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29.主人公と王子は一歩を踏み出すようです

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「予定通り、国民の間では俺たちの婚約の話でもちきりになっている。
 陛下の許可を取っていないから、王城からの正式な発表というわけにはいかなかったが、こうなってしまえば、正式だろうがそうでなかろうが関係ない。
 陛下も俺たちのことを認めざるを得ないだろう。
 あそこの新聞社は王家お抱えだからな。
 今更発表を否定しようものなら、新聞社の信用は地に落ちるだろう。
 なにせ、王子の婚約を偽ったことになるのだからな。
 そして、その損失は王家にとっても軽いものじゃない。
 発表を否定するか、真実とするか。
 どちらが王家にとって損失が少ないかなど、考えるまでもない」

 レイネスは得意げに言った。
 メリアが軟禁されっている間に、予想よりも話が大きくなっている。

 それにしても、いったい何が「考えるまでもない」のだろうか。
 確かに、お抱えである新聞社の信用が落ちるというのは、王家にとって痛手となるであろう。
 新聞の信用が落ちるということは、つまり、それを利用して発信している王家の発言もまた信用されなくなるということである。

 だが、はたしてメリアが女王になることが、損失ではないと言い切れるのだろうか。
 元々女王になる予定だったのは、アリシアだ。
 アリシアは公爵令嬢であり、幼少のころから女王になるための教育を施されてきたのだという。
 身分や素養といった単純な項目だけ見ても、アリシアとメリアではどちらが女王にふさわしいかなど一目瞭然だ。
 仮にアリシアの人柄が、国民の上に立つのに相応しくないものであったのなら、レイネスがアリシアではなくメリアを選んだことに一応の理由も付く。
 だが、メリアからみたアリシアは、公平であり、悪事を黙認するような人ではない。
 少しおかしなところもあるが、身分に関係なく親しく接するその姿勢は、十分女王に相応しいように思える。
 少なくとも、メリアよりは女王たる器を持っているだろう。

 そんなアリシアに婚約破棄を叩きつけ、メリアを選ぶということが損失でないといえるだろうか。
 客観的に見て、元孤児であり、女王としての素養もないメリアが、殿下のお気に入りという理由だけで女王になるというのは、明らかに無理がある。
 それに……。

「これでアリシアも手出しできまい。
 愛しているなどといっても、所詮は口先だけにすぎんのだ。
 こうして婚約してしまえば、たかが平民に過ぎないあいつにはどうすることもできない」

 唯一の、メリアが女王になる唯一の理由といっても過言ではないレイネスの思いが、このところメリアから離れているように思える。
 今回、無理を通してメリアとの婚約を発表したのだって、メリアと結ばれたいからというよりは、アリシアを出し抜きたかったからとしか思えない。

 確かに以前は、レイネスの思いを感じていた。
 そのことに嘘はないと思う。
 だが、今でもレイネスの心にメリアはいるのだろうか。

「殿下、一つお尋ねしたいことがあります」

「どうした?」

「殿下の御心に、私はいるのでしょうか?」

「急に何を言い出すんだ」

「どうか、お答えください」

 メリアはレイネスの瞳をまっすぐに見つめた。

「そんなくだらないことを聞くな」

 メリアから視線をそらしたレイネスが、鬱陶しそうに切り捨てる。
 だが、ここで引くわけにはいかない。
 メリアが一歩を踏み出すためには、ここは決して退いてはいけない場所だ。

「くだらなくなどありません。
 アリシア様ならそうおっしゃるはずです」

「チッ。
 あいつのことはもう忘れろ」

 カッと目を見開いたレイネスが吐き捨てる。
 怖い。
 それはレイネス個人に対するものであり、また王族に無礼を働いていることに対するものでもある。
 もしレイネスがその気になれば、メリアなど抵抗すらままならないだろう。
 それだけではない。
 アレスティア子爵家や、果てには孤児院にまで迷惑をかけることになるかもしれない。
 しかし、それでも止まらない。

