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第十七話 ノエルの本音
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「…………」
「イライアス兄様?」
「あ、ああ。ここにいたんだな。無事で良かったよ」
「ノエル、もしかしてイライアスに何も言わずに来たのか? ダメだろうそんなことしては。イライアスは療養中なんだから負担をかけてしまってはいけないだろう? 今度からはきちんとどこに行くか他の者に伝えてから行動するように。分かったか?」
兄の説教に面倒臭そうにノエルが「はーい」と答える。いつもならしゅんと肩を落として沈んだ様子で聞くのにその変わりように本当にあのノエルかと疑ってしまった。それにノエルのためならまだしも俺のために兄が叱るなんて今までなかったように思う。
戸惑う俺にノエルが膝立ちになって腰に抱きつき幸せそうに俺の膝に頭を預ける。なんだかいつもより大胆に甘えん坊になった気がする。
「アラン兄上はどうしてここに? 演習はどうしたのですか?」
「お前たちを見送ろうと思ってな。少しの間と言って抜け出してきた」
「そうでしたか。でもわざわざ見送りなど大丈夫でしたのに。移動も大変でしょう?」
「俺が見送りたいから来たんだ。そこに苦労なんて言葉はないさ」
ふっと兄が笑うと俺の心も温かくなる。
側付きに代わって兄が車椅子を押してくれる。ノエルといえば俺の膝に乗って、前に持ってこさせた俺の腕を自分の手で固定して落ちないように体を密着させていた。ピクニックにでも行くみたいにるんるんと機嫌が良さそうでぎゅっと俺の手を握る。
「おい、ノエル! イライアスが重たいだろう。早くそこからどきなさい」
「うぇ~そんなぁ。イライアス兄様僕重い?」
「大丈夫。全然重くはないよ」
「だってアラン兄様。じゃあこのままということで」
「そんなわけにはいかないだろう。イライアスが良くても俺が悪い。二人分の重さの車椅子を押す身にもなってみろ。それにそんなにベタベタとイライアスに触るな」
「え~手握るくらいいいじゃん。……アラン兄様どうしてもダメ?」
「そんな瞳をうるうるさせても無駄だぞ。ほらさっさと降りないか」
「ちぇ~。ね、イライアス兄様はどう思う?」
「……俺もやっぱり二人分の重さじゃあしんどいと思うよ」
「むぅ……。じゃあ僕降りた方がいい?」
わざわざ俺に訊く辺り余程ノエルは車椅子に乗りたいらしい。確かに車椅子なんて普段乗る機会がないから子どもにとっては珍しくて面白いのかもしれない。
「ノエルは車椅子に乗りたいんだよね? だったら俺が降りるよ。杖も一応あるし、俺が歩くからノエルは乗ったままでいいよ」
「っやだ!!」
「それはダメだ!!」
二人が同時に声を荒げる。
「僕は車椅子に乗りたいんじゃなくて兄様と乗りたいんだよ!」
「安静にしておかないといけないのにお前を歩かせるわけにはいかないだろう!」
二人の主張が一気に流れ込む。残念なことに俺の案は事を荒げただけらしい。
ポンッとノエルが地面へと飛び移る。
「あれ? 降りちゃっていいの?」
「僕だってそれくらいの良識はあるからね。ちゃんと我慢するよ」
「そっか。ノエルはえらいなぁ」
そうやってふわふわした金髪を撫でてやると、嬉しいのか頬を赤く染めて目をつぶって手の感触に浸っているようだった。まるで子犬を撫でているようで癒される。
言葉通りアラン兄上とノエルは一から兄弟を始めたのだろう。
喧嘩みたいなこともして、でもなんだかほんわかして。三人でこんな風に話せる時がくるなんて思ってもみなかった。二人には俺のせいでたくさん辛い思いをさせてしまったけれどこうやっていつまでも一緒にいたいと望んでしまう。
だけどどこか胸にぽっかり穴が空いたようだった。もうエルモアはそばにいない。もう会えないんだ。
