えると、パラドックスターはオレが目指してたモノクロロボットと同一人物だ。
 ジレンマってのは何が何だかわからんが、汚濁とかネガティブなワードが聞こえたから多分悪いモンなんだろう。
 つまりヒーローたるオレが立ち向かうべき存在がジレンマ。
  よし、ここまで大体オッケー。
 オレがうんうんと頷いているとパラドックスターは話を続ける。

『自分は造られてからの永い間、ずっと自分の操縦者たる生命体を探してあらゆる並行世界を移り渡って来ました。そして貴方がたを見つけたのです。対象Y、対象X。貴方がた二人は間違いなく自分の【適合者】です』

 ……おお。
 おお、なんか、いいな。ワクワクする。
 こういう、世界の危機にオレと小枝がヒーローとして選ばれた感じ。
 これはオレがずっと夢見て憧れていたシチュエーションだ。
 しかし高揚感に目を輝かせるオレとは対照的に、小枝は不安げに声を上げた。

「あ……あの……お、お話を遮って、すみません……ど、どうして、翼くんと私が……パラドックスターさん、の適合者……? なん、ですか?」

  そんなもんはオレらがヒーローだからだ、と自信をもって小枝に言ってやりたかったが、オレの発言を遮るようにパラドックスターは言った。

『理由は、対象Y、対象X。貴方がたは二人揃うと死の運命を覆す力すら生み出すほどの同調を持つからです』

「だから対象Zだっ……は?」

「え……?」

  パラドックスターの言葉にオレと小枝は揃って首を傾げる勢いで困惑した声を出す。
 だけどオレはすぐに思い当たった。

「ああ、奇跡か!」

「え……? つ、翼くん……?」

「ほら、オレは小枝と一緒ならどんな奇跡だって起こせるじゃんか! さっきとかよ!」

「そ……そうかな……?」

  絶対そうだ、とオレがうんうん頷いている時、パラドックスターはまた言った。

『時に対象Y、対象X。本題の前に』

「……ぇ……な……なんですか……?」

『何故、対象Yはこの状況下で対象Xに手ずから食事を与えられているのですか。対象Yの生態は野鳥とは違いますが』

「昼飯時だったし、オレがまず難しい話を聞く時は小枝が作った弁当とか菓子を小枝に食わせてもらわないとエネルギー切れるからに決まってんだろ何言ってんだお前」

『貴方が何を言っているんですか対象Y。それは人語ですか。自分の理解が追いつきません。それは自分のデータベースにはありません。貴方たちは全てを覆しすぎています』

「だからまず対象Z呼びから始めねえか??」

『話が進まないのでお望み通り呼称を変えましょう、ツバサ』

「……おう、まあ、そっちの方がいいな! あ、小枝小枝、今日の卵焼きも甘じょっぱくてうめーぞ!」

「……ぇ……あの……ありがとう……」

『話を聞いてください、ツバサ。これは世界の危機なのですよ』

「なに!? 世界!?」

 オレが黙っていられないワードだったのと、物凄くワクワクしたのとで勢い良く身を乗り出すと小枝が『ひゃ』、と小さく声を上げて弁当箱を支え直した。
 それから引き続き弁当の中身をオレに食わせてくれる。お、アスパラベーコン巻きも美味い。
 パラドックスターは、相変わらず無機質な声で話を続けた。

『先ほど、自分は精神汚濁色素・【ジレンマ】殲滅目的に造られたと申告しましたね。【ジレンマ】とは近接した二つ以上の生命の精神に干渉し、感情や心情の乖離、些細なズレを糧に成長を重ねることで、根を張った星の完全なる汚濁を目的とする巨大災害病原菌です。既に様々な並行世界が【ジレンマ】の汚濁によって滅んでいます。自分の使命は二人の【適合者】を自らの操縦者として登録し、【適合者】同士の心の同調をもって【ジレンマ】の糧となる情の暴走を浄化、ひいては【ジレンマ】をすべて殲滅することです。ツバサ、そして対象X――いえ、コエダ。貴方がたには、自分の【適合者】となって共に【ジレンマ】と戦っていただきたい』

