23 / 23
連載
フローラのピアノレッスン with カイ
しおりを挟む
柔軟な指の動きから紡ぎ出される柔らかな音色に耳を傾けながら、フローラはカイの横顔を見つめた。
赤みの強い茶髪、赤茶色の瞳にはっきりとした顔立ち――ヴォルフによく似た息子は、外見とは対照的な秘めやかな情熱を乗せた音を奏でる。
音楽には個性が出るものだ。長い間同じ音楽家に師事しているとその音に近くなることも多いが、やはり本人の持っている才能は大きい。
フローラはまだ生まれたばかりの末っ子を除き、四人の子どもたち全員のレッスンをしている。彼らを一番よく見てきたし、それぞれの音楽の違いも楽しみにしていた。
その中でもカイの演奏は、フローラの音楽に近く、耳に心地いい。
だが……
最後の和音が消えていくのと同時に、フローラはゆっくりと瞼を上げた。
「すごく素敵な演奏だったわ、カイ。たくさん練習したのね」
「ありがとうございます」
母に褒められてホッとした表情のカイには年相応の幼さがあって、フローラは自然と頬を緩める。
十三歳になったカイは、一般的には難しい年ごろに入る頃だろうに、反抗期とは無縁だ――親としては助かるが、フローラは心配でもある。
なにせ、彼の姉であるユリアは昔からお転婆が過ぎるくらいで手を焼いている。弟のエリアスも然り……自己主張の激しい姉弟に挟まれているせいか、カイは我慢していることが多いのではないかと心配なのだ。
もちろん、子どもそれぞれの個性があるし、カイがこのまま落ち着いた男性に成長することは素晴らしいと思うが……今日はフローラの“憂い”が的中していると確信がある。
なぜなら、普段は穏やかで乱れのないカイの演奏に、ほんの少し……迷いのような音が聞こえたから。
「ねぇ、カイ。何か……悩んでいることがあるのではない?」
「え……?」
カイは一瞬驚いて顔を上げたが、すぐに目を伏せてしまった。鍵盤を見つめて、何か思案しているようだ。
「無理に言わなくてもいいの。でも、自分だけでは解決しないことなら誰かに頼るのも一つの方法よ。私には言いにくいことなら、ヴォルフ様やエルマー様、クラウス様に相談してみたらどうかしら?」
男の子ならば、母親に言いにくいこともあるだろう。
父であるヴォルフは、国王でもある。悩みごとを相談する相手としては敷居が高いかもしれないと思い、伯父である二人も候補に出した。特に、気さくなエルマーは普段から子どもたちとよく遊んでくれるので、言いやすいのではないか。
そう思ったのだが、カイは首を横に振る。
「いえ……これは、お母様に、言わなくてはいけないことで……」
「私に? もしかして、レッスンのこと……?」
フローラに言うべきことならば、やはりピアノレッスンに関係することだろうか。
とはいえ、やりたい曲があるときは自らそう言ってくれるし、練習を嫌がっている様子もない。フローラはできるだけ彼らの自主性を尊重するよう指導に努めている。
何か意見を言って、理由もなく否定しないことは、彼らもわかってくれていると思ってたのだが……
他に思い当たる節がなく、フローラは首を傾げた。
「はい……その……」
膝の上で指を揉みつつ、カイは口を開きかけては閉じることを繰り返す。
なんだか照れているような仕草――彼の頬はほんのりと赤く染まっている。
フローラはその表情にどこか寂しさのような感情を覚えた。同時に、彼の新しい表情に成長を感じ、嬉しくも思う。
フローラは複雑な気持ちでカイが話し出すのを待っていると、しばらくの沈黙の後、意を決したらしい息子は顔を上げて口を開いた。
「バ、バイオリン、を……やりたくて……」
「バイオリンを?」
「ピアノのレッスンも続けます! でも、他の楽器も、やってみたいと……思ったので」
フローラが聞き返すと、カイは慌てて「ピアノも続ける」と言う。それが嘘ではないことはわかったが、彼の気持ちはバイオリンのほうへ傾いているのだと感じられた。
フローラはカイが曖昧に「他の楽器も」と濁したことが可笑しくてふふっと笑う。
こういうところは、フローラの消極性を受け継いでしまったようだ。ヴォルフがよく「あいつはお前に似て、なかなか本心を言わない」とため息をつくのも理解できる。
「他の楽器ではなく、バイオリンをやりたいのでしょう? あ……」
クスクスと笑いながら確認し、フローラはようやく思い当たる。
「もしかして、炎の祭典で聴いた演奏を気に入ったの?」
「えっ! は、はい……そう、です……とても、綺麗な音……だったので」
フローラが問うと、カイは驚いて母を見たが、すぐにその視線を逸らした。「綺麗な音」と言いながら、頬の赤みが増し、耳まで色づいていく。
(あら……?)
