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吐き気と、暴力と、
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しおりを挟む「……」
「…っ!…ぅ…痛…っ、…いた…っ、痛い…っ」
ぐちゃっ。
無言のまま、雑にアスファルトの地面の上に放り捨てられる。
痛い。熱い。
それと同時に身体に何度もたたきつけられ、身体にしみこんでくる刃のような重たいもの。
ただでさえ少し動けば激痛の走る身体に対して、小さいのに、でもその刺すような衝撃は耐えられないほど辛くて痛みの声をおさえられない。
傷口に、その液体は何度も何度も入ってくる。
服なんてもうすでに服の役目をはたしていないくらいボロボロで擦り切れてて汚いから、容赦なく重い水が降り注いでくる。
身体が裂けたかのように、肩も、腕も、背中も、全部が痛い。
頭に幾度も落ちてきたソレも、髪を濡らし、口の中に入ってきた。生ぬるい、水道水によく似た舌触り。
辺りが暗い。
顔を軽く上げれば、曇って雲一つ見えない空から大量の水が自分に打ち付けられていた。
アスファルトの上の水たまりで一粒一粒跳ねる。
(…あめ、)
唇に落ちてきた液体が喉に入ってくる。
(…嗚呼、おいしい。)
こんな状況でもそんなことを考えてしまった自分に不意に悲しくなる。
「今後も貴方の行動は、全て管理下の元のみで成立します。これはもう既に決定事項で拒否権はありません。今までとは異なり、今後は傍で管理者が貴方の行動を監視させていただきます。管理するものは、こちらで決めますので」
「……かんり…?…」
何を男が口にしているのかまるでわからない。
耳を右から左に流れていく言葉に茫然としていると、不意にその後ろから人影が現れた。
「アレが、貴方を管理するモノです」
「……ぁ、」
その姿に目を瞬く。
反射的にあおい、と声をかけようとして、すぐに違うことに気づいた。
良く似てるけど、違う。
(…かなた、さん…?)
見上げているとチラリとこっちを見た視線と合いそうになって、すぐにふいと逸らされる。
そのすぐ隣に、御主人様が立っている。
最後に見たときは違って、あまり感情を顔に出さないようにしているようにみえた。
一歩ずつ近づいてくると同時に、その服が一気に暗くなって濡れる。
「アイツとの取り決めだ。約束通りアイツが死んで、別の人間がお前を管理することになってもここの下のヤツらはお前の傍におかねえってな」
「本当は家畜に殺されて絶望するアイツの顔が見たかったのに。惜しかったな」と無表情で淡々と小さくそんな言葉を吐きすてる御主人様に、「約束どおり…?」と震える唇で問う。
管理とか父親とかそんなことより、さらりと発された聞き捨てならない言葉に…意識が向く。
(…約束通り、死んで…、って言った…?)
”アイツ”
この状況なら、それが誰のことを示しているかなんて、すぐにわかってしまう。
もうこれ以上嫌なことなんて、何も聞きたくないのに。
今の状況以上に最悪な状況なんてないはずなのに。
「これでその面を拝めるのも最期かもしれねえから、教えてやるよ家畜。手土産だ」
「……」
俺の呆けた顔をあざ笑うかのように、ふ、とその唇の端が歪に歪んだ。
綺麗な顔に、言葉にできないほど嫌な笑みが浮かぶ。
「――俺がお前に言ったこと、半分くらいは嘘だったんだぜ?」
「…え…?」
(……うそ…?)
唐突なその言葉を脳で処理しきれずに呆気に取られて酷く頼りなげな声で聞き返した。
「そう…半分嘘。ま、初めに言っとくけど、お前とアレが離れた後、ずっとアレとセックスしてたのはお前に教えたような、アイツの好きな女とかそんなロマンチックなもんじゃねーよ」
「……、」
「そういう関係でもなんでもない、…”俺”や蒼に一方的に気がある女どもとヤッてただけだ」
「…どう、して…」
わけがわからなかった。
どうして蒼が、御主人様と…
それに、女の人たちと……?
