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四章 第一妃の変化

298、婚約者候補被害者の会  4(ディオール家のバッジ、魔力の暴走)

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 リネート・ダンストは中等学園時、丸腰の同級生へ剣を抜いたことがあると噂の令嬢だった。

 正義感が強く、それゆえに人から敬遠も信頼もされるご令嬢。

 前に彼女が剣を抜いたのは陰口を言われた友人のためだった。場所は学園外。剣を向けた相手は自分と同じ爵位の令嬢。きっかけはダンストの親しくしていた友人がとある令息から思いを寄せられているという噂が立った事だ―――。





(―――その令息へ思いを寄せていたとある令嬢がダンストの友人を茶会に誘い、その席で嫌がらせをし憎き恋敵に恥をかかせようとした、と。貴族にありがちな愉快な話ね)

 放課後、夕食前の時間。アルベラは手紙に書かれた学園内の部屋へベッティーナと使用人二人エリーとガルカと共に向かっていた。

 令嬢に向け剣を抜いたというのは、午後の授業を終え自室にいったん戻った際にエリーから聞いた話だ。遠目から見ただけのガルカからは一言「扱いやすそうな奴だった」という感想が伝えられた。

(ベッティーナの話だと騎士団での信頼は厚いと……。けど感情的になると魔力の押さえが緩む人だからそれが心配だと……、『流石の先輩も公爵家相手に剣は抜かないだろう』とか思ってたけど『魔力の暴走』となるとそういう話でもなくなったな)

 その気の有り無し関係なく、伯爵位の者が公爵令嬢相手に魔力が暴れ怪我でもさせた日には大問題だ。

(こちらのためにもあちらのためにも、変に逆撫でしないよう気を付けよう。相手はメインキャラでもないし、危ないなら余計な威圧はしなくていいや……)

 アルベラの隣には緊張の面持ちのベッティーナが歩いていた。彼女の腰には剣が携えられている。その姿が不安を煽る一因となってアルベラはどうも落ち着かない。

「……」

「あ、ご安心ください。こちら訓練用の刃先が潰れた物ですので」

 アルベラの視線に気づきベッティーナが答える。

 騎士団に所属している者は学園内で帯刀を許されており、アルベラもそれは知っていたので前期の間にも剣を腰に下げている生徒を見かけても不思議に思う事は特になかった。だが、アルベラの記憶では普段授業等で会ったりすれ違ったりするベッティーナの腰に剣はなかったはずだ。今回の件で警戒のため特別に持ってきたのだろうかと疑問を抱く。

「……ベッティーナ様は普段から剣を持ち歩いてまして?」

「はい。ですが私の場合、授業時間内は持ち歩かず放課後や授業が始まる前なんかに持ち歩いてます。普段から何かが起きた時、直に反応できるようにしておきたいですから」

「では今もいつもの習慣で持ってきたというだけで?」 

 アルベラの問いの意味に気づき「あ……」とベッティーナの表情が固まった。彼女は慌てて訂正する。

「もちろんです! 決してダンスト様を警戒してとかそういう不穏な理由からではありませんから。流石にもう丸腰の令嬢に剣を向けたりはされないはずです! 多分、絶対、それについては大丈夫ですのでどうか悪いご想像はなさらないでいただけると―――」

 わたわたと疑念を晴らそうとするベッティーナにアルベラは笑顔で「勿論ですわ」と返す。返しつつ心の中「『もう』って……『はず』って……『多分』って……」と目を据わらせるのだった。





 ***





 指定の部屋の前に着くと待機していた使用人が頭を下げ扉を開けた。学園の会議室ないし多目的室は前期にも借りた事があるが、今回の部屋は以前の部屋よりも装飾品や模様に華奢な印象を受ける。内装は部屋によって異なるとは聞いていたがアルベラの印象は「何にせよ上品には変わりない」というものだった。彼女はベッティーナと共に入室すると揃っていた面々へ目を向ける。

