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その結果
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それから一週間はとても平和だった。
シェリーの悪夢から解き放たれ、宮中も穏やかさを取り戻していく。私とアロイ様の関係も完全に修復されて、以前のように笑い合えるようになった。
このまま、結婚式を挙げて、幸せへと国を導くだろう――。
そんな声もちらほらと聞こえるくらいの仲の良さだ。
元々からそうなんだけど。
でも、足元の不安がないのは良いことで、私は公務に励める。天使様も嬉しそうにしてくれて、それも良いことだった。
「久しぶりの散歩だね」
「そうですわねぇ、ここ最近は公務が忙しかったですから」
穏やかな昼下がり、久々に宮中でのランチを楽しんだ私たちは、綺麗に整えられた中庭へ足を運んでいた。
春先の良い季節だ。
花壇には花が綺麗に咲き、小鳥たちも喜ぶようにさえずって飛んでいる。日差しも穏やかで、ぽかぽかだ。うん、素敵な一日だ。
こんな春の一日、アロイ様とゆっくり過ごせるのは幸せだ。
お互いに顔を合わせ、微笑み合う。
「――ずいぶんと幸せそうじゃないの」
そんな空気を泥で汚すかのような掠れた声は、後ろからやってきた。
反射的に振り返り、私は喉をひくつかせるように鳴らす。
立っていたのは、ばさばさに広がる髪に、やせこけた頬と体躯の女。
白いワンピースは黄ばんだように薄汚れ、どうしてか足元へ向かうにつれて血が滲んで垂れている。
異様な生臭さと、肉の腐ったような据えた臭い。
およそ人間とは思えない形相で、ギラギラした怒りの瞳で、私たちを睨んできている。
「お前はっ……」
誰何しかけて、アロイ様は気づく。私も気づいた。
「シェリー……!?」
名前を呼ぶと、にたぁ、と笑う。歯が何本か欠けている。
たった一週間で、どんな酷い有様なのだろうか。
確かに地下へ幽閉は決まったけれど、清潔な暮らしができるように手配はした。着替えも支給するし、食事も与える。入浴の機会もあるし、手洗いの場所だって用意させたのだ。
なのに、どうして。
いや、それ以上に。
どうしてシェリーがここにいるの?
裸足を引きずるように、ぽたりと血の痕を残しながら、シェリーは近寄ってくる。
正気を失っているかのように震える手には、ダガーがあった。
「ひひっ。あんたらが日の元でのうのうと歩いている間、私は地獄を見ていたのよね。あり得ない、ありえないわっ!」
「シェリー! 何を考えているの? バカなことはやめなさいっ!」
「バカ? バカなことって何よ。あんたらの命を奪うこと? あははっ」
――ダメだ。もう我を失っている!
『今、騎士団にお告げをしてきたよ。もうすぐやってくる』
焦る私に、天使様が耳打ちしてくれた。
『これが《悪意の魂》に心を食い散らかされた人間の末路だよ』
「食い散らかされた、末路……」
『もう憎しみしか彼女には残されていない。だから、悪魔の邪法なんだ』
言葉のおぞましさに、私は身震いする。
とにかく、ここは離れるべきだろう。私はアロイ様の裾を掴んだ。
「逃がさないわよ」
私の行動を目ざとく察したか、シェリーが制するように声を放つ。
「シェリー。こんなことはやめるんだ。どうして!」
「あんたには関係ないわよぉっ! あんたみたいに、生まれながらに成功と幸せが約束された王子様が。私の気持ちなんて分かるはずがないんだからっ!」
「シェリー……!?」
「私は下級貴族の出。姫みたいな立場だけど、待っていたのは農作業だったわ。小さい領地、ふがいない父のせいで民は離れ、最後は統治に失敗した。父はその責を問われ、家は取り潰し」
シェリーは虚ろな目で語りだす。
「そんな中、私は人質のようにそこの小娘のもとに引き取られた。貴族のはずなのに、侍女になんてされて。それで? 教養がないからってあれこれ色々と教えられて、何様なのよ。どんな上から目線なのよ」
唐突に、私へ言葉の刃が向けられる。