「兄上、俺の護衛騎士のことなんですが……」
「ああ、あのエルモアという名の男か」
「護衛騎士を辞める際に兄上にも伝えていたと思うんですが、その……何か彼は言っていましたか?」
「……特には何も言ってなかったな」
兄が少し考えるように間を置いたのは気のせいだろうか。
「本当に何もですか? 一言も? どこに行くとかも何か言っていませんでしたか?」
「ああ。何も話しはしなかったな」
一縷の望みが潰える。
……本当にもう二度とエルモアとは会えないんだな。
落ち込む俺の肩に兄が手を添える。
「……お前たちのことに関してはお前たちにしか分からないから何も言えない。だが主人がしてやれることといったら騎士にとって誇れる主人であり続けることくらいだ」
エルモアにとって誇れる主人であり続ける。それは俺の信念でもあった。俺とエルモアには他には見えない主従の絆のような繋がりがあったように思う。兄の言う通りそうすればどこかにいるエルモアとまだ繋がりを持ったままでいられるだろうか。いや、そう信じたい。
「護衛については心配するな。代わりの者をすぐ父上も手配するだろうからな」
そう言ってはくれたが俺にとっての護衛騎士はエルモアだけだ。他の者にはあそこまで務まらないだろうし、二度とあんな素晴らしい騎士には出会えないだろう。そんなことを考えてしまってまた沈んでしまう。ダメだろこんなんじゃ、俺は誇れる主人であり続けなければいけないんだ。
心の内で静かに俺は両頬をパンッと叩いた。
馬車に乗り込もうとすると驚いたことにサントルニア王国のゴードン将軍も見送りに来ていた。
「お身体はもう大丈夫なのですか?」
ゴツい見かけによらず気遣いもあって口調も優しい。皇族相手だからだろうが、あまり関わりがないのにわざわざ見送りに来てくれるあたりとても丁寧な人なんだなと思う。
「ええ。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「そんなことはございません。お身体のことを第一にどうかゆっくりと休まれてください」
「ありがとうございます」
「イェルク陛下も貴方様のことを大層ご心配しておりましたよ。『元気になれよ』と一言だけ伝えて欲しいと頼まれました。演習で見送りに行けないこととても心苦しく思っていたようです」
「アイツが?」
だってアイツはもう俺のこと友達ともなんとも思ってなかったんじゃないのか。約束破ったくせに心配は一丁前かよ。
でもちょっと嬉しかった。
イェルクは俺を今も友達だと思ってくれているのだろうか。だとしたら次に会った時土下座でもして謝るなら許してやらんこともない。
ノエルは馬と戯れて、兄は御者と何か話しているようだった。二人きりだがゴードン将軍は体格がいいからまるで密室とまではいかないがそれくらいの圧迫感があった。
「イライアス殿下」
「はい」
「私のことを憶えていますか?」
「…………」
唐突すぎて押し黙る。何を言っているかさっぱりだった。憶えているも何もゴードン将軍その人じゃないのか。
「……いえ、訳の分からないことを言ってしまい申し訳ございません。ただの世迷言ですのでどうかお忘れください」
そんな俺の様子にどこか踏ん切りがついたようにゴードン将軍が謝る。訝しく深読みしてみるが、そこへ颯爽と兄が現れた。
「すまないが時間も迫っている。そろそろ話もここまでにしていただけませんか?」
「申し訳ございません。イライアス殿下のお身体のことも考えず少し話しすぎました」
ゴードン将軍に向ける兄の視線が深く疑っているように鋭くて思わず驚く。
もしかして二人に何かあったのだろうか。
「こちらも不躾なことを言ってしまい申し訳ございません。ほらイライアス、馬車に乗ろうか」
そう言って手を貸す兄は優しい姿に戻っていた。
こまめに休むようにとか具合が悪くなったら一緒に行動している医者にすぐ伝えるようにとか言いつけのように何度も心配の言葉を兄から貰って俺とノエルは演習場を発った。
