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四章 第一妃の変化

296、婚約者候補被害者の会  2 (立ち上がる友人、午前中のクエスト)

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 四の団の訓練場にて、高等学園一年の騎士見習いベッティーナ・ベヨスは見習の同期と先輩たちを前に困った表情を浮かべていた。

「貴女はどう思う、ベヨス? 私、今日にでもディオール様にお伺いの手紙を出そうと思うの」

 と、特に分かりやすい怒りを面に出しているのは高等学園二年の一つ上の令嬢、リネート・ダンスト。つい先日、とある令嬢がとある令嬢の嫌がらせに耐え兼ね、泣く泣く次期国王と謳われる第五王子の婚約者候補を降りたのだという。リネートはその「泣く泣く候補から抜けた」という令嬢の親しい友人だった。

 その候補を降りた令嬢は騎士見習ではなく学園の同級生で幼い頃からの付き合いであるらしい。

 今その場に居りリネートの話を聞いている騎士見習い同期と先輩達計四名は、学園の生徒ではないが皆貴族出身の令嬢だ。社交の場でしか関わる事のない公爵令嬢の学園での話と、最近よく聞く噂を興味深々と聞いていた。

「事前にお伺いを立てれば、きっと時間を作ってお話は聞いてくれると思いますが……」

 ベッティーナは言葉を濁す。

 彼女自身、同級生とはいえ学園でずっと件の令嬢と一緒の訳ではない。その人柄どんなものか、はっきり言い切れる自信はなかった。

 同じ授業を通して授業態度やふとした仕草や発言の様子から、そこまで殿下の婚約者に固執しているようには取れないと感じている。しかし極たまに恐ろしい位に冷かな表情をし、何を考えているのかもわからないのも事実。正直な所、あの令嬢なら普段から人目や自身への印象を、都合のいいように操作してしまえるのではないかと思えてもしまう。

 そしてそんな貴族然とした姿が、生まれながらに貴族が何たるかを叩きこまれてきたベッティーナにとって好ましものでもある……。

 これをどう伝えるべきか。寧ろ伝えないべきか。余計な事に口を挟まないべきか。と彼女は頭を悩ます。

「ベティは学園でディオール様と話すんでしょう? 何かそういう話聞かないの?」

「そうそう。殿下への思いとか、婚約者候補であることへの意気込みとか」

 親しい同期達が彼女へ尋ねるも、ベッティーナは困り顔で首を振るのみだ。

「だからそういう話をなさる方ではないんだってば。殿下と親しいのは確かだけど、同じ婚約者候補のウェンディ様やグラーネ様、ケイソルティ様とも衝突することなく仲良く過ごしてらしたし」

 ラビィが聞いていたら「誰が仲良くしてるですって!」と文句を言っている所だが、幸いここには彼女に繋がる人物はいない。ただ仲良くしているようにしか見えないベッティーナは感じたままを伝えるのみだ。

「その方たちもグルなんてことない?」と先輩のひとりが言う。

「まさか……」

「あのウェンディ嬢が?」

 と穏やかで有名なウェンディ大伯家の疑惑に同期や先輩から疑問の声が零れる。

「それにグラーネ様は聖女様のご令嬢じゃない。そんな方が他の候補者潰し何て、あまり想像したくないわね」

「そうね、そのお二方は……。でもケイソルティの令嬢はよく男性と話してる姿を見るじゃない。候補者の熱意も熱いように思えたのだけど……」

 といつかのパーティーでラヴィを見た事のある先輩が思い出しながらの口調で彼女への疑念を零した。

 それを聞いてリネートが「へぇ、ケイソルティ嬢……」と目の色を変えた。これは間違いなく怒りの色と、ベッティーナが話を中断させる。

「ケイソルティ嬢と手を組んでるというのは早計だと思います。先ずは直接お話してからでもいいのではないでしょうか。ケイソルティ嬢はあまりそういう事には向かない方だと思いますし、どうぞ相手が相手なので穏便に」

 「まあ、それもそうね」とリネートは腕を組み瞳の危なげな光をおさめた。

 しかしここにいるのは良くも悪くも自発的に朝練に来るような清く真面目な騎士見習い達だ。騎士団で「強さとは何か」を常に胸に抱いて訓練に励む彼女らにとって、ディオールの令嬢のこの話は耳触りのいい話ではない。

「リーネ、声を掛けてくれれば私達も力になるわ。是非アルダ嬢や他の被害者の力になって差し上げて」

「私も、汚い手で他人を傷つけのし上がった妃様になんて仕えたくないもの。いつかお守りする人になるかもしれないわけでしょ? ここで更に酷い余罪何かあったらたまったもんじゃないわ。手に余る事があれば是非言ってね」

