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8.路地裏

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「ラザックの【夢双】も、もしかしたらもっと凄い効果があったりして」

 それはミーナの何気ない呟きだった。

「凄い効果って、夢見が良くなる以外に何かあるのか?」

「うーん、わからないけど。
 私の【湧水】みたいに、なにか工夫すれば違う効果を見つけられるんじゃない?」

 ミーナの意見も一理ある。
【夢双】にももしかしたら、まだ俺の知らない効果があるのかもしれない。
 だが、工夫といっても、いったいどうしたものか。
【夢双】発動の前提条件として、俺が寝る必要がある。
 そうすれば、俺はフォルモーントでラザールとして目覚めることになる。
【夢双】によって生み出されたラザールは、天恵を信じるのであれば、おそらく比類なき力を所持する存在なのだろう。
 しかし、何度も言うが所詮は夢の中の存在であり、現実に影響を及ぼすことはない。
 夢の中から現実に影響を及ぼす方法。
 そんなもの本当にあるのだろうか。

「試しに昼寝でもしてみたら?
 今日はラザックの家も忙しくないんでしょ?」

「昼寝か……。確かに天恵を授かってから昼寝はしたことなかったな」

 朝のうちに最低限の仕事は終わらせてあるし、炎天下に晒されながらどうしてもやらなくてはならないようなこともない。
 たまには昼寝もいいかもしれない。

「ほら、こっちにおいで」

 いつの間にか木陰に腰を下ろしていたミーナが、自身の太股を叩きながら言った。

「……いや、さすがにそれは」

 いくら幼馴染みであり、将来的に夫婦になると暗黙の了解で周知されている仲とはいえ、膝枕は恥ずかしい。
 今は周囲に人影はないが、もし誰かに見られでもしたら、しばらくからかわれるのは間違いないだろう。

「なに恥ずかしがってるのよ。
 それともなに? 私の脚は枕にするに値しないとでも言うの?」

「そんなことはないけど……」

 そりゃ俺だって男だ。
 ミーナの膝枕に思うところがないわけではない。
 本人がこう言っているのだ。
 断るのは失礼というものだろう。
 たとえ後でからかわれようとも、今は素直に甘えておいた方がいいのではないだろうか。

「……それじゃあ、お邪魔します」

「どうぞ、いらっしゃい」

 俺はミーナの隣に腰を下ろすと、そのままゆっくりミーナの脚の上に頭を倒した。

 田舎の農民の子だ。
 ミーナの家だってけっして裕福ではない。
 頬に感じるロングスカートの肌触りは、お世辞にもいいものではなかった。
 しかし、布一枚を隔てて感じる柔らかさ、温もりはミーナを異性として意識するには十分であり、いささか面映ゆかった。
 たが、それ以上に心地よい安心感を与えてくれた。
 きっと他の女性では、この安心感を得られることはないだろう。
 ミーナだからこそ、感じることができるのだ。

「私の膝枕はどう?」

「まあ、悪くはないかな……」

「なら良かった」

 ミーナが俺の頭を撫でる。
 その手付きはまるで子供をあやすようで、優しいその刺激に俺は目を閉じた。

「俺が寝て少ししたら起こしてくれ。
 誰かに起こされたらどうなるのかも確認したい」

「わかったわ」

 涼しい風が心地よい。
 ミーナの温もりに包まれながら、俺は静に夢の世界へと旅立った。



「昼寝をするとこうなるのか」

 俺はいつもと違うフォルモーントの景色を眺めていた。
 俺の知るフォルモーントの街は、賑やかな夜の街だ。
 夜空の下で、立ち並ぶ魔道ランプに照らされた街。
 酒に酔った冒険者の喧騒がどこからともなく聞こえてくる。
 そんな街だ。

 しかし、今俺の目の前に広がっているのは、それは似ても似つかないフォルモーントの姿だった。

 一番の違いは、やはり夜ではないということだろう。
 燦々と降り注ぐ日の光。
 透き通るような青空は、ラダ村で見るのとなんら変わりはない。
 いくら魔道ランプが明るいとはいえ、陽光に勝るほどではない。
 遠くの景色や、建物の細部にこらされた意匠など、これまで見えていなかったものが見えるというのは不思議な感じがした。

 それに人並みも夜とは違っている。
 大勢の人が往来していることに違いはないが、その中に子供の姿があるのだ。
 夜に出歩くことのない子供たちだが、昼間にはこうして街中に姿を現すのだろう。

 夜には閉まっている店も、この時間には開いている。

 昼か夜かというだけで、こうも姿を変えるものなのか。
 街というもの自体フォルモーントしか知らない俺にとって、この景色はあまりに新鮮だった。

「さて、どうするかな」

 ミーナには俺が寝て少ししたら起こすよう頼んである。
 それほど時間があるわけではないが、このままボーッと立っているというのももったいない。
 あてはないが、街をぶらぶらするというのもいいだろう。

 昼間のフォルモーントは、夜とはまた違った活気があった。
 夜が酒を呑んだ馬鹿騒ぎだとすれば、昼間は活力溢れる賑やかさとでもいえばいいだろうか。
 仕事人たちの元気な声が、そこかしこから聞こえてくる。

 俺はそんな声を背に聞きながら、路地へと入っていった。
 通りを歩いて街を散策するのも悪くない。
 だが、裏道を通るということに、子供心を刺激されていた。

 きっかけは昨晩のゾルグだ。
 廃材運搬の依頼場所へ向かう途中、ゾルグは大通りではなく裏道を通っていった。
 それが本当に近道であったのか、俺にはわからない。
 しかし、裏道を通るという行為自体が堪らなくワクワクした。

