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第一話

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「あらあ」

 今日もきれいなユニゾンだなぁ。なんて一同は思う。



 王立学院のランチどき、カフェテリアである。入り口でエリザベス、スカーレット、マチルダの三人は立ち止まった。



 カフェテリアの真ん中あたり、ヴィンセント王子とアーサー、イアンの三人がいつもの席にすわっている。

 ところが……。

 エリザベスがすわるはずのヴィンセントのとなりには、かわいらしいご令嬢がちょこんとすわっていて。

 ヴィンセントがエリザベスのために用意したゴブラン織りの特注のイスである。



 カフェテリア中に「どうしたものか」という戸惑った空気がながれた。

 しかたがないわ。

 エリザベスは思った。

「どこか、ほかに……」

 言いかけたところで、ヴィンセントが立ちあがった。

「リズ!」

 

 いつぞやの騒ぎの再来か。

 いっしゅん、みんなの胸に「あれ」が去来する。が、今回は事情がちがう。お相手は隣国のソフィーナ王女殿下である。



 ピエール王子殿下とともに、視察という名目のご旅行なのだ。一週間の滞在予定。

 ピエール殿下はほんとうに視察かもしれないが、ソフィーナ殿下にいたっては、そのピエール殿下にくっついてきた完全なる観光旅行である。

 しかも、その案内役にヴィンセント王子をご指名したのだ。

 なんでもお出迎えした際、見目麗しいヴィンセント王子をたいそうお気に召されたのだとか。



「ヴィンセントさまが通っていらっしゃる学院に行ってみたいですわ」

 そのひとことで、ヴィンセントがエスコートして、学院内をご案内している。



 そんな席に、相席するわけにもいかない。たとえ、そのイスが特別なイスだとしても。

 エリザベスだってご令嬢だ。王国のお客様に向かって「そのイスはわたくしのものです」なんて、大人げないことは言わない。



 エリザベスはヴィンセントに「ごきげんよう」なんて、軽く礼を執った。



「おねえさま」

 また、ややこしいヤツが出てきた。「あれ」の再来だ。

「お席をお取りしました。こちらにどうぞ」

 アメリアがうやうやしく手を差しのべた。だいぶ、騎士が板についてきた。

「あら、ありがとう」

「いいえ。おねえさまのためです」



 もう全員が「おねえさま」に慣れてしまった。いいのか、悪いのか。



 なんとなくカフェテリア全体が、ぎこちない空気につつまれたそのとき。

「まあ、ずいぶんと傲慢ですのね」

 かわいらしいのに、とげとげしいことばが放たれた。



 ええ?

 その場にいた全員が耳を疑った。

 いま、しゃべったの誰?

 いや、隣国の王女殿下なのだが。王女殿下、そんなこと言っていいのか? 

 エリザベスのこめかみにピキッと青筋が走った。



「ソフィーナ殿下」

 ヴィンセントが口を開いた。

「アメリア嬢は、エリザベスを慕ってくれて、いつも気を遣ってくれるのです。けっしてエリザベスが強要しているわけではありませんよ」

 さすがのヴィンセントも、ちょっと非難がましくなった。



「あら、そうなのですか? ご友人たちをあごで使う方なのかと思いましたわ」

 なぜ、ソフィーナ殿下はエリザベスを目の敵にしているのだろう。

 ヴィンセントの婚約者だから?

 カフェテリア中にブリザードが吹き荒れる。



「……行きましょう」

 そんな空気に耐えかねたように、スカーレットが言った。

「そうね、テイクアウトして中庭で食べましょう」

 マチルダも同意した。エリザベスは小さくため息をついた。

 

 同情されているのがいたたまれない。理不尽に敵意を向けられているのも納得できない。

 勝手にライバル認定されたエリザベスは、口答えなどできるわけもなく、おとなしく引き下がるしかない。

 理不尽な。



 いくらソフィーナ殿下がヴィンセントを気に入ったからといって、婚約者を挿げ替えられるはずもない。



 そう! そんなこと、できるわけないじゃない。

 いや……。隣国とのさまざまな兼ね合いを考えたらなくもない。

 いや。いやいや。

 エリザベスの心中にもブリザードが吹き荒れる。



 ヴィンセントもはっきり言ってくれたらいいのに。

 まあ、立場上いろいろあるでしょうけど!



