【完結】光と影の連弾曲

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第二十話

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「この足じゃあどこにも行けないし、一旦俺の泊まってるホテルに行って処置を済ませよう。運転手さん、すみません途中ドラッグストアに寄ってもらってもいいですか?」
 そうしてまた秀司に連れて行かれるままホテルに着く。フロントで秀司がツインに部屋を変える。元の部屋にあった荷物は後でホテリエが届けると言う。俺のためにそこまで手間を掛けさせてしまって申し訳ない。
 扉を開ける。初見、やっぱりプロ野球選手とだけあっていい部屋を宛てがわれているなという印象だった。姫抱きの状態からベッドに下ろされ、思わず横になり感触に浸る。
「ふかふかだぁ」
 久しぶりの感覚。シーツもすべすべしていて気持ちいい。
「風呂もあるぞ」
 そんな俺の様子に何か察したように秀司が言う。勿論「マジ!?」と大喜びでガバッと起き上がった。
「最初に怪我の処置したいところだけどそれじゃあ風呂の時面倒だし、先に風呂入るか?」
「いいのか?」
 あくまでここは秀司が泊まっている部屋なのだと一度遠慮を思い出すが、頷きで返されると「やった!」とまた喜びが溢れた。
 熱いシャワー。肌にこびりついた汚れという汚れがお湯と共に流れていく。ゆっくり風呂に浸かると、癒され体が軽くなるようだった。さっぱりして用意されていたブカブカの秀司の私服を着て脱衣所を出ると部屋には誰もいなかった。
「しゅうじー?」
 探すが姿は見えない。出かけたのだろうか。
 白いふかふかのベッドを前に顔がにやける。ぼふんとダイブして、心地良さに浸る。溜まっていた疲れもあってかすぐに瞼が重くなる。
 目を開ける。窓を見ると外はすっかり真っ暗になっていた。
「えっ俺もしかして寝てた……?」
 一瞬目を瞑っただけと思っていたのにばっちりと眠っていたらしい。カーテンの隙間から見える外は真っ暗になっていた。視線の先にあるテーブルにはなかったコンビニの袋が置いてあって、惣菜が見え隠れしていた。秀司が買ってきたのだろうか。ふと足の締め付けられた感覚に気付く。ベッドから少しはみ出した足には包帯が巻かれていた。俺が寝ている間に処置を済ませてくれたのか。
 そういえば秀司はもう部屋には戻って来ているのだろうか。
 淡いオレンジの電灯が照らす薄暗い部屋の中、もぞりと起き上がろうと体を動かす。けれど身動きが取れなかった。腕が俺を抱き枕のように巻きついていたのだ。後ろを向いて思わず息を呑む。
 スッとした鼻梁、清爽をそのまま現したような端正な顔立ち。いつもキリッとしてる瞳は今は閉じられていて、その顔は息がかかるほどに近かった。
 心臓が爆発するんじゃないかと思うくらい鼓動が早まる。
 いつも思ってはいたが、こうして間近で見るとほんと秀司はかっこいいなと実感する。それにいつも凛としてる彼が無防備にスヤスヤと眠っているのを前にすると溢れんばかりの愛おしさが湧いてきた。
 無意識か、愛おしさのあまり気付けば秀司の頭に手を伸ばしていた。ドクドクと熱い血が巡った指先が秀司の短く整えられた髪に触れる。撫でるとつんつんとしていて痛気持ちよかった。
「……っん」
 秀司が眉間に皺を寄せ、ぎゅっと俺を抱きしめる腕の力を強める。慌てて手を引っ込める。起こしてしまっただろうか。
「……あれ? 透、起きたのか……?」
 今にも閉じてしまいそうな眠気眼で秀司がぼんやりと訊ねる。
「ごめん、起こしちまったな」
「いや……透がそこにいるってだけで俺はとても幸せ者だよ」
 寝起き特有の頭が回ってないよく分からない浮かれた返事をされる。
「怪我の手当てありがとな」
「……どういたしまして」
 本当に聞いているかも分からない。朝にもう一度伝えるつもりだが、とりあえず一応お礼は済ます。今にも秀司の意識は沈みそうだった。このまま眠らせようと思ったが、やっぱり無理だと止まる。
「……なぁ、腕解いてくれないか? これじゃあ秀司寝辛いだろ?」
 そう言ったのは秀司のためではなく俺のためだった。このまま抱きしめられたままだとあまりの距離の近さに本当に心臓が爆発しそうだった。けれど秀司はより一層俺を強く抱きしめる。
「いやだ。離したらまた透どこかへ行っちゃうんだろ。だから絶対離さない」
 きついくらいの抱擁。その秀司の姿はまるで子どもの駄々のようでありながら胸が締め付けられるほどの辛さに満ちたものだった。
「……ごめんな。急にいなくなって。いっぱい心配かけたよな」
 そう少しでも秀司を安心させるようと頭を撫でると「っぐす」と啜り泣いて頭を俺の胸元に埋める。
