手足を鎖で縛られる

和泉奏

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身体を離そうとしても、後頭部に回された手がそれを許してくれない。
さっきからずっとぎゅーぎゅーしまくってる気がする。…気のせいだろうか。いや、確実にいつもより回数が多い…気が、する。

…初めてくーくんに会った時はハグするの嫌そうだったのに、いつからこんなにするようになったんだっけ。何か心境の変化がおきたのかな。



「…まーくん」

「ん?」

「まーくん」

「あはは、変なくーくん」


「うんうん。まーくんですよー」ぐっふっふと笑いながらぽんぽん彼の背を軽く叩いて擦る。なんだろう。名前確認かな。ふぎゅ、と息が苦しすぎたので、せめて顔だけでも圧迫から逃れる。ほうっと息を吸えて楽になった。

(…と、とりあえず怒ってないってことで、いいのかな…?)


だけどこれは自分に都合のいいかいしゃくな気もする。むむむ。
寝転がっているせいで畳に触れている彼のさらさらとした黒髪とその綺麗な首筋を眺めながら、はて、と首を傾げてみる。



「くーくん?」

「…うん、そう…だよ。…俺、くーくん、だから」

「……?」

「まーくんは、まーくんで、俺は…ちゃんと、くーくん、してる」

「………………」


一瞬の、思考停止。


(…ん?んん…?)

どうにも何かがおかしい気がする。変だ。
様子がおかしい、プラス、ぎゅうって抱きしめてきて名前の確認を繰り返している。

…ちゃんと、ってなんだ。しかも、くーくんしてるってなんだ。なんなんだ。

混乱を通り越してむぅ、と眉を寄せていると、「さっき、」と小さく呟かれる低く掠れた声。



「いなくなったのかと思って、本気で心臓が止まるかと思った…」

「…ぁ、」

「……」

「また、まーくんがいなくなったらって思うと、…」


怖くて堪らなかった、と呟く声が、いつもより少し切羽詰ったように乱れている。
後頭部に回された手が、背中に回された腕が、彼の身体が、本当に怖がっているように震えていた。



「…(…)」


…それにしても変なくーくん。いなくなったり、しないのに。

だけど、そんなに心配してくれるとは思ってなくて、予想以上の反応に目をぱちくりと瞬く。…ちょっとくらい困らせてやろう、なんて軽々しく考えたさっきの自分を反省した。…なんてばかなこと考えてたんだろう。
しょんぼりと俯いて、謝ろう、と唇を開く。


…と、



「俺が、まーくんに嫌なことしたから、」

「……へ?」


続けて、耳を疑うような言葉が飛び込んできた。

…くーくんが、思った以上に思いつめていた。



「だから、…ごめん」

「…ち、違うってば!」


まさかそんな風に捉えてるとは思わなくて、硬直している間に話が進んでしまっていた。
かなり憔悴している感じの声音に、ぶんぶん首が折れそうな勢いで首を振って否定する。痛い。折れる。けど、こっちの問題の方が大事だった。



「……」

「おれ、くーくんにされて嫌なことなんかひとつもない!なにもないから!」


声を張り上げる。そのぐらい、本気で違うってわかってほしかった。
…そ、そりゃあ勿論、くーくん怖かったし、…なんか変な感じがずっとしてるし、だから困らなかったかっていうと嘘になるけど。

でも、


「おれ、嫌なことなんてないんだよ。くーくんのこと初めて会った時からずっと大好きだし、傍にいたいって思ってるし、」

「……」

「だから…も、もしくーくんがしたいなら、…また、ああいうこと、しても」


(…って、おれ、また…!)

変態的な言葉を吐いてしまっている、と彼の反応を見もせずに俯いてしゃべり倒しながら途中で気づく。

しまった、と言葉を途中で止めた。
どうしよう、と恐る恐る顔を上げる。


(…って、なんで、)



「……っ、」


なんで、そんな顔…するの。

至近距離で重なった視線に、心が押し潰されそうになる。
息を、呑んだ。


「意味、わかって言ってる?」

「う、ん…」

「…綺麗なまーくんは、理解できてるのかな」

「…どう、いう…」


…おれ、何か間違ったこと言った、のだろうか。

それに、どこか皮肉を含んだような言い方にむっと眉が寄った。


頬を包み込むように触れてきた手が、そこを撫でるように微かに動かされる。
また少しだけ怖くなった雰囲気に、…ぎゅっと目を瞑った。



「…俺は、もう汚いんだよ。…充分汚くて、醜くなってるんだ」

「……くー、くん?」

「だから、…」


絞り出すような声が、そこで止まる。
布が畳に擦れる音と、まるで顔をおれに見させないように、隠そうとしているかのように…抱きしめてくる腕。

…なにを、なにを、言ってるの。

そんな自嘲気味な口調で、自分のことを嫌悪するような口調で、なんで、そんなこと、


…嫌だ、いやだ。
そうやってくーくんにそう言わせてるのが、お母さんの時と同じように、またおれのせいでそうさせているような気がして、

唇を噛み締める。
気づいた時には違う、と言葉を発していた。


「そんなこと、ない」


ぎゅうっと彼の服の裾を握る。
…そんなこと、ない、のに。

一緒にいて、わかる。
おれから見たく―くんは、汚れなんか、醜くないのに。凄く優しくて、心が綺麗で、なのに。


(…もし、くーくんが汚いっていうなら…おれの方がずっと、)


家での記憶が、脳裏を掠める。
思い出しただけで、彼の服を掴む指が震えた。






「…時間が、本当に巻き戻ればいいのに」

「……え?」

「そうしたら、俺はもっと違う気持ちになれたのかな」




「あーあ、」と泣き笑いに似た声で呟く彼に、何も言えない。


…それなのに、何か言わないとって、
何の価値もない言葉を言おうとした唇をキツく噛み締めて、彼の胸に顔を埋める。

もし彼が望むなら、時間を巻き戻せるように何でもする。何でもしたい。
でも結局おれにはそんなことできなくて、…できないから、…せめてできることといえば、似た状況を作り上げることしかできない。


…だけど、


(もし、)

(できるのなら、)


―――――――――


どこまで時間を戻せば、彼を幸せにすることができるんだろう。



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