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彼が、いない
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しおりを挟むあの後、俺も蒼も一言も話さなくて、教室から音が消えた。
沈黙だけが、広がる。
「………」
俊介は、何でそんなことを言ったんだろう。
俺のことが、好きだから…蒼を、俺から遠ざけようと…した?
それとも、まさかこれも俺を自立させるっていう俊介の考えで…?
「……な、んで」
もう、何もかもがわからなくなってきた。
ずきずきと鈍い頭痛のする頭をおさえる。
でも、今はそれを確認しようにも、俊介本人が今ここにいないから何を言うこともできない。
「…っだから、俺は、まーくんがあいつを選んだんだって思って、そんなの嫌だって。嫌いだって思って」
俯いて吐き捨てるような台詞とともに零される悲痛な声音。
「誰かに、奪われるくらいなら、………身体だけでも、……………俺のモノになってほしいって……」
泣きそうな顔に手を当て、途切れ途切れにそう呟く蒼の声が、最後には弱々しくなって尻すぼみになる。
「…あはは…っ、本当、何やってんだろ、俺…」
「……」
今の言葉でなんとなく蒼がなんであんなことをしたのか、分かったような気がした。
俺を嫌いって言った理由も。
俺を無理矢理犯しているくせに、酷く泣きそうな表情を浮かべていた理由も。
それでも、そうわかったからって簡単にあの行為をなかったことになんて、忘れたことになんてできない。
かける言葉が見つからずに、視線を逸らした。
不意に壁にかけられている時計を見て、血の気が引く。
――そうだ。
今、授業中だったんだ。
「…っ、教室に、戻らないと――ッ」
こんなことをしてる場合じゃないと思い出して身体を起こす。
「…待って」
ドアの方に向かおうとすると、手を掴まれた。
驚いて振り払おうとした瞬間、その手をぐいと引っ張られて抱き寄せられる。
一瞬何をされているか理解できずに反応ができなかった。
気づけばその白いワイシャツがすぐ目の前にあって、蒼独特の甘い香りに包まれる。
「……行かないで」
掠れた耳元で低く縋るように囁かれて、ハッとして身体を捩った。
心臓が痛いくらいに跳ねる。
依然されたことを思い出して、どうしようもない恐怖に駆られた。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い――。
蒼に、触れられるだけで震えがとまらない。
「…っ、や、離し…――っ」
俺を抱きしめる腕の力が強くて、逃げることができない。
鳥肌が立つ。
でも背中に回った腕と、後頭部を手に込められた力によってその身体に押し付けられて、動けない。
嫌いだと言った冷たい目を思い出して、こうやって今抱きしめられているだけで身体が強張ってしまう。
もう、どうしていいかわからない。
でも、
「まーくん」
「…っ、な、なに」
怖くて、震える声で呟けば耳元であの時とは違う優しい声がする。
俺と同じように、微かに震えた声が耳朶をなぞる。
「……嫌いだなんて、言ってごめん」
「……っ、」
「無理矢理して、ごめん…。謝っても意味ないかもしれないけど、…余計に嫌な思いをさせてるかもしれないけど…ごめん、…まーくん、ごめん…」
贖罪のように何度も謝られる。
嫌いだと思ったことなんかないと、酷く震えている声が…言葉が胸に響いて、驚くほど簡単に涙腺が緩む。
「…あ、…う…」
久しぶりに感じる蒼の体温に、身体に、香りに、その言葉に何故か恐怖よりも安堵の方が勝って息が口から零れた。
あれだけ蒼に酷いことをされたのに。
蒼のことを本当に怖いと思ったはずなのに。
なんで、俺はこんなに蒼の存在に気がゆるんでしまうんだ。
その胸に顔を埋める。
「…っ、おれは…っ、あおい…、なんか、きらいだ…っ大っ嫌いだ…っ」
ぼろぼろと涙が零れて、彼の制服を濡らしていく。
「…うん」
「最悪…、最低だ…っ、もう、嫌い、なんだからな…っ、」
非難してるのは俺なのに。
嫌いだと口にしているのは俺なのに。
…何故か、気持ちを吐き出すたびに心臓が苦しくて、痛くてたまらない。
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