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17: 魔王と少年とケーキの話 1
しおりを挟む「おい、そこ! なに、ちんたらしてやがる!」
「はい! すみません!」
体格のいい巨大な魔族の男が叱責を飛ばすと、調理場にいた他の魔族たちがあわてて作業を開始する。
一見して料理人には見えないこの男が、この魔王城の料理人を束ねる料理長であった。
魔界の中央に聳え立つ魔王城の、調理場で働く者達の朝はとても忙しい。
すがすがしいなどとは程遠い。
彼らにとっては死活問題、もしくは戦争に匹敵する慌ただしさだ。
それもこれも、限られた数の料理人で魔王城全体の食事を一手に引き受けているからにほかならない。
朝、昼、夜と大まかな食事時間は決まっているものの、それは絶対ではなく、相手の都合によって予告なく突然申しつけられることもある。
魔王城の客室に泊まることになった一介の貴族なら手を抜くこともできるが、それが魔王からの要請ならそういうわけにもいかない。
臨機応変に対応できるように、そして、求められたらすぐに最高のものを出せるようにしなければならないのだ。
朝は特に、この城の主である魔王や、彼の側近達、そして城に滞在する来賓達がいつ起きだしてもいいように、早くから準備をしなければならない。
おかげで目を回しそうなほどの忙しさになる。
「ノイ! てめえ! 口動かす暇があったら、さっさと手、動かしやがれ!」
下っ端から料理長まで、担当する仕事は細かく決まっている。
あと数時間もすれば朝の食事の時間だ。
夜に比べて朝は比較的軽い食事といえども、料理人には手抜きはできない。
料理長の指示のもと、他の料理人達が各々が任された作業へと取り掛かった。
その忙しない調理場に、不似合いな姿が静かに現れた。
普段のこの調理時間。
調理場で働く料理人と、追加の食材を運ぶ者、その出来た料理を運ぶ役目の女官以外の魔族は、滅多に立ち入らない。
食事前のこの忙しい時間に関係のない者が立ち入ると、その所為で予定が大幅に崩れたり、作業の邪魔になるために、それを嫌う料理長がその権限で関係者以外の立ち入りを禁止していたからだ。
しかし、この男はそれを知らない。
たとえ知っていたとしても誰も彼を止める術を持たなかった。
さながら戦場のような忙しない調理場の中へ、男は躊躇いもなく歩を進めた。
一番入口に近かった料理人が最初にそれに気付き、関係者以外は入ってくるなと口を開きかけたが、男の姿を見て、驚きのあまり言葉を一言も発することなく固まってしまった。
彼の近くにいた料理人達も同じだった。
みな驚き固まった。
持っていた包丁や調理器具、食材などを床に落とさなかったのは、さすがは料理人と言うべきか。
ツカツカと足音を立てて、イラついたように指示を飛ばしている料理長へとその男が近づく。
「おい」
「――何だ! このクソ忙しい時にッ! 邪魔するんじゃ……っ!」
背後から声をかけられて、料理長が振り返る。
怒髪天を衝いたままに怒声を相手に浴びせようとしたが、声をかけてきた人物の姿をみた瞬間、殺気にも似た料理長の怒気は瞬時に飛散した。
さっと血の気が引く。
――あ、おれ、死んだ。
まさか、そんな、あり得ない。
調理場では一生見ることはない人物の姿に、ギョッと目を見開いた。
「ま、おう……へいか……」
この調理場にいる者全員の、優れた部分を組み合わせても足元に及ばないほどの美丈夫。
一級の芸術品のように均整のとれた体躯。
彼が醸し出す、思わず膝をついてしまいたくなる王者の威厳もさることながら、一度見れば忘れることが出来ない血のような紅い瞳をもつ魔族は、この城の主である魔王以外に考えられなかった。
その魔王が、料理長のすぐ目の前に立っていた。
料理長といえど、これほどの近距離で魔王の姿を見たことは生まれて初めてだ。
しかも自分の方が背が高いから、魔王を見下ろす形だ。
他の料理人達とは違い料理長は魔王に会ったこともあるし、会話をしたこともある。
だがそれは、跪き、顔なんて上げてもいなかった。
