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三章 エイヴィの翼 後編(前期休暇旅行編)

231、 初の前期休暇 11(十六回目のパーティーを終えて)

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「よし」

 ジーンが去った後。

 アルベラは椅子を立ち、眠るラヴィを見下ろしぱっぱと手をはたいた。ラヴィの周囲には魔力で描いた線が淡く輝いていた。同じ印が四つ、同じ間隔を空けてラヴィを囲って描かれ、線はその印を繋いで楕円を描いている。

 一番難易度が低く手軽な防音の魔術だ。

 印が外側の音を内側に通さないようになっている事を確認し、アルベラは先ほどまで座っていた椅子に戻り鏡台に向かった。

 彼女は鏡の中エリーを見る。

「じゃあさっき……のお……?!」

『アルベラァァァァァァァ!!!!』

 突然陰から飛び出してきた黒い塊にアルベラの頭は真っ白になった。彼女は椅子に座り見上げた状態で硬直する。

 黒い塊はコントンだ。アルベラの陰から上半身のみを出して、椅子に座ったアルベラを前足で挟み込むようにして立っていた。

 興奮しているのか、コントンは大きく遠吠えする前段階のように大きく息を吸いだす。この部屋自体にも防音の魔術は施されているが、魔力量の多いコントンが本気で遠吠えなどした日には、社交辞令程度に施された魔術など簡単に破られてしまい、挙句外にも魔獣の大音量の遠吠えが響き渡り騒ぎになってしまう。と、アルベラは慌てて両手でコントンの口を押えた。

「だめ! だめよ、コントン! しーっ! しーーっ!!」

 コントンは口を閉じ、分かったというように「クン」と鳴く。

 アルベラはラヴィへ目を向け、目を覚ました様子がない事にほっと息をついた。

「コントンはそこで静かにね」

『バウ!』

「―――じゃ、じゃあエリー、さっきの侵入者の件についての詳細だけど」

「はい」

 エリーはクスリと笑いアルベラの化粧直しへ戻りつつ耳を傾ける。

 引き続きエリーからの化粧直しを受けながら、アルベラはラヴィに憑いていた人物の本当の目的が「玉」であったことを説明し始めた。

 話の途中、ガルカも部屋を訪れ合流した。

 彼はアート卿と別れた後、ラーゼンに呼ばれ『アート卿とどんな話をしたか』『屋敷の中で魔術が解けた気配を察知した者がいたようだが何か知ってるか』尋ねられそちらの対応をしていたのだ。

 手短にではあるが、そこで三人と一匹は訪問者についての情報を共有することができた。

 共有した情報と言うのは、コントンからは「犯人は以前水に沈んだ村で会った事のある木霊だ」という事。アルベラが話した中で出た「玉を狙っている」「瓶を探している」「とある双子のダークエルフと敵対している」というものだ。

 話が済むと、ラヴィには使用人を一人つけ、アルベラはエリーとガルカを連れ、コントンを影に潜ませ会場へと戻った。





(さっきと随分と雰囲気が違うな)

 ジーンは廊下を歩きながら、鳥や虫、草木等の生き物の気配や呼吸を感じられるような空気に、自分を迷わせていた魔術が完全に取り払われているのを感じていた。

 廊下の先は突き当たりで、扉と警備の騎士達の姿がある。ジーンは警備の彼等へ軽く挨拶をし扉を通った。

 先に続くのはまた廊下だ。だが扉のこちら側には人の姿が多くある。この扉までの廊下も会場の一部なのだ。ダンスホールである大広間と広い廊下、廊下でつながったお手洗いと解放された休憩室には、招待客たちが気軽に出入りすることができる。廊下に設置されたソファでは、貴族たちがくつろぎの雑談を交わしてた。

「やあ」

 開け放たれた大広間の扉を前に、後ろから声をかけられジーンは振り返る。

 そこには「今から探さなければ」と思っていた主の姿があった。探すと言っても、人の視線や会話の内容からどうせ直ぐに見つける事ができるだろう、とジーンは高をくくっていたわけだが。

「どこ行ってたんだ?」

 「お手洗いだよ」と答え、ラツィラスはくすくすと笑ってから続ける。

「君の方は間に合った……のかな? さっき使用人がこっそり話してた。庭に放火魔が出たんだって?」

「俺だな……」

 ジーンは頭を掻く。

「つつがなく、だよ。詳しい事は後で話す。けど、とりあえずもう問題はなさそうだ」

「そっか、良かったよ。話聞くの楽しみだなぁ」

 二人は大広間へと歩き出す。

 二人の周囲では令嬢たちが、どう声をかけようか、ダンスに誘う切っ掛けをどう作るか、落ち着きなく様子をうかがっていた。





 その後、会場に戻ったアルベラは友人達との会話やダンスを楽しんだ。

 夜も深まり公爵ご令嬢の誕生日パーティーは「一見」何事もなく無事に終わりを迎える。

 庭での騒動は会場から見る事は出来ないので客人たちの中に目撃者はいない。何らかの魔術か魔法かが解けた瞬間に違和感を感じた数人が、「何かあったのか」と公爵へ事情を聴きに行く事はあったがラーゼンは上手く言って相手を納得させたようで、それ以上問題にされることは無かった。

