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10. 「もし死後に、天国と地獄があるのなら」
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美央は自らの背後にしなだれかかった。
「ねぇ、好き、大好き。蒼くんも、あたしだけだよね?」
「当たり前だよ、美央」
この茶番を始めてしばらく経つが、いまだに馬鹿らしく感じる。ただ、後ろから抱き抱えているのが朝日だと想像すれば、心底愛おしいという演技もそう難しくはなかった。
もはや美央は完全に蒼に依存している。番に捨てられて精神を病んでいるところに、身も心も慰めてくれる男が現れたのだ、当然といえば当然だろう。
美央には「友人とルームシェアをしている」と説明しているため、決して彼女を蒼の部屋に入れることはなかった。それは実際真実ではあったが、だからこそというのか、彼女は蒼が自身の部屋を離れるたび、情緒が不安定になっていっていた。
「あたしだけ」という確認ももう何百回目だろうか。内心辟易していたが、しかし適当な笑顔で蒼が肯定してやれば、すぐに安心しきったような様子を見せるのだ。
(そろそろ、か)
蒼は駒を進めることを決めた。
「ごめんね、俺、ベータで。アルファだったら……あいつが美央を噛む前に、番にしたのに」
心にもない。しかし本心はおくびにも出さないように、彼女の耳元で囁いた。
(下手したら俺、瀬良と同じくらい碌でもない男なのかもしれないな)
そう思いながら彼女に頬を寄せ、目を伏せていると、美央は回されている蒼の手を強く己の胸に抱き込んだ。眉を寄せた彼女の瞳に映る光は、真摯なものだった。
「そんな! 謝らないで。全部あいつが……悪いんだから」
「本当に許せないよ。苦しんでる美央をもう見たくないのに、番じゃない俺は、完全にはそのヒートを終わらせてあげられないし。これが死ぬまで続くんだろ? そんなの、あんまりじゃないか」
美央は顔を歪め、諦めたように首を振る。終わらないヒートについて彼女がもう受け入れていたのは、蒼も理解していた。彼女は毎回蒼に慰められるたび、「蒼くんがいれば、耐えられる」と言っているのだから。
「......うん。でも、何とかなってるから。蒼くんさえいてくれれば、あたし、」
「それに、番を持ったオメガは――番以外と結婚できないし」
ぴくり。美央が肩を揺らす。その単語を耳にした彼女は、上目遣いで背後にいる蒼を見上げてくる。想定通りだ。
「結婚……? 蒼くん、あたしと結婚したいって……思ってくれてたの?」
現行の法律では、オメガは番がいる場合、番以外と結婚することが禁じられている。一方アルファは頸を噛んでさえしまえば番を何人も持てるし、番がいても番以外とも結婚できる。つくづく不平等な法律だと、蒼も思う。
「勿論。だけど法改正は、きっとまた十年はかかるだろ?」
「そんな……」
美央の指が震える。蒼は仕掛けるタイミングを見計らっていた。まるで酷い結婚詐欺師になったような気分だったが、しかし罪悪感は驚くほどに無かった。
蒼はさらに口を開く。
「番になったらオメガ側だけが一生縛られるなんて、不公平だ。どうにか……番を解消する方法はないのかな」
腕の中で蒼に真っ直ぐ見つめられ、美央はたじろいだ。ベータでありながら周りのどのアルファよりも美しい、蒼のオニキスの瞳。囚われてしまえば、吸い込まれて行くだけ。
彼女の頭を撫で、蒼は視線を前方に移す。それに釣られて美央も、眼前のテレビに目をやる。
都合良く――いや、偶然。彼女の部屋のテレビでは東尋坊の特集なんかがやっていた。美央は先ほど気味悪がって変えようとしたが、蒼がなんとなく、本当になんとなく悪趣味なものを見たい気分だったために、リモコンを奪ってそのまま彼女を腕の中に閉じ込めていたのだった。
「解消する、方法。ないことも……ないけど……」
「あぁ、どちらかが死ぬまで、ってやつだっけ」
こくり、と美央が頷く。蒼がとぼけるまでもない、番の破棄条件は常識だった。それにしても、サークル時代、ほぼ初対面の飲み会では肉食獣のようだったというのに、今では彼女も随分しおらしくなったものだ。
蒼は大きく一つ、息を吐いた。耳元に息がかかった美央は、くすぐったそうに身を捩る。そのまま耳元に口付け、脳に直接届くように、魅惑的な毒を盛ってやる。
「そっか。いっそあいつが――死ねば良いのに」
「……あいつが、死ねば、?」
美央の目がすぅっと、仄暗い光を孕んだ。蒼の口角が思わず上がる。
(――かかった)
蒼も当初は彼女とここまで密接に関わる予定では無かった。計画を変更したのは、彼女も瀬良の番だったと知ってから。
