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32.惨劇

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「擦れてちょっと痛いかも。ゾエさん、戻して」
「い、今はそんなことを言っている暇はないって!」

 パルヴィの下着が元にもどってなかったらしい。
 必死で駆ける。殿を務めようと思っていたが、幸か不幸か俺が一番足が遅かった。
 鎧を着こんだエタンともう一人の団員より遅いとはちょっとへこむけど、これが現在の俺の体力なので仕方あるまい。
 緊張感のないことをのたまうパルヴィは俺のすぐ前を走っている。
 
 美女型上位悪魔は何故かその場から動こうとしないが、牛とヤギ頭はそうじゃない。
 進化が完了したらしく、再起動し始めた。
 巨体だけに、一歩進むごとに俺たちとの距離が詰まる。

「俺が引き付ける。団長の元まで駆けろ」

 と叫び、すぐに考えを改めた。
 牛とヤギ頭……双頭の悪魔が狙うのは俺に限った話じゃない。後ろから彼らが狙われたら一たまりもないよな。
 美女型も控えているし、ここは走るしかないか。
 
 後方が光る。
 チラリと目線をやると、双頭の悪魔の周囲に稲光が発生していた。魔法か、もしくはブレスのようなもので襲い掛かろうと言う腹か!
 念動力の糸と自分の体そのものを使って壁になれば、護れるか?
 即死しなきゃ、何とでもなる。パルヴィに引きずってもらえれば……。
 
「ゾエさん! 止まっちゃダメだよ」
「いざという時は俺を、そこの窪みに放り込んでくれ。パルヴィは攻撃が来たら伏せろ」
 
 こら、こんな時に後ろから張り付いて来るんじゃない。
 エタンたちのように全力で走れって。
 
 ゴトリ。
 覚悟を決めたその時、突如赤黒い極太のレーザーのような光が奔り、双頭の悪魔の首が落ちる。
 体を覆っていた稲光がプツリと消え、そのまま前のめりに倒れ伏す。
 
「お前らあああ。急げえええ!」

 団長の声!
 今のは団長がやったのか。
 え、あれが団長?
 
 トロールの首だけが団長の足もとに転がっている。まさか、絶命する間際のトロールの粘土状になった肉に巻き込まれたのか?
 その証拠にトロールの体がどこにもないんんだ。
 そして、あれが団長だとすれば、異形の姿に変わり果てていた。
 体色が薄グリーンで、肩口から左右に腕が生え、計四本となっている。頭から頭髪が抜け落ち、前向きと後ろ向きに尖った角が左右に計四本そそり立っていた。
 鼻から下は仮面のような金属光沢がある皮膚? になっており、胸から上を覆う同じ材質の鎧のようなもので覆われている。
 
「団長!」

 団員の一人が彼に呼び掛けるものの、苦しそうに首を左右に振った団長が再度口を開く。
 絶叫と呼んでいいそれは、悲痛に満ちていた。
 
「もう、意識が。俺が完全に魔物になる前に、行け! いや、ゾエ、俺を殺してくれ」
「そ、そんな」
「速く! 時間がもうねえ。あの奥にいる姉ちゃんみたいな魔物が来ないうちに」

 団長の体へ触れることができる距離まで転移し、彼の変わり果てた肩に手を当てる。
 彼の拍動をこの手に感じ、思わず目をつぶってしまった。
 レッサーデーモンにあった「コア」が異形の団長にはない。これなら、俺の手で団長を逝かせてやることはできる。
 だけど、だけどだ。彼は……俺には……できねえ。

「ゾエ! 見ただろう、さっきの力を! あれがお前たちに向く、街に向く、そうなればどうなるか、お前なら分かるだろう!」
「団長……」

 エタンが俺の手に自分の手を添える。
 「できれば私が送ってやりたい」そう言わんばかりの顔で真っ直ぐと俺を見つめながら。
 く……覚悟を決めろ!
 団長の生命の息吹を……俺がこの手で止める!
 念動力の糸を団長の拍動へ伸ばし、繋がる血管を――。
 切れない!
 動揺が顔に出ていたのか、エタンが重ねた手を離す。
 一歩離れ、両手剣を構える彼女。
 