 ……しまった、話が難しくなってきやがった。
 乖離だの巨大災害病原菌だの言われても色々脳内がごちゃごちゃしてくる。
 オレは脳に糖分を補給すべく小枝お手製のプリンを食べさせてもらう。
 うん、甘くて滑らかでとろけるようで美味い。力が湧いてくる。
 おかげでバカなオレでも二つだけ理解できることができた。
 一つはオレと小枝は今後このパラドックスターというロボットに乗ってジレンマとかいうやつらと戦って世界を救わなきゃいけないこと。
 そしてもう一つは。

「なあ、パラドックスター。オレを『ツバサ』呼びなのはいいけど、小枝はオレだけの相棒なんだからさらっと名前呼び捨てすんのやめてくんね? それは駄目だ。取るな」

『ツバサ、今の話を貴方は真面目に聞いていたのですか。貴方の感情、主張が自分には未知の領域です』

 真面目に聞いてるし、真面目に言ってる。
 だって小枝はオレの。オレだけの。

「……あ、ってか『パラドックスター』って名前長いな。なんか略すか? 『パス太』とか」

『その必要性が全く感じられない上に麺食品を想起させる名称で呼ばれても対処に困ります。やめてください』

 ちぇっ。なんだ。『パス太』、親しみが感じられて結構良いと思ったんだけどな。
 気付いたらオレは小枝の作ってくれた弁当、デザートを完食していたようで、小枝が普段常備している多数のハンカチのうち一つでオレの口元を拭ってくれる。
 弁当の礼を小枝に言おうとしたら、ぐらりと凄まじい轟音と共に視界が揺れた。オレは咄嗟に小枝を守るように抱き締める。なんだ、今の。

『来たようですね、【ジレンマ】が。説明するより、実際の戦闘を経験して貰った方が早いでしょう。ツバサ、そしてコエダ……いえ、対象X。どうか、自分の【適合者】に』

「おう! 良いぜ!! 任せろ!! 世界はオレと小枝がバッチリ救ってやる!!」

「ぇ……ぁ、う……つ、翼くん……っ」

 小枝の手料理を食べたばかりのオレはエネルギーとやる気に満ち溢れていて無敵だ。何にだって負ける気がしない。
 だからパラドックスターの頼みに即答したのだが、当の小枝は戸惑っているようで。
 オレは小枝の両手をぎゅっと握り、しゃがんで小枝と目を合わせる。

「大丈夫だ、小枝!」

「で、も……」

「小枝は強い! それに小枝にはオレがついてるしオレには小枝がついてる! オレたち二人一緒なら何も怖くねえだろ? オレたちは、世界を救う! その時が今、ついに来たんだ!」

 小枝の震える手をオレはぎゅっと強く包むように握る。
 お前がオレを守ってくれるようにオレも小枝を守るから。そうすれば全部上手くいくから。
 だから、オレと。

「翼くん、ぁ、の……わた、しは……」

 小枝が何か言いかけた、その時。

『時間がありません。ツバサ、もとい日羽翼。対象X、もとい秋月小枝。貴方がた二人を自分の【適合者】として正式に登録します』

 パラドックスターのその言葉と共に、急に脳内に、視界に、ノイズが走った。
 ああ、そう言えば、さっきから小枝は何かをオレに伝えようとしていた気がする。
 小枝の声なら、言葉なら、聞き逃すことなく一つ残らずオレの中に抱き留めていたいのに。
 小枝は、オレに何を言いたいんだろう。
 オレに、何を望んでるんだろう。



