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三章 エイヴィの翼 後編(前期休暇旅行編)
253、目的の地 8(双子の災難、夜の観光)
しおりを挟む空間が歪んだ森の中、ダークエルフの双子の姉ユドラディエは行く手を邪魔する木霊達を払い退けながら森からの脱出をはかっていた。
あのヌーダの子供がどうなったかも気になるが、それについて今頭を裂いている暇はない。
何もなくこの木霊達が自分に仕掛けてくるとは思えなかった。先ほどから空間の歪みのせいで双子の片割れボイディゴとの連絡も取れないでいた。
(木霊め……。物を取られた仕返しね。この森の木霊の意識を共有したなら私がずっとあの洞穴を見張っていたことも知ってるだろうし、あの穴の中に何があるのかも知ってるはず。だからそれを邪魔しに来て横取りしようとでも企んでるのか……? ……だとしたら、それならまだいい。盗られたなら取り返してやるもの……。けど、別行動をしているボイの方でも足止めを食らってたなら、目的が流血石じゃない可能性が出てくる……)
彼女は地下深くに眠らせた妹の亡骸を思い浮かべ、そちらに手を出す気ではあるまいなと不安に胸を駆られた。
「くそっ!」
ユドラディエがぐるりと体を一転させる。大きな風が吹き木霊達を吹き飛ばす。
(ミノムシ野郎が、何を企んでやがる!)
まともに会話が成立する相手ではない。それはお互い様なわけだが。
(くそっ! 一体何匹集めやがった。潰しても潰しても湧いて出てきやがって――—)
「―――っ!?」
ユドラディエの体を蔦が絡め取った。木霊の力ではない。彼女の視界の端に緑色の人影が入りこむ。木に寄りそい立つその人影は女性だ。柔らかそうな淡い緑の肌。蔦の髪には草花が芽吹き自然の色どりで彼女を飾り立てていた。―――のだろうが、彼女の周りには黒い靄が漂っている。その毒気にあてられたように、彼女の体の所々に、植物が痛んだ時に現れるような色の濁りや水気を失ったかのように寄った皺が見えていた。身を彩る草花も、半分は萎れて力なく項垂れていた。
「あいつ、ニュムペードまで……!」
動きを失ったダークエルフへ辺りの木霊達が一斉に飛びかかった。
いままでのぴょこぴょこと小出しに飛びかかってくる、おちょくるよ様な動きとは明らかに違った。
目標物に飛びかかり、彼等の体がざわざわと葉を揺らして膨らみ始める。
(あいつ、クソ!)
魔法で吹き飛ばそうにも、神獣や聖徒と謳われるほどの力を持つ森の守人、ニュムペードの蔦は容易く千切れる物でも無かった。ユドラディエに絡まった蔦はその身を枯らしながら相性の悪いダークエルフの魔力を吸い取っていく。
ユドラディエの視界は木霊で覆いつくされ、草花を凝縮したような青臭さが彼女の鼻を刺激した。その中にはあの負の匂いも混ざっており、それだけが場違いにも安心感を誘う。
だがそんな些細な匂いで、この状況で彼女の気が緩むわけもない。
パンパンになった木霊達を周囲に、ユドラディエは「あの野郎―――」と口を開いた。
―――ドォォォォォン!!!! と爆発音が辺りに響いた。
それは森のごく一部の、双子の弟の目から隠すべく作られた木霊の魔法壁の中でのみ轟く。
「ケケケケケケケ! ざまあみロ! ざまあみロ! ケケケケケケケケ―――!!!!」
ダークエルフの巣穴の上、マンセンはコロコロと転げまわり、腹を抱えて笑っていた。
ユドラディエへと放ったあのも森の木霊達。共有した彼らの意識と体感から、マンセンは確かな手ごたえを感じていた。
***
ダークエルフの双子の片割れ。弟のボイディゴは、急ぎ転送魔術具の回収のためこの大陸の南の地にあるとある鉱山へとやってきていた。
幾つも岩山が天を衝くようにそびえる地。「エビグェス山の石の大森」と呼ばれるそこにドワーフの国の一つが栄えていた。
ボイディゴはその国を目指し、道中獣を捕らえはそれを走らせ、獣がばてると自分で走り、またタイミングを見ては獣を捕らえて走らせ……、を繰り返す。
あと数時間。この先は獣も不要かと、彼は息の上がってきた獣を見下す。
「もういい」