フローラはその反応に、自分までくすぐったい気持ちになるのを感じた。
炎の祭典とは、フラメ王国の年に一度の祝祭で、今年の祭典は数日前に開催されたばかり。
芸術の国らしく、屋外での美術展やアートのライブパフォーマンス、舞台上演や演奏会などが行われる。先日、フローラたちはそこで行われた子ども演奏会に出席したのだ。
主に貴族の子どもたちが演奏するいわゆる発表会だが、今年はなかなかにレベルが高く、フローラも感心した。中でもバイオリンを弾いていた女の子――確か、アリアという名前だった――のことは、よく覚えている。
年は十歳くらいだったろうか。同年代の子どもの中でも一際目立っていた。
技術はもちろん、感情の乗せ方や音の響かせ方、何よりバイオリンを楽しんでいる様子が伝わってきて感動したのだ。
そういえば、カイは彼女の演奏に聴き入っていた。
そのときの息子の輝く瞳を思い出し、フローラは頬を緩める。
「そうね。バイオリンが弾けたら素敵だわ」
彼の将来が淡い初恋の炎に導かれたら――そんなことを思わずにはいられない。
「では……」
「もちろん構わないわ。私はピアノ専門だから、講師の手配を頼みましょう。それと楽器も調達しなければね」
フローラが快諾すると、不安そうだったカイは弾けんばかりの笑みを浮かべて両手を胸の前で握った。
「ありがとうございます!」
ああ、彼の恋心はどのような音色だろう。彼の演奏はどこまで響いていくだろう。
もしもこの先、あの幼いバイオリニストのメロディと交わることがあったなら……
その可能性がどれくらいあるのかはわからない。
それでも、カイが彼女を目指してバイオリンの習得に励むのなら、二人がきちんと出会うときがくるだろう。そんな予感がしてならない。
少々気が早いことを理解しつつも、フローラは期待に胸を弾ませるのだった。
赤みの強い茶髪、赤茶色の瞳にはっきりとした顔立ち――ヴォルフによく似た息子は、外見とは対照的な秘めやかな情熱を乗せた音を奏でる。
音楽には個性が出るものだ。長い間同じ音楽家に師事しているとその音に近くなることも多いが、やはり本人の持っている才能は大きい。
フローラはまだ生まれたばかりの末っ子を除き、四人の子どもたち全員のレッスンをしている。彼らを一番よく見てきたし、それぞれの音楽の違いも楽しみにしていた。
その中でもカイの演奏は、フローラの音楽に近く、耳に心地いい。
だが……
最後の和音が消えていくのと同時に、フローラはゆっくりと瞼を上げた。
「すごく素敵な演奏だったわ、カイ。たくさん練習したのね」
「ありがとうございます」
母に褒められてホッとした表情のカイには年相応の幼さがあって、フローラは自然と頬を緩める。
十三歳になったカイは、一般的には難しい年ごろに入る頃だろうに、反抗期とは無縁だ――親としては助かるが、フローラは心配でもある。
なにせ、彼の姉であるユリアは昔からお転婆が過ぎるくらいで手を焼いている。弟のエリアスも然り……自己主張の激しい姉弟に挟まれているせいか、カイは我慢していることが多いのではないかと心配なのだ。
もちろん、子どもそれぞれの個性があるし、カイがこのまま落ち着いた男性に成長することは素晴らしいと思うが……今日はフローラの“憂い”が的中していると確信がある。
なぜなら、普段は穏やかで乱れのないカイの演奏に、ほんの少し……迷いのような音が聞こえたから。
「ねぇ、カイ。何か……悩んでいることがあるのではない?」
「え……?」
カイは一瞬驚いて顔を上げたが、すぐに目を伏せてしまった。鍵盤を見つめて、何か思案しているようだ。
「無理に言わなくてもいいの。でも、自分だけでは解決しないことなら誰かに頼るのも一つの方法よ。私には言いにくいことなら、ヴォルフ様やエルマー様、クラウス様に相談してみたらどうかしら?」
男の子ならば、母親に言いにくいこともあるだろう。
父であるヴォルフは、国王でもある。悩みごとを相談する相手としては敷居が高いかもしれないと思い、伯父である二人も候補に出した。特に、気さくなエルマーは普段から子どもたちとよく遊んでくれるので、言いやすいのではないか。
そう思ったのだが、カイは首を横に振る。
