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ただひとつの真実
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私は欄干に肘をついて無言で奴を見下ろした。
両親に見つかると行儀が悪いと怒られるが、ありがたいのか残念なのか私以外は留守のため、気にしない。
バルコニーに立つ私を見上げる奴は当然、頭ごと上を向く事になる。首が痛くなりそうだ。
奴は平気そうにしているが、首を痛めて苦痛を味わえばいいのに。と奴の首回りを注視しているとスカーフの隙間から白い布がちらりと見えた。
包帯を巻いているらしい。なるほど、包帯を隠すためのスカーフか。
そういえば、とガーデン・パーティーでの一幕を思い出した。
あの時は首に噛み付いて逃げたんだった。
血の味がしたから、今もくっきりと歯型が残っているに違いない。
ざまあみろと思うが、それでも懲りないのだから、たちが悪い事この上ない。
熱心に見上げてくるその瞳は、あなたが恋しいと全力で訴えかけているようにも見える。
けれど、弧を描くその唇はいつだって完璧な角度を保っていて良く出来た仮面のようだ。
これが恋の病に侵されたゆえの行動なのか、己の進退をかけた嫌がらせなのか、はたまた別の理由に起因するのか。
仮面のような微笑みから読み解くのは難しい。
まあ、いいか。と私は独りごちる。理由はどうあれ私がするべき事に変わりはないのだから。
「質問に答えてくださる?どうして我が家の庭にいるの?通報されても文句の言えない立場だって分かっているのかしら?」
通報するぞと脅しをかけても奴はどこ吹く風である。
逃げるそぶりを一切見せず、堂々とした立ち居振る舞いはどこに出しても恥ずかしくない貴公子然とした態度だ。
ただひたすらに残念なのが我が家の裏庭であるという点だ。
「君がしばらく夜会に不参加だと聞いて、矢も盾もたまらずに会いに来たんだ」
奴は悲しげにまぶたを伏せた。ここからでも分かるくらい、奴のまつ毛はびっしり生えている。
心なしか震えていて、とっくに成人した一人前の男なのに儚く消えてしまいそうだ。
「君と僕を繋ぐ接点は絹糸よりも細い。その事に気づけなかった僕を愚かだと罵ってくれて構わない。だから考えたんだ。どうすれば君との逢瀬を重ねられるかを」
こういう殊勝な態度が母性本能をくすぐるのだろうか。奴の言動の端々から女に馴れていそうな感じがするけれど、Y.Rと違って浮ついた話はあまり聞かない。漏れ聞こえてくるものの大半は明らかなでっち上げで、根も葉もない噂話程度だ。
情報統制がうまいのか、口の固い女を選んでいるのか、そっち方面でも奴は優秀らしい。
「考えに考えて僕はようやく気づいたんだ。それは至極簡単な答えだった。考えるまでもなかったんだ」
奴は伏せていた顔を上げ、晴れ晴れとした笑みを浮かべた。天上も奴を祝福するように、光を降り注ぐ。それと比例して私の表情筋が死滅していくのが分かった。
「こうやって、君に直接、会いにこれば良かったんだから」
ちょっと待て。どうしてそんな結論にたどり着いた。
優秀さをどこに置いてきた。罷り間違っても完璧な貴公子が出す答えではない。
私はここにきて嫌な可能性に思い至った。
奴の言葉ではないが、それは実に単純明快な答えだったのではないか。
奴と出会ってからの日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
初対面での慇懃無礼な態度。奴の体温。頰を張った乾いた音。繰り出した拳。芝生の感触。口内に広がった血の味。贈られてきた下着一式。夜空を見上げる私。首に巻かれたスカーフと包帯。バルコニーと裏庭。熱を孕んだようなアメジスト色の瞳。
星と星が線を結ぶように、私の中にひとつの結論が浮かび上がる。
これは惚れた腫れたの話ではない。ましてやただの嫌がらせでもない。
不可解に思っていた事柄すべてに説明がつく。
そもそも前提からおかしかったのだ。
その美しい容姿と溢れんばかりの才能が目を曇らせていただけで、答えは初めから用意されていた。