「ごきげんよう、アルベラ・ディオールです。この度はお招きいただき有難うございます」

 アルベラの挨拶に部屋の先客たちは立ち上がり頭を下げた。

 奥の席の令嬢は一歩前に出て「リネート・ダンストです」と名乗る。

「この度は急な連絡にも関わらず、誘いを受け入れていただき感謝しております。―――どうぞそちらの席へ」

 楕円形のテーブルの一番手前、つまりは入ってすぐの誕生日席へとアルベラは促されるままに座る。彼女の後ろにはエリーとガルカが待機し右手の席にはベッティーナとその奥に先輩令嬢が一人。左手には先輩令嬢が三名。そして正面にはダンスト。本日の茶会はどうやら自分を合わせ七名での開催であるらしい、とアルベラはその顔ぶれを眺めながら人数を確認する。

 アルベラが席に着くと学園寮の使用人がダンストの準備した紅茶を淹れ招待客へと配っていく。テーブルには色とりどりの甘味が並べられているが、ここにいる誰もそれらに惹かれている様子はない。ちらちらとこちらを伺うような視線を向ける者、不安げに手元に視線を落とす者、カチコチに体を強張らせ正面に視線を向けたまま微動だにしない者と……予想以上に今回の茶会の題目と自分の存在を意識している様子の参加者にアルベラは憐みさえ抱いた。

(婚約者候補の話を直々に公爵家にって……そうか、私が思っていた以上にそんなに怖いか……)

 ベッティーナの隣に座る令嬢に目を向け「彼女がサーグッドだったろうか」と思い出していると、その令嬢はアルベラの観察の目に身を竦ませて視線を逸らせた。

(……うぅん……ここにいる全員がウサギに見える……。取って食ったりしないのに)

 お茶が皆にいきわたると、ダンストがカップを手に持ち軽く持ち上げて皆の視線を集めた。

「では皆様、お茶の準備も整いましたし本日のお茶会を始めましょう。どうぞ、お菓子もお気軽にお取りください」

 ダンストのよく通る声が会の開始を告げる。ハキハキとして女性にしては少し低音で、他の令嬢たちはそんな彼女の声に安心感を抱いているようだった。

(頼りにされてるのね)

 とはいえ、そうそう紅茶を口に運んだり、菓子を手に取ったりと出来る空気ではない。これは茶や菓子を楽しむ場ではない。皆そう分かって集まっているのだ。

「―――申し訳ありませんディオール様」

「はい」

「来ていただいて早速ですが本題に入らせていただいても?」

「ええ、勿論」

 アルベラはカップを持ち上げ微笑んだ。

(白黒つけてさっさと終わらせるのが吉)

 彼女の手首、いくつかの鉱石が括られ飾り立てられたブレスレットが揺れしゃらりと小さな音を立てる。





 待ちかねていた人物の登場にダンストは同級生達が身を強張らせるのを感じた。

 部屋にやってきたディオールの御令嬢は、知らない面々ばかりであろう場で気後れする様子も一切なく自分の席へとついた。

 ダンストは自身の手紙の内容を思い返す。

 ディオールの令嬢には手紙で茶会の題目を伝えていた。そしておそらく、共に来たベッティーナから事のあらましは聞いているはず。この茶会に良くない印象を抱いていてもおかしくないだろうに、アルベラ・ディオールはそんな感情の一片も零さずただ優美に微笑んでいた。

 一つしか年の違わない後輩。だがこの場の誰も、あの令嬢に「後輩としての可愛らしさ」などと生ぬるい物を見出すことが出来てないのは明かだった。

 むしろダンスト以外の令嬢は、今までの被害に加えこの場で堂々としている内心の読めない相手に怯えていた。

 自分の右隣りの同級生が顔を青くして震えているのを見てダンストは「私がしっかりしなきゃ」と背筋を伸ばした。





「ディオール様、先ず初めに私から皆様の紹介をさせていただきます」

「お願いいたします」

 ディオール嬢へとダンストは自分以外の四人の二学年の令嬢の紹介をしていく。そしてベッティーナを同級生たちへと紹介し終えると、彼女は自身の左手に座る親しい友人―――サーグッドに目配せをした。  

 サーグッドは小さくダンストへと頷き返す。二人の目に覚悟の色が浮かぶ。ここからが本題なのだ。

「さて、ディオール様はご存じか分かりませんが―――ここにいる二学年の者達ですが、私を除いて皆ラツィラス様の婚約者候補だ・っ・た・もの達です」

(きたか……)