最初は分の悪い、賭けにすらならない、馬鹿な策略だと思った。当然ほかにもいくつか次策以降も立てていたが、しかしいずれもリスクが高く、発覚すればそのまま足がついてしまう。
蒼は目的を遂行するための第一の策に、最も可能性が低くて、最も遠回りで、最も倫理観に欠ける方法を選んだ。そしてそれは、笑えるほどに上手くいってしまった。思い返せば昔から、朝日のこと以外であれば何をやっても上手くいっていたが、まさかここまでとは。
既にあとは時間の問題というフェーズに入っている。勿論、上手くいかない可能性もまだ残っていたが、蒼は実のところ勝利を確信していた。もはや自分の罪状は、結婚詐欺どころではない。
「ねぇ、蒼くん――もしも……んっ」
彼女の頭を掴んで、言わせまいと唇を塞ぐ。例えば悪い相談があったとして、聞かない方が蒼にとって都合が良いなら、言わせなければいいだけなのだ。
あくまで彼女が勝手に、彼女の意思で選択し、行うことなのだから。適当に唇を合わせているだけで、美央は蕩けたような顔をするが、蒼の心はずっと冷え切ったままだった。酷い人間だと自覚はあるが、朝日以外との接触は、やはり心が動かない。
「蒼くん、好きだよ……?」
「愛してるよ。結婚したいのに、なぁ」
朝日と。こんな場でも、気をつけないとすぐに朝日のことを考えてしまう。
自分でも不思議だと思う。どうして、こんなに酷いことを出来るくらいに、朝日に執着しているのか。恋に落ちたのはきっと一目惚れだった。それでも彼と時を重ねるごとに、その執着具合は悪化している気がする。
朝日には「好き」も「愛してる」も閨の中でしか言えていないのに、美央相手に真っ赤な嘘ばかり上手になってしまった。
だけど、全てが終わりさえすれば名実ともに朝日を手に入れられるはずだ。朝日との結婚だって、夢物語ではなくなるだろう。
蒼は、朝日も既に自分を好いてくれていることに気づいていた。自分の愛情とはまだまだ重さに差があるが、その程度、一向に構わない。
腕の中の美央は、昏い瞳でテレビの特集を見つめている。内容は東尋坊から、富士の樹海に移り変わっていた。まぁ、蒼にとっては同じことだ。
(もし死後に、天国と地獄があるのなら。朝日と一緒に天国へ……は、行けそうにないな)
だけど蒼が欲しいのは今世の朝日である。まぁ、来世でもどうせ朝日が欲しくなるだろうけれど……それはきっと、来世の自分がまた解決するだろう。
「ねぇ、好き、大好き。蒼くんも、あたしだけだよね?」
「当たり前だよ、美央」
この茶番を始めてしばらく経つが、いまだに馬鹿らしく感じる。ただ、後ろから抱き抱えているのが朝日だと想像すれば、心底愛おしいという演技もそう難しくはなかった。
もはや美央は完全に蒼に依存している。番に捨てられて精神を病んでいるところに、身も心も慰めてくれる男が現れたのだ、当然といえば当然だろう。
美央には「友人とルームシェアをしている」と説明しているため、決して彼女を蒼の部屋に入れることはなかった。それは実際真実ではあったが、だからこそというのか、彼女は蒼が自身の部屋を離れるたび、情緒が不安定になっていっていた。
「あたしだけ」という確認ももう何百回目だろうか。内心辟易していたが、しかし適当な笑顔で蒼が肯定してやれば、すぐに安心しきったような様子を見せるのだ。
(そろそろ、か)
蒼は駒を進めることを決めた。
「ごめんね、俺、ベータで。アルファだったら……あいつが美央を噛む前に、番にしたのに」
心にもない。しかし本心はおくびにも出さないように、彼女の耳元で囁いた。
(下手したら俺、瀬良と同じくらい碌でもない男なのかもしれないな)
そう思いながら彼女に頬を寄せ、目を伏せていると、美央は回されている蒼の手を強く己の胸に抱き込んだ。眉を寄せた彼女の瞳に映る光は、真摯なものだった。
「そんな! 謝らないで。全部あいつが……悪いんだから」
「本当に許せないよ。苦しんでる美央をもう見たくないのに、番じゃない俺は、完全にはそのヒートを終わらせてあげられないし。これが死ぬまで続くんだろ? そんなの、あんまりじゃないか」
美央は顔を歪め、諦めたように首を振る。終わらないヒートについて彼女がもう受け入れていたのは、蒼も理解していた。彼女は毎回蒼に慰められるたび、「蒼くんがいれば、耐えられる」と言っているのだから。
「......うん。でも、何とかなってるから。蒼くんさえいてくれれば、あたし、」
「それに、番を持ったオメガは――番以外と結婚できないし」
ぴくり。美央が肩を揺らす。その単語を耳にした彼女は、上目遣いで背後にいる蒼を見上げてくる。想定通りだ。
