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蒼のいない朝
彼
しおりを挟む(…っ、)
その表情に、目を見張る。
「俺はいいよ。真冬くんが望むなら、いくらでも蒼の代わりにしていい。俺のことを”蒼”だと思っていい」
彼は、怒ってもいいはずなのに。
蒼の代わりにされて、こんなことされて、違うと、本当は心の底では分かってるのに彼を蒼だと思い込もうとする俺を責めてもいいはずなのに。
…どうして。
どうして、そんなことを言ってくれるんだ。
「…っ、なんで」
「………」
俺の言葉には答えず、彼はただ静かに微笑んで俺に問うだけだった。
その声には、微塵の怒りさえ感じられない。
むしろ、心配しているような、そんな声音にさえ感じた。
「でも、俺なんかを君の大切な人の代わりにして傷つかない?」
「…っそ、れは…」
ズクン、と胸の中心を突き刺されたような気がした。
俺が必死に見ようとしないようにしていた現実を突きつけられたような気がした。
ぐ、と唇を噛む。
俯いていると、頬に手が触れる。
冷たい手の感触。
「真冬くんは、本当にそれで後悔しない?」
顔を上げれば、彼はあえて責めるでもなく、柔らかく微笑みながら、問いかけるように俺を見つめていた。
違うのに。
蒼じゃないのに。
その蒼に似た顔に、表情に、胸の痛みが、不安がやわらいでいく。
「ぁ、…」
強張った喉から声が出た。
喉が、震えている。
ぼたぼたと彼の顔に何かが零れた。
何故か彼が泣きそうな笑みを零して、俺の頬を手の甲で拭った。
「…やっぱり、嫌だよね。誰かを、代わりにするなんて」
「…ッ、う、ぁ…」
ぐぐもった声が漏れる。
その彼の手についたものを見て、初めてそれが自分の流した涙だったのだと気づいた。
「ごめ、…な…さっ」
今日何度目だろうというくらい、もう涙なんて枯れたと思ったのに、涙が目から零れていく。
目をぎゅっとつぶる。
俺がこのまま行為を進めてしまえば、絶対に後悔することになると、彼は分かってたんだ。
俺なんかより、嫌だったのは彼の方だったはずなのに、それでも強く拒絶しないでくれた。
…やっぱり、そういうところもすごく蒼にそっくりだと思う。
「…ごめん…ッ、ごめんなさい…っ、ごめんなさい…っ、」
「…………」
泣き始めた俺を、また彼は優しく抱きしめてくれた。
自分より大きな身体に、縋るようにぎゅっと抱きつく。
(ああ、やっぱり違うんだな…)
だって、…蒼の、匂いがしない。
気づいていた。
本当は、気づいていた。
彼に触れる手が、震えていたことに。
違うってわかってるのに、無理矢理相手を蒼だって思いながら行為を進めようとしていたことに。
気づいていた。
多分、彼もそれに気づいたんだろう。
…こんなことするなんて、そんなの彼にとっても、蒼にとっても、…失礼だ。
俺のばか。ばか。
ぼろぼろと涙をこぼしながら、身体を離して、その彼の服を縋るようにぎゅっと掴む。
「蒼は、どこですか…っ」
「…っ、」
「…蒼は、俺を捨てて、どこにいっちゃったんですか…っ」
お願いだから。もう蒼に会えないなんてことないって、もう一度会えるって。
どうか、そう言ってください。
…もう一度、蒼に会うためならなんだってする。
会いたい。
蒼に、会いたい。
そう訴えるようにじっと見つめれば、彼は気まずげに視線を逸らして首を横に振った。
「ごめん。…蒼が今どこにいるかについては、言えない」
「…っ、どうして、」
その返答に納得できずにつめよっても、彼は俺と視線を合わせようとしなかった。
もう一度ごめんと小さく呟く声に、思わず服を握る手に力が入る。
彼の言葉の意味を理解した瞬間、ふ、とその手から力が抜けた。
「…やっぱり、俺が蒼にとって、必要じゃなくなったからですか」
”ずっと好きだった”という蒼の言葉と、”二度と会わない”という蒼の言葉。
(本当に、本当に俺のことが好きだったら、離れるなんておかしいだろ…?)
「…は…っ、」
自嘲気味な笑みが零れた。
俯いて、ぽつりと言葉を漏らした。
唇が震える。
何も答えてくれない彼に、ああ、やっぱりと思う。
…やっぱりそういうことなんだ。
居場所を教えてくれない理由なんて、それしか思いつかない。
「俺が蒼にとっていらない子になったから、蒼は俺を捨てたんだ…」
じわじわと目が熱くなって、視界が滲んでくる。
よろよろと後退して、両手で目を覆った。
痛い。胸が苦しい。寂しい。
「違う」
俺の言葉を強く否定する声に、何も答えずに俯いたままでいると髪に手が触れる感触がした。
くしゃくしゃと慰めるように俺の髪を撫でる。
「…君を守るための、蒼との約束だから」
そんなわけないと反論したいのに、顔を上げた瞬間に見えた有無を言わせないその真剣な表情に、目を見開く。
ぐ、と血がにじむほど唇をかみしめて、ぶんぶんと大きく首を横に振る。
涙が床に飛び散った。
「うそだ、うそだ。そんなわけ、ない…っ」
「嘘じゃないよ」
何度も聞いたその言葉。
守る守るってそればっかりで、蒼は俺のことを気遣ってるようで、いつだって俺の気持ちなんてまるで考えてくれない。
守るためなら、どうして傍にいてくれないんだ。
傍で、抱きしめてくれないんだ。
「…っ、離れてるくせに、どうやって俺を守るっていうんだよ…ッ蒼のばか…っ!」
信じられない。うそだと言い続ける俺に、彼は棚のところから何かを持ってきて俺に差し出した。
その冊子のようなものに目を瞬く。
「これ、蒼から真冬くんに」
「…なんで、これ」
「うん。蒼から預かった、真冬くんの通帳と印鑑」
「え、でも俺、通帳なんて、」
持ってない。
それなのに、そこの名前の部分には確かに「柊 真冬」と書かれてあって。
一瞬”あの人”が用意してくれたのかと思ったけど、もしそうなら初めから作ってくれていたはずだ。
俺にお金を持たすのを心底嫌がる人だったから、”あの人”が用意するはずがない。
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