 とアルベラはカップをテーブルの上に置いた。

「そうらしいですね。一応今日のお話の主軸についてはベッティーナ様からも軽く伺っておりますので」

「……そうでしたか。では嫌がらせを受けて婚約者候補の座を辞退したというお話は」

「はい、伺っております。―――ですのでどうぞ、こちらの事は気にせず続けてください。私の発言は一先ずダンスト様のお話を聞き終わってからにしたいと思っております」

「……」

 社交の笑みで言葉を締めたアルベラだったかがダンストの反応が遅い。

 「ダンスト様?」とアルベラが問うと、彼女は「あ、はい。有難うございます」と返し言葉を続けた。柔らかく笑みを浮かべるディオール嬢にダンストは恐怖に近いうすら寒い物を感じ、予定していた次の出方に迷いが生まれてしまったのだ。

「では、彼女達が何をされたかは?」

「存じ上げておりません」

「そう……ですか。では私から説明を……。彼女は……婚約者候補の座を降りるようにという強迫文を受け取ってからひと月、側に物が落ちてくるという嫌がらせを受け続けました。初めは小さなものから始まり、最後の方は鉢植えや花瓶など直撃すれば大怪我を負うものが頻繁に。落下物が彼女に当たる事はありませんでしたが、毎回決まって彼女の数歩前に落ちていました」

「なるほど」

 アルベラに目を向けられた令嬢は身を小さくして視線を落とす。

「そして彼女は、彼女の次に同じ嫌がらせを。彼女は物が降ってくる恐怖に二か月耐えましたが、ある日目の前の馬車が突然爆発し、それを機に候補者の座を降りました。そしてこちらの彼女ですが、こちらはまた別の嫌がらせを受けていました。彼女は生き物が好きで部屋で小鳥を飼っています」

 うちと同じね、とスーの事を思い出しながらアルベラは話を聞き頷く。

「彼女の屋敷には犬と猫とウサギもおり彼女はとても可愛がっていたのですが、ある日例の脅迫文が来てから学園に連れてきた小鳥が鳴かなくなったのです。小鳥は日に日に羽が抜けて行き、彼女が籠を開けても羽ばたかなく……」

(―――さ、殺気!?)

 ダンストはディオール嬢から冷たい空気を感じて言葉を切る。

 ディオール嬢は微笑んではいるが何やら圧迫感のある空気を纏っていた。うっすらと細められた眼の中で緑の瞳はギラギラと輝いた。魔力に僅かに灯っている様子だが、このぎらぎらとした視線は灯りだけでなくあの令嬢から感じる圧力もあいまってのものだろうとダンストは息を飲む。

 騎士見習いであるダンストとベッティーナはその空気を殺気と取り、なぜ今彼女からそれを感じるのかと戸惑う。他の令嬢達は彼女の空気に押され目に涙を浮かべ息を殺して縮こまっていた。

「―――あ、アルベラ様……?」

 名前を呼んで目を向けられ、ベッティーナは一瞬向けられた緑の瞳に怯んだ。

 アルベラはベッティーナと目が合うと「まあ、失礼」と先ほどまでのピリついた空気を取り払い柔らかく笑んで見せる。

(……まずいまずい……小鳥って聞いてついピリの件と被った……)

 話に聞く嫌がらせの犯人へ突如に怒りが沸き上がってしまった事に、アルベラは反省しダンストへと顔を向ける。

「失礼、お話の続きを」

「は、はい……。それで、彼女の元に見覚えのある何らかの生き物の毛が届くようになり屋敷へ連絡すると、最近ペットの体調が優れないと」

「可愛いペット達が死ぬ前にと、候補を降りたという事ですね」

「はい」

 頷いたダンストへ、「では彼女は?」とアルベラは次の番であろうサーぐッドへ目を向けた。

「彼女は―――」

「わ、私は、」

 自ら口を開いたサーグッドにダンストが言葉を譲る。

「私は、手紙を受けてから食事に苦いものが混ざるようになりました。……すぐに吐き出して調べたのですが毒ではありませんでした。毎回でも無かったですし……一緒に……学園に来た侍女が毒見もしてくれていたので、そこで味の変わっているものは弾けたので……」

 だんだんと彼女の言葉は震え小さくなっていく。

「気づけば半月以上耐えていました。ですがある日、毒見をしてくれていた侍女が……私の前で……倒れ、て…………手紙は何度か来ていたのに……私が、無視し続けたから……」

 彼女は悔しそうに唇を噛んで肩を震わせた。

 ダンストが慰めるようにサーグッドの背中に手を当てる。

「……ここにいる令嬢方の事情は以上です。そしてこれが、サーグッド嬢の部屋から見つかりました」

(……ハンカチ?)