私はどくん、と心臓が悪く高鳴った。
「ふざけんじゃないわよ。私は貴族よ。田舎ものだからって、都会の貴族ぶってあれこれと偉そうに! ムカつくのよ! そうやって私が悔しい思いをする中、あんたは幸せそうで、それが当然のようで、周囲にも幸せを振る舞って!」
憎悪が、純粋な憎悪がぶつけられる。
耳をふさぎたいけど、身体が動かなかった。変わりに、アロイ様が抱きしめてくれる。
「だから壊したくなった。奪いたくなった! 毎日毎日、それこそ毎日呪ったわ。ずっと呪ったわ! そうしたらある日、悪魔が召喚できたの。全部ぶちまけたら、私の憎しみをおいしそうに味わって、邪法を授けてくれたわ」
なんと、なんということだろう。
「すべては上手くいっていた! 邪法によってあんたは横暴になり、私を虐げ、王子に近寄ることができた。心をあと一歩まで奪うことができた。それなのに、それなのに、それなのにっ!」
シェリーの全身が震える。人間の限界を超えるような勢いで。
「どうしてあんたが幸せそうにしてるのっ!!」
がつん、と、言葉に殴られる。
「どうして、私が、この私が幽閉されてしまっているの! こんな、こんなみすぼらしく情けない格好をさせられているのよおおおおっ!」
絶叫だった。
喉を破るくらいの勢いで叫び、シェリーがダガーを手にとびかかってくる。
いけないっ!
全身に緊張が走った瞬間、かけつけてきた騎士たちが真横からシェリーにタックルを仕掛け、弾き飛ばす。
芝生の上で転がったシェリーに、騎士がのしかかるようにして拘束し、あっという間に縛り上げてくれた。
「ご無事ですか!」
「あ、ああ、助かった」
「とりあえずは連行しますが……処分はどうされますか?」
そうだ。それによって送られる牢屋の種類が違うんだ。
私はたまらずアロイ様を見る。
すると、アロイ様は怒りと悲しみの表情に満ちていた。
「彼女を救うには、もう首を刎ねるしかない。極刑に処す」
アロイ様の一言に、騎士が居住まいを正す。
「承知しました」
こうして、シェリーの処刑は決定した。
シェリーの悪夢から解き放たれ、宮中も穏やかさを取り戻していく。私とアロイ様の関係も完全に修復されて、以前のように笑い合えるようになった。
このまま、結婚式を挙げて、幸せへと国を導くだろう――。
そんな声もちらほらと聞こえるくらいの仲の良さだ。
元々からそうなんだけど。
でも、足元の不安がないのは良いことで、私は公務に励める。天使様も嬉しそうにしてくれて、それも良いことだった。
「久しぶりの散歩だね」
「そうですわねぇ、ここ最近は公務が忙しかったですから」
穏やかな昼下がり、久々に宮中でのランチを楽しんだ私たちは、綺麗に整えられた中庭へ足を運んでいた。
春先の良い季節だ。
花壇には花が綺麗に咲き、小鳥たちも喜ぶようにさえずって飛んでいる。日差しも穏やかで、ぽかぽかだ。うん、素敵な一日だ。
こんな春の一日、アロイ様とゆっくり過ごせるのは幸せだ。
お互いに顔を合わせ、微笑み合う。
「――ずいぶんと幸せそうじゃないの」
そんな空気を泥で汚すかのような掠れた声は、後ろからやってきた。
反射的に振り返り、私は喉をひくつかせるように鳴らす。
立っていたのは、ばさばさに広がる髪に、やせこけた頬と体躯の女。
白いワンピースは黄ばんだように薄汚れ、どうしてか足元へ向かうにつれて血が滲んで垂れている。
異様な生臭さと、肉の腐ったような据えた臭い。
およそ人間とは思えない形相で、ギラギラした怒りの瞳で、私たちを睨んできている。
「お前はっ……」
誰何しかけて、アロイ様は気づく。私も気づいた。
「シェリー……!?」
名前を呼ぶと、にたぁ、と笑う。歯が何本か欠けている。
たった一週間で、どんな酷い有様なのだろうか。
確かに地下へ幽閉は決まったけれど、清潔な暮らしができるように手配はした。着替えも支給するし、食事も与える。入浴の機会もあるし、手洗いの場所だって用意させたのだ。
なのに、どうして。
いや、それ以上に。
どうしてシェリーがここにいるの?