「忘れられないのは、殿下ではないのですか」

「……なんだと?」

「はっきり申し上げましょう。
 今殿下の御心にいるのは私ではありません。
 アリシア様です」

「そんなことあるわけがないだろう!
 あいつが俺の心にいるだと!?
 ばかばかしい」

 レイネスは怒鳴り散らかした。
 アリシアの話をすると、感情の抑制ができなくなる。
 意識しているのは明らかだった。

「では、どうして今回、私との婚約をこうも強引に進められたのですか?」

「それはお前と一刻も早く婚約を……」

「ですから、どうして急ぐのかをお聞きしているのです」

「もういいだろう!
 この話は終わりだ」

 逃げの姿勢に入るレイネス。
 己の核心に迫られていることを感じているのだろう。

「いいえ、終わらせません。
 殿下はアリシア様を意識しておられるのですよね。
 ご自身が婚約破棄したアリシア様を」

「違う、そんなことはない!」

「私も殿下の気持ちはよくわかります。
 以前のアリシア様ももちろん素敵な方でしたが、婚約を破棄なさってからのアリシア様は人が変わられたといいますか。
 明るく、より魅力的な方になられました」

「うるさい!」

 癇癪を起した子供のように、大声を上げるレイネス。
 あと少し、あと少しだ。
 あと少しで、レイネスのまっすぐな気持ちを引き出すことができるはずだ。

「殿下は認めることができないのですよね。
 自ら婚約破棄を言い渡した相手が、魅力的に見えてしまうということを。
 ですから、アリシア様が愛しているとおっしゃっている私を手中に収めることで、殿下の中にあるアリシア様の魅力を貶めようとした。
 そんなことをしても、何の意味もないということを理解なさっているのに」

「黙れ、もうしゃべるな!」

「殿下、まだ間に合います。
 今ならまだ、どうにかできるはずです。
 私も一緒に進みます。
 アリシア様のように、自分に素直に生きられるように。
 ですから、殿下もどうかご自身の気持ちに素直になってください」

 レイネスの雰囲気が変わる。
 先ほどまで騒いでいたのが嘘のように静まり返った。
 頭を抱えるレイネスは、しばらくの間身じろぎ一つしなかったが、やがて静かに言葉を紡ぎだした。

「……メリアは私を滑稽だとは思わないのか。
 自ら手放した相手に思いを寄せ、だというのにその相手を貶めようとしている私を」

「滑稽だなんて思いません。
 殿下は王族ではありますが、その前に人の子です。
 間違えることだってあるでしょう。
 大切なのはそのあとです。
 間違いに気が付いたとき、その間違いを素直に認められるか、正そうと動き出せるか。
 それこそが重要なのだと思います」

「間違いを認め、正す、か。
 ……メリア、先ほどお前は私の心にいるのは、アリシアだといったな」

「はい」

 先ほどまでの怒気が抜け、どこかやつれたようなレイネスの瞳を、メリアはしっかりと見つめ返す。

「……認めよう。
 確かに、私の心の中には、以前にはなかったアリシアに対する気持ちがあるのだろう。
 婚約破棄してからのあいつは、どこかまぶしかった。
 ころころ変わる表情。
 メリアに対するまっすぐな思い。
 どれも、以前のアリシアにはなかったものだ。
 私の知らないアリシア。
 私はその部分にどうしようもなく惹かれてしまった。
 それと同時に、認めるわけにはいかなかったのだ。
 婚約者である私が引き出すことのできなかったものが、アリシアの中にあるということを。
 そして、そうとも知らずに、みすみす手放してしまったということを」

 レイネスは自嘲するように言葉を紡ぐ。

「私は自分の気持ちを否定することにした。
 アリシアが愛すると宣言するメリアを手に入れることで、あいつのまっすぐな思いを否定しようとしたのだ。
 あいつに私のしらない魅力などないのだと」

 一度言葉を止めたレイネスは、メリアを見据えた。

「……あいつは、アリシアは来ると思うか?」

 その問いは、すでに解の出ているものだった。
 だからこそ、あえて言葉で示す。

「アリシア様なら来ます」

「私はアリシアが王城へと入れないように、門番に指示を出している。
 それでも、来ると思うか?」

「それでも来ます。
 それがアリシア様です。
 殿下も分かっているのでしょう?」

「……ああそうだな。
 アリシアは来るのだろう。
 婚約破棄をしてからというもの、あいつが私の予想通りの行動をしたことなど一度もない。
 わたしはきっと、心のどこかでアリシアならこんなバカなことをしても、すべてを壊してくれるのではないかと期待していたんだ」

