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三章 エイヴィの翼 後編(前期休暇旅行編)

265、エイヴィの里 9(エリーの故郷)

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 ***




 腹や頭に包帯を巻き、両腕と片腕に添え木を当てられ眠るエリー。首に包帯を巻いき青白い顔で眠るビオ。―――翼の無くなった背をこちらに向け、横向きに寝かされたピリ。
 案内された病室の入り口、アルベラの両手が体の横で強く握られ震える。彼女は部屋の中に入らず、表情無く足早に自分の運び込まれた家屋へと戻って行った。
 黒い靄を溢れさせながら病室を立ち去った彼女に、ガルカはこうなる事が予想出来ていたように「やはりか」と呟いた。



 
 外は深夜だった。
 エリー達が眠っていたのは唯一の治療師の家。
 アルベラが寝ていたのは住民のいない家屋だ。暮らす人が居ないとはいえその家は隣の治療師が間に合わせの病室として管理しており、いつでも誰かが寝泊まりできるようにと整えられていた。
 エリー達の眠る家には勿論治療師が、アルベラの眠っていた家には呪術師だという老婆が世話係にと滞在していた。
 アルベラが家に戻ると玄関と直結したリビングで、呪術師の老婆が「おや。もう戻ったかい」とウトウトしながら零しすぐに目を閉じた。
 アルベラは自分の運び込まれた部屋に戻り、黒い靄が漏れないようにと扉を閉める。
 彼女はふらふらと寝台へ向かうとさも重たそうに腰を下ろし膝の上拳を握った。




(今開けるのは不味いか)

 ガルカは椅子に座りアルベラの入った部屋の戸を眺める。その正面の席には、呪いの払いや凶災の実の処理に長けているという細く白い老婆が椅子を幾つか連結させて横になって寝ていた。
 アルベラの入った部屋の扉にはべたべたと札が張られ、壁には陣の描かれた蝋燭がかけられていた。アルベラが部屋に入ってからというもの、火の勢いが増しロウの減りが不自然に早くなる。




 アルベラは茫然と自分の拳を見つめていた。
 時間がどれだけ経ったかは分からないが、周囲の靄が薄まる気配は無かった。
 嫌な気分なのだ。
 三人が横たわる姿、特に体の一部を失ったピリの姿を思い出し、アルベラの拳にはさらに力が込められた。
 ピリの胴に巻かれた包帯に滲む、二つ血の跡を思い出す。
 最悪な気分が消えない。
 やりきれない気持ちが胸を覆う。罪悪感が口の中に広がる。

(私のせい……私のせい……? 違う。悪いのは一方的に襲ってきたあいつ等だ。地図だって、夢の内容が事実なら罠だった。だから皆の負傷を私が背負う必要はない。私は何もしてない。なにも悪くない)

 ぎゅっと握った拳の上、アルベラは額を乗せる。寝台の上に座り前傾にうずくまり彼女は目を瞑って考える。思考は逃げる事で精一杯だった。この辛さから、この嫌な気分から。

(そうだ。私は悪くない。私のせいじゃない。ピリの翼も、エリーの怪我も……)

 だが「自分は悪くない」が事実だと本人が判断したとしても、どう認識しても、この嫌な気分が消える事はなさそうだ。
 アルベラの脳裏にピリの姿が浮かぶ。ストーレムの町に滞在してる時と里を訪れた際に見た、彼女がのびのびと楽しそうに空を飛ぶ姿だ。

(関わった期間で言えばたった数日……。そこまで深く情が湧くような期間じゃない。だけど……けど……)

 情や仲の問題ではないのだ。アルベラは散らかった思考の中求める答を探す。

(…………エリーやビオさんの傷は時間が癒してくれる。けど、ピリの翼はこの先ずっと……失われたまま……)

 ―――一般的な医療技術や治癒魔法の基準で言えば。

 窮屈な体制に、どくん、どくん、と体の合間から鼓動を感じた。

「……」

 暫くそうして自分の鼓動に耳を傾け、アルベラは薄く目を開く。

(そう、ね。私は……悪くない)

 先ほどまでと同じ言葉。だが込もっているものが違った。この言葉には先ほどまでの自己防衛の逃避や言い訳じみた感情はない。ただこれは事実だと受け止め述べたに過ぎない言葉。
 彼女は額を拳に押し付ける。

「ええ、うん、そうだ……。悪いのはあいつら。だとして何。私が悪かったら何。責任を問われて人に責められて、それが何だって言うの」

 「そんな事を考えたって皆の怪我が全快するわけじゃない。そうだ、そうだ……」と他の誰かが聞いたら開き直って逆ギレしていると取られるトーンで、彼女はぶつぶつと自分へ言い聞かせた。

「誰がどう悪いとかどうでも良い。あの子たちにとってのそれを決めるのは私じゃない。そうじゃない。そうじゃなくて。私が今したいのは……できることは……―――」




 ***




 扉の外では蝋燭が消えかけ、老婆がぱちりと目を覚ました。真っ白なしわくちゃの肌に真っ白な長い髪。長い髪の中には二本、蛾の触覚のようなものが混ざっている。瞼の下の眼球には白目が無く全面が真っ黒で艶々し、左右の人の腕の下からは二本ずつ昆虫の腕が生えている。