 天恵拝受の儀を受けた立派な大人がなにを言っているのかと思うが、こういうことに年齢は関係ないのだと思う。
 父アイザックだって、母ライラに内緒で酒を隠したりしているのだ。
 他人の知らないことを知っている、秘密があるというのは、それだけで好奇心をくすぐるのである。
 もっとも、アイザックの酒に関しては、既にライラにバレ、取り上げられてしまったが。

 少し進むと、すぐに通りの喧騒は聞こえなくなった。

 薄暗い路地裏。
 果たしてこの道はどこに続いているのだろうか。
 そんなことを考えながら歩いていたときだった。

「きゃっ!」

 突然脇道から飛び出してきた人とぶつかった。
【夢双】によって生み出されたこの身体は、不意の衝突であっても一切揺らぐことはない。
 しかし、相手のほうはそういうわけにはいかなかった。
 俺にぶつかった衝撃で、尻餅をついてしまっている。

「大丈夫か?」

 俺は慌てて倒れた人物に手を差し出し、そして目を見開いた。

 そこには妖精がいた。
 薄暗い路地裏にあって、なおキラリと輝く黄金の髪。
 パッチリとした大きなエメラルドの瞳に、スッと筋の通った鼻。
 瑞々しい桃色の唇。

 そのどれもがまるで作り物のように美しい女性だった。

 歳は俺と変わらないくらいだろうか。
 その雰囲気は可憐であり、一言で表すならやはり妖精という言葉が妥当だろう。

 エメラルドの瞳が俺の視線とぶつかる。

「っ! あなたは……」

 俺を見た女性が、何かに驚いたような顔をした。
 知り合いにでも似ていたのだろうか。

 俺は女性の手をつかむと、ゆっくり引き起こした。

「申し訳ありません」

 立ち上がった女性は軽く頭を下げた。
 ただ頭を下げただけだが、その所作は洗練されており、俺のような農民はもちろん、通りで見かけた人たちとも違うように思う。
 ひょっとして貴族だろうか。

 そう思い至った瞬間、ツゥーッと冷たい汗が頬を流れた。
 貴族というのは、絶対的な存在だ。
 俺のような農民など、気分ひとつで殺されてしまうことだってありえる。
 まして、今は相手からぶつかってきたとはいえ、地面に転ばしてしまったのだ。
 この場で打ち首を申し付けられても文句は言えまい。

(どうする? 逃げるか?)

 幸いこの場にいるのは当人の女性だけだ。
 ラザールの身体なら、捕らえられる前に逃げることだって可能だろう。
 逃亡という罪を重ねることになるが、命がかかっているのだ。
 そんなこと気にしていられない。

 ひとまず通りまで逃げて、人混みに紛れるのがいいかと考えていると、女性が出てきた脇道のほうからガシャガシャと金属音が聞こえてきた。

「いたぞ!」

 その声に、女性は肩を震わせると慌ててフードを被った。
 おそらく、俺とぶつかったときに脱げてしまったのだろう。

 女性はもう一度頭を下げると、俺の脇を抜け走り去ってしまった。
 あの慌てよう。
 ひょっとして追われているのだろうか。

 よくわからないが、これなら俺の打ち首も有耶無耶になるかもしれない。
 ホッと胸を撫で下ろす。
 だが、そう甘くはなかった。

「おい貴様! あのお方とはどういう関係だ!」

 いつの間にか俺の近くまで来ていた男たちが、俺を取り囲んでいたのだ。
 全身鎧に覆われており、その顔をうかがい知ることはできない。
 声からして男だとは思うが。
 それにしても、この気温でそんな物を着て走り回って暑くないのだろうか。

「おい! 聞いてるのか!」

 騎士の怒声に、俺は現実逃避を止める。

「えっと、関係もなにも、たまたまここで会っただけで……」

「嘘をつくな! 確かにこの目であの方になにかを手渡し、あの方が頭を下げているのを見たぞ!」

 なにかを手渡しってそんなこと……。
 その時、俺は村に来た冒険者から聞いたある話を思い出した。
 街には違法な薬を売買している奴がいると。
 そしてそういう物は、こんな薄暗い路地裏でやり取りされることが多いと。

「ち、違う! 俺はただ、ぶつかって倒れたあの人を起こそうと思って手を出しただけだ!
 なにも渡したりなんかしていない!」

「口ではなんとでも言えるだろう。
 おい、こいつを詰所まで連れていけ!」

 騎士の一人が俺の腕を掴む。
 俺を取り囲んでいる騎士の数は三人。
 元々五人いたが、後の二人は先ほどの女性を追いかけていった。
 その気になれば、力ずくで逃げることは可能だろう。
 突然の事態に気が動転しているとはいえ、戦って負ける気は一切しなかった。
 いくら相手が全身鎧だろうと、このラザールの力の前では紙切れも同然だろう。
 しかし、だからといって殴り飛ばして逃げるというわけにもいかない。
 相手はどう見てもその辺のゴロツキではない。
 共通の鎧姿に、先ほどの詰所という言葉。
 おそらくフォルモーントの正規兵だ。
 そんな相手を殴り倒そうものなら、手配書を出されてもおかしくない。

 ここは大人しく捕まるべきだろう。
 きっと話せば俺が無罪だとわかってくれるはずだ。
 逃げるのは愚策。

 そう結論付けた俺は、大人しく拘束を受け入れる。

 そしてまばたきをして目を開くと……。

「おはよう」

 目の前にはミーナがいた。
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