 次に視界がクリアになった時には世界ごとクリアになっていた。
 空も大地も、自分を纏って覆い尽くすものがすべて見渡せる感じ。
 気付いたら自分はパラドックスターのコックピットの座席に身を落ち着けていて、少し離れた座席には小枝が座っている。どうせなら、ゼロ距離が良いのに。
 目の前には、ペダルとレバー。それだけ。シンプルな操縦座席。
 ペダルとレバーはオレたち二人ぶんあるらしく、これを使ってオレたちは戦うらしい。使い方は勿論知らん。
 ふいに悲鳴と共に何かが崩れ落ちる音が響く。
 コックピット越しに見えるクリアになった世界に、青紫色の、ちょうどビル6階ぶんぐらいの大きさをした霧みたいな形状の怪物がビル街で猛威を振るい、一つのビルを崩落させた光景が映る。

『いけません。【ジレンマ】は民衆の恐怖、困惑、驚愕の情のズレを糧に成長を続けています。ツバサ、対象X。戦闘を開始しましょう。ペダルを踏むことで移動、意志を込めてレバーを握り操作することで対象【ジレンマ】に意志に合った攻撃を加えることができます』

 パラドックスターの声が響く。
オレは意気揚々とレバーを握り、いざ【ジレンマ】に直進し突っ込もうとハンドルを踏み込もうとしたが、パラドックスターはなおもオレを諫めるように言った。

『いいですか、大切なのは操縦者同士の互いの心の同調です。搭乗時は常にお互いを想って行動してください。それが自分に乗る上での最重要事項なのです』

 ――が。パラドックスターの声を聴いてもなお、オレは止まらなかった。
 なんの迷いもなくペダルを踏み込みアクセル全開で【ジレンマ】へと突き進む。
 お互いを想うことが大事? そんなん愚問だろ。
 オレは小枝のことを、毎秒、世界で一番想ってる。
 そして、それは小枝も同じだろ?
 オレより少し出遅れた形ではあったが、小枝も操縦を始め、オレの動きにぴったり合わせる形でパラドックスターを加速させてくれる。
 ほら見ろ、オレと小枝が揃えばどんな時も、いつだって無敵なんだ。
 さきほど小枝を抱えながらビルとビルの間を飛んだ時のように『奇跡』を起こす。
 逃げ惑う市民を、大掛かりなフェンスを、建造物を、上手いこと搔い潜り、時には飛び越え、鋼鉄のモノクロの腕で、青々しい霧を確かに引っ掴む。
 それはまるで相手の胸倉を掴み上げる時みたいな体勢で。

「いっくぜぇ!! 反省しな!!」

 オレは小枝と一緒にパラドックスターを操り【ジレンマ】を地面にそのまま叩きつけた。
 鼓膜をぐわんと揺らす音と共に 【ジレンマ】が霧散していき、少しずつその体積を萎ませていく。
 あっけないもんだがこれで街の平和が守られたのなら何よりだ。
 オレは晴れやかに笑い、すぐに小枝に顔を向ける。

「やったな、小枝!! オレたちが世界を救ったんだ!!」

 だけど、オレとは違って小枝は何故か自信がなさそうな表情を浮かべていて。
 悲しそうな、いや、もっと、どこか、沈んだ表情。

「ううん……翼くん、あの、ね、私、は……」

 突然。
 ――ぞわり、とオレの背筋に何か嫌なものが走った。
 消えゆく【ジレンマ】に触れていたパラドックスターの、モノクロだった腕が、どんよりとした青に染まっていた。それはまるで涙の色で。

『いけません、ツバサ、対象X。すぐに心の同調を――』

 パラドックスターの言葉を遮断するように、風を切るような音が耳に届いた。
 ぱっくりとコックピットが切り裂かれて分断される。
 それはつまり、オレと小枝の座席が分断されたということで――。

「っ……ぇ、っ、小枝!!!!」

「翼く――」

 オレも小枝も、お互いがお互いに手を伸ばす。
 だけど間に合わなかった。
 小枝を乗せたパラドックスターの半身が、いつの間にか体積を増した【ジレンマ】の青い闇に飲み込まれていく。
 オレの手は小枝の手に届くことなく、その手を掴めることもなく。