「おやおや。減りが早いねぇ……。お前さん、少し中を見て来てくれんか。―――さてはて、封呪の蝋は残っていたかな……」
 当たり前に指示されているのが気に入らないガルカは半眼する。

(あまりにも濃い気は俺もきついというのにこの婆……)

 よぼよぼと席を立ち家を出ようとしていた老婆は「おや」と零した。壁にかけた蝋燭の火の勢いが収まり、蝋は火が付いてるにもかかわらず全く減らなくなっていた。

「良かった良かった。今のうちだねぇ」

 と彼女は替えの蝋燭を探しに家を出る。
 ガルカが席を立ち扉を開くと、中は寂しい位に静かだった。部屋の奥には寝台に腰かけたアルベラ。その周りにはアスタッテの匂いが濃いあの靄は一切なく、テーブルの上に灯した小さな日光石が狭い範囲を淡く照らし出していた。
 アルベラは部屋への訪問者に気付き顔を上げた。そしてその相手を認識し、緑の瞳は標的を定めたようにかちりと彼を捕らえた。

「―――ガルカ」

 あまりにもしっかりした彼女の声にガルカは眉を寄せる。事が起きてから半日しか経っていない。あんなに弱り切っていた人物が、しかも先ほど仲間の怪我を見て心を乱していた人物が、なぜこの短時間で立ち直って見えるのか。不自然過ぎて逆に不安だった。

(火傷は治りきってないが、体力や魔力の回復が早いな。アスタッテの匂いのする靄か……それとも体に取り込んだ石の効果か……?)
「どうした」
「ピリの翼を治す。コントンも取り戻す。私を王都へ運ぶとして、最速でどれくらいかかる?」
「何だ急に」
「皆と合流して話をしたら、私をすぐグランスティエルに送って。癒しの教会に行ってピリの翼の再生を依頼する」

 と言い、アルベラは暫し考えるように視線を下げて戻す。少し自信がなさそうに「体の欠損……、お金さえ払えば癒しの教会は腕も足も生やしてくれるってあれ、本当よね?」と彼女は尋ねた。

「さあ。俺は教会に好んで行かない。だがそういう力を持つ奴が一握り存在するのは確かだ」
「そう。じゃあ決まり。先ずは教会」

 「なるほど」とガルカは呟く。

「やけに落ち着いてると思ったら、そういう事か。ところで他国からの聖女への依頼はご法度ではなかったか」
 そして国民であろうとも、他人種は聖女との接触を厳しく取り締められている。
「物は試しでしょ?」
 アルベラは自身の胸―――石の埋まった部位に手を当てた。
「聖女の力にが駄目なら他を当たる。だとすると次の候補はパテック家ね。医療といえばあそこだもの。そこも駄目ならまた他を当たるだけ。見つかるまで探す。時間がかかっても」

 ガルカは目を細める。
 彼は試す口ぶりで「他にもあったらどうする?」と尋ねた。

「失ったものが、コントンやあのガキの翼だけでなかったら? 冒険者や騎士共も手や足を失っていたら、貴様はそれも全部取り戻す気か」

 緑の瞳が真っすぐにガルカを見据えた。

「勿論全部よ」
 間髪入れずに答えたアルベラの声に淀みは無い。

「皆が今回の件で何かを失っていたなら、それは全部、ちゃんと、元の状態に戻す。私が納得いく形で」
(まあ、冒険者や騎士共は国の人間だから金と時間さえあれば部位の欠損など修復は容易いしな……)

 ガルカは息を吐き、「そうか」と返す。口元には緩く笑みが浮かんでいた。
 張りぼてではなかった。目の前の緑の瞳はすっかり生気を取り戻していた。特に、今目にしているのは過去にも何度か見てきた、彼女がはっきりとした目的を持った時の迷いの無い目だ。

「『……な』」

 聞き取るのがやっとの小声。ガルカがの口が小さく動いたことで、彼が何かを言ったのだとアルベラは視覚で察知した。

「何?」
「『動くな』と言った」
「は? なん……」

 身を引こうとし、アルベラは自分の体が動かない事に気付いた。
 ガルカの手が彼女の頬に触れる。大きく薄い掌が恵み石の電撃に弾かれ赤く焼けた皮膚を覆い、その親指の腹で彼女の下瞼を優しく、愛おし気に撫でる。
 アルベラはぞわりと身震いした。髪が逆立ち、見開かれた眼は魔力に輝く。
 緑色の瞳の奥をじっくりと眺め、彼は「うむ。そうだな。そうだ……」等と呟く。

(この方がいい)

 必死に苦しみを耐え抜くような顔よりも、弱弱しく見上げられるよりも。地に足をつけてしっかりと自身の手綱を握っている時の顔の方が安心して見ていられる。何なら今は、ついこの間まで見ていた生意気な笑顔が恋しいくらいだった。

(この際たまの……いや、普段の可愛げのなさは多めに見てやろう)