頭が、うまく働かない。
いまいち反応の悪い俺が不満だったのか、御主人様が眉を顰める。
手を伸ばされて、ビクッと震えたおれのびちゃびちゃに濡れて肌にはり付いた前髪を指で少し持ち上げられる。
「まだ分かってない?俺、ずっと前家畜がまだアレに飼われてた時に屋敷で会った 椿 なぎなんだけど」
「……」
「そん時女の格好してた…って、覚えてないみたいだな。…それだけ綺麗に化けられてるってことか」
「…つばき、なぎ…」
オウム返しに呟いてみて、おぼろげなその名前を思い出すよりも、頭痛とともに先に軽い嘔吐感がこみ上げてくる。
そのせいで俯きかけた顔を上げるように、無理やり顎を掴まれて視線を合わされた。
「そんでもってついでに嘘っていうのは、お前に聞かせた女たちの音声、画像で、特にアイツが望んでセックスしてたように見える動画とか画像はイジって加工したこと」
「……か、こう…?」
ぼんやりと思い出す。
脳裏に何度も何度も蒼を求めて泣いて叫ぶ映像。
それに、その人達を蒼が犯す場面も、あって、
ぐちゃぐちゃという卑猥な音。
鼓膜の奥にずっと響いていた声がよみがえる。
それを思い出しただけで一気に嘔吐感がこみ上げてきて吐きそうになった。
……それに、蒼が、まるで恋人みたいにキスをして、セックスして、相手のことを大切にしてるような感じで、
あれも、…加工した、もの…?
言われる言葉を…頭の中で再生する。
(どれが、どこまでが、…嘘…?)
「あ、でも、アイツが数えきれないほどの色んな人間とそういう身体の関係があったってこと自体は嘘じゃないぜ?」
「ただ、ちょっと変えたのは、アイツが望んで自分からセックスしたことなんかないけど、そう見えるように工夫したってだけ」と続けられる台詞。
「まぁ、お前は区別つかないからわかんねえだろうけど。俺だけじゃなく、他の人間もアイツを鎖でつないでバッドで殴って、薬剤入りの注射を何度も打って打って打って打って、頭がおかしくなるぐらいヤりまくった。無理矢理だってのに女どもは喜んで生でしまくってたな。どんな女をあてがってヤらせても馬鹿みたいにお前のことばっかり気にするから、毎晩結構な殺意が湧いたが」
次々に並べ立てられていく言葉。
そんなわけない、と言おうとしてその顔を見上げても、その表情は全く嘘を言っているようには見えなくて。
理解するよりも先に言葉が通り過ぎていく。
クス、と妖艶に微笑んだ御主人様との距離が少し縮む。
おれの頬からも、御主人様の頬からも、幾度とない量の雨が零れ落ちていった。
「……、う、そ…だ…」
取り敢えず反射的に何かを言わなければと、辛うじで言葉を喉の奥から絞り出す。
でも、それは受け入れる言葉ではなく、否定のセリフ。
脳が拒否する。
いわれている言葉の意味を理解したくなくて、彼の言葉を脳が拒絶する。
「嘘じゃねえよ。そんで、俺が今『まーくん』を飼ってるってことを教えてやったら、真冬を解放しろ解放しろってうるせえから、お前が死ねばアイツは解放してやるって言ってやったんだ」
「…っ、それ…、あおい、は…」
「あっさり受け入れやがった」
「っ、」
予想ができなかったわけじゃない。
でも、本当にその言葉を肯定されるとは思っていなくて、戸惑う。
じわじわと言われている、言われようとしている言葉の意味が、わかってしまって。
でも、わかりたくない。
ふるふると首を軽く横に振って否定する。
(その言葉が嘘じゃないなら、)
(…なら、なんで、おれは…、あおいに、あんな、)
…あんな、酷いこと、
「…なに…っ、をいってるのか、わからな…」
「お前が俺の家畜でいる間、同じようにずっとあいつも俺の家畜だった。それだけだ」
「…っ」
かちく。
ずっと御主人様の元でそう呼ばれて、されたことを思い出して怖いくらい全身から血の気が引く。
あおいも…おれと、おなじように、ってことは…、
今までのことが頭の中によぎる。