そう言って彼が背から降り先へ駆けていくと、トラ型の大きな獣は突然の開放に呆然と脚を止めた。少しして我に返ると、その獣はどこへともなく逃げ去っていった。
「ちっ」
ボイディゴはゆっくり足を止め、先から来る白い人影に顔をしかめた。
白い人影はそのままどこか―――進行方向へと進んでいくかと思われたが、ボイディゴの存在に気付くと向きを変えて彼の元へとやってくる。
近づいてくる匂いとだんだんとはっきりしてくるその姿。ボイディゴは予測した相手と間違いようがないのを残念に思った。
長い耳を頭上に揺らしながらそびえ立つ岩々の上を跳ねてやって来たのはウサギの獣人だ。
その人物は自然にできた岩の柱から飛び降りボイディゴの前に下りてくる。
「よお! なんだ? お前一人か? 姉ちゃんはどうした?」
「はっ。何かと思えばウサギか。てっきりこの山にはでっかいノミがいるのかと思った」
ウサギの獣人はニヤニヤと笑んでいたが、ダークエルフの言葉に明らかに気を害したようだった。彼はボイディゴの言葉に分かりやすくピクリと耳を揺らし、分かりやすく笑みを浮かべた頬を引きつらせた。
「はは。俺だってちゃんとこうしてお前を見るまで、随分と薄汚れたヌーダだと哀れに思ってたんだぜ。そんな真っ黒になるまでこき使われて、本当哀れなヌーダだなぁってよ」
「ヌーダ」と二度も言われ、ダークエルフの彼のこめかみはピクリと動いた。
二人の間にピリついた空気が流れる。
***
ユドラディエがその身を起こすと辺りに居た木霊はすべて消えていた。
彼女は体中の痛みに顔を歪める。
魔力を吸われながらも力を振り絞り、風の膜を纏って何とか致命傷は避けて身を守り抜いたのだ。
木陰に居たニュムペードが静かに自分を見ていた。
(ちっ、まだ監視の目が……)
彼女はニュムペードの纏う黒い霧と同じような霧を纏わらせ、脚を引きずりながらその哀れな森の守り人へと近づく。
ユドラディエが距離を詰め、黒い霧がニュムペードへと延び黒い霧同士が交じり合う。
ユドラディエの霧の割合が多くなると、ニュムペードは頭を抱えて呻きだした。その首を掴み上げ、ユドラディエは瞳をぎらつかせ言い放つ。
「アタシの魔力、返してもらうよ」
ダークエルフの鋭い爪が錯乱するニュムペードの胸へと突き立てられた。
ニュムペードの意識が途切れ、マンセンは「チェ」と呟いた。
彼はダークエルフの巣から離れ、他の木霊の意識を頼りにあの子供の後を追っていた。その軽い体を風に乗せ、フワリフワリと空を漂っている最中だ。
「マァ、痛い目合わせてやれたシ! 結構すっきりしたナ!」
彼はけたけたと笑う。
「あの傷じゃすぐ動けねーだろ。変わりに俺が竜血石を貰っといてやるってのもいいんだケド」
彼は風の上、へたりと身を転がし目を閉じた。
「ここの所結構消耗しちまったシ……、あの魔族と犬コロ相手するにはもうちょい休憩しねーとナ……」
もう一人、姉側に夢中になってしまい見失ってしまったダークエルフの弟を思い浮かべ、あちらがどんな調子かも知れないしなと彼は考える。そちらのためにも体力も魔力ももっと回復させておいた方が良いだろうと、彼は少しの間眠りにつき行き先は風に任せた。
そうやって風に運ばれること数十分か数時間か―――。
マンセンの背、葉に埋める様にしまっていた通信機が淡く輝きさわりと風を動かした。
―――『おいマンセン、聞こえるか? なあなあ聞いてくれよ、さっき』
聞こえてきたのは元気なウサギの獣人の声だ。
「うっせーナ。俺今ねむいんダ。後ナ、後、」
マンセンは通信機を一方的に切り話を終わらせる。辺りは既に暗くなり始めていた。重たい瞼を持ち上げた彼の視界に一本の川が見えた。その流れの途中から青く淡く輝きはじめており、その光を追うように集団が川を囲って移動しているのが見えた。
「なるほド……、あれカ……」
マイセンは大きなあくびを掻くと、「じゃあもうひと眠り」とコロリと体の向きを変え目を閉じた。
「ちぇー、つれねーのー」
ウサギの獣人、ラーノウィーは立ち寄た小さな町の宿で傷に薬を塗りながら不貞腐れていた。
見知ったダークエルフの弟とやり合ったのはつい一~二時間ほど前。
