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33: お出かけする二人の少年の話 5
しおりを挟む「おい、待てよ!」
大通りの方へ歩きだした少年二人の背中に向かって、最初に声をかけてきた魔族の男から静止の声がかかる。
だが二人の足はとまらない。
その姿にイラついたようにチッと短く舌うちをすると、魔族の男は仲間に目くばせした。
右隣にいた魔族が軽く頷き、その場から姿を消す。
魔族特有の空間移動の能力で瞬きの間に移動した先は、ツァイトとノイギーアのすぐ目の前。
二人の行く手を阻むかのように、突如大柄の魔族が姿を現した。
「わっ!」
突然現れた魔族の姿に、ツァイトが素っ頓狂な声を出す。
思わず隣にいたノイギーアの腕をツァイトはつかんだ。
大柄な魔族にぶつからなかったのが奇跡だ。
二人の足がその場でぴたりと止まる。
驚いた拍子に、ツァイトは、いまだに手に持ったままだった大金が入った袋を落としそうになったが、たまたま袋の紐が指に引っかかっていたお陰で、落とすことだけは免れた。
しかし、ガシャリと袋の中で硬貨が触れ合う音が、その場にやけに大きく響いた。
しまったと思ったがすでに遅い。
ツァイトとノイギーアの目の前にいた大柄な魔族が、それを耳聡く聞きつけてしまった。
「へぇ~、いいもん持ってんじゃねえか」
他の魔族の男達にもどうやら何の音か分かったようだ。
二人に向いていた視線が、あからさまにツァイトの手元の袋へと向けられた。
それに気付いたツァイトが、袋を慌てて胸元へと引き寄せ、取られないように抱きしめる。
袋の中身が何か分からなくても、大事そうに、それも男たちから隠そうとするように抱える仕草から、袋の中身が金だというのは、簡単に予想ができた。
ずっしりと重そうな袋は、銅貨でも十分なほど入っているだろう。
「丁度いいや、おれたち金無くて困ってんだよねー。おチビちゃんたち、ちょっと貸してくれない?」
「そうそう。ほんのちょっとでイイからさ」
にやにやと下品な笑みを浮かべながら、男たちは少しずつ少年達へと歩みよって来る。
反射的に一歩下がるが、踵が固いものに触れ、びくりとツァイトの肩が揺れた。
前方を警戒しつつ背後を確かめれば、ツァイトのすぐ後ろに建物の壁があった。
狭くはないとはいえ、両端は建物の壁が立ち、大通りへと続く道は男たちの仲間の一人に塞がれ、その反対側からは男たちが近づいてくる。
どうやら逃げられそうにはない。
「ど、どうしようノイくん……」
ノイギーアの腕に抱きついたまま、ツァイトは不測の事態にわずかばかりうろたえた。
前も後ろも塞がれて、どうやって逃げ出せばいいのかわからない。
「どうしようって言われたって……」
困惑しているのはノイギーアも同じだ。
こういった状況は、幸運にも今まで一度も自分の身に降りかかった事がなかったノイギーアだ。
どれが最善の手段か分からない。
金を渡せば、その金額の多さからすんなりと解放してくれそうな気もするが、あの金はツァイトが魔王から貰ったものだ。
抵抗もせず差し渡したと魔王に知られれば、一体どういう事になるのか。
溺愛するツァイトは無事でも、ノイギーアはそうはいかない。
考えるだけでも寒気がする。
しかしノイギーアは戦闘は不得意だ。
むしろ苦手だといっていい。
魔族だからと言って、誰もかれもが戦闘に長けていると思ったら大間違いだ。
人間よりも魔力が多くても、人間より身体が丈夫でも、魔族にもそれぞれ得意不得意はある。
ツァイトの方はどうだか分からないが、この狼狽えようから、期待は出来ないだろう。
目の前にいる男たちは、見た目からして厳つくて、自分たちよりも縦にも横にも大きい。
戦いを挑んだところで、どうがんばっても勝てるとは思えなかった。
人間と魔族の二人の少年の様子は、城にいたレステラーも見ていた。
広い執務室の中央に置かれたゆったりとしたソファーに、長い脚を組んで腰かけ、右手にはちょうど掌に収まるほどの大きさの球が握られている。
一点の曇りもない透明な水晶の球だ。
掌に乗るそれを指先で弄びながら、レステラーの紅い瞳は水晶球を見つめていた。
そこには今、レステラーが唯一溺愛する人間の少年ツァイトと、その友達のノイギーアの姿が鮮明に映し出されていた。
離れたところの様子を見るために使用するモノは、何も水晶球である必要はない。
姿を映し出せるものであれば、ガラス片でもそれが可能だ。
魔王位に坐するほど力を持つレステラーであれば、その道具さえなくても意識を集中すれば遠くのものが見えた。
普段、ツァイトが城の敷地内にいる時は、レステラーもこんな風にツァイトの様子を覗いたりはしない。
城下町に出かけると聞いた時も、特に気にはしていなかった。
だが、ツァイトはよく面倒事に巻き込まれる。
自ら首をつっこんでいる訳ではない。
偶然ではあろうが、どうもそう言った類いのものを引き寄せている節がある。
それに今回、ツァイトが出かけた先は、人間を毛嫌いする魔族が多く住む世界の、大きな町だ。
どんなに多く見積もっても、何事もなく無事に行って帰ってくる確率の方が低い。
何気無しに手近にあった水晶球に、ツァイトが変なことに巻き込まれそうになったときにすぐさま反応するように細工しておいたら、案の定というべきか。
ツァイトが出かけてから、それほど時間が経たないうちに、水晶球が反応した。