されたこと。
景色。
匂い。
痛み。
「ああ、まあ扱いはお前よりちょっとばかし雑だったけどな。骨も何本か折れたし」
「…っ、骨って…、」
「ま、アイツは生まれつき大体そんな生活だからあんまり痛そうじゃなかったけどな。つまんねえ」
「……いたく、ないわけ…」
ないだろうと思う。
骨が折れていたくない人間なんていない。
まるで本当に何も感じてなくてつまらなかった、という様子に、何故わからないんだそれに大体そんな生活ってどんな生活だったんだろうと感情がわけもわからずに高まってきて目頭が熱くなる。
痛くないわけない。いたくないわけないのに。
そう言えば…と、今更思いだした。
あの時は気づかなかったけど…蒼の腕にいくつも包帯がしてあったのって、まさか、
「とりあえずココに戻ってきてからはずっとアイツは俺の玩具だったんだぜ」
「……ずっと…」
「だから、お前に言ったようにアレが恋愛なんてする暇なんかさらさらない。衣食住、全て俺が管理する。全部俺の許可がないとできない。だから、俺のいうことには逆らえない。逆らわせない。…ま、そうなるように今までずっと仕向けてたんだけどな」
「……」
「…でも、可哀想になぁ?」
不意に憐憫を帯びた瞳が、俺をじっと見る。
クツリと喉の奥では笑う様な音を鳴らしながら、可哀想に、とその声は言う。
反射的に手で耳を塞ごうとして、その手首を掴まれて無理やり耳の近くで吐かれる言葉。
ザーザーと降り注ぐ雨を気にもせず、御主人様は嗤う。
「アイツは、ずっと必死にお前を助けようとして守ろうとしてたのに。そもそも、守るためにこんな場所からお前を遠ざけようとしたようなモンだしな。なのにお前はノコノコ戻ってきて、そんなお前でも会いたくてやっとの思いでお前のところに行けて…感動の再会かと思えば、嘘つき呼ばわりでナイフを突きつけられた」
「…そん、な…」
「挙句の果てに、お前には好きな女がいてソイツとヨロシクやってたんだろって言われる様だ。アイツは、望んでお前以外の誰かとセックスしたことなんてないのにな」
「……」
「お前は命を賭けてまで自分を守ろうとしたヤツに、散々な言い草だったっつーことだ。はは…っ、マジで滑稽だったな。調教のし甲斐があるってもんだ。傑作だった」
馬鹿にするような声に対する怒りなんてわかない。
それよりも、わきあがるのは…ただ溢れそうなぐらいの恐怖。
震える。
何度も何度も脳裏に焼き付いて離れなくて、思い出してしまう…蒼の血の気の引いた顔。
「…ほんとに…っ、あおいは…、あおい…、は…っもう、…」
(蒼は、…死…)
その言葉を口にしたくなくて、ぐ、と唇を噛み締める。
これでもかというほど震える手で、御主人様の服を掴んで縋りついた。
いやだ。蒼をたすけて。蒼を、蒼を、
俺の懇願なんてまるで気にしない。
返ってきたのは楽しそうな声だけだった。
「助けてやってもいいけど…万が一アイツが死ねなかったら、多分死ぬよりもっと苦しむ結果になるだろうなぁ」
死ぬよりも、苦しむ…?
クツクツと喉を鳴らして笑う声に、茫然とする。
「今回の件でアイツはもうこの家から逃げられない。一生この籠の中で終わる。俺としては、むしろアレが死なずにずっと苦しむ人生を送ってくれたほうが楽しみ甲斐があるっつーもんだけどな。どうあっても、アレには幸せな未来なんか用意されてない。」
「どういう、…」
「もしアイツがさっきので死ななかったら、」
酷く愉快そうな声。笑み。
「あと数日で、どっちにしろアイツは強制的に他の女と結婚させられるんだからな」
「…けっ、こん…」
――ドクン。
鼓動が鳴る。
今、何か知らない感情が動いた気がした。
それは思い出せないくらい昔に感じたことのある…胸の深い部分を黒く濁らせるような痛みだった。
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