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四章 第一妃の変化
295、婚約者候補被害者の会 1(中期の始まり) ◆
しおりを挟む床も天井もない黒い空間。点々と光の玉が点在し浮遊するそこで彼は変わらず働いていた。
神との喧嘩で汚してしまった世界の洗浄の合間、人シルエットを象っただけの彼―――実体を持たない賢者は一つの世界を前に頬杖をついて膨れていた。
「あーあ。それ僕が欲しかったのに……」
彼が見ていたのは目の前にした世界に送った魂だ。
「彼女」は魂の主である己の指示通り、とある貴重な石を入手していた。
―――『 ヒロインがヒーローからもらったプレゼントを取り上げる 期限:三年時 』
彼が彼女に送った指示はこれだった。―――そう、「彼」が「自ら手を加えて送った指示」はこれだった。
他の指示は大方原作となったゲームに沿ったただの娯楽と、自分の蒔いた「悪意の種」を回収又は破壊するための世界の存続の為に必須のものだ。
それらの指示は通常なら賢者の組み込んだプログラムにより「その時」が近くなれば自動で彼女又は他の世界の者達に知らされられるようになっている。
だがたまに彼は神の目を盗み、私欲のもと自ら送りこんだ己の使い達の「指示」に手を加える事があった。―――まさに今回のように世界の希少な素材を見つけた時などだ。
(あんなに立派な結晶なかなかないのに……)
少年の輪郭しか持たない賢者は、アルベラ・ディオールという少女が自分の欲しかった素材を使用し見事に蘇生した光景を眺め息を吐く。
(本来の指示的にはあれが『ヒロイン』の手に渡らなきゃいいわけだし要の部分は果たしてるんだよな……―――ちぇ……仕方ないか。僕の物欲で折角送った魂を『廃棄処分』は勿体ないもんね。―――にしても流石僕が放った『怨み』。あれを他の人間が使えばどうなってた事か……、傷は塞がっても元の形や人格じゃなかったんじゃないかな)
彼が想像したのはドラゴンと僅かばかりの人間の要素を残した哀れなクリーチャーだった。体を得た「種」は、きっとその身を使い神への報復を本能に破壊の限りを尽くしあの世界を飛び回った事だろう。
彼女がそうならなかったのは、ひとえに「回収役」としての特権だった。
賢者の手により送り込まれた魂達は、もれなく皆賢者の配下として世界に認識されている。
預かった魂の存在を賢者が弄って己の希望の形に作り上げた際、魂達には彼の力や匂いがたっぷりと染み込んでしまっていた。おにぎりを素手で捏ね上げた末手垢だらけになってしまうようなものだ。
それ故に喧嘩当時賢者の力から世界を守るために各世界へ対賢者の警戒や防衛、排除を各世界に組み込まれた神の力に、送り込まれた彼らが「賢者の手下」つまり「破壊の手下」と認識され警戒されてしまうのは仕方のない事だった。
しかしその反面、賢者が産みの親である悪意の種は、賢者の匂いを染みつけた彼等を持ち主と認識し牙を剥かないわけだ。
(僕の匂いや気配が種の抑制に効果があるのは確認したけど……念のためにと他の悪気に有効な耐性を与えたのは与えすぎだったかな……完全に無効化するほどじゃないけど、そんなの生まれた彼らの努力次第で後天的にも得られるし……人が自力で得られる機会を奪っちゃうのは好きじゃないんだよね。何事も自分で得るから喜びも一入)
賢者はダークエルフと少女の対峙をリラックスした姿勢で観戦する。
(耐性については君はまだよく分かってないのかな。……まあ、どうせいつかは気づくだろうけど……体や精神の強度にもよって変わって来るし、まだ僕製の瘴気としか関わったことが無いなら油断大敵だね。―――折角粘って生き延びたんだ。よーく注意して残りの仕事にも望んでね)
つん、と指先で様子を見ていた世界を弾く。弾かれたまま宙をふわりと滑って離れたそれを見て、賢者は無い目を丸くした。遠のいていく世界の構造(全てではなく覗ける範囲には限りはあるが)を見てある事に気がついた。
「あ、ここにはまだ導入してなかったっけ」
彼は呟く。
「けどドラゴンの心臓使われちゃったし」「どうしようかなぁ」などと足をぶら下げて揺らしながら、彼はいない相手を焦らすように考える。
「まぁ……音の一つくらい……」