木が数本ばかりの何もない草原を窓からじっと眺める。地平線に小さな黒い何かがポツポツと点在していて目を凝らしてみると放牧された牛がむしゃむしゃと草を食べていた。のどかだなぁなんて思っているとふと視線を感じた。振り返るとじっとノエルが何か言いたげに俺を見つめていた。
「どうした?」
「あの……イライアス兄様、隣に座ってもいいですか?」
なんだそんなことかと「ああ、もちろん」と促せばノエルがやったと喜ぶようにふにゃりと口元をニヤけさせて隣に座る。
「兄様もう一個お願いしていいですか?」
「なんだ?」
「……兄様のお膝に寝てもいい?」
「ノエルは甘えただなぁ」
「ダメ?」
「いいよ。ほらおいで」
膝をポンポンと叩いてやればノエルの頭がそこへ乗る。
まるで子犬みたいだな。
「あのね兄様」
「ん?」
「僕、実はアラン兄様に会いに来たわけじゃないんだ」
「そうなのか?」
「うん。本当はねイライアス兄様に会いに来たの。だって全然兄様に会えないんだもの。忙しいのは分かっていたけど我慢できなかった」
確かにノエルと会う機会なんて全くなかったように思う。それがこんなに弟を寂しくさせてたんだな。
「……幻滅した?」
「いや、そんなことで幻滅なんかしないよ。それより気付かなくてごめんな。寂しかったよな」
「……うん」
堪えてた想いをやっと打ち明けられたようにその声は小さかった。慰めるようにそっと優しく頭を撫でると幸せそうにノエルの頬が緩む。
「イライアス兄様の手って温かくてとても落ち着く。僕、イライアス兄様の手が大好きだよ」
「そう? 俺もノエルのふわふわした髪の毛が大好きだよ」
「ほんと!?」
「ああ本当だよ」
「ふふっじゃあ僕たち両想いだね」
愛おしさを湧かせるような柔らかい笑みを浮かべる。ノエルは本当にかわいいな。なんだか子犬みたいで構ってやりたくなる。だけどノエルの笑みがパッと消えてしまった。
「僕ね、アラン兄様が許せない。だって演習とは言ってもイライアス兄様にあんな酷いことをしたんだよ」
ああ、そのことか。ノエルも知っていたんだな。
「だけど兄上はそのことを深く悔やんでいるようだったよ。謝ってもくれたし、俺も俺で別に兄上を憎く思ったりなんかしてない」
「兄様がよくても僕がダメなの! ……でも僕だってそんなこと言っていい立場じゃないのは分かってる。イライアス兄様に対して当たりが強いことは知っていたんだ。僕が行動していればきっとあんなことにはならなかった」
「俺もこうして元気なんだし、もう終わったことだ。ノエルがそんなに思い詰めることはないんだよ」
「そうだけど……。あっ、でもまた何かアラン兄様に酷いことをされたら言ってね! 僕が懲らしめてあげるから」
ふんと力こぶしのない腕を曲げて力む様がかわいくて思わず笑みが溢れる。
「じゃあお願いしようかな」
「うん! 僕がイライアス兄様を守るからね!」
「ノエルは頼もしいなぁ」
「それだけじゃないよ! イライアス兄様を傷つける奴は全員死をもって償わせてやるんだから!」
幼子が無邪気に虫を殺すような平然な物言いにゾッとする。ノエルはそんな子だったか? いや俺じゃあるまいしそんなはずはない。きっと言い過ぎただけだ。
「ノエル、俺を想って言ってくれているのは分かるし嬉しい。だけど冗談でもそんなこと言ってはいけない。ノエルは俺と違って優しい。人を思いやる優しい心を持っているんだ。お前にはそれを大事にして欲しいんだ」
「でも兄様が傷ついてる姿を黙って見ることなんて出来ないよ! 僕にとってはイライアス兄様がなによりも一番大事なんだ!」
「……えっ」
「僕はイライアス兄様さえいればもう何もいらない。僕にはイライアス兄様しかいないんだ」
「それってどういう……」