 リネートの後輩でありベッティーナの同期である二人もこくこくと頷き真っ直ぐな目をリネートへ向ける。

「と言いう事で、私は今日にでも手紙を出すわ。心配なら貴女からさきにディオール様にお話を伝えていても良くてよ、ベヨス」

 リネートにそう言われ、ベッティーナは曖昧な表情で頷いた。





 ***





 普段よりも早い起床を果たしたアルベラはぼさぼさの髪を撫で付けながらカレンダーを見つめた。

 今日から学園生活の中期が始まる、とぼんやり考えてた彼女は「そうだ、急がないと」と呟き思い出したように身支度を始めた。

 いつもより早い目覚め、エリーもガルカもここに来るのはもう少し後だろう。

「おはよう、スー」

 とペットの水コウモリ、スーに声を掛けアルベラは制服を纏い髪を整える。

 スーはアルベラの側、ベッドの横に置いかれた止まり木へと飛び移りぶら下がった。ここで大抵、彼女スーは飼い主の言葉を吸ってそのままアルベラの声で「おはよう、スー」と返してくるのだが今日は違った。

『チッ……―――少し悪夢を見せてやろうかと思っただけだというのに。コイツの基準はどうなってやがる』

「ん?」

 アルベラは身支度の手を止めスーを振り返った。

 返ってきたのは公爵家の奴隷として連れてこられ、今はアルベラの護衛として使用人のエリーと共に学園に連れてきている魔族の声。

 言葉の意味など関係なく、スーとしては「吸収した音」を返す行為が返事だった。だから彼女は今朝のノルマは果たした、褒美をくれ、餌をくれと期待の眼差しをアルベラに向ける。

 簡単な身支度を終えたアルベラはテーブルの上の瓶から赤い実を数個摘まみ上げスーの元に寄った。アルベラが手にしたものを認め、スーはうきうきと身を揺らす。

 アルベラはスーの前で背を低くし人差し指を立てる。

「スー、もう一度」

『チッ……―――少し悪夢を見せてやろうかと思っただけだというのに。コイツの基準はどうなってやがる』

 どう? やったよ? ご飯を頂戴。

 そんな視線にアルベラは応え、持ってきた実を彼女に差し出した。

(ちゃんとした食事はエリーが持って来るとして……)

 とアルベラはスーの背を撫で、机の上の紙とペンをとる。

(運が良ければ……あと二回。一回分は確実……。それは本人に聞かせるように死守しなきゃ……よし)

 紙には「重要な音の保管中、スーを絶対に喋らせないで」と書き、それを分かりやすいように部屋中央のテーブルに乗せる。春用の軽いカーディガンを羽織り、彼女は足早に部屋を出た。

「コントン、まだユリは聖堂に居る?」

 こそりと小さな声で足元に潜む彼へと問いかければグルルという獣の唸りと『ウン』という沢山の低い声が影の中から響いて聞こえる。

(良かった)

 アルベラは昨晩報せの入った悪役令嬢としての仕事―――『 ヒロインに絡んで嫌味を言う 期限:中期初日の午前中 』―――を果たすべく、覚悟を胸にヒロインがいるという聖堂へと向かった。





「……」

「なに」

 聖堂に向かおうと寮棟から中庭に下りた所、アルベラは思わぬ人物と遭遇した。

 あちらはアルベラとの遭遇を不快に思っているようだ。そんな表情を隠さない相手へ、アルベラはゆるりと笑みを向けた。

「ごきげんよう、セーエン・スノウセツ様。良いお休みは過ごされました?」

「別に」

「それは何より」

 はなから友好的な答えなど期待していなかった。

 ここで時間を消費する心配はないだろうと踏んでいたアルベラは、そこそこ期待通りの相手の反応に満足しながら足を進める。

 しかし―――

「……」

 ちらり、と前を歩く彼がアルベラを振り返る。

(……)

 非難と分かるその視線をアルベラは無視し黙って目的地へと向かう。

「……」

 ちらり、とスノウセツがまた軽く振り返りアルベラはそんな視線を笑顔で無視する。

「……」

「……」

 二人は中庭で挨拶した時の距離を保ったまま前後に並び聖堂の前へとたどり着いていた。

「どういうつもり?」

 スノウセツは聖堂の前、敵意を露わにアルベラを振り返る。

「どうとは? 私もここに用があっただけですわ」

「貴女が……。入学式の祝福であんな目にあっておいて?」

「まあ……なんのお話かしら。確かにあの日は入学までの都合で少し体調を壊してましたが」

(祝福の時のご存じだったのね……)