そのダークエルフは、このウサギの彼の仲間のマンセンを酷く怒らせた「呪具コレクションの窃盗犯」の一人だ。な訳だが……、つい先ほどの喧嘩ではその盗まれた品を使って、ラーノウィーは手ひどい怪我を負わされてしまった。挙句、彼は一人では相手にならないと判断し不服ながらも逃げ去ってきたのだ。
片足が切断されかけ腹も大きく切り裂かれ、結構な重傷を負ったのだが、それらについては持っていた治癒系の魔術具で癒して事なきを得た。
「クソ……。そうか、二十一番ってあの瓶だったんだな……」
その瓶を手に入れた当初の事を思い出し、ラーノウィーは苦い表情を浮かべる。
瓶を手に入れた当初、彼の収集仲間の「ダタ」がそれを使いある魔獣を封じ込められないかと試したのだ。むしろそれこそが、あの瓶が欲しいと言い積極的に手に入れに行った彼ダタの目的だったようなのだが、結局目的の魔獣は封じられなかった。
そして、瓶に封じられるのは一体。
中には既に大昔だかに封じていた魔獣が入っており、ダタが瓶が使えるか試していた間、久々のシャバに気が荒ぶっていたのか、その魔獣に目をつけられ追い回されながら大暴れされたのは苦い思い出だった。
ラーノウィーはその時の事を思い出し「おっかしいよなぁ」と呟く。
(俺達があの化け物出した時は好き勝手に暴れられて痛い目をみたってのに……。何であいつはしっかり使役出来てたんだ? 俺たちの使い方が間違ってたのかねぇ……)
「たぁく……。面白くねぇなぁ……」
彼は長い耳を掴んで薬を塗ると、その毛並みを整えるように撫で付けながら窓の外を見る。外からこちらの姿が見えるのも気にせず、匂い封じの魔術だけ施し、彼はその兎頭をどうどうと晒していた。
ここはヌーダの国の端に位置した町なのだが、ドワーフの国との国境が傍にあるために商売をしに来たドワーフの姿も多い。そして彼と同じラビッタ族や、他の獣人たちの姿もちらほらと合った。
日も暮れだし、外の通りでは街灯や吊るされたランタンに明かりが灯され夜の賑わいを見せ始めていた。どこかで若い犬型が燥いでいるようで、「ワオーン!」とご機嫌に鳴く声が聞こえた。
楽しそうな外の空気とは対照的に、ラーノウィーはつまらなそうな表情で通りを眺める。「はあーぁ……」とため息をつくも、少しして思い出したようにその長い片耳がピンと立てられた。
(あ……、ん? 待てよ……そうか……、そういや俺の方が一足早かったな)
なぜ自分があそこに行ったのか。自分が何をしてきた帰りだったのか。それを思い出しラーノウィーは気分を持ち直し「くくく」と笑いを零す。
(あいつがあそこに居たって事は転移の魔術具を補充しに来たんだよな。あの黒爺。悔しがってる姿をこの目で見れないのが残念だ)
***
心の核を抉り潰されたニュムペードの亡骸を横に、ユドラディエは持っていた魔術具で折れた骨を直し様子を見るように立ち上がっていた。
この森は木霊が多い。黒く染められてはないとはいえ、その意識にマンセンが入り込みこちらを盗み見ているとも限らない。と彼女は移動をしようと考える。
―――『ユドラ!』
耳元の通信機が輝き双子の片割れの声が響く。
「ボイ……」
いつの間にか通じるようになっていた通信機にユドラディエ―――ユドラは安心の息を吐く。
『魔術具は幾らか回収した。―――けどやられた』
「なに? どうしたの?」
ユドラは木々の上へと出て、身軽にも枝の先を足場に移動する。
通信機から聞こえるユドラの問いに、ボイディゴ―――ボイの口から憎しみの籠った声が漏れる。
「アトリエの奴らがやられた。新しい転送道具の生成は暫く期待できなくなった。―――ああ? ああ……そうだよ。全員やられてた。あのウサギだ。追っ払うのに瓶を使って―――そうだ。―――ああ……、ああ。だからさっき贄は補充したさ。今食ってるよ」
ボイは先ほどの山、石の森からそう遠くない地にいた。
彼の足元には可愛いらしい装飾の施された買い物かごが転がっており、そこにはドワーフの使う古い文字で持ち主の名前が書かれていた。
彼が前にした木々の奥からは少女の叫び声が聞こえている。
