上 下
2 / 18

オルガとユリウス

しおりを挟む
 しばらくして、重たい黒い鉄の門が、音を立てて開かれた。馬車はどんどん進んでいって、あっという間に屋敷の前に到着した。馬車の扉が開かれ、ウェンディは立ち上がった。


 (痛たた…馬車って乗るとお尻が痛くなるのね)


 また新たなことを知ったと、ウェンディは気分よく馬車から降りた。ナターシャが暮らしていた王宮よりも小さいが、大きくて立派な屋敷である。


 お花はあまり植えてないけど、立派なガーデンがあるから、ここでガーベラを育ててみたらとっても素敵になるに違いないわ。


 ウェンディがこれから始まる新生活に夢を膨らませていると、屋敷から二つの影がでてきた。


「何をしに来た」


 挨拶もなく、唐突に告げられた言葉にウェンディは驚く様子もない。この不愉快そうな顔をしている人が、私の旦那様なのだろうとすぐに理解した。

 ウェンディが見上げるほど高いところから見下して、呆れた顔をした男。ウェンディは、にこりと笑みを浮かべると、ちょこんとドレスを摘まんで、ゆっくりと腰を曲げた。


「ウェンディと申します。貴方の家族になりに来ました!」
「いらん」
「ですが…王命ですよ?」


 秘儀「王命」脅し。ウェンディは公爵様が絶対に断れないと分かっている。なぜならこれは、彼女がウィリアム陛下に直接頼んだことであるからだ。王の命令は誰も断ることができない。ウェンディもそうであったように。


 王命という言葉を聞いて、オルガは盛大に舌打ちをかました。全く彼女を歓迎していないのは明白だった。


「俺の邪魔をするなよ」


 オルガはウェンディに背を向け、屋敷の方へ歩いていく。一人、ぽつんと屋敷の前に残されたウェンディにフィリスと名乗る男が話しかけてきた。

 彼曰く、当主は長い事戦場にいて女性の扱いに慣れていないのだと、焦ったように弁解をしているが、全くそうはみえない。やはり、突然こんなことになって、迷惑だったのだろう。


「離婚するのに、それほど時間はかからないと思います。私が満足するまで、少しだけ付き合ってください」


 オルガは足を止めた。険しい顔ででウェンディを一瞥したあと、「せいぜい、家族ごっこができるといいな」と言って、屋敷の中に消えていった。フィリスはまた慌てた。


「荷物はこれだけなんですか?」

 フィリスは、馬車に積んでいたボストンバッグを指さした。

 王宮からいただいてきたそれの中には、ウェンディの衣服が詰め込まれている。彼女が抱えられるくらい小さな荷物だから、フィリスも驚いたのだろう。ウェンディは笑顔で頷いた。

 フィリスは侍女を呼ぶと、侍女に荷物を運ばせて、屋敷の中を案内してくれた。

 ウェンディに宛がわれた部屋は、十分すぎるほど広く、彼女を気遣ってか居心地のよさそうな壁紙やベッドにしてくれていた。あの公爵様がするとは到底思えないので、恐らくフィリスが用意してくれていたのだろう。礼を言うと、フィリスは気まずそうに頭を掻いた。


「ここが、お坊ちゃんの部屋です」
「お坊ちゃん?」
「えっ、もしかしてご存じなかったんですか?」


 はて、何のことだろう。確か、公爵様は独身であると聞いていたのだけど、とウェンディは首を傾げた。

 2年前までは戦場にいたというので、現地の女性と結婚していたのだろうか。

 急に決まった結婚だったので、あまり公爵様の情報を知らないのだ。もしかして、ウェンディが王命によって結婚を迫ったことで、公爵様とまだ見ぬ奥様の間を壊してしまったのではないかと、顔を青ざめた。

 ウェンディの様子に気づいたフィリスは、両腕をぶんぶん振って訂正する。


「ユリウスお坊ちゃんです。旦那様の甥です」
「甥ってことは…」
「そうなんです。前当主で旦那様の実のお兄様であったユース様の忘れ形見です。ユース様と、その奥様は馬車の落石事故によりお亡くなりになりました。同じ馬車に乗っていたユリウス様は奇跡的に無事だったので、旦那様が父親代わりとなって育てていらっしゃいます。…お坊ちゃんがいることでがっかりなされたでしょうか?」
「いえいえ!とんでもありません!家族が増えることはとても嬉しいです」