「いえ……これは、お母様に、言わなくてはいけないことで……」
「私に? もしかして、レッスンのこと……?」
フローラに言うべきことならば、やはりピアノレッスンに関係することだろうか。
とはいえ、やりたい曲があるときは自らそう言ってくれるし、練習を嫌がっている様子もない。フローラはできるだけ彼らの自主性を尊重するよう指導に努めている。
何か意見を言って、理由もなく否定しないことは、彼らもわかってくれていると思ってたのだが……
他に思い当たる節がなく、フローラは首を傾げた。
「はい……その……」
膝の上で指を揉みつつ、カイは口を開きかけては閉じることを繰り返す。
なんだか照れているような仕草――彼の頬はほんのりと赤く染まっている。
フローラはその表情にどこか寂しさのような感情を覚えた。同時に、彼の新しい表情に成長を感じ、嬉しくも思う。
フローラは複雑な気持ちでカイが話し出すのを待っていると、しばらくの沈黙の後、意を決したらしい息子は顔を上げて口を開いた。
「バ、バイオリン、を……やりたくて……」
「バイオリンを?」
「ピアノのレッスンも続けます! でも、他の楽器も、やってみたいと……思ったので」
フローラが聞き返すと、カイは慌てて「ピアノも続ける」と言う。それが嘘ではないことはわかったが、彼の気持ちはバイオリンのほうへ傾いているのだと感じられた。
フローラはカイが曖昧に「他の楽器も」と濁したことが可笑しくてふふっと笑う。
こういうところは、フローラの消極性を受け継いでしまったようだ。ヴォルフがよく「あいつはお前に似て、なかなか本心を言わない」とため息をつくのも理解できる。
「他の楽器ではなく、バイオリンをやりたいのでしょう? あ……」
クスクスと笑いながら確認し、フローラはようやく思い当たる。
「もしかして、炎の祭典で聴いた演奏を気に入ったの?」
「えっ! は、はい……そう、です……とても、綺麗な音……だったので」
フローラが問うと、カイは驚いて母を見たが、すぐにその視線を逸らした。「綺麗な音」と言いながら、頬の赤みが増し、耳まで色づいていく。
(あら……?)
フローラはその反応に、自分までくすぐったい気持ちになるのを感じた。
炎の祭典とは、フラメ王国の年に一度の祝祭で、今年の祭典は数日前に開催されたばかり。
芸術の国らしく、屋外での美術展やアートのライブパフォーマンス、舞台上演や演奏会などが行われる。先日、フローラたちはそこで行われた子ども演奏会に出席したのだ。
主に貴族の子どもたちが演奏するいわゆる発表会だが、今年はなかなかにレベルが高く、フローラも感心した。中でもバイオリンを弾いていた女の子――確か、アリアという名前だった――のことは、よく覚えている。
年は十歳くらいだったろうか。同年代の子どもの中でも一際目立っていた。
技術はもちろん、感情の乗せ方や音の響かせ方、何よりバイオリンを楽しんでいる様子が伝わってきて感動したのだ。
そういえば、カイは彼女の演奏に聴き入っていた。
そのときの息子の輝く瞳を思い出し、フローラは頬を緩める。
「そうね。バイオリンが弾けたら素敵だわ」
彼の将来が淡い初恋の炎に導かれたら――そんなことを思わずにはいられない。
「では……」
「もちろん構わないわ。私はピアノ専門だから、講師の手配を頼みましょう。それと楽器も調達しなければね」
フローラが快諾すると、不安そうだったカイは弾けんばかりの笑みを浮かべて両手を胸の前で握った。
「ありがとうございます!」
ああ、彼の恋心はどのような音色だろう。彼の演奏はどこまで響いていくだろう。
もしもこの先、あの幼いバイオリニストのメロディと交わることがあったなら……
その可能性がどれくらいあるのかはわからない。
それでも、カイが彼女を目指してバイオリンの習得に励むのなら、二人がきちんと出会うときがくるだろう。そんな予感がしてならない。
少々気が早いことを理解しつつも、フローラは期待に胸を弾ませるのだった。
0
お気に入りに追加
76
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。