 小枝が、オレの目の前から消えた。
 小枝が。
 オレの小枝が。オレの相棒が。
 オレの一部が。オレの半身が。
 小枝が――。

 パラドックスターが何やらオレに指示している。
 だけど一つも、オレの脳には届いちゃくれなかった。
 だって。
 こえだ。

「ぁ、ああああああああああぁぁぁぁぁああああっ!!!!!!!!」

  突然、オレは癇癪を起こした子どものように醜く叫び、ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟って座席から崩れ落ちる。
 ――秋月小枝という女を失うことは、オレにとっては自我の、世界の崩壊に等しいことだった。



 街が、壊れていく。
 がらがらと音を立てて、昨日までは確かにそこに在った建物の数々をその青い闇は侵し、崩し、墜としていく。
 その中にはオレが小枝と『奇跡』を起こす時に飛び移ったビルも含まれているんだろうか。
 街が、壊れていく。
 世界が、壊れていく。
 オレが守りたかった世界が。
 オレが救いたかった世界が。
 オレが救うべき世界が。
 がらがらと、壊れていく。
 なのに、手足が上手く動かない。
 呼吸ができない。まるで酸素が見つからないみたいだった。
 身体が震える。頭が痛くて脳の奥がぐるぐるする。
 苦しい。痛い。辛い。怖い。寂しい。恋しい。
 がらがらと、オレが、日羽翼という人間が壊れていく音がする。
 オレは小枝が居ないと、こんなに。
 こんなに、息すら出来なくなっちまうくらい弱くなるのに。

 初めて秋月小枝という存在を強く意識したあの日のことを、オレは昨日の、いや数秒前のことのように鮮明に思い出せる。
 大人の不快な怒鳴り声も、窓ガラスを自ら割った痛みも、小枝の手を引いて帰った夕焼けの帰り道も、小枝の手の小ささも、温かさも、弱々しくオレの名前を呼ぶ声も、全部。

 あの日、オレは小枝と一緒なら何でも出来ると思った。
実際、小枝が傍に居てくれればオレは心まで無敵になれた。どんな奇跡だって起こせた。

 でも。
 初めて小枝と手を繋いで帰ったあの日、オレが綺麗だと思ったのは本当に世界の方だったんだろうか。
 オレはちゃんと、オレンジ色に染まっていたあの世界を、余すことなく見渡せていたんだろうか。
 オレが。
 オレが本当に見ていたのは。
 振り返ればこちらと必ず目を合わせてくれる小枝の瞳、ただそれだけだったんじゃないか。

 本当にオレは、心の底から世界を救いたいと思っているのか。
 自分の夢を、胸を張って誰かに言えるのか。
 違うだろ。
 オレは、ガキの頃の漠然とした夢を言い訳に小枝を繋ぎ止めてただけだろ。
 全部を救いたいなら、小枝をもっと自由にしてやるべきだっただろ。
 オレと小枝が話すきっかけになった、窓を割った女子と小枝が交流する度に、ほかにも、誰かが小枝に近づく度にオレは割り込んで小枝の世界を狭めてただろ。
 小枝に依存して、小枝を束縛して独占して。
 何が世界を救う、だ。
 最悪の言い訳だ。
 
 ――オレが守ろうとしていた世界は、オレだけの、歪で狭い世界、それだけだった。

 自分の醜さに心臓が痛む。
 くるしい、いたい。つらい。こわい。
 さみしいよ、小枝。

 目も当てられないくらい醜いけれど、歪みきっているけれど。
 この感情に名前を付けるなら、馬鹿なオレは『恋』以外の言葉を知らなかった。

『――ツバサ!! 顔を上げなさい、ツバサ!!』

 パラドックスターの声がする。
 ああ、やめてくれ。そんなに怒らないでくれ。潰れてしまうから。なんでかオレはどうも、そういうのに弱いんだ。小枝に甘えてたから、直す努力もしてこなかった。
 たすけて。小枝。
 オレは、小枝がいないと。