 レイネスはメリアの前に跪くと、そっとメリアの右手をとった。

「アリシアに壊される前に、一つだけ訂正しておこう。
 メリア、お前も私の心の中にいる。
 自分の中のアリシアを貶めるために、メリアのことを利用したのは事実だ。
 だが、メリアを思うこの気持ちもまた、私にとって真実なのだ。
 私はメリアを愛している」

 その言葉は、とてもまっすぐだった。
 レイネスから素直な気持ちを引き出せたことをうれしく思う一方で、メリアはレイネスの思いにこたえることはできない。
 それが、メリアのまっすぐな気持ちなのだから。

「殿下……。
 申し訳ございません。
 私は殿下のお気持ちに沿うことはできません」

 おこがましいとは思うが、それでも申し訳ない気持ちになる。
 だが、レイネスはその返事を予想していたのだろう。
 驚く様子もなく、苦笑を浮かべた。

「……そうか。
 なあ、私はこれからどうしたらいいのだろうな」

「ご自身の素直なお気持ちに従ってください。
 きっとそれが、殿下にとって最良でなくても、後悔のない選択になることでしょう」

 その時だった。

「メリア!」

 バン、と大きな音を立てて扉が開いた。
 そして、そこにはメリアのあこがれる人が立っていた。

「アリシア様!?
 いったいどうしてここに」

「陛下にお願いして入れていただいたのよ。
 陛下はうちのドライヤーを贔屓にしてくださっているから、無理を承知でお願いしてみたら、あっさり許可をいただけたわ」

 誇らしげにアリシアが言った。
 元公爵令嬢ではあるが、今はただの平民に過ぎない。
 その平民が国王相手に直談判など、いったい何をやらかしているのだと思う。
 だが、それはアリシアらしくもあり、また自分に会いに来るためにしてくれたことだと思うと、胸が温かくなった。

「アリシア」

 レイネスが静かに、アリシアへと話しかける。
 メリアを見て破顔していたアリシアだったが、表情を引き締めるとレイネスと向かい合った。

「殿下、ごきげんよう。
 こちらにいらしたのなら、ちょうどよかったです。
 今日ここへ来たのは、もちろんメリアさんに会うことが最優先事項でしたが、殿下にもお話がありまして」

 その言葉は落ち着いているようで、溢れ出そうな感情を無理やり押しとどめているようだった。
 レイネスは叱責されると思ったのだろう、握られている拳に力が入ったのが分かった。
 だが、それだけだった。
 しっかりアリシアと向かい合って立っていた。
 己の気持ちに素直になれるように。
 これがレイネスなりの第一歩なのだろう。
 そんなレイネスの様子を、メリアは少し微笑ましく思いながら見守っていた。

 せっかく、レイネスが己の気持ちと向き合おうとしているのだ。
 アリシアが、あまりにも糾弾するようなら、間に入って仲を取り持とう。
 そんなことを考えていた。
 だが、それは予想もしない方向に裏切られることになる。

「殿下、私と一緒に『メリアを愛でる会』を発足いたしましょう!」

「はあ!?」

 レイネスの素っ頓狂な声が響く。
 国中を探し回っても、レイネスからこんな声を引き出せるのはアリシアくらいだろう。
 だが、それよりも聞き捨てならない言葉が聞こえたような。

「私、気が付いたのです。
 殿下はメリアさんの魅力を語り合うことのできる同志であると。
 こんなにも近くに同志がいるのであれば、それはもう語り合うしかないでしょう。
 メリアさんに対する、この溢れ出る思いを共に分かち合おうではありませんか!」

「ちょ、ちょっとアリシア様!?
 何を言っているのですか!」

 自分に対する愛を語り合う会など、あまりに恥ずかしすぎる。

「……そうだな。
 会長はアリシアに任せる」

「殿下まで!」

 開き直ったのか、これまでであれば一蹴していただろうアリシアの提案に、あっさり乗ってしまうレイネス。
 確かにメリアは、レイネスに自身の心と向き合ってもらいたかったが、こんな形で一歩を踏み出してほしかったわけではない。

「お任せください。
 世界中にその名を轟かせるような、立派な会にしましょう!」

「お願いですから、やめて下さい!!」

 メリアの悲痛な叫びが、王城に響き渡った。
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