「結婚……? 蒼くん、あたしと結婚したいって……思ってくれてたの?」
現行の法律では、オメガは番がいる場合、番以外と結婚することが禁じられている。一方アルファは頸を噛んでさえしまえば番を何人も持てるし、番がいても番以外とも結婚できる。つくづく不平等な法律だと、蒼も思う。
「勿論。だけど法改正は、きっとまた十年はかかるだろ?」
「そんな……」
美央の指が震える。蒼は仕掛けるタイミングを見計らっていた。まるで酷い結婚詐欺師になったような気分だったが、しかし罪悪感は驚くほどに無かった。
蒼はさらに口を開く。
「番になったらオメガ側だけが一生縛られるなんて、不公平だ。どうにか……番を解消する方法はないのかな」
腕の中で蒼に真っ直ぐ見つめられ、美央はたじろいだ。ベータでありながら周りのどのアルファよりも美しい、蒼のオニキスの瞳。囚われてしまえば、吸い込まれて行くだけ。
彼女の頭を撫で、蒼は視線を前方に移す。それに釣られて美央も、眼前のテレビに目をやる。
都合良く――いや、偶然。彼女の部屋のテレビでは東尋坊の特集なんかがやっていた。美央は先ほど気味悪がって変えようとしたが、蒼がなんとなく、本当になんとなく悪趣味なものを見たい気分だったために、リモコンを奪ってそのまま彼女を腕の中に閉じ込めていたのだった。
「解消する、方法。ないことも……ないけど……」
「あぁ、どちらかが死ぬまで、ってやつだっけ」
こくり、と美央が頷く。蒼がとぼけるまでもない、番の破棄条件は常識だった。それにしても、サークル時代、ほぼ初対面の飲み会では肉食獣のようだったというのに、今では彼女も随分しおらしくなったものだ。
蒼は大きく一つ、息を吐いた。耳元に息がかかった美央は、くすぐったそうに身を捩る。そのまま耳元に口付け、脳に直接届くように、魅惑的な毒を盛ってやる。
「そっか。いっそあいつが――死ねば良いのに」
「……あいつが、死ねば、?」
美央の目がすぅっと、仄暗い光を孕んだ。蒼の口角が思わず上がる。
(――かかった)
蒼も当初は彼女とここまで密接に関わる予定では無かった。計画を変更したのは、彼女も瀬良の番だったと知ってから。
最初は分の悪い、賭けにすらならない、馬鹿な策略だと思った。当然ほかにもいくつか次策以降も立てていたが、しかしいずれもリスクが高く、発覚すればそのまま足がついてしまう。
蒼は目的を遂行するための第一の策に、最も可能性が低くて、最も遠回りで、最も倫理観に欠ける方法を選んだ。そしてそれは、笑えるほどに上手くいってしまった。思い返せば昔から、朝日のこと以外であれば何をやっても上手くいっていたが、まさかここまでとは。
既にあとは時間の問題というフェーズに入っている。勿論、上手くいかない可能性もまだ残っていたが、蒼は実のところ勝利を確信していた。もはや自分の罪状は、結婚詐欺どころではない。
「ねぇ、蒼くん――もしも……んっ」
彼女の頭を掴んで、言わせまいと唇を塞ぐ。例えば悪い相談があったとして、聞かない方が蒼にとって都合が良いなら、言わせなければいいだけなのだ。
あくまで彼女が勝手に、彼女の意思で選択し、行うことなのだから。適当に唇を合わせているだけで、美央は蕩けたような顔をするが、蒼の心はずっと冷え切ったままだった。酷い人間だと自覚はあるが、朝日以外との接触は、やはり心が動かない。
「蒼くん、好きだよ……?」
「愛してるよ。結婚したいのに、なぁ」
朝日と。こんな場でも、気をつけないとすぐに朝日のことを考えてしまう。
自分でも不思議だと思う。どうして、こんなに酷いことを出来るくらいに、朝日に執着しているのか。恋に落ちたのはきっと一目惚れだった。それでも彼と時を重ねるごとに、その執着具合は悪化している気がする。
朝日には「好き」も「愛してる」も閨の中でしか言えていないのに、美央相手に真っ赤な嘘ばかり上手になってしまった。
だけど、全てが終わりさえすれば名実ともに朝日を手に入れられるはずだ。朝日との結婚だって、夢物語ではなくなるだろう。
蒼は、朝日も既に自分を好いてくれていることに気づいていた。自分の愛情とはまだまだ重さに差があるが、その程度、一向に構わない。
腕の中の美央は、昏い瞳でテレビの特集を見つめている。内容は東尋坊から、富士の樹海に移り変わっていた。まぁ、蒼にとっては同じことだ。
(もし死後に、天国と地獄があるのなら。朝日と一緒に天国へ……は、行けそうにないな)
だけど蒼が欲しいのは今世の朝日である。まぁ、来世でもどうせ朝日が欲しくなるだろうけれど……それはきっと、来世の自分がまた解決するだろう。
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