「即死耐性でえす。その攻撃では即死耐性を取り込んだネザーデーモンを倒すことはできませーん」
 
 誰だ? でも、この若い女の子の声は聞いたことがある。
 
「すいません、団長。今の俺では」
「気に病むんじゃねえ。なら、とっとと逃げろ」

 唇を噛みしめ、団長から手を離す。

「エタン、その剣じゃあトロールでさえ倒し切れないぞ。引くしかない」
「し、しかし」

 子供のように首を振るエタンにいたたまれない気持ちになるが、もう時が残されていないのだ。
 感傷に浸っている暇なんてない。
 団長がくぐもった声を出し、彼の意識が混濁してきているのが見て取れたから。
 彼の抵抗がもう間もなく終わりを告げようとしていることは明白だ。
 
 団長……。
 彼から背を向け、俺たちを待つパルヴィらの元へ駆ける。
 あれ、エタン。
 
「エタン、早く!」
「あ……」

 一緒に駆けていると思っていたエタンは未だに団長の元から離れていなかった。
 そこで、背筋に悪寒が駆け抜ける。第六感が危険を知らせて……。
 空気が揺らぎ、美女型の上位悪魔が空間を飛び越えて出現した。彼女は甘えるように異形の団長にしなだりかかる。
 団長の首に回した腕の片方の指先を気だるそうにエタンへ向けた。
 「私と団長の仲に文句がある?」とでも言っているのか。
 
『ガアアアアアア!』

 団長が声にならない咆哮をあげる。
 ビリビリと空気が揺らぎ、これまでに感じたことのない圧倒的な強者の存在感に身が竦んでしまう。
 それに、恍惚とした表情を浮かべた美女型の上位悪魔は、ピンとエタンに向けた指先を弾く。
 
「きゃあああ!」

 パルヴィの悲鳴が嫌に耳にこびりつく。
 エタンがその場で崩れ落ちる姿がまるでスローモーションのように目に映った。
 そこへ団長から離れストンと地面に降り立った美女型の上位悪魔が倒れ伏した彼女の頭を掴み雑に持ち上げる。
 ダランと四肢を伸ばした彼女の姿に、楽しそうな笑みを浮かべる悪魔。

「エタンを! 許さねえ!」
「いけぞえさーん! ダメです。彼女はもう生きていませんー」
「何を言うか。気絶しているだけだろ!」
「触れないと分からないとでも言うのですか? その手で命の息吹を感じ取れるとでも?」
「うるさい、うるさい! お前に何が分かるってんだ!」

 パシイイイン。
 頬をはたかれる。声の主ではなく、パルヴィに。
 両目からボロボロと涙を流した彼女にぎゅっと抱きしめられた。
 その隣には、レティシアがいるじゃないか。いつの間に。
 彼女は胸にサードを抱き、無表情にこちらの様子を窺っていた。
 
「レティシア?」
「すみよんでーす」
「……今は君が何者かなんてどうでもいい。俺はエタンを」
「すみよんも、今はいけぞえさーんと問答している暇はありませーん」

 パチリと目を閉じたレティシアはぎゅううっとアヒルを抱きしめる腕に力が籠る。
 彼女からゆらゆらと蜻蛉のような光が登り始めた。
 そんなことより、今はエタンだ。
 しがみつくパルヴィをそっと離し、再び奴らの方へ目を向ける。
 
 エタンはサラサラと砂のように塵と化していっており、もう頭だけしか残っていなかった。
 声にならない声をあげ、握りしめた手からは血が滴り落ちる。
 が、どうしようもない。上位悪魔二人がまだ動き出さぬうちに逃げろと本能が叫んでいる。
 だけど、俺が、俺の意思がそれを拒む。
 団長をエタンを奪ったこいつらを許してはおけない。このままここから立ち去るなんてことはごめんだ!
 俺の全てを賭してでも、こいつらだけはここで始末する。
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