『反応を感知しました。――対象Xは、まだ諦めていません』

「……え?」

 対象X。
 小枝を指す言葉に、オレは反射のように顔を上げる。
 世界の終わりみたいな光景の中、青い闇の中。
 僅かに、光が灯っていた。



 取るに足らない、話をしよう。
 私、秋月小枝という、ちっぽけで取るに足らない存在の、話。
 私は物心ついた時から人よりおとなしくて、弱っちくて、とろくさくてどんくさかった。
 少しぼんやりしていたと言っても良いのかもしれない。
 そのくらい感情の起伏が緩やかだった。
 他の子どもたちのように上手く笑ったり怒ったりできなかった。
 どうすればいいのかわからないから、いつもおどおどと他人の顔色を窺ってばかり。そんな表情しかで作れずにいた。
 笑顔を求められたら、曖昧な愛想笑いしかできない。
 怒るなんて無理。怒るよりは怒られた方が楽とすら思ってしまう。
 涙は人より零れるけれど泣き喚くなんてこともできず。
 自己主張も出来ない自分が恥ずかしかった。それどころか、主張したいほどの強い意見を、私は常に持っていなかった。それが情けなかった。

 なのに。
 私を『優しい』と、『強い』と言ってくれる男の子が居た。
 翼くん。日羽翼くん。
 翼くんはガラスの破片であちこちに切り傷を作りながら、担任の先生によって頭にタンコブを作られながら、笑って。
 笑って、私の手を取って。

『オレたちで、世界を救うんだ!』

 漫画やアニメの中でしか聞かないようなそんな台詞を、自信満々に言ったんだ。
 翼くんは、私に彼の心を守って欲しいのだと言った。
 私が傍に居ればなんだって出来るんだって、豪語していた。
 私、何かを守れるほど強くないよ。私にそんな特別な力は無いよ。
 優しくないよ。強くないよ。いつも怖くて、潰れそうだよ。
 そう言いたかったけど、どう伝えれば良いのかわからなくて、私は結局翼くんとずっと一緒に居た。
 一緒に居るようになって、わかった。
 翼くんは、本当に私が居るとなんでも出来て、私の姿が見当たらないと迷子の子どもみたいに不安そうな顔をする、不思議な男の子だった。 
 ああ、翼くんも一緒なんだ。
 明るく強く見える翼くんにだって、私と同じように怖くて潰れそうになる時があるんだ。

 中学生になったときあたりに、自分たちの名前をちょっと意識したことがある。
 それは教室の窓から見える、外の木の枝を止まり木にしている小鳥を見た時。
 いつも世界を救うのだと息巻いて、その名の通りはばたくように自由に生きている翼くん。
 私は、『小枝』という、まさに名は体を表すような弱々しい自分の名前が嫌いだったけど。
 私に価値を、手を引いて生き方を教えてくれた、翼くん。
 私は、翼くんの止まり木になれてるかな。
 翼くんを、癒せているかな。
 そう思った時、翼くんは私にまた奇跡をくれた。

 ねえ、翼くん。
 私ね、強く主張したいことができたんだよ。
 翼くんに何を言われても貫きたいくらい、強い主張だよ。
 だから、いつか、伝えさせて。

 貴方は、強いんだよ。
 私のいるいないに関わらず、翼くんはちゃんと強くて優しいんだよ。
 これは卑下とかじゃないの。
 翼くん自身の努力を否定してほしくないだけなの。
 全部を私ありきで考えなくていいんだよ。
 ねえ、覚えてる?
 私たちが話すきっかけになった、窓を割った女の子のこと。
 あの子がひとりぼっちにならずに済んだのは、窓を割ったあの瞬間は周りに見捨てられてしまったあの子がまた周りに歩み寄って受け入れられるきっかけを作ったのは、翼くんなんだよ。
 翼くんが続けて窓を割ったから、翼くんが凄いことばかりするから、だから、あの子もみんなも、また笑えるようになったんだよ。

