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この世でもっとも理不尽な毒
しおりを挟む「……てるよ、ジュリエット。心から」
誰かに名前を呼ばれて私はうっすらと目を開く。なぜか身体が自由に動かず、内心で眉根を寄せる。
ああ、そうだ。思い出した。私は“仮死の毒”を飲んだのだ。奴に死んでもらうために。
別に、本当に奴に死んで欲しかった訳ではない。お前が死ぬ程嫌いなのだと、伝えるだけで良かったのだ。
口で言ってもどうせ分かってもらえないから、行動に移しただけ。
ここまですれば流石の奴も理解するだろうと思って。
だから。奴との最後だから、この場所を選んだ。奴との終わりにここが相応しいと思った。
の、だけれど。
私の視界に映り込んだ奴は、私が持っていたのによく似た小瓶の中身を何の躊躇もなく口に含んだ。
なぜ?どうして?という疑問が際限なく湧き出るのに言葉にならない。
私の思考能力は鈍いままにも関わらず、一つの結論を出してしまった。
もし、奴の言葉が全て真実だとして、私が死んだと思った奴が取る行動は決まっている。
(……まさか、毒を!!)
そんな。まさか。止める間もなく奴は毒を飲んでしまった。私は死んでない。死んでないのに!
まさしく『ロミオとジュリエット』のように。
私は音にならない声で叫んだ。
その声を聞き届けたように、奴の紫色の瞳が私を射抜き、近づいてくる。私を見つめるその瞳はいつも通り愛おしげに細められ、唇は満足げに弧を描いている。
ああ、やっぱり顔だけは極上だ。
間近で見ても、間近だからこそ分かる美しさがある。女達が嫉妬するほど肌のきめが細かく滑らかで、つい触りたくなってしまう。
紫の瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいて、何時間、眺めていても飽きる事はないだろう。
奴が望めばいくらだって別の道があったのに。
私なんかと関わらなければ、私なんかに恋をしなければ、私なんかよりずっと美しい女性が貴方の前に現れたはずなのに。
童話のように身も心も美しいお姫様が。
美しく才能に満ち溢れた貴方に相応しいお姫様が。
なのに、奴は一心に私を見つめ、その唇はそっと私の唇に舞い降りる。
眠り姫を目覚めさせる、唯一の王子だと言わんばかりに、甘く優しいキス……。
ーーだったのは、始めの一瞬だけだった。
あろうことか、次の瞬間に奴の舌が私の唇を押し開き中に侵入してきた。
もちろん私は抵抗しようとしたが、身体に力は戻っておらず、それは叶わない。
通常の私なら舌を噛み千切ってやったのに!と内心歯ぎしりしながら、されるがままに奴の深い口づけを受け入れる。
奴の舌が私の舌に触れるという不可解な現象に翻弄されていた私は気づくのが遅れてしまった。
奴は煽った毒を飲み込んでいなかったのだ。
私の口内に液体が流れ込む。
吐き出そうとしても奴が離してくれるはずもなく、酸欠になりかけた身体は空気ではなく口の中にあったものを飲み込んでしまう。
それを見届けて奴はやっと口を離してくれた。
おまけとばかりにちゅっと音を立てて。
「たどり着く先が天国でも地獄でも、僕は決して君を離さない。だから、安心して僕の所に堕ちてきて?」
ぺろり、と濡れた唇を舐める奴は壮絶な色気を放っていた。
奴は微笑んだまま、私に覆い被さるように倒れた。耳元で吐き出される呼吸は乱れて苦しそうだ。
奴に乗っかられた私はもっと苦しい。
奴の心臓と私の心臓は重なり合い大きすぎる心音を奏でる。
初めからひとつだったみたいに。
私は悟った。悟ってしまった。
私は毒を飲んだのだ。
奴から決して逃れられないこの世で最も理不尽な毒を。
沈んでいく意識の果てに見たのは、幸せそうに睦み合う一組の恋人達だった。
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