 フィリスは胸を安堵させて、扉に手をかけた。部屋の中は、子供部屋だというのにひどく殺風景だった。

 ぬいぐるみや可愛らしい小物もなく、必要最小限の家具が置いてあり、閉じられたカーテンの隙間から漏れる光から、小さな影が見えた。公爵様と同じく、スポンジケーキのような黄色い瞳を持つ少年だった。

 多分、公爵様の少年時代はこんな感じだったのかな。


「誰?」
「ユリウス坊ちゃん、旦那様の奥様です…」
「…父上の」
「初めまして!ウェンディといいます!」


「初対面は第一印象が肝心!」と、ウェンディは王宮で読んだ本に書かれていたことを思い出して、明るい声で挨拶した。

 少年はウェンディとフィリスを交互に見つめて、「ユリウス、5歳です。よろしくお願いします…」と消えそうな声を出した。緊張しているのだろうか、少年は手をもじもじさせて、俯いてしまった。

 ウェンディとフィリスは顔を見合わせて、あまり長居をしてもいけないかなと、部屋を出るようなジェスチャーをする。


「…あの!母上とお呼びした方がいいですか?」


 少年はふいに顔を上げて、不安そうな表情でウェンディを見つめた。ウェンディは一瞬虚を付かれたような顔をして、それからふっと少年を安心させるように微笑んだ。

 多分、この子なりに自分と仲良くなりたいと思っているのだろう。ウェンディは、そっと少年に近づいて、視線を合わせるようにしゃがむと、ユリウスに手を差し出した。


「いいえ!ユリウスの心が決まるまで、無理に呼ばなくてもいいわ。まずはお友達からどうかしら? 遊ぶのは好き?」
「カードゲームなら…」
「あら!私もカードゲームは好きよ!今度、一緒に遊びましょうね」


 ユリウスはおずおずと、ウェンディの手を握った。ウェンディの手は温かかった。

 ユリウスはこの屋敷ではいつも一人だった。現当主のオルガは仕事に追われていつも忙しくしているし、その側近であるフィリスも同じだった。侍女のカロラインは優しくしてくれるけど、この屋敷には使用人が少ないから、あまり遊び相手にはなってくれなかった。久しぶりに、温かい人の肌に触れて、ユリウスはなんだか心も温かくなった気がした。


 いつも変わらない毎日だったけど、ユリウスは明日がちょっぴり楽しみになった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメン御曹司、地味子へのストーカー始めました 〜マイナス余命1日〜

和泉杏咲
恋愛
表紙イラストは「帳カオル」様に描いていただきました……!眼福です(´ω`) https://twitter.com/tobari_kaoru ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私は間も無く死ぬ。だから、彼に別れを告げたいのだ。それなのに…… なぜ、私だけがこんな目に遭うのか。 なぜ、私だけにこんなに執着するのか。 私は間も無く死んでしまう。 どうか、私のことは忘れて……。 だから私は、あえて言うの。 バイバイって。 死を覚悟した少女と、彼女を一途(?)に追いかけた少年の追いかけっこの終わりの始まりのお話。 <登場人物> 矢部雪穂:ガリ勉してエリート中学校に入学した努力少女。小説家志望 悠木 清:雪穂のクラスメイト。金持ち&ギフテッドと呼ばれるほどの天才奇人イケメン御曹司 山田:清に仕えるスーパー執事

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

不憫なままではいられない、聖女候補になったのでとりあえずがんばります!