 翼くん。
 これを伝えることで翼くんがヒーローに近付けるなら。
 私でも、助けられる人がいるなら
 自信をもって、私は翼くんを助けたいよ。

 だから、へいきだよ。
 私、ぼんやりしてたから、感情表現とかどんくさかったから。
 痛いの、結構平気なんだ。
 だからこんなの、平気だよ。
 
 【ジレンマ】に分断されたパラドックスターさんの半身の中で、私は脳を掻き回そうとするかのような苦しみにじっと膝を抱えて耐えていた。
 風邪で発熱している時の感覚に近い。
 【ジレンマ】はこうやって生き物を苦しめて、他との感情の差を糧に世界を侵していくのだろう。
 
 でも、こんなの平気だよ。
 私は翼くんの止まり木で、そして『盾』だから。これからも、生きて翼くんを守るから。
 何より私の初めての主張を、翼くんにちゃんと伝えていきたいから。

 この感情に名前を付けるなら、色々鈍い私でも、『恋』以外の言葉を思いつかなかった。

 そんな時、青い闇に染まった世界の向こう側に、確かに光が見えて。

「っ、小枝!!!!!!!!」

 聞き慣れた声と共に、まだ見慣れない鋼鉄の腕が【ジレンマ】の向こうから伸びてきて、先ほどの戦闘の【ジレンマ】を引っ掴んだ時よりも優しい動作で私とパラドックスターさんの半身を闇から引っ張り起こす。
 急に外の空気に触れた感覚と【ジレンマ】が心を攻撃する苦しみがなくなった解放感に戸惑ってよろけていると、コックピットの座席から飛び出した翼くんがそれを抱き締めるように支える。

「翼く……」

「小枝」

 ありがとう、と言いたかったのに、それより先に翼くんが私の名前を呼ぶ。
 いつもまっすぐな瞳が、一瞬迷うように揺れて、またまっすぐになって。

「その、世界を救おうって言う前に、言わなきゃいけねえことあったの、忘れてて」

「うん……?」

 短く息を吸い、翼くんははっきりと言った。

「小枝。オレ――お前が、好きだ。……付き合って、ください……」

 こんな場所で、こんな状況で。
 そう言えばもっと前に確認し合うべきだったことを言われて。
 私は、思わず目を丸くしたあと――。

「は……はい……私も、翼くんが、好きです。付き合ってください……」

 散々に壊されたボロボロの世界の中で、愛を誓い合う子どもふたりが、ここにいる。
 その事実が、何だかおかしくて。
 私は生まれてこのかた初めて、やっと上手に笑えた気がした。
 ――そんな時、パラドックスターさんの機体全体が、紅く紅く光り輝いた。



「うおっ!? なんだなんだ!? 機体もコックピットも、なんか赤く光ってねえか!?」

 オレが小枝を緩く抱き締めたままコックピットに語り掛けると、パラドックスターから返事が来た。

『貴方がたの心が完璧に同調した証拠です、ツバサ、対象X。自分の内部構造は現在、貴方がたの相互の【愛】と呼ばれる感情を原動力にして通常よりも高度な稼働を可能としています』

「愛……」

「あ、愛……」

『【羞恥】の感情まで共有せずとも結構です。さあ、急ぎ分断箇所を修復します。自分に乗ってください。 【ジレンマ】に、とどめを』

 そうだ、まだ戦いは終わってねえ。
 オレは小枝の腕を引くと滑り込むようにコックピットの座席に座る。
 今度は分断対策の為か、それともパラドックスターが気を利かせたのか、オレと小枝の座席はゼロ距離のぴったり隣同士だ。手を繋いでいたって操縦できる。
 パラドックスターが光を集中させて機体の片割れ同士を上手く繋ぎ、オレと小枝は再び二足歩行のロボットに乗った状態で地面に降り立つ。
 その時、オレは声高らかに叫んだ。