「では、ヴィンセントさま。失礼いたします」

 なんだか腹が立ったので、他人行儀に言ってやった。

 この淀んだ空気は、自分でなんとかしなさいよね。



「あ、ああ。また後で」

 最後まで聞かずにエリザベスは背を向けて、ざわつくカフェテリアを後にした。





 夜会など面倒くさい。

 ピエール、ソフィーナ両殿下の歓迎の夜会があるという。もちろん、エリザベスも行くのだが。

 正直なところ、行きたくない。行ったところでどうせ、ヴィンセントはソフィーナにつきっきりなのだろう。



「エスコートできない。ごめん」

 とメッセージが届いた。バラの花束とともに。

 ふん!



 いつもは、ヴィンセントと装いをそろえるのだけれど、今回に限ってはそれも必要あるまい。

 というか、当てつけのようにヴィンセントが絶対に着ないような色合いを選んだ。

 ヴィンセントが好まない紫。淡い紫が裾に向かってだんだん濃くなっていくグラデーション。髪もおとなっぽく、きっちりと結いあげた。必殺、うなじ晒し。

 どうだ! ふん!



「エリザベス!」

 会場入りするとすぐに、マチルダに声をかけられた。

「ヴィンセント殿下はきょうもソフィーナ殿下にかかりきりなのね」

「そうね」

 マチルダが肩をすくめた。

「あんなにわがままで、だいじょうぶかしらね、あの王女さま」



 エリザベスもそう思う。少なくても口のきき方は気をつけてもらいたい。仮にも国の顔なのだから。



 ソフィーナ王女とヴィンセントのうわさはすでに浸透しているようで、エリザベスはちらちらと視線を向けられる。

 いたたまれない。

 もう帰りたい。まだ始まっていないのに。



「ソフィーナ王女殿下にライバル認定されたのですって?」

 よく知ったおばさまがたが、クスクスと笑いながら言ってくる。

「……まさか。そんなことは……」

 エリザベスは半目で答える。

「強力なライバルね。がんばらないと!」

 もういやだ。作り笑いも頬が引きつる。



 ようやく王家の皆様のお出まし、そして主賓の王子王女殿下のお出まし。

 ピエール殿下には王妃さま。ソフィーナ殿下には当然のようにヴィンセント。わざわざ同じ色合いで合わせた装いで。



 むかつくわ。

 王子に王妃さまがつくのなら、王女には国王陛下でよくない?

 なんなのかしら、ほんとうに。



 ソフィーナは当然のようにヴィンセントを独占し、片時も離れない。エリザベスと踊ることなんてできやしない。

 そして、いつもならエリザベスのために用意されている婚約者のための席は、きょうはソフィーナのためにあけてある。



 なんなのかしら。王家一同、婚約者を挿げ替えるつもりなのかしら。



「あらあら、ほんとうに婚約者の席まで取られちゃったわね」

 おばさまがけらけらと笑う。ぜったいわざとだ。

「あれだけかわいらしいのですもの。ヴィンセント殿下も気が移りますわね」

「ほほほ」

 エリザベスの愛想笑いにも力が失せる。



 壇上のヴィンセントはずっとソフィーナのとなり。ふう、とため息をついたとたん、目が合った。

 たぶんエリザベスは泣きそうな顔をしている。自覚がある。

 なんとかしてよ。

 そう思ったのに、ヴィンセントは気まずそうな顔をして目をそらせてしまった。



 もうダメだ。

 エリザベスの心はぽっきりと音を立てて折れてしまった。



 もう帰ろう。耐えられない。



 いっしょに来た父と母に、先に帰ると言ってひとり車寄せにむかった。

 ヴィンセントがどんな顔をしているのか、見る気にもなれなかった。



 思いのほか、早く帰宅したエリザベスに、家の者たちはあわてていたけれど、それにかまうことなくエリザベスはドレスを脱ぎ捨て、髪をほどくとそのままベッドにもぐりこんだ。