吉野屋
恋愛
 母が亡くなり、伯父に厄介者扱いされた挙句、従兄弟のせいで池に落ちて死にかけたが、  潜在していた加護の力が目覚め、神殿の池に引き寄せられた。  美貌の大神官に池から救われ、聖女候補として生活する事になる。  母の天然加減を引き継いだ主人公の新しい人生の物語。  (完結済み。皆様、いつも読んでいただいてありがとうございます。とても励みになります)  

ゲームと現実の区別が出来ないヒドインがざまぁされるのはお約束である(仮)

白雪の雫
恋愛
「このエピソードが、あたしが妖魔の王達に溺愛される全ての始まりなのよね~」 ゲームの画面を目にしているピンク色の髪の少女が呟く。 少女の名前は篠原 真莉愛(16) 【ローズマリア~妖魔の王は月の下で愛を請う~】という乙女ゲームのヒロインだ。 そのゲームのヒロインとして転生した、前世はゲームに課金していた元社会人な女は狂喜乱舞した。 何故ならトリップした異世界でチートを得た真莉愛は聖女と呼ばれ、神かかったイケメンの妖魔の王達に溺愛されるからだ。 「複雑な家庭環境と育児放棄が原因で、ファザコンとマザコンを拗らせたアーデルヴェルトもいいけどさ、あたしの推しは隠しキャラにして彼の父親であるグレンヴァルトなのよね~。けどさ~、アラブのシークっぽい感じなラクシャーサ族の王であるブラッドフォードに、何かポセイドンっぽい感じな水妖族の王であるヴェルナーも捨て難いし~・・・」 そうよ! だったら逆ハーをすればいいじゃない! 逆ハーは達成が難しい。だが遣り甲斐と達成感は半端ない。 その後にあるのは彼等による溺愛ルートだからだ。 これは乙女ゲームに似た現実の異世界にトリップしてしまった一人の女がゲームと現実の区別がつかない事で痛い目に遭う話である。 思い付きで書いたのでガバガバ設定+設定に矛盾がある+ご都合主義です。 いいタイトルが浮かばなかったので(仮)をつけています。

美人すぎる姉ばかりの姉妹のモブ末っ子ですが、イケメン公爵令息は、私がお気に入りのようで。

天災
恋愛
 美人な姉ばかりの姉妹の末っ子である私、イラノは、モブな性格である。  とある日、公爵令息の誕生日パーティーにて、私はとある事件に遭う!?

逆行令嬢は聖女を辞退します

仲室日月奈
恋愛
――ああ、神様。もしも生まれ変わるなら、人並みの幸せを。 死ぬ間際に転生後の望みを心の中でつぶやき、倒れた後。目を開けると、三年前の自室にいました。しかも、今日は神殿から一行がやってきて「聖女としてお出迎え」する日ですって? 聖女なんてお断りです!

妻と夫と元妻と

キムラましゅろう
恋愛
復縁を迫る元妻との戦いって……それって妻(わたし)の役割では? わたし、アシュリ=スタングレイの夫は王宮魔術師だ。 数多くの魔術師の御多分に漏れず、夫のシグルドも魔術バカの変人である。 しかも二十一歳という若さで既にバツイチの身。 そんな事故物件のような夫にいつの間にか絆され絡めとられて結婚していたわたし。 まぁわたしの方にもそれなりに事情がある。 なので夫がバツイチでもとくに気にする事もなく、わたしの事が好き過ぎる夫とそれなりに穏やかで幸せな生活を営んでいた。 そんな中で、国王肝入りで魔術研究チームが組まれる事になったのだとか。そしてその編成されたチームメイトの中に、夫の別れた元妻がいて……… 相も変わらずご都合主義、ノーリアリティなお話です。 不治の誤字脱字病患者の作品です。 作中に誤字脱字が有ったら「こうかな?」と脳内変換を余儀なくさせられる恐れが多々ある事をご了承下さいませ。 性描写はありませんがそれを連想させるワードが出てくる恐れがありますので、破廉恥がお嫌いな方はご自衛下さい。 小説家になろうさんでも投稿します。

四度目の正直 ~ 一度目は追放され凍死、二度目は王太子のDVで撲殺、三度目は自害、今世は?

青の雀
恋愛
一度目の人生は、婚約破棄され断罪、国外追放になり野盗に輪姦され凍死。 二度目の人生は、15歳にループしていて、魅了魔法を解除する魔道具を発明し、王太子と結婚するもDVで撲殺。 三度目の人生は、卒業式の前日に前世の記憶を思い出し、手遅れで婚約破棄断罪で自害。 四度目の人生は、3歳で前世の記憶を思い出し、隣国へ留学して聖女覚醒…、というお話。

処理中です...