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前編

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「婚約を破棄してもらいたい」

そう告げたのは幼い頃に親が決めた婚約者である、この国の王子殿下だった。
輝くプラチナブロンドに澄んだ深い海の色をした碧い瞳。
彫刻のように整った顔に均整の取れた彼はまさに物語の王子様そのもの。

そんな彼の婚約者として相応しくなれるよう、婚約をした七歳の時から必死に勉強をしてきた。
学園での勉強や令嬢としての作法はもちろん、語学や他国の情報をくまなく頭に叩き込み、政治経済外交、社交界での立ち居振る舞い、貴族社会だけではなく平民の暮らしを学んだり、修道院や孤児院でのボランティアにも精力的に参加してきた。
この十年、寝る間も惜しみほとんど休みなくそれらの事をこなしてきた。
必死に頑張ってきた結果、国一番の令嬢と称えられ、殿下の婚約者として申し分ないと陛下にも認められ、婚約者がいるにも関わらず他国からも多数の声掛けをされる程にまでなったというのに。

それなのに、久しぶりに会った殿下から告げられたのは先程のセリフ。

「……理由を伺っても?」

平静を装い尋ねるが、正直今にも倒れそうなくらいショックを受けている。
頭がくらくらする。

だって、今までの努力は全て殿下の為の物なのに。

いつだって投げ出したかった。
全てを放り投げて自由に生きたかった。
馬に跨って草原を駆け巡りたかったし必要ないと言われたけれど剣術の稽古も本格的にしたかった。
窮屈で綺麗すぎるドレスを脱ぎすて動きやすい格好で走り回りたかった。
歴史や伝記物ばかりではなく、学友の皆が夢中になっているような恋愛小説だって読みたかった。
皆がするように恋の話をしたり一緒に勉強をしたり帰り道に寄り道をして甘いおやつを食べたりもしたかった。

けれど私にはそれらは許されていなかった。
殿下の婚約者たるもの、皆の見本となるような淑女であれと言われて育ったから。
やりたい事を全て我慢して立派な淑女となるよう努力したのは全て殿下の為。
殿下に相応しい女性になる為。

それなのに何故だろう。

「それは……」

殿下は口籠り、理由を告げようとしない。

「私が何か不手際でも?何か意に沿わない事をしたのでしょうか?」
「いや、違う、そうじゃない」
「では何故ですか?」

理由もなしに婚約破棄なんて納得出来るはずがない。

黙って殿下の返事を待つが、殿下が口を開く気配はない。
気まずそうに逸らされた視線と困ったように首に回された手は、いつもの自信に満ち溢れた立ち居振る舞いからは程遠い。

もしかして特に理由はないのだろうか。
私個人が何かをしてしまった訳ではなく、ただ単に私との婚約が嫌になったのだろうか。

「何の不手際も不満もないけれど私とは婚約を続けられないと、そういう事でしょうか?」
「ん、いや、まあ、そうなる……のか?」
「理由を述べられない以上そう捕らえられても仕方がないかと」
「……そうか、そうだよな」

自分で考えた理由を述べると、殿下はそれを肯定しつつもどんどんと眉を下げていく。
その反応に本当の理由はまだ他にあるのではないかと勘付く。
確証などない。
ただの女の勘だ。

(……他に、好きな方が出来たのかしら)

他にも何も、殿下が私に恋愛感情を持っていたかどうかは謎だ。
婚約してからは定期的に何度もお会いしたし、夜会やパーティへ出席する際は必ずパートナーとしてエスコートしてもらっていた。
他愛のない世間話もしたし、親に決められた婚約者とはいえ良好な関係を築けていたはずだ。

それなのに、あと一年。
卒業と同時に婚姻する予定まであと一年となったこのタイミングでの婚約破棄の申し出。
こうして二人で会うのは久しぶりになってしまったが、それも関係ありそうだ。
確実に裏がある。
私が原因ではないのだとしたら、それは他の女でしかありえない。

(そういえば、最近学園の御令嬢の一人と懇意にされているとの報告があったわね)

型にはまった、はめられた私よりも遥かに自由奔放で魅力的な女性。
名はカーラと言っただろうか。
男爵家と、貴族の間での地位は低いが礼儀作法に問題はなく、誰にでも優しい笑みを向ける、性格はもちろん容姿も天使のような女性であると聞いた。

(天使……私とは程遠い存在ね)

人と対する時には常に笑みを浮かべるようにはしているけれど、どうにも張り付けたような笑みになってしまう私は天使とは程遠い。
きっとその彼女はふわりと朗らかに周りを安心させるような可愛らしい笑みを浮かべる事が出来るのだろう。

あんなに頑張ったのに。
勉強も、自分を磨く努力も怠らなかったのに殿下の心は手に入れられなかった。
そういう事なのだろう。

「アシュリー、その……」
「承知致しました」
「え?」
「レオ、いえ、レオナルド殿下との婚約破棄の件、確かに承りました」
「アシュリー!?」

婚約をした当初にこう呼んでくれと言われた愛称を控え、本来の敬称を付け承諾する私に何故か殿下の表情に焦りが浮かぶ。
自分から言い出した事なのに何を今更焦る事があるのだろうか。

婚約を破棄すると言ってもこの場ですぐに取り消される訳ではない。
親同士、ひいては家同士で交わされた契約は破棄されるのにも時間を要する。
私が殿下の婚約者でいられるのは、そのほんの少しの時間までに限られてしまった。

「レオナルド殿下」
「な、何だ?」
「こうして二人でお会い出来る機会は最後だと思いますので、お礼を言わせて下さい」
「……礼?」
「ええ」

婚約者でなくなれば殿下と二人きりで会うなどもう二度と出来ない。
パーティに出向けば顔を合わせる事くらいあるだろうけれど、言葉を交わす事もなくなるだろう。
だから言うなら今が最後のチャンスだ。

「今まで、私の婚約者でいていただきありがとうございました」
「!」
「レオナルド殿下の幸せを、心から願っております」
「アシュリー……」

そう告げ、深々と頭を下げ殿下が立ち去るのを待つ。

「……」
「……」

……どうしたのかしら。

殿下が全く立ち去る気配がない。
殿下が立ち去らないと、私も立ち去れない。
とはいえこのまま礼をし続けているのにも限界がある。

ちらりと視線を殿下の足元に向けるが、やはり一歩も動く気配がない。
どうしたのだろうかとゆっくり顔を上げる。

「……殿下?」

焦った表情から呆然としたものに変わっている殿下の表情。
どうしたのかしら。
こんなに隙だらけの表情をしている殿下を見たのは初めて。

(本当にどうしたのかしら)

あまりにも呆然としていて動かないから心配になってしまう。
もう一度声を掛けようと口を開いた瞬間、殿下が突然頭を抱え……

「話が違う!!!!!」

そう叫んだ。



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