 ラヴィは目を覚まし、パーティーが終わる前にルーラと合流した。

 ルーラは途中から見なくなった友人の姿に少し心配していたようだ。ラヴィの事だからどこかのご令息との時間を楽しんでいるのではとも考え、自分を落ち着かせていたらしい。

 当のラヴィはと言えばパーティー中、夜風に当たりに外に出てからの記憶が無いそうだ。

 アルベラが本人へ「ラヴィと庭に出て、案内中に貧血を起こして倒れたのだ」と伝えると、ラビは「私がディオールと散歩? パーティー中に??」と釈然としない顔をしていた。だが記憶もなく、頭には眠気が、体には痺れが僅かに残っており、よく考えるのも億劫な様子だったので彼女の説明はそれだけで済んだ。

 一方、ラーゼンとレミリアスにはラヴィが誰かに操られていた事や、屋根に上って落ちた辺りは事実を伝えた。

 その何者かは探し物をしてここに忍び込んだ事。聞く相手は公爵でも夫人でも、誰でも良かったようだが偶然自分が罠にかかってしまい接触するはめになってしまった事。エニオルニエの瓶という探し物について尋ねるだけ尋ねると、自分がそれを知らないと分かった相手はラヴィから離れていき、屋根から落ちた所をジーンにすくわれた事。

 使用人たちが会場の片づけに勤しむ中、アルベラは一室にて事の顛末を両親へ話し終える。

「アート卿やガルカの言っていた侵入者とはそれの事だったか……。エニオルニエの瓶……一体何だろうな。ウチのコレクションにはないと思うが」とラーゼン。

「本で名前を目にしたことがありますね……。誰かの伝記だったと思うんですが……後で調べておきましょう」とレミリアスが答える。

(色々つっこまれたらどうしようかと思ったけど、殆ど『知らない』で突き通せたな……良かった……)

 二人の様子を見ながら、アルベラはようやく一番面倒に思っていた件が済ませられた、と肩の荷が下りた気分だった。





 ***





「うわぁ!! 姐さん勘弁してくれってえ!!」

「なーに固いこと言ってんだよぉー! ほら口開けな! こんな上物の酒次いつ飲めるか分かんねぇぞ~」

 パーティーが終わったというのに、冒険者たちは与えられた専用の休憩室で酒を扇ぎ騒ぎ散らかしていた。

 いや……騒いでいるのは一人のようだ。とアルベラは扉を開いて理解する。

 部屋にはミミロウとカスピ、ナールの姿はない。彼等には一人一部屋宿泊用にも部屋を準備しているので、その三人はそちらへ行き既に眠りについていた。―――と言うのは、部屋の隅で震えていた使用人から後で聞いた話しだ。その使用人の彼は、アルベラが部屋を覗きに行った騒ぎの最中、服が半分剥かれたような状態で物陰に隠れていた。彼をそうした犯人は言わずもがなだ。

 部屋に残っているのはアンナ、ビオ、スナクス、ゴヤ。

 まだまだ騒ぎたい一人と、その一人の監視または抑制の為に三人が付き合っている図である。

 アンナに押さえつけられ、ワイン瓶三本を同時に口に突っ込まれそうになるのを必死に抵抗するスナクス。

 ビオはアンナの後ろで疲労感も濃く、ソファにぐたりと身を預けている。

「ほらほら、いい加減やめてあげなさい。それかスナクス諦めなさい。いっその事質の良いお酒で意識無くした方が幸せかもよ」と眠たそうに投げやりな言葉を投げかけてる。

 ゴヤも眠そうに大あくびを掻き、「いい加減寝てくれやアンナ」とお手上げな様子だ。

「み、皆さんお疲れさま……。じゃあ私はこれで……」

 アルベラは就寝前の挨拶を言いに来たことを後悔し、素早く扉を閉じようとする。が、アンナの瞳がギラリと輝き、扉を覗くお嬢様に狙いを定めた。

 アルベラは小さく「ヒッ!」と零す。

「ちょっとちょっとちょっと~。嬢ちゃんじゃーん!!! いい所に来たねぇ、あんたあたしに付き合いな―――」

 ―――バタン!