今みたいに直接顔を見て、しかも見下ろすなどもってのほかだ。
何も感情が浮かんでいない紅い瞳が、料理長を見上げる。
「そこの一画を借りるぞ」
「へ!?」
調理場の一部を目線で示して、魔王が料理長に断りをいれた。
魔王の目線を追って料理長も場所を確認する。
調理場に魔王が一体なんの用があるのだろうか。
しかも作業場の一画を使いたいという。
それこそ驚天動地ものだ。
だが、調理場は料理長が取り仕切っているが、実質でいえば魔王城全体が魔王のものであるから、彼がどこをどう使おうが、誰も文句はいえるはずがない。
例にもれず料理長も肯定の返事しか出来なかった。
「ど、どうぞ……ご自由に。好きなだけ、お使いください」
何をしにきたんだという疑問は確かにある。
しかし、それを直に聞き出せるほど、相手は身近な存在ではなかった。
料理長が頷いたのを見て、魔王は自分が言った場所へと向かった。
途端にその付近にいた料理人が、彼の邪魔にならないようにと一斉に周りを片づけ始め、場所を開けた。
「料理長!」
小声で、だがハッキリと聞こえる声で、誰かが料理長を呼んだ。
魔王へと向いていた視線をその声のする方へと向けると、調理場で一番下っ端のノイギーアが手招きしていた。
魔族としても料理人としてもまだまだ半人前の、少年の姿の魔族。
人間よりもはるかに寿命の長い魔族は、その分成長が遅い。
少年の姿をしていても、ノイギーアは人間の寿命分はすでに生きていた。
「料理長! あれって、もしかして、いや、もしかしなくても魔王様ですよね! なんで、こんなとこ来るんですか!? っていうか、何しに来たんですか!?」
魔王である男に聞かれてはまずいと、調理場の入口付近にいたノイギーアが近づいてきた料理長に小声で話しかけた。
「そんなこと、おれが知るかよ!」
料理長も自然と小声で答えていたが、それでも彼らが畏れる魔王の耳に、実はしっかりと届いているとは気づきもしない。
それにしても、なぜここに魔王がいるかなどと問いかけられても、料理長には分かるわけがなかった。
料理長自身も知らないのだ。
魔王が調理場に来るだなんて、そんな予定があったなどと聞いてもいない。
一体どんな用事があって、雲の上の存在の魔王がこんな場所に、しかも一人で来たのか。
その真意は、ここにいる誰にも分らなかった。
「それよりか……」
殺されるかと思った、とは口に出せなかった。
いつもの調子で料理の最中に邪魔する相手に声を荒げた。
そこまでは良かったが、相手があの魔王だとは夢にも思わなかった。
魔王に暴言を吐いて生き残った者は一人もいない。
巨体の料理長よりも身体は小さくても、さすが魔王だ。
あの紅い瞳に見られただけで、背筋が凍る思いをした。
しかし、どう言うわけかは知らないが、即刻消されなかったところをみると、魔王に対する暴言ともとれるあの言葉を吐いた料理長は許されたようだった。
「あ、何か取り出した」
ノイギーアの言葉に料理長も自然と魔王である男の方へと視線を移した。
キレイに片づけられていた台に、いくつかの調理道具と材料が並ぶ。
その調理道具、どこから持ってきた?
さっき魔王は何も持ってなかったぞ?
その食材も、ここのじゃないよな。
一体これから何を作る気なのか。
周りの者は手を動かしながらも魔王が何をするのか興味津津だった。
「え、うそ、やだ……すっげー手際いい……」
どこからどう見ても料理とは無縁の魔王が、ボウルに手早く卵を割り入れ、砂糖を加えて慣れた手つきでかき混ぜる姿は異質だ。
迷いがない手さばきから察するに、彼が料理をやり慣れているのが見て取れた。
今まで一度も、魔王はこの厨房に足を踏み入れたことはない。
なら、一体、いつ、どこで、万人に傅かれる魔王が、料理をする羽目になったのか。
何のために?
まさかとは思うが、誰かのため?
それこそ、あり得ない。
聞いてみたい気がしたが、ここにいる誰も問いかける勇気を持っていなかった。
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