「合体! 矛盾救世パラドックスター!」

 しん、と辺りが静まり返る。
……パラドックスターはともかく、小枝まで黙るこたねえだろ。

「つ、翼くん……さっきの戦闘中とか、もしかして機体のヒーローみたいな名前、考えてたの……?」

「え、おう。ほら、ロボアニメとか四字熟語っぽい漢字で始まるやつ多かったりするだろ?」

『道理で雑念が多いと思いました。今は戦いに集中してください、ツバサ』

「言われなくても! よっしゃ、やるぜ小枝!!」

「う、うん……!」

 小枝と二人で、それぞれのペダルを踏み込む。
 二人で繋いだ手でレバーを握ってお互いの強い意志を込めているからか、パラドックスターの機体は今度はまるで意思を持った生き物のように動いていた。
 だいぶ建物が壊されちまったからか路面の状況は廃れている。
 でも避難も済んでいるらしく、拓けたぶんさっきよりフィールドが広い。
 回転するように鮮やかなスピードで【ジレンマ】の懐に潜り込み、一発ぶちかますような一撃を機体の拳でお見舞いする。
 まるで、一人でワルツを踊っているみたいな動きだったかもしれない。
 だけどこっちはオレと小枝で二人。いや、パラドックスターも入れると三人。そのぶん想いは、力は強くなる。

 『オレたち』にぶん殴られて、【ジレンマ】は今度こそ霧が溶けるように、きれいに消失した。
 つけ込む隙も与えない。
 だって、愛は無敵だって、いつの時代も言うだろう。
 それにオレは最強の矛で、小枝は最強の盾だ。
 誰にも負ける、はずがない。

 戦いが終わったあとも、オレも小枝もレバーから手を離さなかった。
 もう少しだけ手を繋いでいたい、と思ったんだ。お互いに。
 オレは、小枝の瞳をじっと見つめる。
 小枝も見つめ返してくれる。
 吸い込まれそうになるくらい、綺麗な瞳。
 だけどこの瞳だけを見てたら、きっと何も救われない。

「あ、あの……翼くん……」

「ん?」

「私、ね……これから、たくさん、たくさん……翼くんに、伝えていきたいことが、ある、の」

「……おう。聞く。全部聞く。オレも、これからたくさん、小枝とやりたいこといっぱいある。だから、まず」

 ――そして、オレは。
 オレたちのための、愛の言葉を口にした。

「――オレたちで、世界を救うんだ!!」

 それは、オレが今まで見てきた狭い世界だけじゃなく。
 もっと、広い広い世界を意味して。
 そうだ、今度は必殺技の名前も考えよう。

「……うんっ、翼くん……っ」

 小枝が、可愛らしくふわりと笑う。
 オレの大好きな笑顔。
 オレの大好きな、たった一人の女の子。
 小枝と一緒に、オレは今度こそ本当の意味で世界を救うんだ。
 だけど、今後こうして世界を救うためには大切な仲間がもう一人。
 コックピットの天井部分を仰ぐと、そいつから声をかけられた。

『どうかしましたか、ツバサ』

「……なあ、パラドックスターっていちいち呼ぶの長いからやっぱり『パス太』って呼んでいいか?」

『色々と台無しにしないでください、ツバサ』

 パス太本人には、呼び名を却下されたが。
 小枝は少し、困ったように、でもどこか楽しそうに笑っていて。
 ボロボロの世界をしっかりと見回す。
 もうこんな風に壊さないのだと、決意を込めて。

 さて改めて、何度だって誓いの言葉を言おう。
 ――オレたちで、世界を救うんだ!!




『矛盾救世パラドックスター!』




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