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休息という名の

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 真っ白な光を瞼の裏に感じ、私はゆっくりと瞳を開いた。

 白い天井が視界に飛び込んでくる。
    首を巡らせれば、開け放たれたカーテンからは青空が見え、僅かに開いた窓から、穏やかな風が流れ込んでくる。


 ここは、いったい何処なのだろうか?


 私の部屋でないのは確かだ。
    白い壁紙も白いカーテンも見覚えはないし、私の部屋がこんなに清潔感にあふれているはずがない。

 物に埋め尽くされた私の部屋とは反対に、私が眠っているベッドと側にパイプ椅子があるだけ。掃除が行き届いていて、かすかに消毒液の匂いが漂っている。


 私は起き上がろうとしたが、あっという間にベッドに背中を戻す結果に終わってしまった。

 感覚が鈍く、思ったように力が入らない。試しに腕を持ち上げてみたが、動きがぎこちなく、操り人形にでもなった気分だ。


 しばらく、そうやって身体の状態を確認していると、扉がノックされた。


 普通は許可があって入室するものだが、私が返事をする間もなく勝手に扉は開き、白い服を着た女性が入ってきた。

「グランハートさん。お加減いかがですか?」

 声はかけられたがまたも返事があるとは思っていなかったらしい。女性は扉を閉めて、向き直ってからやっと私が起きている事に気づいた。


「……まあ!目を覚ましたんですね!良かった!すぐに先生を呼んできます!」


 そう言い残したままあっという間に部屋から出て行ってしまった。



 それからは怒涛のように物事が進んでいった。



 まず、私の主治医だという白衣を着た初老の男性が脈をとったり、瞼をめくったり、腕を曲げてみたり、私の身体に異常がないか確認し、いくつかの問答をした。

 特に異常がないのが分かると「とりあえず後遺症の心配はなさそうですね。経過を看るためにもうしばらく入院は必要ですが、すぐ元気に退院できますよ」と言って柔和に笑った。


 主治医は忙しいらしく、一通りの診察を終えると退室した。後に残ったのは最初に部屋を訪れた女性で私担当の看護婦だそうだ。


「ご両親にも目が覚めましたとご報告させていただいたので、すぐに来られると思いますよ」


 看護婦の女性も嬉しそうににこにこしている。


 それは良かったと感想を抱くものの正直言って私はまったく状況を把握出来ていなかった。

 ここは病院だ。医者と看護婦がいるのだからそれは間違いない。
    私が眠っていたのは病室で、主治医や看護婦の言葉から私は何日も眠っていたらしい事が分かった。


 しかし、なぜそんな事になっているのか甚だ疑問である。


 意識を失う前の出来事ははっきり覚えている。

 手に入れた“仮死の毒”を使って自分の死を偽り、私が死んだら死ぬと言った奴を殺そうとした事。
    私が死んだと思い込んで本当に毒を飲んだ奴の事。
    タイミング悪く目が覚めた私に気づいた奴があろうことか含んだ毒を口移ししてきた事。


 あの時、私は奴と死んだはずだ。


 奴が飲ませたそれは紛うことなき毒だった。
    飲んだ瞬間に身体はこの上ない苦しみを訴え、意識が朦朧としだした。


 すぐに解毒すれば助かったのかもしれないが、私と奴があの場所にいた事など誰も知るはずはなく助けが来る訳がないのだ。
    もし、見つけられたとしても、私たちが仲良く死んだ後だろう。


 結論、私が生きているはずがないのだ。

 さすがの私もここは天国かもとか思うほど、脳内お花畑には出来ていない。


 疑問は尽きないが、ひとまず置いておく。

 看護婦の言葉通り両親はすぐに駆けつけた。

 それはもう凄まじかった。産まれてこのかた、受けた説教は数知れず、落とされた拳骨も一度や二度ではない。
    最近では躱すという技術を覚え、まともに両親の怒りを受ける事はなかった。
    それに、私が死のうがどうなろうが、グランハート家復興の最高の切り札がなくなって怒り狂う程度だと思っていたのだ。


 両親は確かに怒り狂った。
    それはそれは悪鬼も恐れるんじゃないかと思うほど憤怒の形相を浮かべ、元アッパークラスの矜持はどこへやった言いたくなるくらい涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして。


「お前がそれほど思い詰めていたとはな。こんな結果を招くくらいなら、お前の自由にしていいんだ」

「あなたを失うほど悲惨な事はありません。ああ、ジュリエット。生きてて良かった!」


 ふたりに抱き潰されそうになり、私はなんとか言葉を絞り出した。


「……お父様、お母様。ごめんなさい。……ありがとう」


 私の頰を伝った生暖かい何かは、とめどなく流れ落ち、お父様とお母様の肩に大きなしみを作った。


 しばらくすると席を外していた私付きの看護婦が戻ってきて、申し訳なさそうに「面会時間は終了です」と言った。両親は名残惜しそうに帰っていき、病室はあっという間に静かになった。


 私はふうと何なのかよく分からないため息をついた。いろんな物事がぐるぐる回って、思考が追いつかない。
    それでも頭の中の大半をを占拠しているものに、否が応でも気づかされて。


 奴は、どうなっているのだろう?

 私のように入院している?それとも……。

 心臓がどくどくと脈打つのは、身体が本調子ではないから。

 紫の瞳が眼裏から消えてくれないのは奴がいつもまっすぐに私を見つめるから。

 奴のことばかり考えてしまうのは、奴が私に毒を飲ませたから。


 とりあえず、今は眠ろう。
    後遺症はないと言われたが、体力は戻っておらず、寝たきりだったため筋力も落ちているから安静にとも言われている。
    考えるのはすべて元通りに戻ってからだ。
    私は病人だという大義名分を引っ提げて、現実から目を逸らした。

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