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過去【少年と彼】
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――…すぐ目の前に”あの人”…俺の父親がいる。
憎悪に燃えて冷たく睨み付けてくる瞳に身がすくみあがった。
着ている着物のわき腹あたりに大きな赤い模様がある。
みるみる間にその染みがじわじわと広がって、その人の手が俺を捕まえようと伸びてきた。
手の動きと同時に、俺にまとわりついてくる裸の人間たち。
(…っ、)
それを目に映した瞬間、ぶわっと全身から大量の汗が出るほどの緊張が身体を強張らせた。
逃げないと。
本能がそう告げる。警告する。
捕まったら今までにないほどの苦しみを与えられる。
殴られて蹴られるだけで済まされるわけがない。
泣いたって死にたくなったって許してなんかもらえない。
逃げろ。早く逃げろ。
頭では必死にそう叫んでいるのに身体がのろくて全く思うように動かない。
遅い。遅すぎる。こんなんじゃすぐに追いつかれる。
嫌だ。
もうあんな風に弄ばれるのも、ずっと部屋に閉じ込められるのも、もう二度と御免だ。
…っ、だれか…
必死に酷く遅い足で泣きそうになりながら叫ぼうとして、そう声にしたはずの言葉さえ耳に届かない。
世界が真っ暗でどこにいるのかもわからない。
それだけじゃない。
足で何かを踏む感覚がない。
景色が見えないから、自分が走っているのかもわからない。
今自分が生きている、という感覚も不安定で、…怖い。
嫌だ。
俺はもう、あの人の遊び道具になんかならない。
手が何かに掴まれた。
一瞬で恐怖が背筋を駆け上る。
(…――ッ!!!)
喉の奥から声にならない悲鳴が漏れた。
嫌だ嫌だ嫌だ…!
「っ、やめろ…!」
「…っわ、」
掴まれた手を思い切り捻じって強く振り払った直後、すぐに相手の手首を掴んで身体を被せるようにして全体重をかけて押し倒した。小さく苦痛に呻く声。
空いた手でそいつの首を掴んで、ぐ、と力を込める。
…――そのまま指先から掌に伝わってくるドクッドクッとさらに強くなって伝わってくる頸動脈を押し潰して絞め殺そうとして、
「…っ、く…ーく…」
「……」
すぐ違和感に気づいた。
(……?)
…予想していたものよりも、肌が柔らかくて細い。
頬に突然触れてきた”何か”にビクッと身体が震える。
一気に強くなる恐怖に喉が締め付けられるような思いで離せ、と声を上げようとして
「…っ、…くー…っくん」
「ッ、」
…耳に届いた声に、動きをピタリと止めた。
あの人の声じゃない。
喉を軽く絞められているせいで掠れて苦しそうな途切れ途切れな言葉に、指に込めた力を少しだけ抜く。
「……………まふ、ゆ……?」
「うん…っ、だから…だい、じょうぶ…っ、だよ」
徐々にぼやけていた視界がはっきりと鮮明になってきて、その姿が目に映った。
熱のせいかもしれない。
酷く頭が、ずきずきする。
俺と目が合った瞬間へらっと緩い笑顔を浮かべて、いい子いい子、と掠れた声で俺の頬を撫でた。
「…おれは、くーくんをいたくしたりしないから…っ、ひどくしたりしないから…、だいじょーぶ」
「………なんで」
「…えへ、へ」
…なんでそんな風に笑えるんだ。
俺だって首を絞められた経験は何度もある。
でも、どう頑張ったってこんな表情はつくれない。
無表情にはできてもこんなふうに笑えたことなんてない。
かろうじで喉からもれた空気が声になって口から零れる。
首を絞められているのに、怯えるとか、相手を睨むとか、そんな様子は微塵もない。
まるでこの状況に慣れているとでもいうように、にへらといつもと変わらないような表情で俺を見返してくる。
…その冷静な態度を見ているうちに、だんだん今の自分の状況を頭の中で整理できるようになった。落ち着く。
(…真冬は俺を助けてくれた。それに何の恩もない俺の看病までしてくれた…悪い奴じゃない。…だから、やめないと)
ふ、と息を吐いた。
すぐに指から力を抜いて、げほげほと腰を折って咳き込む真冬から距離を取る。
バクバクと早鐘を打つ鼓動と、汗でびっしょりになっていた身体に呼吸を整えた。
…チラリと真冬の方に視線を向けて、その苦しそうな姿に瞳を伏せた。
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