 夜は永遠に続くかと思われるほど長く、眠りは永遠に来ないかと思うほど遠かった。



 おそらく深夜を回ったころ、部屋のドアがそっと開いた。

「リズ」

 夜会の喧騒の名残を含んだ母の声がした。でもふとんをかぶったまま、返事はしなかった。母はそれ以上声をかけることなく、来た時と同じようにそっと部屋を出て行った。

 誰とも話をしたくなかった。



 明け方になってようやく眠りについたエリザベスは、昼近くまでぐずぐずとベッドの中ですごした。

 きょうがお休みの日でよかった。

 もし休みじゃなかったら、学院でなにを言われたか。たまったものじゃない。



 侍女のジェニファーが花束を持って入ってきた。

「ヴィンセント殿下からですよ」

「うーん」

 モヤモヤな返事をする。素直に喜べない。

「はい! メッセージカードです!」

 ジェニファーはいまだベッドの中のエリザベスの目の前に封筒を突きつけた。

「いつまでもいじけてぐずぐずしているんじゃありません」



 それはわかっている。でも、どうにもすっきりしない。

「お出かけになったらどうですか。お天気もいいですし」

 ほんとうに、にくたらしいほどの青空だ。



 もそもそと体を起こして、封筒を開ける。

「きのうは申し訳なかった」

 ……それだけ?

 ぽいっと投げ捨てた。

「おじょうさま」

 ジェニファーはあきれたように、ご丁寧にそれを拾ってテーブルの上に置いた。わかっている。自分で自分が嫌になる。自己嫌悪っていうのかしら。



「出かけます!」

 そう! 気分転換よ!