裸足を引きずるように、ぽたりと血の痕を残しながら、シェリーは近寄ってくる。
正気を失っているかのように震える手には、ダガーがあった。
「ひひっ。あんたらが日の元でのうのうと歩いている間、私は地獄を見ていたのよね。あり得ない、ありえないわっ!」
「シェリー! 何を考えているの? バカなことはやめなさいっ!」
「バカ? バカなことって何よ。あんたらの命を奪うこと? あははっ」
――ダメだ。もう我を失っている!
『今、騎士団にお告げをしてきたよ。もうすぐやってくる』
焦る私に、天使様が耳打ちしてくれた。
『これが《悪意の魂》に心を食い散らかされた人間の末路だよ』
「食い散らかされた、末路……」
『もう憎しみしか彼女には残されていない。だから、悪魔の邪法なんだ』
言葉のおぞましさに、私は身震いする。
とにかく、ここは離れるべきだろう。私はアロイ様の裾を掴んだ。
「逃がさないわよ」
私の行動を目ざとく察したか、シェリーが制するように声を放つ。
「シェリー。こんなことはやめるんだ。どうして!」
「あんたには関係ないわよぉっ! あんたみたいに、生まれながらに成功と幸せが約束された王子様が。私の気持ちなんて分かるはずがないんだからっ!」
「シェリー……!?」
「私は下級貴族の出。姫みたいな立場だけど、待っていたのは農作業だったわ。小さい領地、ふがいない父のせいで民は離れ、最後は統治に失敗した。父はその責を問われ、家は取り潰し」
シェリーは虚ろな目で語りだす。
「そんな中、私は人質のようにそこの小娘のもとに引き取られた。貴族のはずなのに、侍女になんてされて。それで? 教養がないからってあれこれ色々と教えられて、何様なのよ。どんな上から目線なのよ」
唐突に、私へ言葉の刃が向けられる。
私はどくん、と心臓が悪く高鳴った。
「ふざけんじゃないわよ。私は貴族よ。田舎ものだからって、都会の貴族ぶってあれこれと偉そうに! ムカつくのよ! そうやって私が悔しい思いをする中、あんたは幸せそうで、それが当然のようで、周囲にも幸せを振る舞って!」
憎悪が、純粋な憎悪がぶつけられる。
耳をふさぎたいけど、身体が動かなかった。変わりに、アロイ様が抱きしめてくれる。
「だから壊したくなった。奪いたくなった! 毎日毎日、それこそ毎日呪ったわ。ずっと呪ったわ! そうしたらある日、悪魔が召喚できたの。全部ぶちまけたら、私の憎しみをおいしそうに味わって、邪法を授けてくれたわ」
なんと、なんということだろう。
「すべては上手くいっていた! 邪法によってあんたは横暴になり、私を虐げ、王子に近寄ることができた。心をあと一歩まで奪うことができた。それなのに、それなのに、それなのにっ!」
シェリーの全身が震える。人間の限界を超えるような勢いで。
「どうしてあんたが幸せそうにしてるのっ!!」
がつん、と、言葉に殴られる。
「どうして、私が、この私が幽閉されてしまっているの! こんな、こんなみすぼらしく情けない格好をさせられているのよおおおおっ!」
絶叫だった。
喉を破るくらいの勢いで叫び、シェリーがダガーを手にとびかかってくる。
いけないっ!
全身に緊張が走った瞬間、かけつけてきた騎士たちが真横からシェリーにタックルを仕掛け、弾き飛ばす。
芝生の上で転がったシェリーに、騎士がのしかかるようにして拘束し、あっという間に縛り上げてくれた。
「ご無事ですか!」
「あ、ああ、助かった」
「とりあえずは連行しますが……処分はどうされますか?」
そうだ。それによって送られる牢屋の種類が違うんだ。
私はたまらずアロイ様を見る。
すると、アロイ様は怒りと悲しみの表情に満ちていた。
「彼女を救うには、もう首を刎ねるしかない。極刑に処す」
アロイ様の一言に、騎士が居住まいを正す。
「承知しました」
こうして、シェリーの処刑は決定した。
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