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 数日後、朝早くにセツは、俺を1人残して、結界を出て行った。
「俺、寂しくても我慢するから行ってきて」
「ハル………ああ、行ってくる」
 実を言うとこの数日間、俺とセツは毎晩のように肌を重ねていた。もちろん、数日後1人にされる寂しさから、俺が求めることも多かったけれど。
 でも、それより何よりセツが俺のことを、寸分の間も離したがらなかったから。夜となく昼となく、俺のことを求めてくれたから。そして、俺にはそれが、セツの言葉にはしない『寂しさ』に思えて、とても幸福で嬉しかったから。
「すぐに帰って来る……俺の愛しいハル…」
「うん。待ってる。早く帰ってきて、セツ」
 おかげで俺の身体には、セツの所有物である証が、身体に染み入るほど刻み込まれていた。同時にセツの匂い、セツの温もり、セツへの愛おしさも。特に肌へ残されたこの刻印は、当分の間消えはしないだろう。自分の裸を見るのが、ちょっと恥ずかしいくらいだ。
 きっと身体に残された記憶が薄れないうちに、消えてしまわないうちに、セツは俺の元へ帰って来てくれる。この小さな2人の世界へ戻って来てくれる。これらはその為の、セツがくれた特別な刻印であり、俺への誓いと約束なのだと──そう思えた。確信できた。
「しっかり浄化されて来て。俺の…俺だけの光の神様」
「…………ハル」
 セツには太陽が似合うよ。俺の大好きなセツ。今のままのセツていて欲しいから、きっとあの約束は守って。俺はセツにそう言って、彼の出立を見送った。

 まさか、彼の居ない間に、こんなことが起きるなどとは、思いもせずに。


「…………退屈」
 セツが出掛けてしばらくの間は、とても静かで平穏で退屈だった。
 俺は部屋の中で過ごすことが多かったけど、時折、森の奥の滝へ遊びに行くこともあった。そこまでの道はセツが安全に切り開いてくれている。おかげで20分くらい歩くだけで楽に行き付くことが出来た。
「あと3日…それとも、6日かな…」
 色付き始めた紅葉を見ながら、指折り数えて帰って来る日を待ち続ける。彼の居ない日々は本当に退屈で、色が褪せたみたいに毎日が空虚うつろだった。けれど俺は、帰ってきた彼に話すこと、話したいことを見付け出しては、楽しみにその日を待ち続けていたのだ。

 もうすぐ会える。
 セツに会える。
 過ぎていく日々を、それだけを楽しみに費やして1週間。

 早ければ今日にも会えるという、その日。

 
 突然、平穏は破られた。


「どうやら今期の花嫁が、神に真名を与えたらしいというのは、本当だったみてえだな」
「………えっ!?」
 離れ屋の中でいつも通り過ごしていた俺に、野卑な男の声が掛けられたのは、セツの帰りを待ちかねて映りもしないテレビを見ていた時だった。
 慌てて振り返った俺は、信じられない光景を目にする。ここへ来て1度として俺の他の人間を見たことなど無かったというのに、体格のいい数人の男達が結界の中に──離れ屋の中に入って来ていたのだ。
「えっ、え…な…なんで……ッ!?」
「へーえ。今期の花嫁は男の子かよ…」
「ひょっとして屋敷神様は元々そっちの趣味だったんか??」
 なぜ、どうして、越えられないはずの結界を!?という俺の疑問は完全に無視され、男らはずけずけと室内を見て回っていた。
 そうして、まったく様変わりした離れ屋の様子を目にした彼等は、顔を見合わせ無言で頷き合うと、困惑したまま見守っていた俺に近付いてきたのだ。なんだか嫌な雰囲気を、全身から漂わせながら。
「花嫁さんよ…それで、なんて名を付けたんだい?」
神凪かんなぎ一族の長がお求めなんだよ。答えろ、ガキッ!!」
「人間の言葉を忘れちまったのか!?神の真名を教えろっつってんだよ!?」
「え…………な、なに…?」
 なに??なんのこと??男らの言動が意味不明で口を利けずにいると、突然、足で腹を蹴られて床に叩きつけられた。痛い。苦しい。息が詰まる。
「う……うっ…あ……!?」
 俺は、何が起こったか解らずに身を縮め、這いずって男らから遠ざかろうとした。けれど、すぐに足を武骨な手に掴まれ、力付くで引き擦り戻されてしまう。
「何…なんで、どうして……アンタ達ここに…ッ」
「んだよ??聞いてねえのか??」
「結界はこの時期、最も力が弱まるんだよ」
 代わる代わるに男らが言うには、神の居ないこの時期だけ、結界は弱まるのだそうだ。とは言っても、条件は変わらず同じで、男も女も童貞・処女以外は通れない。
 しかし、処女、童貞であれば、結界を抜けるのになんら問題はない訳で、一族は神が留守にするこの時期に離れ屋の改修などを毎年行ってきた、らしい。男らはその為に未通であることを義務付けられた宮大工達なのだそうだ
「いつもならテキトーに改修して来いって言われんのによ…今回は上から特別な仕事とお許しを貰ってきたのさ…」
「特別な……?」
 ここ百年もの間、失敗に失敗を重ねてきたという、神への花嫁献上。何度送っても送り戻され、言伝だけを伝えられ続けていたこの儀式に、今回は初めて成功したと確信した一族の長は、俺が付けた『神の名』を自分達のモノにしようと企んだらしい。
 神を──セツを、この屋に縛りつけ、彼らの意のままとするために。
「知らな…知らないっ、真名なんて知らない…!!」
 俺は首を振って否定して見せたけど、ついさっきまで本当に知らなかったのだ。確かになんとなく『そうではないか?』と薄々感じてはいたけれども。でも、セツの口からハッキリ『そうだ』と、肯定されたことなんてなかったから。

 だが、男達の話を真実とするなら、つまりはそう言うことなのだ。
 そんなつもりはなかったし、出来るとも思ってもいなかった。
 後ろで束ねた白銀の髪が、雪のようで綺麗だったから。
 ただそれだけの理由で、何となく『似合う』と思っただけだったのに。
  
 俺は知らない内に、セツに神としての名を。
 ──『真名』を与えてしまっていたのだ。
 
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