数秒悩むと「仕方ないなぁ~」とぼやきながらその世界に新しい「機能」を加えた。
「偉大な賢者様に感謝したまえ」
大した追加でも無いそれを大きなプレゼントでも与えたかの様に胸を張り、彼は「はっはっは」と短く笑い仕事に戻るのだった。
***
「う……けんじゃ……コントン、食べてぇ……」
モゴモゴとよくわからない寝言をいい寝返りを打ったアルベラに、窓に腰掛けていたガルカは目を据わらせた。
(どんな夢を……)
と疑問に思うも今は夢の詳細については後回しだ。今しがた描き切った陣に魔力を込め、展開しようと彼女の方にそれを向ける。これは魔術といっても呪いに分類される物だ。魔力ももちろん必要だが、それよりも多く瘴気を必要とする術―――すなわち「呪い」である。
生き物の邪な感情や怒りや悲しみというものは魔力に負なる力を与える。その負なる力というのは時に戦場に溢れ、時に病に犯された地に溢れ、時に何気ない日常の一コマのふとした拍子に生まれることもある。そんな悲しみや苦しみ怒りといった感情や強い思念に影響され変異し、神の気に危険とみなされた負なる力というのが瘴気だ。
瘴気は精霊や神気によって常に処理されており、通常正常な魔力や神気以上に増えることはない。その土地に健全な命がある限り、神に祈りを捧げる者達がいる限り瘴気は分散され存在が薄まりやがて自然に消える。
だが何かしらの問題が起き、神の気や精霊が立ち入れなくなると蟠った瘴気は害となって命に牙をむく。そんな命を危険に晒す負の力を人為的に利用するのが呪術である。
ガルカは作り上げた呪いをアルベラに向けたままぴたりと動きを止めた。
瘴気を集めた陣へ指先を触れるだけ。それだけでこの呪いは発動し彼女に悪夢を見せるだろう。
「……」
陣を睨みつける金色の瞳、その瞳孔の輪郭を赤と紫の光が走ってなぞる。
「チッ……」
小さな舌打ちと共に折角描いた陣をガルカは自らの手で払って消滅させた。
同時に彼の頭の中でうるさく鳴り響いていた本能の警笛が収まった。ガンガンと頭痛を感じる頭に手を添え「縛りの魔術め」と毒づく。
「少し悪夢を見せてやろうかと思っただけだというのに。コイツ縛りの基準はどうなってやがる」
『アクム スキ イイニオイ』
窓近くの床に現れた黒い水溜りからコントンの声が響く。
「だろう。だが駄目だな。……興覚めだ」
ガルカは「ふん」と鼻を鳴らしお嬢様のベッドから目を逸らす。窓枠を見上げれば、そこにぶら下がった青いコウモリと目が合う。大した知能のない愛玩動物に過ぎないそれの視線を無視し、ガルカは窓の外へと飛び発った。窓は風に押されるようにパタリと閉じ、人の手もなく内側の鍵が閉じられる。
窓際に残されたスーは体を小さく揺すらし、体の前で合わせた翼に鼻先を埋めるようにしてゆっくりと目を閉じた。
***
早朝の訓練場、ジーンは友人と剣を交え訓練に励んでいた。
相手となっているのは学園の級友のファルド・ベントンだ。
木刀を何度かぶつかりあうも、ジーンがファルドの剣を剣で上へと弾き退かし、がら空きになったファルドの喉元に剣先が向けられ「降参」の言葉で今朝五回目の勝負がついた。
ジーンの五勝にて今朝の訓練は終わりだ。
「ありがとな、練習に付き合ってくれて」
「こっちこそ。二の団の訓練場、久々に見れて勉強になった」
自主的な朝練に励む者達は総じて真面目だ。騎士としてもっと実力を付けようと来ている者たちが殆どのため、彼等の訓練する姿は見ていて為になるものも多かった。他の団ともなれば、見慣れた自分の団の者達とは違う訓練をしている者の姿もあり興味深いものだ。
ジーンとファルドは練習用の剣を片付け近くの厩に向かいながら先ほどの自分達の剣捌きについてや、今いる騎士達が何の訓練をしてるか等の話をしていた。
「そういえばさ、」とファルドが聖職系の攻撃魔法が得意な先輩騎士の話になった時、思い出したように口を開く。
二人は既に馬に乗り城の訓練場から出て学園へ向かっている最中だ。
街には人々の活気ある声が行きかい始め、馬の蹄の音や騎獣たちの嘶きが本格的にこの一日が始まった事を実感させる。
「―――この間うちの団の見習い仲間から聞いたんだけど、学園にオレンジ髪の特待生いるじゃん? ほら、フォルゴートと仲のいい」
オレンジ髪とミーヴァと聞けば、ジーンは迷わず「ジャスティーア嬢か」と頷いた。