奴は完璧な貴公子という仮面を被った、ただの変態である、という厳然たる事実が。
両親に見つかると行儀が悪いと怒られるが、ありがたいのか残念なのか私以外は留守のため、気にしない。
バルコニーに立つ私を見上げる奴は当然、頭ごと上を向く事になる。首が痛くなりそうだ。
奴は平気そうにしているが、首を痛めて苦痛を味わえばいいのに。と奴の首回りを注視しているとスカーフの隙間から白い布がちらりと見えた。
包帯を巻いているらしい。なるほど、包帯を隠すためのスカーフか。
そういえば、とガーデン・パーティーでの一幕を思い出した。
あの時は首に噛み付いて逃げたんだった。
血の味がしたから、今もくっきりと歯型が残っているに違いない。
ざまあみろと思うが、それでも懲りないのだから、たちが悪い事この上ない。
熱心に見上げてくるその瞳は、あなたが恋しいと全力で訴えかけているようにも見える。
けれど、弧を描くその唇はいつだって完璧な角度を保っていて良く出来た仮面のようだ。
これが恋の病に侵されたゆえの行動なのか、己の進退をかけた嫌がらせなのか、はたまた別の理由に起因するのか。
仮面のような微笑みから読み解くのは難しい。
まあ、いいか。と私は独りごちる。理由はどうあれ私がするべき事に変わりはないのだから。
「質問に答えてくださる?どうして我が家の庭にいるの?通報されても文句の言えない立場だって分かっているのかしら?」
通報するぞと脅しをかけても奴はどこ吹く風である。
逃げるそぶりを一切見せず、堂々とした立ち居振る舞いはどこに出しても恥ずかしくない貴公子然とした態度だ。
ただひたすらに残念なのが我が家の裏庭であるという点だ。
「君がしばらく夜会に不参加だと聞いて、矢も盾もたまらずに会いに来たんだ」
奴は悲しげにまぶたを伏せた。ここからでも分かるくらい、奴のまつ毛はびっしり生えている。
心なしか震えていて、とっくに成人した一人前の男なのに儚く消えてしまいそうだ。
「君と僕を繋ぐ接点は絹糸よりも細い。その事に気づけなかった僕を愚かだと罵ってくれて構わない。だから考えたんだ。どうすれば君との逢瀬を重ねられるかを」
こういう殊勝な態度が母性本能をくすぐるのだろうか。奴の言動の端々から女に馴れていそうな感じがするけれど、Y.Rと違って浮ついた話はあまり聞かない。漏れ聞こえてくるものの大半は明らかなでっち上げで、根も葉もない噂話程度だ。
情報統制がうまいのか、口の固い女を選んでいるのか、そっち方面でも奴は優秀らしい。
「考えに考えて僕はようやく気づいたんだ。それは至極簡単な答えだった。考えるまでもなかったんだ」
奴は伏せていた顔を上げ、晴れ晴れとした笑みを浮かべた。天上も奴を祝福するように、光を降り注ぐ。それと比例して私の表情筋が死滅していくのが分かった。
「こうやって、君に直接、会いにこれば良かったんだから」
ちょっと待て。どうしてそんな結論にたどり着いた。
優秀さをどこに置いてきた。罷り間違っても完璧な貴公子が出す答えではない。
私はここにきて嫌な可能性に思い至った。
奴の言葉ではないが、それは実に単純明快な答えだったのではないか。
奴と出会ってからの日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
初対面での慇懃無礼な態度。奴の体温。頰を張った乾いた音。繰り出した拳。芝生の感触。口内に広がった血の味。贈られてきた下着一式。夜空を見上げる私。首に巻かれたスカーフと包帯。バルコニーと裏庭。熱を孕んだようなアメジスト色の瞳。
星と星が線を結ぶように、私の中にひとつの結論が浮かび上がる。
これは惚れた腫れたの話ではない。ましてやただの嫌がらせでもない。
不可解に思っていた事柄すべてに説明がつく。
そもそも前提からおかしかったのだ。
その美しい容姿と溢れんばかりの才能が目を曇らせていただけで、答えは初めから用意されていた。
奴は完璧な貴公子という仮面を被った、ただの変態である、という厳然たる事実が。
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