 白く柔らかい部分と火傷で凹凸の出来た部分を親指で撫で、彼の目はにんまりと弧を描く。

「どうした?」

 とガルカが楽し気に―――嬉し気に口端を持ち上げたのは、目の前の彼女が動揺と羞恥に顔を赤くしていたからだ。
 アルベラは「どういうつもりか」とガルカを睨み上げていた。言葉は封じていないはずなのに口を開かない彼女にガルカからくつくつと笑いが零れる。

「なに。ただの体温確認だ。貴様の身を守るよう俺を縛っているのは貴様の父やあの老いぼれだろ。文句があるならあいつらに言え」
「……う、嘘」

 突いて出た言葉にアルベラは「はっ」とする。喋れると気づき、彼女は躊躇いながらも一度は否定された疑惑を再度口にしようとした。
「あ、あんた……私のことす―――」

 ガルカが「あ?」と眉を上げ、ぐいぐいと彼女の頬を摘まみ上げた。

「前にも言ったが俺が貴様に惚れている等と恥ずかしい思い違いはするなよ。―――貴様のようなガキを相手に欲情する程禁欲を行じてもない」

 この魔族が色情を我慢してないのは事実だった。そこは魔族らしく気ままに自由に奔放に処理している。自分が抱けると思えた範囲内なら、彼は発散できれば何でもよかった。

「い、いは……ちょっほ! っていうかほれ、さっさと解きなはいよ! この破廉恥!」

 ガルカの縛りが解け、アルベラの手がパシリと彼の手を叩き落した。小声で聞こえるか聞こえないかの命令だったので、元からそんなに強度のある物ではなかったのだ。
 ひりひりと痛む頬を抑え、アルベラはしっしと片手を振った。ガルカは自分を払う手をひょいと退け満足げな笑みを浮かべる。

「二日だ」
「二日……、ああ、王都まで。―――運んでくれるのね」
「ああ。いいだろう」
「……」
「なんだ」
「いえ。何も」
「運んでやる。だからもっと血を入れておけ。途中で倒れられたら面倒だ」
「輸血ね。了解……」

 アルベラは頬を抑えたままじっとガルカを見つめる。ガルカは腕を組んで黙ってそれを見下ろす。

「……やっぱりあんた、私のこと大好きなんじゃ」
「違う。しつこいぞ」

 ガルカはツンと即答する。

「……」
「……」
「嘘」
「嘘じゃない」
「嘘」
「嘘じゃない」
「嘘」
「運ぶ役降りるぞ」
「……」

 この押し問答はアルベラの深い溜息が終了の合図となった。ガルカの妙な行動に振り回され、アルベラからはいよいよ気が抜ける。黒い霧など出る気配もない。

「はいはい。ガルカさんはご主人様を揶揄って遊びたい年頃なわけね……。じゃあその話は置いておくとして、他の皆はどこ?」
「エイヴィの里にいる。ここはあのオカマ男の仲間の隠れ里の一つだそうだ」
「皆と連絡を取ったの?」

 ガルカは頷き、「俺じゃないがな」と補足する。

「ここの奴があちらに使いを出した。冒険者や騎士とではなくエイヴィの里長とやり取りしたそうだ。朝日が昇り切ったら、あのガキと貴様等を迎えに来ると」
「そう。ピリと……私達を迎えに……」
「これはエイヴィの里長が決めたそうだが、明日中―――いや、もう『今日』だな。に、あのガキと冒険者と騎士共を隣町の病院に運ぶそうだ。そっちの方が施設が整ってるからと。ここで寝てる奴らも、里に行かず真っすぐ隣町に運ぶと言ってる」
「わかった。じゃあ皆とはすぐ合流できるのね」
「一応な。―――そろそろ夜が明ける。あいつ等が来るまで回復に専念しろ。俺も少し寝る。あと呪術師の婆が靄が落ち着いてるうちに金を払えだと」
「わかった。おやすみ」

 パタン、と扉が閉められる。
 アルベラはぼうっと撫でられたりつねられたりとした右頬に手を当てた。

(まあ、確かに私もまだ十六なわけだし……一般的にはまだまだガキだよな。貴族的には婚約も結婚も可能だけど……)

 自分の体はまだまだガキだ。内面だって、確かもう七十になっていたであろうあの魔族にすればお子様の域だろうと納得する。

(揶揄うのに丁度いいだけ。まさか本当にあいつが私を好きになってるなんてこと無いでしょう。無いない……)

 そう思うも、先ほど自分を見つめていた妙に熱のこもっていたような金色の瞳を思い出し、アルベラの顔に熱がぶり返す。

(―――っ! 『好きじゃない』って、なら何なのあの顔!! これは罠よ! 魔族の汚い罠! 気を付けなさい、私! 振り回されたら思う壺だからね、私!!)

 アルベラは後ろに倒れ両手で顔を覆った。寝台から垂らした足は「落ち着いてられるか!」とばたつく。
 心が乱れているも黒い霧はやはり出ず、「そうか。こういう荒れ方では出ないのか」等とアルベラは頭の片隅で冷静に分析していた。



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