 笑顔の下でアルベラはまだ得体の知れない美しいヒーロー様を観察する。

 朝日に照らさたスノウセツはこのまま溶けてしまうのでは思える位真っ白な雪を連想させた。雪の精ですと言われても納得できてしまうくらいに彼の姿は浮世離れしており、彼が今着て居る学園の制服だけがやたらと現実味があり不格好にも見えた。

 「そんなに……」という彼の台詞と共に、彼の青味のあるグレーで縁取られた真珠のような白い瞳が温度を下げる。タイミングよく流れた風が冷たい空気を二人の間に運び込んだ。

「……聖獣の返り血浴びといて、ここに何もなく入れると思うの?」

「まあ、なんのお話かしら」

 怒りを孕んだスノウセツの低い声。アルベラは笑んだまま先ほどと同じセリフを繰り返す。

「スノウセツ様はお祈りですか? ならどうぞお入りください。私はここで友人を待っているだけですから」

「……」

 彼はアルベラを睨みつけるようにしながら聖堂の方へと体の向きを変えた。

 そしてその手がドアノブにかかろうとした時、あちらから誰かがノブを捻り扉を開く。

 オレンジの髪がさらりと揺れて、彼女は驚いたように顔を上げた。

「……あ、すみませ……、スノウセツさん―――あ、ごめんなさい、お久しぶり」

「やあ、久しぶり」

 入り口を塞いではならないと聖堂からさっと出たユリにスノウセツは表情の変化は少なく、しかしアルベラと話している時よりも柔らかい口調でユリに言葉を返した。

 その様子を見ながら、アルベラは「さあ仕事だ」と口を開く。

「あらジャスティーアさん、私には挨拶は無くて?」

「え、ジャス? ―――あ、いえ。ディオール様、お久しぶりです。おはようございます」

 相手がファミリーネームで呼んできた事と前期での妙な距離感から、ユリもファミリーネームで返し頭を下げた。

「ジャスティーアさんはいいお休みを過ごせて? ついさっきまでスノウセツ様ともこのお話で盛り上がっていましたの」

 スノウセツの冷たい視線がアルベラに突き刺さった。だがアルベラは「この際スノウセツの存在は無視」と割り切り表情一つ変えない。

 アルベラは微笑んだまま今日は制服に仕込んで持参していた扇子を開き口元を隠した。そしてこんな場でありながら「顔を隠す安心感半端ない……」と身に染みて実感するのだった。

「平民の過ごす休みなんてたかが知れてるのだけど、是非参考までにお聞かせ願いたいわ」

 どうせならこの扇子で顔を覆ってしまいたかったが、それは平民をいびる意地悪なお嬢様という図にあるまじき姿だ。アルベラはその衝動を抑え、笑顔を浮かべたまま視線の先にしっかりとユリを捕らえる。

「は、はい……まあそれなりに」

 ユリは困惑しつつも笑顔で返す。

「まあ、それは良かった。お茶会やパーティーには誘って頂けた?」

「い、一応」

「ドレスや装飾品は問題なく準備できたのかしら?」

「そういった道具は学園が貸し出しをしてくれるので」

「あら、素晴らしいシステムね。けどいつか貸出品何て使わず、貴女にもドレスや装飾品をプレゼントしてくれる男性が現れると良いわね。―――まあ、平民の貴女にそんな物を送るもの好きが現れ……」



 ―――ピンポンピンポーン!



「……!?」

 言葉の途中だがアルベラはびくりと目を丸くし辺りをきょろきょろと見回してしまう。

「話は終わった?」

 突然に聞こえた正解を告げるような安っぽい電子音に気を取られていたアルベラを、スノウセツの苛立った声が現実に引き戻す。

「……あ、え、ええ」

「少なくとも、何かをプレゼントする機会があるなら……俺はあんたなんかより彼女にする。―――行こう」

「え? あ、失礼いたします」

 他人行儀に頭を下げるユリと、彼女を引っ張る様に連れ去るスノウセツ。

(一先ず一仕事終えたって事?)

 アルベラは息を吐いて扇を閉じ、自分の「悪役令嬢業」を思い浮かべ『 ヒロインに絡んで嫌味を言う 期限:明日の午前中 』が消えていることを確認する。

(さっきの電子音……突然何? 今まであんなの無かったじゃない……)

 「ピンポンピンポーン!」と場違いに鳴り響いていたあの音は、間違いなく自分にしか聞こえていなかった。アルベラは思い返し「あの賢者様……また気まぐれな事を」と呻いた。

(まあ……、あそこでクエストクリアが分かって無駄な労力費やさなくて済んだんだし、分かりやすさは断然あるよな……びっくりしたけど。―――何はともあれ仕事は終えたし、早く食堂に行って気分を変え……)

