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例のアレだが、初回は残念ながら一日のみで終わった。
というのもお互いにお出掛けの詳細を決めるのに夢中になってしまい、朝食の席だけでは足らず夕食後にも話し込み気が付けば深夜になってしまっていたからだ。

(一度では難しいわよね)

時が来なければわからないが、あの一度で妊娠したとは考え難い。
そもそもきちんと奥まで入れられたかどうかも怪しい。

(また次のタイミングが来るまで色々と勉強もしておかなければならないわね)

ともあれ、今日はエミールに街を案内してもらう日だ。
共に出掛けると言った時の公爵夫妻の喜びようといったら凄かった。

あのエミールが!ありがとう!ありがとうアリシアさん!!と両手を握られ大感激されてしまったのだ。

(お義父様もお義母様もよっぽど『愛しの彼女』に溺れている旦那様が心配だったのね)

きっと夫婦として良好な関係を築けており、少しずつ彼女の事を忘れてきているのだろうと思われているに違いない。
良好な関係なのは否定しないが、残念ながらエミールはまだ彼女を忘れてなどいない。

(唯一無二の人、だものね)

愛だの恋だのは正直良くわからないけれど、彼のように一人に夢中になれるのは素晴らしい事だと思う。
私にはきっと経験出来ない事だから余計にそんな彼と、彼に思われている『彼女』が遠く眩しい存在のように見える。

羨ましいのだと思う。

(ふふ、お義父様とお義母様には口が裂けても言えないわね)

真実がどうであれ、彼らの望む孫を作るのは頑張るのだから細かい事情など話す必要はない。
言わぬが花だ。

「さあ出来ましたよ奥様!とても素敵です」
「ありがとう」

義父母の反応を思い出している間に長い髪は三つ編みでサイドに流され、軽い化粧も終わった。
何度も言うが、公爵家の使用人達は本当に質が高い。
私の凡庸な顔立ちですらそれなりに見れるようにしてくれるのだからありがたい。

「おかしなところはない?」
「ございません。とても良くお似合いですよ」
「良かった」

街に溶け込むようにと用意されたシンプルな若草色のワンピースは着心地が良く動きやすい。
足元も低めのヒールだからたくさん歩いても疲れ難いだろう。

出掛ける直前にツバの広い帽子を被れば完成だ。
部屋を出ると、玄関先で待っていると思っていたエミールがすぐそこにいて驚く。

「旦那様、そこでお待ちになっていたんですか?」
「いいや、ちょうど今部屋から出たところなんだ」
「あら、そうなんですか?」

ちらりと背後の執事を確認するとなんとも言えないほんわかした笑みを浮かべている。
これはきっと少し前から、いやもしかしたらそれよりもう少し前から待っていたのかもしれない。

「下でお茶を召し上がっていらしても良かったんですよ?」
「街でカフェにも行くんだからそんなに何杯もは飲めないよ」

何杯も飲める程前から待っていたと?
全く、可愛らしい旦那様だこと。

私がそれに気付いているとは気付いていないようだから良かった。
くすりと笑うと、エミールはまじまじとこちらを見つめ……

「……可愛らしいな」
「!あ、ありがとう、ございます」

ぽつりとそう呟かれた。
エミールに他意はなく純粋に褒められているのはわかるが、あまりの不意打ちに照れ言葉に詰まってしまった。

「旦那様も素敵です」
「ありがとう」

私に合わせてもちろんエミールもシンプルなシャツにスラックスと実に簡素な姿だ。
元が良いとどんな格好をしていても様になるものだ。

普段とは違うお互いの姿を褒め合い照れ合う私達に、周りの使用人達の生温かい視線がいたたまれない。

「では行こうか」
「はい」

今日は馬車で街まで出て色々な所を周る予定だ。
領内の特産品や、美味しいカフェ、レストランなんかを紹介してくれるらしい。
ほとんど引きこもっていたからかなり楽しみ。

それと平行して、本来の目的である例のアレに使えそうな道具を探すのだ。
こちらはどのような形が良いのか予め伝えてある。
良さそうなものが見つかり次第声を掛け合い相談して良さそうなら買うつもりだ。

「旦那様、頑張って探しましょうね!」
「ああ、そうだな」

一日で希望にぴったり沿う良いものが見つかるとは思わないが気合いを入れる私に、エミールが苦笑いを浮かべる。

馬車の中では他愛のない会話を楽しんだり各々持ち込んだ本を読んだりして、あっという間に街へと到着した。

「まずは本屋からだったな」
「はい!邸の蔵書も素晴らしいのですが、やはり自分の目で見て選びたくて」
「ご実家の方でも良く本屋には行っていたのか?」
「ええ、しょっちゅう行ってました。といっても買えないので眺めているだけでしたけど」
「……ああ」

我が家の貧乏な惨状を思い出したのだろう、エミールがバツの悪そうな表情をする。

「すまない」
「あら、お気になさらず。旦那様が謝る必要なんてありませんわ。悪いのは何度言ってもギャンブルをやめない父ですから」
「それは、うん、その……」

そうだな、と強く頷かないところが彼らしい。

「なので今日は本当に楽しみなんです!街で一番大きい本屋さんに連れて行って下さるんでしょう?」
「ああ、もちろん!」

にっこりと言うとホッとしたように微笑まれた。

「すぐに着くよ。大きいから一日中いても足りないくらいなんだ」
「楽しみです。図書館も併設しているんでしょう?」
「ああ、誰もが本を気軽に買える訳ではないからな」

領地によっては平民に学を与えるのを良しとせず、図書館の開放など以ての外と考えている場所もある。
だが件の本屋兼図書館では貴賤を問わず誰でも出入り自由で、週に一度は字を読めない人への特別講習なども行っているらしい。
素晴らしい試みだと思う。

本屋兼図書館は歩いてすぐのところにあった。

全部で三階建ての一階が図書館で、上二階が本屋。
それぞれの通路毎にたくさんの机や椅子が置いてあり、中にはカフェスペースまであった。

「どうだ?」
「……素晴らしいです!」

蔵書の数も何もかも素晴らしい。
理想の本屋と図書館が目の前にある。

「私、ここに住みたいです」
「ん!?」
「そのくらい素晴らしいです!」
「ははっ、喜んで貰えたようで良かった」
「旦那様、早く中に参りましょう!」
「そんなに急がなくても本は逃げないぞ?」
「いいえ、逃げます!」
「ははは!」

エスコートされているエミールの腕を軽くぺしぺしとして早く早くと促すと、いつになく快活な笑い声が彼の口から上がった。

建物の中に入ると、そこはまるで天国だった。





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