「コントン押さえて!!」

 アルベラは急いで戸を閉めた。彼女の影から犬の大きな前足が生え、扉に片手を添える。

 部屋の中からけたたましく扉が叩かれる。

 アルベラの後ろ、エリーが「あらあら」と暢気な笑みを溢す。

『ああ゛ん?! てめぇんな事してどうなるか分かってんのかぁ?! 後で覚えてろよ!! 私から逃げられるかと思ってんのか、あ゛あ゛ん゛?!!!』

(ね、姉さん……チンピラ出てる、出てる……!)

『さっさとこの扉あけねぇとあんたの大事な大事な貞操私がぐっちゃぐちゃにしてそこらの男じゃ満足できねぇように―――』

 部屋の中が突然「しん」と静まった。

 アルベラは恐る恐る扉に近づき耳を当てた。

 室内からは何やら物を引きずるような音がする。ドアノブがカチャリと動いたのをみて、アルベラは耳を離した。同時に黒い前足がするりと影に引っ込む。

「アルベラ様、お騒がせしてすみませんでした」

 細く開いた扉からビオが顔を覗かせた。

「―――?!!!」

 彼女の浮かべる笑みと、頬にべたりとついた返り血にアルベラの背筋が凍りつく。

(狂気……!)

「アンナってば急に寝ちゃって……あとは私達で片しておきますので、お気になさらないでください」

「そ、そう ですか……。部屋は使用人が片すので、そのままで大丈夫ですよ。皆さんの着替えも部屋にありますから、衣装の方は脱ぐのが大変だったら部屋にあるベルで使用人を呼んで下さいね。朝食は召し上がっていくという事ですが、事前にお伝えしてた時間で大丈夫かしら?」

「はい。―――あ、多分アンナは昼まで寝てるでしょうし、彼女の分はいいですよ」

「は、はい……」

「ええ。お気遣い痛み入ります。本当に本当に、素敵なパーティーでした。このご恩は旅の護衛にてお返しさせて頂きますね。では、おやすみなさいませ」

「はい、おやすみなさい」

 ―――ぱたん

 閉じた扉の前、アルベラは目を丸くしてバクバクと心臓を高鳴らせていた。

「ビオちゃん、頼もしいじゃない」

 後ろでエリーがやんわりと感想を漏らす。 





 寝る身支度を済ませたアルベラは、ソファに腰掛けルーディンから受け取った手紙へ目を落とす。

(大体あの子ラツィラスから聞いた話と同じか……)

「ウサギ料理のお店、行けなくなっちゃったわね」

 アルベラは手紙を閉じ、封筒に戻しながらエリーへ言葉を投げかける。

「ええ、残念です」

 そう答えたエリーの顔にあるのはいつもの微笑みだ。顔と言葉だけではその内心がどうあるのかが見えず、何とも思っていなさそうにも感じる。人にとっては薄情ともとれるその雰囲気に、アルベラは内心安心感を覚えていた。無理に悲しんだりする必要はない。「何となく哀れ」程度にしか感じられない自分の精神を肯定する事が出来た。

「例のお店、今度二人で行ってみましょうか」

 エリーはそう言い悪戯っぽく笑う。空気が重くならないように、と言った所か。自分への気遣いを感じ、アルベラもゆるく笑んで返す。

「良いわね。中期が始まったら行ってみましょうか」





 エリーを下がらせ、アルベラはベッドに仰向けになって眠気が来るのを待った。色んな人と言葉を交わし、踊り、予期せぬことも起き、疲れているはずなのにすぐには寝れそうになかった。

 耳の奥にがやがやと人々が話す声と音楽の余韻が残っているように感じた。

 アルベラはぼーっと天蓋を見つめる。

(………………屋根、風、水、炎……木霊……)

「コントン」

 部屋の中、そこかしこに満ち溢れていた影がざわりと蠢いた。

『ナニ?』

「あの木霊、私と同じような匂いしなかった?」

 バフと、小さく吠えると同時に、彼は「スル」と答える。

『アルベラト ニテル。ケド アルベラヨリ 玉ニニテルニオイ』

 アルベラの頭に『種』という言葉が浮かぶ。アスタッテと呼ばれる賢者が撒いた悪意の種。あの木霊もそれなのだろうか。と彼女はぼんやりと考える。

(大した確信もなく適当に訊いたのに……)