レステラーが少年を送りだした時も、そして今も、何事も起こらないとは考えなかった。
だがさすがにこれは早すぎだろう。
彼らはまだ碌に城下町を見て回ってさえいない。
厳密にいえばやっと城門をでて、城下町に入ったところだ。
これからという時に、どうしてこういう展開になるのか。
「……まったく」
予想を裏切らないツァイトに、苦笑するしかない。
「何をご覧になっていらっしゃるんですかー?」
レステラーの思考を遮るように話しかけてきたのは、魔界で一癖も二癖もある賢者としても名を馳せる側近のヴァイゼだった。
緑がかった黒髪を緩く三つ編みにし、いつも笑顔を湛えている目尻が少し下がったこの魔族は、側近の中でも最古参の部類に入るくらい、長きにわたってレステラーに仕えている。
魔術師風の優男なだけあって、武器を使った戦闘はからっきし駄目ではあるが、その魔力のほどは目を瞠るものがある。
ヴァイゼは、レステラーと同じように、詠唱もなく様々な系統の魔術を扱える術師だ。
ただし時を操る魔術を除いて、ではあるが。
書類を片手にレステラーのいるソファーまで近づくと、ヴァイゼは、ちらりとレステラーの手元へ視線を移した後、彼の向かいへと腰を下ろす。
そこからでも十分なほど、水晶球の映像がはっきりと見えた。
水晶球に映し出される少年たちの周りには、いかにもゴロツキといった風体の見慣れぬ魔族たちがいた。
路地裏にいるらしい二人は壁際に追い詰められたのか、身を寄せ合い、どことなく怯えているようにも見えた。
「あららー、もう絡まれちゃってるんですかー? 早いなー」
「みたいだな。相変わらず変なものを惹きつけやがる」
変なものとはもちろん、ガラの悪い魔族たちの事である。
少年たち二人の窮地とも思える状況にも関わらず、レステラーは特に焦る様子もない。
同じくヴァイゼものんびりとその光景を眺めていた。
『痛い目みたくなかったら、おとなしく有り金全部出しな』
周りを取り囲んだ魔族の一人が、下品な笑みを浮かべて二人に言い放った。
それを聞いた少年たちがびくりと肩を揺らす。
水晶球には逐一その光景が映し出されている。
ヴァイゼの元までは話し声は聞こえてこないが、水晶球を手に持つレステラーには聞こえているはずだ。
おとなしく渡すつもりもないツァイトは、胸元に金貨の入った小袋を引き寄せ、奪われないように隠している。
そうこうしているうちに、痺れを切らしたのか、魔族の一人がツァイトの腕を掴んだ。
『さっさとその金が入った袋をよこせっつってんだよ!』
『わっ!』
『ツァイト!』
あまりの力強さに、ツァイトの顔が痛みで歪む。
『金持ってんの、こいつだろ。おい、そっちのチビは邪魔だ。捕まえとけ』
『てめぇは大人しくしてな』
『は、はなせ!』
大人と子供ほどに違う体格差だ。
力で敵わない二人が、腕をひかれて体勢を崩した。
その様子を水晶越しに見ていたレステラーは、水晶球をもつ指先にほんの少しだけ魔力を込めた。
ツァイトとノイギーアを掴んでいる魔族の男たちの手に、するどい電撃が走る。
『ぐぁっ!』
『い、ってぇ!』
『ぎゃぁっ!』
バチバチと短く大きな音が立ち、男たちから悲鳴が上がる。
急に痛がり出した男たちに、何が起こったのかわからない二人は、その様子をぽかんと見ていた。
だが、掴まれていた手が離れたことに気づいたツァイトが、とっさに光の魔術を目の前に放つ。
それと同時に、レステラーの持つ水晶球も一瞬ぶわっと閃光が走った。
かなり強烈な光だ。
油断したのか、閃光を直視した魔族達の目が眩み、痛みにもがいている。
その隙に急いでノイギーアの空間移動を使って、二人はその場から無事に逃げ出した。
「へー、案外あの子猫ちゃんも性根が据わってるみたいですねー」
そう言えば、あの少年も魔術を扱えるのだったなとヴァイゼは思った。
魔界に来てから、ツァイトは一度も術を使った事がなかった。
だからすっかり忘れていたが、あの少年は魔術師だったのだ。
あの魔導書に興味を示すぐらいだから、それなりに知識も豊富なのだろう。
魔王や魔界の賢者と呼ばれる自分たち、そして他の魔族に比べたら弱いが、人間としては力がある方だと言える。
しかも、あの年でだ。
二人で身を寄せ合った時にでも打ち合わせをしたのだろうか。
慌てることなく空間移動で逃げた二人に感心した。
光が静まった水晶球に映るのは、その場に取り残された魔族達の姿だ。
あまりの滑稽さに、堪らず笑いがもれた。
「ふふ、笑えるー」
「ヴァイゼ」
「はいー?」
「お前の好きにしていいぞ」
笑いを引っ込めて向かいに座る己が主であるレステラーを見やる。
なにを、と問いかけなくても、彼の言いたい事は理解できた。
だがあまりの珍しさに、きょとんとした眼差しを向けた。
しかし、レステラーの視線はまだ水晶球にあった。
「え、いいんですかー?」
「不服か?」
「いえいえーそんなことないですよー」
むしろその逆だ。
ちょうど活きのいい実験体を探していたから、不満などあるわけがない。
ただツァイトに関する事は、ほとんどレステラーが自ら動いていたので、意外に思っただけだった。
「じゃあ、遠慮なく頂戴しますねー」
にっこりと、それこそいつも以上の笑みを浮かべてヴァイゼは答えた。
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