 正直驚いた。秀司が泣く姿なんて初めて見た。それと同時にそこまで心配を掛けてしまったのだと申し訳なく思った。慰めようと頭を撫で続ける。涙で濡れた胸元に顔を埋めたまま秀司が言う。
「……本当はお前のせいじゃないって言うつもりだった」
「……?」
「けどそんな気遣う程の余裕もう俺にはない。透がいなくなったのはこれで二度目だ。ごめんって謝ったのにまた俺の前から消えた。そんでまたごめんって同じ言葉を吐いてる。もう透が本当に反省してるとは思えない。だからこの際思ってること全部ぶち撒けてやる!」
 顔を上げて見下ろす秀司の目元は赤くなっていて、そして途轍もない怒りの表情を浮かべていた。
「ああそうだよ! 透の言う通り、俺の成績が悪かったのは透のせいだ! 透がまた急にいなくなって、探しても見つかんなくて、もう会えないんだって絶望して生きる意味も見出せなくなった。おかげで野球も心から楽しむことが出来なくなった。全部、全部透が悪い! 透が俺をめちゃくちゃにしたんだ!」
 怒鳴り声にしては悲痛な声。
何と言ったらいいか分からず、「……ごめん」と俺はそう謝ることしか出来なかった。罪悪感からまともに顔を見ることが出来なくて俯いていると、秀司がぎゅっと俺を抱きしめる。
「けどもういいっ、全て終わったことだ。透が俺の元に来てくれた。もう俺はそれだけで……」
 覗くと、怒りで涙も引っ込んでいたはずなのに秀司はぐしゃりと顔を歪めてまたボロボロと涙で頬を濡らしていた。
「だがもう決して俺の前から消えるなんてことはしないでくれ。もうあんな思いをするのは嫌だ。透お願いだ。一緒にいてくれ、ずっと一生俺のそばにいてくれ。……俺は透がいなきゃ生きていけないんだ」
 縋るように抱きつき懇願する。俺も真正面から秀司の思いを受け止める。俺がいなきゃ秀司は生きていけない。そう聞いて沸き起こったのは嬉しさだった。
「……秀司は俺を必要としてくれているのか?」
「ああ。俺にとって透はなくてはならない存在だ」
 心の虚が埋まっていく感じがした。けれど同時に分からなくもあった。
「……だけど俺には何もない。職にも就いてないし、これといった取り柄もない。ただの汚いホームレスだ。俺はお前のために何の役にも立てない」
「役に立つとか立たないとかそんなことはどうでもいい。俺は透がそばにいるだけで毎日が楽しい、幸せを感じるんだ」
 抱く秀司の腕に手をそっと置いて起き上がる。心を埋める温もりに体がついていけなかった。
 なんだこれ……。
 胸に手を当て湧き起こる感情の波を受け止め感じ取る。
 秀司も起き上がって空いた片方の俺の手を優しく包み込む。
「俺、透と親父さんがどんな関係だったのか全く分かってなかった。俺は自分の常識を信じて疑わなかった。けど分かったんだ。お前の親父さんが捜索願を出し渋ってて俺はやっとお前に自分の価値観を押し付けていたんだって理解したんだ。ずっと後悔していた。あの時、あの海辺でお前を突き放したあの言葉を」
 秀司はやっぱり親子なんだからきっと大丈夫だと学費を切った俺の父に一緒に頼み込もうと提案してくれた。
 影である俺と光である秀司の立場を明確に線引きしたあの言葉。秀司はそれを今も尚悔やんでいた。
「許してもらおうと俺は言ってるんじゃない。けど俺はもう二度とあんな形でお前を傷つけたくはないんだ。俺は透の辛さも苦悩も全て一緒に抱えていきたい。一緒に苦しみを背負って、それで一緒に笑って共に生きていきたいんだ」
 手の甲に柔らかな唇が当たる。
「透、愛してる。死んでもずっとお前だけを愛してる」
 言葉は胸の奥深くに入り込み、心の穴を埋めていく。それは奔流のように激しく、熱く、そして愛おしかった。
 そうか、俺が欲しかったのはずっと……。
 秀司の頬に手を添えて、そっと彼に迫る。驚きに秀司は目を見開いていたが、柔らかな唇の感触に感じ入るように瞳を閉じる。小さく開いた口から舌が入り込んで、愛を確かめるようにお互いを絡ませる。その穏やかで溶けてしまいそうな口付けに俺も瞳を閉じて熱を感じる。
 ぷつりと繋がっていた銀糸が途切れ、お互いが熱に浮かされた表情を浮かべ見つめ合う。
「……俺も秀司が好き。死んで生まれ変わってもずっとずっと秀司だけを愛してる」
 それは大きく光り輝いていて、何よりも愛おしい。
 気付かなかった。一番近くあったのに、いつもそばにいてくれたのに。
 泥で汚れ、荒れた心は愛おしい光に満たされ、嫉妬も憎悪も消え失せる。湧いてくるのはただ秀司への愛だけだった。
 ぽすっと体を押されベッドに倒れる。覆い被さる秀司の瞳は情欲に染まっていた。
「髪、綺麗だな。風に揺れたらきっと花が散ったように美しいんだろうな」
 女のように伸びた髪の束を掬って、愛おしそうにキスをする。野暮ったいとしか思ってなかったその髪もそんな風に言われればとても価値のあるものに思えた。
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