 ラヴィの瞳に感じた黒や、黒い靄に囲まれた事を思い出し、何となくで尋ねた事だった。

 アルベラは天井を眺めたまま、小さな眠気が逃げ無いよう緩い気持ちでコントンへ言葉を投げかける。

「じゃあいい匂いだったんじゃない?」

『ウン ニオイ イイ』

「あら。じゃあもしかして、コントンはその木霊も好きだったりする?」

『ウン ニオイ スキ。スバシッコイ タノシイ』

「楽しいのね……。そっか、コントン的には遊んでる感じだったわけか。じゃあ、……じゃあどうしたらいいのかしら」

 クン? と不思議そうな鳴き声が返る。

「コントンがその木霊とぶつかる理由ってないでしょ? 今あなたが動いてくれてるのは私の都合なわけで」

 クン? と、また不思議そうにコントンが鳴く。

「貴様の都合もコントンにとっては動く理由の一つなんだろう。―――少なくとも『今は』だろうが」

 ―――カツ……

 靴の踵が立てるような小さな音と部屋へ入り込んできた風に、アルベラはそちらを見なくてもガルカが窓に腰掛けたのが想像できた。窓にぶら下がっていたであろうスーがばさばさとベッドの天蓋へ移動してきたので、大まか正解だろうとアルベラは思う。

 ガルカの言葉に、コントンが「その通り」と言うようにバウ! と吠える。

「そう……。じゃあ今は有り難くそれに甘えさせていただくわ。―――魔徒のお婆様はどうなのかしら。もしその木霊に玉のありかがバレたとして……あちら木霊もアスタッテの匂いがするなら……お婆ちゃま、あちらに靡いちゃったりはしないかしら。あの魔徒様もアスタッテ様大好きだし」

「魔徒は交渉次第だろうな。木霊が良い条件を持ち出せばそちらに玉を譲る事もあるかもしれん。……といっても、匂いの質は全く同じではないから、魔徒がどう判断するかは分からんがな」

 アルベラは「そう」とぽつりと返す。頭をぼんやりとさせ、眠りの気配も濃くなっていた。

 新しい話題をアルベラから振ることもなく、部屋はしんと静まる。

 瞼を閉じかけたアルベラの耳に、軽く姿勢を変えるかのような身じろぎの音が聞こえた。音は変わらず窓際から。

 彼女は薄く瞼を持ち上げ、その視界の端でスーの体の一部が月明かりを反射してチラチラと心地よく輝く。

 ガルカは窓から動く気もなく、ベッドの方を眺めていた。

 アルベラは本来、人に寝ているところをじっと見られるのは嫌いな質だ。だが、この数年どんなに戸締りをしようとも、気分で勝手に部屋に入ってくる魔族の気配には不本意ながらも慣れてしまっていた。どんな手を打とうとも、どれも彼の侵入を阻止できなかったのだからこちらが折れるほかない。

 放っておけばいずれ飽きて部屋を出ていく。意外にも戸締りもちゃんとしていってくれるし、今日もどうせいつもと違わず……、とアルベラは端からガルカを追い払う事を諦めていた。

「あいつ、木霊を逃したんだろう。居場所も正体も暴けず」

 「ああ、まだいたんだな」と思いながらアルベラは答える。

「……あいつ……ああ、ジーンね。捕まえる事が目的じゃなかったもの。落ちた所を拾って貰えただけで十分」

「俺なら貴様らを助けた上で木霊を仕留められた。町の外にいようとな」

 静かで低い声は、何となく不貞腐れているように聞こえた。

「そうね。貴方は強い魔族だものね」

 アルベラは相手に合わせただけの、いかにも心が籠っていない答えを返す。

「ああ。あの赤に比べれば断然にな」

「そう。頼りにしてるわ」

「……」

 窓際の魔族から、何か割り切れないように細く小さな息をつくような気配感じた。

 アルベラは「なに?」と尋ねる。

「何も……」

 これ以上は特に言いたい事もなさそうに、ガルカはベッドから視線を外し窓の外へと向ける。





 少しして、瞼を閉じていたアルベラの耳に戸の閉まる音が聞こえた。

「『何も』―――」

 一人になった部屋。彼女は細く目を開くと、最後に聞いたガルカの言葉を反芻するように呟いた。





 ***





 翌日冒険者たちは朝食を済ませると屋敷を発った。

 聞いていた通り朝食にアンナの姿は無く、発つ彼らの中にも彼女は居なかった。変わりに大きな包み―――遺体袋のような地味な色味の袋がぐるぐるに縄で縛られ、馬に括りつけられていた。冒険者たちが礼や謝罪の挨拶をアルベラに伸べる傍ら、それは時折もぞりと動いていた。

「なるほどー……」

(なるほど……なるほど……)

 遠ざかる彼らの背を、アルベラは目を据わらせて眺める。彼女は心の中、何に納得しているのか自分でも分からないが「なるほど」とそればかりを呟き頷いていた。



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