縋るようなその姿はまるで過去の自分そのものだった。瞳は澄み切った空のような碧なのにどす黒く染まっているように見えて思わず鳥肌が立った。
「イライアス兄様?」
「あ、ああ。ここにいたんだな。無事で良かったよ」
「ノエル、もしかしてイライアスに何も言わずに来たのか? ダメだろうそんなことしては。イライアスは療養中なんだから負担をかけてしまってはいけないだろう? 今度からはきちんとどこに行くか他の者に伝えてから行動するように。分かったか?」
兄の説教に面倒臭そうにノエルが「はーい」と答える。いつもならしゅんと肩を落として沈んだ様子で聞くのにその変わりように本当にあのノエルかと疑ってしまった。それにノエルのためならまだしも俺のために兄が叱るなんて今までなかったように思う。
戸惑う俺にノエルが膝立ちになって腰に抱きつき幸せそうに俺の膝に頭を預ける。なんだかいつもより大胆に甘えん坊になった気がする。
「アラン兄上はどうしてここに? 演習はどうしたのですか?」
「お前たちを見送ろうと思ってな。少しの間と言って抜け出してきた」
「そうでしたか。でもわざわざ見送りなど大丈夫でしたのに。移動も大変でしょう?」
「俺が見送りたいから来たんだ。そこに苦労なんて言葉はないさ」
ふっと兄が笑うと俺の心も温かくなる。
側付きに代わって兄が車椅子を押してくれる。ノエルといえば俺の膝に乗って、前に持ってこさせた俺の腕を自分の手で固定して落ちないように体を密着させていた。ピクニックにでも行くみたいにるんるんと機嫌が良さそうでぎゅっと俺の手を握る。
「おい、ノエル! イライアスが重たいだろう。早くそこからどきなさい」
「うぇ~そんなぁ。イライアス兄様僕重い?」
「大丈夫。全然重くはないよ」
「だってアラン兄様。じゃあこのままということで」
「そんなわけにはいかないだろう。イライアスが良くても俺が悪い。二人分の重さの車椅子を押す身にもなってみろ。それにそんなにベタベタとイライアスに触るな」
「え~手握るくらいいいじゃん。……アラン兄様どうしてもダメ?」
「そんな瞳をうるうるさせても無駄だぞ。ほらさっさと降りないか」
「ちぇ~。ね、イライアス兄様はどう思う?」
「……俺もやっぱり二人分の重さじゃあしんどいと思うよ」
「むぅ……。じゃあ僕降りた方がいい?」
わざわざ俺に訊く辺り余程ノエルは車椅子に乗りたいらしい。確かに車椅子なんて普段乗る機会がないから子どもにとっては珍しくて面白いのかもしれない。
「ノエルは車椅子に乗りたいんだよね? だったら俺が降りるよ。杖も一応あるし、俺が歩くからノエルは乗ったままでいいよ」
「っやだ!!」
「それはダメだ!!」
二人が同時に声を荒げる。
「僕は車椅子に乗りたいんじゃなくて兄様と乗りたいんだよ!」
「安静にしておかないといけないのにお前を歩かせるわけにはいかないだろう!」
二人の主張が一気に流れ込む。残念なことに俺の案は事を荒げただけらしい。
ポンッとノエルが地面へと飛び移る。
「あれ? 降りちゃっていいの?」
「僕だってそれくらいの良識はあるからね。ちゃんと我慢するよ」
「そっか。ノエルはえらいなぁ」
そうやってふわふわした金髪を撫でてやると、嬉しいのか頬を赤く染めて目をつぶって手の感触に浸っているようだった。まるで子犬を撫でているようで癒される。
言葉通りアラン兄上とノエルは一から兄弟を始めたのだろう。
喧嘩みたいなこともして、でもなんだかほんわかして。三人でこんな風に話せる時がくるなんて思ってもみなかった。二人には俺のせいでたくさん辛い思いをさせてしまったけれどこうやっていつまでも一緒にいたいと望んでしまう。
だけどどこか胸にぽっかり穴が空いたようだった。もうエルモアはそばにいない。もう会えないんだ。
「兄上、俺の護衛騎士のことなんですが……」
「ああ、あのエルモアという名の男か」
「護衛騎士を辞める際に兄上にも伝えていたと思うんですが、その……何か彼は言っていましたか?」