「ひっ……」

 薄く開いた扉の隙間、爛々と輝くシルバーグリーンを見つけてアルベラは凍り付いた。

 気づけば自分の足元では自分を囲うようにはさわさわと木の葉や花びらが舞っている。

 ―――ギィィィィィィ……

 聖堂の扉がゆっくりと開かれ、中から貞子―――ではなくスカートンが現れた。

 彼女の髪は下から煽られた様に揺らめいており、その長い前髪の下には満面の笑み。

「アルベラ、久しぶり」

「ス……ススススカートン……!? お久しぶりね。お祈り? 相変わらず頑張ってるのね」

「ええ。アルベラは聖堂に御用?」

 友人の体質を知っているスカートンは、そんな筈がないと分かりながらも問いかける。

「い、いいえ、まさか。通りかかっただけよ」

「そう。じゃあ折角会えたんだし、私と少しお話ししましょう。……ね? いいでしょ?」

 拒否を許さぬ重圧にアルベラ「はい!」と即答していた。スカートンは嬉しそうに笑み、「とっとっと」と軽やかにアルベラの元に駆け寄り彼女の手を包み込んだ。

 アルベラは自分の手を包み込む両手が予想外に冷たく感じぞっとする。

「アルベラ、さっきはユリさんに何て言おうとしたの?」

「え、えーと。スカートンは何を聞いたのかしら?」

「ふふふ。身構えないでいいのよ。私、別に怒ったり注意する気はないの。ただ教えてあげようと思って」

「お、オシエル?」

「うん。ああいう時の丁寧な言い回し。さっきのアルベラの言葉は、受け取り方を間違えるとちょっと高圧的にもとられちゃうから、そうならないような言い回し。……ね?」

 さわさわと自分の周りで風の音がする。銃口を突き付けられている心境でアルベラは「はい……」と返し、笑顔のスカートンに連行されていくのだった。





 ***





「あんな女気にすること無いよ」

 手を引き先を行くスノウセツが低く冷たい声でそう言った。

 ユリは自分を気遣ってのくれたのだろうかと「ありがとう」と返す。だがユリが本当に伝えたいのは感謝ではなく訂正だった。

「私ね、別にさっきのやり取り気にして無いの。腹が立ったりもしてないし、だからスノウセツさんもそんなに気遣わないで」

「なんで?」

「え?」

「何で気にしてないの? あんな偉そうにぺらぺらと。ムカつかなかった?」

 「確かに偉そうだったね」とユリは苦笑する。

 他の令嬢だったら単純な嫌味と思えたかもしれない。だが今はまだ、ユリはアルベラを疑いきれてはいなかった。彼女の甘い部分が、まだ昔の友人の姿を―――自分と手を繋いで歩いた彼女の姿を捨てきれないでいた。

「だって、アルベラは公爵令嬢だもの」

 あの他人行儀な話し方にも、公爵という地位相応の上からの問いかけにも、ユリはユリなりに納得する答えを導き出していた。

 ―――「公爵のご令嬢という立場の手前、他の貴族達の目もある中で率先して貴族の品位を下げるような事はできないよね」と。

 きっとこれはアルベラにとって必要な対応なのかもしれない。そう考え、この間の教会でのやり取りや前期でのやり取りから、ユリは取り合えず「平民と貴族の距離」でアルベラとは向き合おうと決めたのだ。自分から友達面で彼女の前にしゃしゃり出る事はしない。彼女と関わる時は公爵のご令嬢として敬った態度で。

「小さい頃に色々あってね……アルベラはその時の恩人なの。その時の事を思い出すとあまり悪くは思えなんだ」

 「なにそれ」とスノウセツは呟く。 

「恩人で公爵の娘で? だからって何言ってもいいわけが……―――」

 そこまで言って彼は気まずそうに言葉を途切った。

(―――……俺も大して変わらない)

 彼は目を細め、屋敷での使用人達への自分の言動を思い出し口を閉じた。

「……?」

 顔を背けてしまった彼をユリは不思議そうに見上げた。

「私に全部を理解する事は出来ないけど……きっとその言葉を使うまでに色んな理由が重なったんだよ。私はまだそんなに嫌な思いをしてないから……すぐに嫌いにはなれなそう」

「……それは、あおの女に対しての言葉だよね」

「……? うん」

 タンポポの様な微笑みにスノウセツは自身の中から苛立ちが抜けていくのを感じた。

「だよね」

 余計な力が抜けて楽なった表情を柔らかく動かしスノウセツはユリに微笑み返す。

「けど、あの女には勿体ない言葉だよ」

「勿体ないも何も……」とユリは困ったように苦笑する。



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