『た、助けて! だれか! だれか―――魔獣が!! お願い、誰か!』
必死に助けを呼ぶ少女の声が、「がっ、」と雑に途切れた後ボイの元に血の匂いが漂ってくる。耳をすませば、くちゃくちゃと咀嚼する音と、血をすする音とが聞こえ始める。彼は手にした瓶をしっかりと握り、奥での出来事に注意を払いつつも話に戻った。
「でな、今地図持ってるっていう子供だけど―――」
『ヌーダのガキ、お前等の仲間か?』
『は? 何だそりゃ?』
『貴族のガキだ。紫と水色の髪の。アレはお前らの仲間か?』
『……? ―――ああ! もしかして魔族と犬コロのあいつか!?』
『犬コロ……? まあいい。そうか……。顔見知りなんだな』
『ん? ああ、そうだな。顔は知ってる』
忌々しいウサギの顔を思い出し、ボイは眼光鋭く言い放つ。
「あいつらの知り合いだそうだ。さっさと潰そう」
***
竜血石を手に入れたその日、昼食とも夕食ともとれる時間の食事を済ませアルベラ達は宿を発った。
宿の亭主からは差し入れだと手軽に食べられる保存食の類を貰っていた。
その保存食を馬の背に乗り、器用につまみ食いしていたアンナにアルベラが声を掛ける。
「もう暗くなるけどいいの?」
いつもならそろそろ寝泊まりする場所を確保し始めてる頃だ。
だがアンナたちは辺りの様子を見ながら、ずっと川に沿って進んでいた。
「ああ。大丈夫大丈夫。そろそろだから」
「嬢ちゃんもいるかい?」と渡された干し肉を断り、アルベラは目的がよく分からないままに冒険者達についていった。
日が落ちて夜になり、アルベラは目の前の光景に感嘆の声を漏らした。
川だ。
川が青く光っていた。
(ファンタジー! これはこの人生でも一、二を争う良いファンタジー!!)
落ち着いた様子で川を眺めているアルベラだったが、その心の内では拳を握り、美しい光景に感動を噛み締めていた。
その隣ではエリーが川ではなくアルベラを眺め、表情をニタニタとだらしなく緩ませていた。
(お嬢様、嬉しそうね……)
川に照らされた周辺は明るい。とはいえ足元が陰っている場所もあるので、本格的に馬を走らせるのは危険だろう。アルベラは冒険者達に倣い、足元に注意しつつ馬をゆっくり歩かせる。
この光景を見に来たのか、アルベラ達の他にも川の周囲には旅人の姿や行商人、貴族の観光らしき馬車等の姿があった。
「へぇ。イトウオですかね」
タイガーが川を眺めながらそう言った。
「正解」とスナクスが頷く。
「気を付けてくださいね。あいつ等貪欲で、お互いの体絡め合って川辺の生き物を水に引きずり込みますから」
ビオがとても重要なことだと、アルベラや騎士達に向け大き目な声で忠告する。
「毎年無知な冒険者やら旅人やらがあいつらに人知れず消されてんだ。哀れな話だよな」とゴヤがぼやいた。
(引きずり込まれるのかぁ……)
小さく奇麗な見た目に寄らず意外と恐ろしい生き物だという事を知り、アルベラは彼等の言葉に深くうなずいた。
「どうだい、雇い主様。文句の言いようのない観光スポットだろ?」
アンナがにんまりと笑む。アルベラはそれにも深く頷いた。
「ええ、最高よ姉さん。見直したわ」
「ははははは。何だい嬢ちゃん、見直したってことは―――」
ずいっとアンナはアルベラへ顔を寄せ、笑顔のまま彼女の耳元で低く囁いた。
「―――どっかであたしん事見下してたって事かい? 簀巻きにして魚の餌にしてやろうか? え? どうなんだい? 答えなよ」
「あんな散々醜態晒しといて今更何を……」
「あ゛あ゛ん?」
圧のある笑顔でツンツンと頬をつつかれ、アルベラは宥めるようなポーズを取る。
「チンピラ、チンピラ出てるから、姉さん……」
「はは……ははは。なんだいそんな顔青くしちまって。冗談、冗談さ冗談、」
(この人は本当に急に、もう……)
アンナはアルベラの背中をタンタンと叩いた。アルベラは早まった鼓動を落ち着かせるように胸に手を当てた。
「―――さぁて、そろそろ適当に眺めのいい所陣取って寝床つくるよ」
アンナの言葉にばらばらと冒険者たちの返事が返る。
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