「はい」

 ジェニファーはやっとにっこりと笑った。



 近ごろ、令嬢たちに人気のカフェがある。「パフェ」というものが、見た目もきれいでおいしいと評判である。

 そこへ行ってみましょう。

 ジェニファーも食べたいでしょう? と言ったら彼女は目を輝かせて「はい!」と言った。

 うん、ふたりで食べたらきっと気も晴れる。



 そう思ったのに、なぜ。

 十分ほど待って通された席で、目の前に出された「パフェ」に、ジェニファーとふたりで見入っていたらば。



 ちょっと店内がざわついた。なんでしょう、と顔を上げたらヴィンセントと目が合った。となりにはソフィーナがぶら下がっている。

 ヴィンセントが「しまった」みたいな顔をした。

 いたら、悪かったんですか。

 なんですか。

 カフェの視察なんですか。

 そうですか。



 突然あらわれた王子殿下とご旅行中の隣国の王女殿下のお出ましに、レディたちの「きゃあ」だの「まあ」だの黄色い声が飛ぶ。



 なにしに来たんだ。せっかく忘れていたのに。エリザベスの右頬がひくっとする。

 そんな投げやりな気分になったエリザベス。

 なにも言わずに目をそらせた。

「いただきまあす」

 あわてるジェニファーを横目に、スプーンでクリームをすくって口に入れる。

「んん! おいしい!」

「よ、よ、ようございましたね」

 ジェニファーもあいつらなんか気にせずにさっさと食べましょうよ。とか思った。



「あら、ごきげんよう」

 パフェの上に、さっと影が落ちた。エリザベスは舌打ちを呑みこんだ。

 ソフィーナ殿下がエリザベスを見おろしていた。えらそうに。



 しかたがないわね。エリザベスはスプーンを置き、ゆっくりと立ちあがり、礼を執った。

 こんなところで、めんどくさい。無視してくれたらよかったのに。

 ジェニファーは、除けるに除けられないせまい席の中で縮こまっている。かわいそうに。



「リズ、気を遣わせてごめんね。ぼくらはあちらへ行くからゆっくり食べて」

 ヴィンセントは一応気を遣ってくれたようだが。

「あら、せっかくですもの、ごいっしょしましょうよ」

 ジェニファーが青ざめた。侍女がごいっしょできるわけないだろう。いまさら、どこへ行けというのだ。

 エリザベスに目でなにかをうったえてくるが。エリザベスだって、どうしようもない。

 ソフィーナ殿下は、みんなの気づかいを無駄にする気だろうか。



「ほら、あちらに席を用意してもらっているからね」

 ヴィンセントがあわてて言った。いちばん奥に「予約席」がありますよ。あなたがたのでしょう。

「いいえ、エリザベスさまとお話がしたいですわ」

 わたくしは、したくありませんわ。心の中で言ってみる。



「ほら、あなたはそちらに移って」

 とソフィーナ殿下はえらそうにジェニファーを小突く。

 わたしの侍女になにをするんだ。エリザベスはムッとする。ジェニファーはかわいそうなくらいかしこまっている。

 こういうところに気を遣えないと、後々こまるのはあなたですよ。と、エリザベスは思ったが。



 こうして四人掛けのテーブルに、エリザベス、ジェニファー対ヴィンセント、ソフィーナというなぞの構図が出来上がった。やたらと近いヴィンセントとソフィーナの距離。



 この四人でなにを話せばいいのか。

「わたくしもこれが食べたいですわ」

 ソフィーナ殿下は、ジェニファーのいちごパフェを指さす。



「あ、ああ。殿下の分は最高級のマスカットを用意してあるんだよ。それにしよう?」

「いちごがいいですぅ」

 また、わがままを……。

 ヴィンセントが店員のお嬢さんに「申し訳ない」とあやまりつつ、いちごパフェを注文する。

 

 お店のほうでちゃんと準備しただろうに。

 ほら、お店の人も護衛の人たちも裏でバタバタしている。

 たいへんそう。ちょっと同情する。



「さあ、食べてしまいましょう」

 エリザベスはジェニファーを急かして、最上級じゃないふつうのマスカットパフェを食べていく。ジェニファーも急いでいちごパフェを食べていく。

 ヴィンセントの額に汗がにじむ。



 食べきったときにはおなかがすっかり冷えていた。アイスクリームとはこうも冷えるものか。せっかくのパフェなのに、味がしなかった。なにもかもが台無しだった。



 ソフィーナ殿下のいちごパフェが出てくる前に、エリザベスは席を立った。



「あら、もう出られますの?」

 はい、あんたのせいでね。

「ご公務のじゃまはいたしませんわ」

 ヴィンセントの頬を汗が流れる。困った素振りをしながらも、ちょっとうれしそうなのがまたむかつく。

「あら、きょうは公務じゃありませんのよ。ねえ、ヴィンセントさま」

 そう言ってソフィーナ殿下はヴィンセントの腕にしなだれかかる。

「わたくしが行ってみたいと言ったら、わざわざヴィンセントさまが連れてきてくださったのよ。ねーぇ?」

 

 いいかげんにしろよ、このヤロー。じゃあ、このおぜん立てはなんだ。説明してみやがれ。

「そうでしたか。それではソフィーナ殿下、ヴ・ィ・ン・セ・ン・ト・殿・下・。おふたりでごゆっくりどうぞ」

 思いっきり作り笑いをしてやった。ヴィンセントの頬がひくっとなったのを見て、ちょっとだけすっきりした。

 いろいろと買い物をする予定だったけれど、すっかり気分が削がれてしまった。



「おじょうさまぁ。おなかがひえひえですぅ」

 帰りの馬車の中で、ジェニファーがおなかを抱えて、情けない声をだした。

「あら、ぐうぜんね。わたしもひえひえよ」

 思ったより冷たい声が出て、自分でもびっくりした。

 ごめんね。八つ当たりです。

 家に着いたら、ジェニファーが温かいお茶を淹れてくれた。すこし、気分が上がった。



 その日、ヴィンセントからのメッセージはとどかなかった。寝る直前まで待っていたエリザベスは最悪の気分でベッドに入った。

 もちろん、眠れるわけもない。



 それからの三日間、エリザベスはヴィンセントと顔を合わせることはなかった。

 ヴィンセントは学院を休んで、ソフィーナ殿下につきっきりだったから。

 一度だけ花が届いた。メッセージもないただの花束。

 なんだろう。花さえ贈っとけばいいだろう。みたいなやっつけ仕事。

 腹が立つ。



 ばさっと放り投げたら、ジェニファーがひろってちゃんと花びんに生けてくれた。

 ごめんなさい。八つ当たりです。



 この期間、別行動のアーサーとイアンは

「わがままお姫さまのお相手でたいへんみたいだよ」

 と、半目で言った。

 そうは言いながら、自分だって楽しんでいるんじゃないの?