「……特には何も言ってなかったな」
兄が少し考えるように間を置いたのは気のせいだろうか。
「本当に何もですか? 一言も? どこに行くとかも何か言っていませんでしたか?」
「ああ。何も話しはしなかったな」
一縷の望みが潰える。
……本当にもう二度とエルモアとは会えないんだな。
落ち込む俺の肩に兄が手を添える。
「……お前たちのことに関してはお前たちにしか分からないから何も言えない。だが主人がしてやれることといったら騎士にとって誇れる主人であり続けることくらいだ」
エルモアにとって誇れる主人であり続ける。それは俺の信念でもあった。俺とエルモアには他には見えない主従の絆のような繋がりがあったように思う。兄の言う通りそうすればどこかにいるエルモアとまだ繋がりを持ったままでいられるだろうか。いや、そう信じたい。
「護衛については心配するな。代わりの者をすぐ父上も手配するだろうからな」
そう言ってはくれたが俺にとっての護衛騎士はエルモアだけだ。他の者にはあそこまで務まらないだろうし、二度とあんな素晴らしい騎士には出会えないだろう。そんなことを考えてしまってまた沈んでしまう。ダメだろこんなんじゃ、俺は誇れる主人であり続けなければいけないんだ。
心の内で静かに俺は両頬をパンッと叩いた。
馬車に乗り込もうとすると驚いたことにサントルニア王国のゴードン将軍も見送りに来ていた。
「お身体はもう大丈夫なのですか?」
ゴツい見かけによらず気遣いもあって口調も優しい。皇族相手だからだろうが、あまり関わりがないのにわざわざ見送りに来てくれるあたりとても丁寧な人なんだなと思う。
「ええ。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「そんなことはございません。お身体のことを第一にどうかゆっくりと休まれてください」
「ありがとうございます」
「イェルク陛下も貴方様のことを大層ご心配しておりましたよ。『元気になれよ』と一言だけ伝えて欲しいと頼まれました。演習で見送りに行けないこととても心苦しく思っていたようです」
「アイツが?」
だってアイツはもう俺のこと友達ともなんとも思ってなかったんじゃないのか。約束破ったくせに心配は一丁前かよ。
でもちょっと嬉しかった。
イェルクは俺を今も友達だと思ってくれているのだろうか。だとしたら次に会った時土下座でもして謝るなら許してやらんこともない。
ノエルは馬と戯れて、兄は御者と何か話しているようだった。二人きりだがゴードン将軍は体格がいいからまるで密室とまではいかないがそれくらいの圧迫感があった。
「イライアス殿下」
「はい」
「私のことを憶えていますか?」
「…………」
唐突すぎて押し黙る。何を言っているかさっぱりだった。憶えているも何もゴードン将軍その人じゃないのか。
「……いえ、訳の分からないことを言ってしまい申し訳ございません。ただの世迷言ですのでどうかお忘れください」
そんな俺の様子にどこか踏ん切りがついたようにゴードン将軍が謝る。訝しく深読みしてみるが、そこへ颯爽と兄が現れた。
「すまないが時間も迫っている。そろそろ話もここまでにしていただけませんか?」
「申し訳ございません。イライアス殿下のお身体のことも考えず少し話しすぎました」
ゴードン将軍に向ける兄の視線が深く疑っているように鋭くて思わず驚く。
もしかして二人に何かあったのだろうか。
「こちらも不躾なことを言ってしまい申し訳ございません。ほらイライアス、馬車に乗ろうか」
そう言って手を貸す兄は優しい姿に戻っていた。
こまめに休むようにとか具合が悪くなったら一緒に行動している医者にすぐ伝えるようにとか言いつけのように何度も心配の言葉を兄から貰って俺とノエルは演習場を発った。