 アルベラはダンストが使用人に渡したものを眺める。受け取った使用人はそれをアルベラの元へと持ってきた。

(なるほど、うちのバッジか……)

 アルベラは使用人からハンカチを受け取り、その上に置かれた小さな銀色のバッジを摘まみ上げた。

 それは主人が使用人などに使いを頼む際持たせたり、ちょっとした場で自身の素性を示す際に使う家紋入りのバッジだ。

 アルベラは自身の記憶を辿り、そういえば父がこんなバッジを幾つか持っていたなと思い出す。

(お父様が使っていた物ならガルカに聞けばわかる……けど、ここではまずいな)

 この場で「これは家のですね」等と言った日には針のむしろだ。アルベラはテーブルに置いたハンカチの上にバッジを下した。

「このバッジを見つけ、私に聞きたい事があってこの場を準備したという事ですわね。―――皆さま……又はダンスト様の言葉で、今日のお話を最後までお聞きしても?」

 すっ、と見渡す緑の瞳。それがダンストで止まる。ディオール嬢の表情は静かなものだった。真顔にも微笑んでいるようにも見える表情。

 ダンストの背に冷や汗が伝う。

「……私達は、婚約者候補への嫌がらせの主犯がディオール様なのではと思い……その真偽をお伺いしたくこの茶会に招かせて頂きました」

「なるほど」

 「貴女が犯人だろう」ではなく「真偽を伺う」―――。

(リネート・ダンスト嬢、思っていたより断然落ち着いてる方で安心したな)

 だが、とアルベラは銀のバッジ―――ディオール家の家紋の描かれたそれを指先でつついて思う。

(これがあるって事はほぼほぼ私だと思われてるんだろうし、『真偽を伺う』もそうだろうけど、一番伝えたいのは『こんな卑劣な事はもう辞めて』かな)

「―――先にお伝えします。私は皆さんに事態の手紙を出しておりません。嫌がらせの犯人でもありませんわ」

 ダンストも、他の令嬢も何も言わず黙り込む。

 静まり返った部屋の中アルベラは淡々と問いかけた。

「私は犯人ではないとお伝えした上で確認させて頂きますが……皆さんはこのバッジを見て、当然犯人は私だろうとお思いになったのでは? ―――責める気はありません。ただ皆さんがどう思ったのかが知りたいだけです」

 サーグッドの薄い菫色の瞳が震えながらアルベラを捕らえていた。彼女は侍女を害されている。その恨みは敵意となりありありとアルベラへ向けられていた。

 他の令嬢はアルベラには視線を向けず、だが其々何かを感じ考えている様子だった。

 ダンストが「私は」と口を開きアルベラや令嬢方の視線を引く。

「私は始め、そのバッジを見た時ディオール様が主犯ではと思いました」

 その言葉を誰も止めず、アルベラもただ黙って聞く。

「……しかし今日、このお茶会までの時間とこのお茶会の間で―――?」

 パチ、パチ……、と小さな音に数人が顔を上げた。上を見た者達はテーブルの上に吊るされたライトが数回点滅しているのを見た。そして―――



 ―――バチン……パン!



 突然ダンストの髪が灯ったかと思うと、彼女の手元に電気が走りカップが弾けた。

 「なっ……」と言葉を失うダンストの横、「リーネ……!?」とサーグッドが腰を浮かせる。

 「先輩!?」とベッティーナも彼女へ呼びかけ、席を立って様子を見に行った。

 ダンストはテーブルの上を伝って膝に落ちるお茶を避けて立ち上がる。その表情は予想外の出来事にひどく驚いているようだった。



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