 とは思ったけれど、口にはしなかった。それくらいの矜持はある。





「リズぅーーー! 会いたかったよ!」

 スペンサー侯爵家の応接室。案内してきた家令を突き飛ばすように飛びこんできたヴィンセントは、泣きださんばかりにエリザベスに抱きついた。

 こちらも泣きたかったですよ。

 口には出さないが。

「お帰りになったの?」

「帰った。帰った。やっと帰ったよ」

 とても王子の発言とは思えない。

「ぼくと離れたくないって、ギャン泣きしながら帰ったよ」

「あらあら」

「ピエール殿下が必死でなだめていたよ」



「しかたないわ。まだ六才ですもの」



 そう。ほんとうにかわいらしい王女なのだ。こまっしゃくれた口さえきかなければ。

 夜会のおばさまがたも、子どものわがままがかわいいと思っていただけなのだ。

 背丈がヴィンセントの半分ほどしかないから、文字通りぶら下がっていたし。



「もう、うんざりだ」

「あなたも楽しんでいたんじゃない?」

「きみまで、そんな意地悪を言わないでくれよ」

 ヴィンセントはほんとうに情けない顔をした。



「この三日間、どうしていたと思う?」

 さあ? 知るか。

「毎晩絵本の読み聞かせだ」



 それはそれは……。

「ピエール殿下か、侍女がやっていたんだが、ぼくに読んでほしいと言い出して」

 ヴィンセントが子どもに絵本を読み聞かせる。

 エリザベスは思わず、ふふっと笑ってしまった。

 なんだか、微笑ましい。



「たいへんなんだよ、あれ。登場人物ごとに声色を変えなくちゃいけないんだ」

「そうなの?」

「そう。そして、もっと悲しそうに、とか楽しそうにとか演技指導が入るんだ」



 ジェニファーの肩が震えている。

「しかも、三冊も!」

 ……おつかれさまでしたね。



 ヴィンセントはぎゅうぎゅうとエリザベスを抱きしめる。

「リズが足りない」

 そう言って、エリザベスの肩口で大きく息を吸う。

「やだわ。はずかしい」

「リズの匂いがする。ぼくを癒しておくれ」



 エリザベスはヴィンセントの背中をなでてやる。

「ソフィーナ殿下から見たら、さぞや大人のカッコいい殿方に見えたんでしょうね」

「まさか」

「ソフィーナ殿下の初恋かもしれないわよ」

「はは。きっと来週には忘れるよ」

 忘れてほしい。とヴィンセントはつぶやいた。



 帰国以来ソフィーナ殿下からは、ヴィンセント宛てに三日おきに手紙が届いた。

「あなたといっしょにすごせて、とても楽しかった」

「またお会いしたい」

「あなたのことが忘れられない」

「すぐに会いに行きます」



 ヴィンセントは必死に対抗した。

「きょうは、エリザベスと晩餐を共にしました。彼女と食べる食事はいっそう美味です」

「きょうはエリザベスと芝居を見に行きました。ぼくは芝居よりも彼女に見とれてしまいました」

「きょうはエリザベスと庭園のボートに乗りました。池のカモもぼくたちを祝福してくれました」

「きょうはエリザベスにネックレスをプレゼントしました。ぼくの瞳と同じ色のサファイヤです。彼女によく似合っています」



 この「きょうはエリザベスと」攻撃に、さすがのソフィーナ殿下もドン引きしたようだ。

 手紙の頻度は、週に一回、二週に一回、月に一回と減っていき、三か月めにぱったりと止んだ。



「ほら、忘れた」

 ヴィンセントは自慢気に胸をはった。すごい執念だ。だれだってドン引く。子ども相手になにをむきになっているんだか。



 日常が戻った学院。カフェテリアではいつもどおりの六人の光景。

 イスを変えようか。

 とヴィンセントは言ったけれど、それは固辞した。ほかの女がすわったイスにすわりたくはない。

 でも、たかが六才の子どもに本気で嫉妬したなんて口が裂けても言えない。



 だってあの子、子どもとはいえちゃんと女の目でわたしに敵意を向けたもの。



 でもそんなことは、ヴィンセントには絶対教えてやらない。意識されたら嫌だもの。

 だから、平気なふりをしてすわっている。

 すわるたびに微妙な顔をするエリザベスに、ヴィンセントがちょっとうれしそうなのがムカつく。


   おしまい
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