「この間郊外に魔獣が出てさ。マッシュルーフっているだろ? それを魔法でズタズタにして退治したらしいぜ。ちゃっかり素材まで回収して」
「マッシュルーフを一人でか。凄いな」
「だよな」とファルドは返し、「つってもお前は一瞬で燃やし尽くせんだろーが」と笑う。
マッシュルーフとはつる草やキノコが狼を象った魔獣だ。春から夏にかけて野山にでて、場合によっては田畑にも出没する。見た目は見事に植物の塊で鋭い牙や爪はないが、彼等が狙うのは本物の狼よろしく人間を含む動物類だ。大人一人を軽々と蔦で捕まえその体の中に取り込み、とりこまれた人間は数日かけて魔力を吸い取られ、残った血肉はマッシュルーフの肥料となり骨は体内で分解され土へと還り、余すところなくその蔓とキノコに吸収されてしまうのだ。
「ジャスティーアって確か魔法のクラス三級だったよな。二級の令嬢方に揶揄われてるの聞いちゃって偶然覚えてたんだけど、マッシュルーフって三級の奴に倒せるような魔獣じゃないよな」
「だな。……威力があっても制御しきれてなくて危険だと思われれば四級や三級に振り分けられるって聞くし、もしかしたらそっちじゃないか?」
「あの魔獣ずたずたにする威力があって制御不能って……とんだ爆弾だな……。平民だからその方法を学ぶ機会に恵まれなかったって奴か……人として傍に置きたくはないけど羨ましい話だな」
魔力の威力に伸び悩んでいたファルドは物欲し気に宙を見上げ、どんな訓練が自分の魔力向上に効果的かと考えているようだ。
「どっかにダークエルフの秘薬が売ってないかな。今なら怪しくても飛びつくのに」
ファルドの呟きを拾い上げ「ダークエルフ……」とジーンが口の中小さく繰り返す。それは思ったより声になっていたようで、ファルドは「そうそう、」と話を繋げた。
「魔力を上げてくれるっていう秘薬な。偽物やら毒飲まされたやらろくな話聞かないけど。なんでダークエルフなんだろうな。エルフの薬って言うなら断然信用できるのに」
「―――……エルフが手を出したがらないしなって事だろ。本物でも魔力が上がる代わりの何かがありそうだな」
少し間を空けて言葉を変え居してきたジーンへ、「まあそうだけどさ」と視線を向けたファルド。彼は普段仏頂面な友人がさらに表情を歪めているのを見て首を傾げた。
「どうかしたか?」
「―――なにが?」
歪んで見えた友人の表情はすぐに消え去り聞き返されてしまう。ファルドは見間違いだったのだろうと、
「わりぃ、何でもないや。さっさと行くか、汗流したいし腹減ったし」と返す。
「ああ」
「なあ、今度ペールも誘って秘薬探ししないか? 殿下も一緒でもいいぞ」
「そんなの探すなら訓練した方が確実だと思うぞ」
「ならいい訓練方法教えろよ、魔力がぐんと上がる奴。もうこの際平民がやるような荒療治でもいいから何か知ってたらさ」
「危ないもんすすめられる訳ないだろ」
「なら自分で探すまでだ」
「お母様が泣くぞ」
「それなんだよなぁ……」
ファルドと言葉を交わしながらジーンは先日の件を思い出していた。ダークエルフと戦い傷を負ったと言っていた友人に実戦用のグローブを渡しに行った時の事を。
今日から学園の中期が始まる。
彼女とまた顔を合わすのだと思うとジーンの頭は嬉しさと気恥ずかしさで熱くなり、胸には後ろめたさという不快感が刺ささるような心地だった。
「あれは下心ではなかったのだ、」とジーンは頭の中自分に言い聞かせる。
自分があのグローブを送ったのはあの友人がまた同じような怪我をしないように。彼女にまた同じような怪我を追って欲しくないと思ったためだ、と。
あの怪我があまりに痛々しかったから、久しぶりに会った彼女が随分やつれて見えたから。
だから渡せずにはいられなかったのだと、ジーンは道の先に見えてきた学園のもんを見つめる。
(余計な事は考えるな)
と彼は自分に言い聞かす。
彼女に対し特別な感情があるのは否定できなかった。だがこれ以上の何かを望むつもりもないと、良い友人であり続ける事が今の自分の務めだと気を引き締める。
(いつも通りにしろ。友人としてラツの護衛として適切な距離でいればいい)
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