木が数本ばかりの何もない草原を窓からじっと眺める。地平線に小さな黒い何かがポツポツと点在していて目を凝らしてみると放牧された牛がむしゃむしゃと草を食べていた。のどかだなぁなんて思っているとふと視線を感じた。振り返るとじっとノエルが何か言いたげに俺を見つめていた。
「どうした?」
「あの……イライアス兄様、隣に座ってもいいですか?」
なんだそんなことかと「ああ、もちろん」と促せばノエルがやったと喜ぶようにふにゃりと口元をニヤけさせて隣に座る。
「兄様もう一個お願いしていいですか?」
「なんだ?」
「……兄様のお膝に寝てもいい?」
「ノエルは甘えただなぁ」
「ダメ?」
「いいよ。ほらおいで」
膝をポンポンと叩いてやればノエルの頭がそこへ乗る。
まるで子犬みたいだな。
「あのね兄様」
「ん?」
「僕、実はアラン兄様に会いに来たわけじゃないんだ」
「そうなのか?」
「うん。本当はねイライアス兄様に会いに来たの。だって全然兄様に会えないんだもの。忙しいのは分かっていたけど我慢できなかった」
確かにノエルと会う機会なんて全くなかったように思う。それがこんなに弟を寂しくさせてたんだな。
「……幻滅した?」
「いや、そんなことで幻滅なんかしないよ。それより気付かなくてごめんな。寂しかったよな」
「……うん」
堪えてた想いをやっと打ち明けられたようにその声は小さかった。慰めるようにそっと優しく頭を撫でると幸せそうにノエルの頬が緩む。
「イライアス兄様の手って温かくてとても落ち着く。僕、イライアス兄様の手が大好きだよ」
「そう? 俺もノエルのふわふわした髪の毛が大好きだよ」
「ほんと!?」
「ああ本当だよ」
「ふふっじゃあ僕たち両想いだね」
愛おしさを湧かせるような柔らかい笑みを浮かべる。ノエルは本当にかわいいな。なんだか子犬みたいで構ってやりたくなる。だけどノエルの笑みがパッと消えてしまった。
「僕ね、アラン兄様が許せない。だって演習とは言ってもイライアス兄様にあんな酷いことをしたんだよ」
ああ、そのことか。ノエルも知っていたんだな。
「だけど兄上はそのことを深く悔やんでいるようだったよ。謝ってもくれたし、俺も俺で別に兄上を憎く思ったりなんかしてない」
「兄様がよくても僕がダメなの! ……でも僕だってそんなこと言っていい立場じゃないのは分かってる。イライアス兄様に対して当たりが強いことは知っていたんだ。僕が行動していればきっとあんなことにはならなかった」
「俺もこうして元気なんだし、もう終わったことだ。ノエルがそんなに思い詰めることはないんだよ」
「そうだけど……。あっ、でもまた何かアラン兄様に酷いことをされたら言ってね! 僕が懲らしめてあげるから」
ふんと力こぶしのない腕を曲げて力む様がかわいくて思わず笑みが溢れる。
「じゃあお願いしようかな」
「うん! 僕がイライアス兄様を守るからね!」
「ノエルは頼もしいなぁ」
「それだけじゃないよ! イライアス兄様を傷つける奴は全員死をもって償わせてやるんだから!」
幼子が無邪気に虫を殺すような平然な物言いにゾッとする。ノエルはそんな子だったか? いや俺じゃあるまいしそんなはずはない。きっと言い過ぎただけだ。
「ノエル、俺を想って言ってくれているのは分かるし嬉しい。だけど冗談でもそんなこと言ってはいけない。ノエルは俺と違って優しい。人を思いやる優しい心を持っているんだ。お前にはそれを大事にして欲しいんだ」
「でも兄様が傷ついてる姿を黙って見ることなんて出来ないよ! 僕にとってはイライアス兄様がなによりも一番大事なんだ!」
「……えっ」
「僕はイライアス兄様さえいればもう何もいらない。僕にはイライアス兄様しかいないんだ」
「それってどういう……」
縋るようなその姿はまるで過去の自分そのものだった。瞳は澄み切った空のような碧なのにどす黒く染まっているように見えて思わず鳥肌が立った。
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