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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)
189、学園の日々 18(屋外授業とランチ)
しおりを挟む二十五メートルプールのような凹みには、粒子のサイズが均一の白い砂が敷き詰められていた。
その砂は見えない掃除機に吸いあげられるかのように宙へ持ち上がり渦を描き、瞬く間に光沢のある真っ白なプレートとなる。
そこにすぐさま火球が飛んできて、プレートは「パリン」と気持ちいのいい音を当てて割れた。
地に落ちた破片は数秒で砂に戻り、また別の個所で同じようにプレートが作られる。そしてすぐに割られる。
辺りからは放たれた魔法が空を切る音と、陶器が割れるような沢山の音が絶えず上がり続けていた。
ここは運動場の一角にある射的場だ。
大きな砂場の角には白い柱。その柱が支えるのは白く平坦な屋根。
屋根にはいくつかの印と大きな細密な陣が彫り込まれており、今は魔力で煌々と輝いていた。
生徒達は十人ずつ横並びになり、指定された位置から砂場の上に作られるプレート目掛け魔法を放つ。
「終わり!」
魔法学二級クラス担当教諭、キビシ・ヘトルズの声で生徒達はぴたりと魔法を放つのを止める。
「あい。じゃあ次は『押し合い』ねー。皆中央へ移動して、前回の続きの並びになってー」
魔法学一級クラス担当のマール・コロッポは、砂場の四隅にある柱から「充魔石」を取り外しながら指示を出した。
「充魔石」とは、魔力を溜め、また溜めた魔力を引き出して使用する事のできる鉱石を示す。種類は幾つかあるのだが、コロッポが手にしてる拳大の四つは全て違う鉱物のようだ。
不純物の無い青く透明な物。普通の石に見える鉱物の中に、幾つか透明な緑の部分を覗かせた物。虹色の光沢のある、丸みを帯びた鉄のような物。不透明な赤茶をベースに、透明な黄色の層が幾つか挟まれた物。
一番初めの屋外授の際コロッポが説明したのだが、鉱物としてそれぞれ別の名称を持つが、その四つとも役割としては大差ない。どれも同じく「充魔石」なのだ。
運動場の中央へ移動していく生徒達を眺めながら、コロッポは石を腰の鞄にしまう。
移動する生徒達から、運動場の端へと視線を移せば、そこには第四王子ルーディンがいつもの如くベンチに腰掛け、本を片手にニコニコと皆を眺めている姿があった。
***
屋外の魔法学は軽い準備運動と、運動場五周のランニングから始まる。
そのランニングの後は魔法を使った軽いトレーニングだ。
ちなみに今日のメニューは縄跳びだった。
縄を飛ぶことが目的でなく、魔法で出現させた火や水等を縄状で保つことが目的のメニューだ。
「縄」は縄跳びできるくらいの長さと細さの形状であればいい。縄跳びの動作の間も、乱れることなく魔法が展開できているかどうかが重要なのである。
これが地味に神経と体力を使う。
躓いても数はリセットせずに数え続けられるのが救いだ。
目標回数も提示されるが、達成できずともペナルティ等はなく、次のメニューへと切り上げるのみである。……が、ただ「今回は残念だったね」で流されるだけというのも悔しい物である。
アルベラは今日、ようやく一度も乱れなく縄を保ったまま百回飛びきることができ、ちょっとした達成感を得ていた。
縄跳びの動作自体への心配はなく、どちらかというと魔法が乱れないかに気を張りながら百回跳びきったアルベラの目の前。スカートンは崩れる様子の無い安定した風の縄を手に、ひと跳びするたびに縄を踏みつけていた。
踏みつけられても、スカートンが持つ縄には一切乱れる様子はない。
「ぎゃ、逆に器用だよ。スカートン……」
アルベラが思っていたことをサリーナが口にし、スカートンは恥ずかしそうに両手で顔を隠した。その合間も風の縄は健在だ。
流石毎朝毎夕祈ってるだけあるよな、とアルベラは感心した。
縄跳び後は運動場の一角に設けられた専用の射的場にて、一級二級合同での「的当て」。その後はクラスに分かれての「押し合い」という流れだ。
「押し合い」は二人一組になって行う魔法の訓練方法だ。
片方は魔法を放ち、片方は壁を作って一定の時間押し合うというシンプルなものだ。この時自身の前に壁を展開してしまうと、壁が破壊された際吹っ飛ばされてしまう恐れがある。だからこの授業では壁側は自分の目の前に防御を張らず、少し離れた場所に張るのが絶対ルールだ。
目の前に張った方が気持ち的に強度は上がるのだが。いざという時大けがする恐れがあるのでこの訓練でそれを行うことは無い。
もう少し授業回数を重ねた後、教師陣から見て合格ラインの者達は対人での魔法の撃ちあい訓練をすることになる。今はまだそれに備えた準備段階なのだそうだ。
「よ、よろしくお願いいたします!」
特待生のクレア・テンウィルが緊張した面持ちでアルベラへ頭を下げた。
「この間は、うちのイレヴィー・ヒフマスが大変申し訳ない事を! 本当に本当に申し訳ございませんでした!!」
今にでも地面に這いつくばってしまいそうなテンウィルの勢いにアルベラは押されてしまう。が、押されつつも皮肉を交えて微笑み返す。
「……え、ええ。別に気にしていません事よ。……ヒフマス様の投げ心地が良かったもので。よろしければまた投げさせてくださいと、彼女にもお伝えください」
「はい! ありがとうございます……!」
「いいんかい……」と、謝る事に必死なテンウィルにアルベラは呆れつつ、二人はヘトルズ教諭の合図で押し合いの訓練を開始した。
テンウィルとの押し合いを終え、二人は「ありがとうございました」と頭をさげる。
テンウィルの並んでいる列が動いて回っているので、アルベラはその場に立ったまま次の相手が来るのを待った。
自分の手を見て、アルベラは少し曖昧な表情を浮かべる。
『コントロール良し。反応速度良し。勢い、力強さは学年的に並みの上。体力、運動神経等他の情報を見るに、勢いや強さはまだまだこれから。全力で魔法をぶつける練習が効果的。魔法を放つ際、今よりもっとスピードを意識するでも効果あり。対人中でよそ見できる余裕や柔軟性には感心だけど不正は駄目ヨ。授業でやったら減点ね』
これは小魔合戦を見ていたコロッポが、後日アルベラを引き留めて渡した紙に書かれていた内容だ。
合戦の合間、彼は生徒たちの長所や短所、癖などを見つけて書き出していた。
アルベラ以外も受け取っているようで、皆内容には納得しているようだった。
(勢い。強さか。……テンウィル、流石特待生……。私の壁は普通に壊されちゃったし、私は彼女の壁全く壊せなかったし……凹むなぁ)
アルベラは小さく息をつき、やって来た次のペアと挨拶を交わす。
二人目の生徒はテンウィルと同じ特待生の女子。イチル・ニコーラだ。
彼女はにこにこと微笑み、「よろしくお願いします」と頭を下げた。
特待生女子の中で、彼女は断トツで優秀だとルーラから聞いている。
勉強もでき、魔力も豊富。運動神経も意外に良く、中等部の頃は毎回女子ではトップの成績を残していたのだそうだ。
全体では毎回五位以内の成績で、見た目も可愛らしい事から、ご令嬢達からは良く嫉妬の対象となっていた。…………訂正。今も一部では彼女への嫉妬の話はあるそうだ。
(どう見たって、的当てもヒーロー達の次に凄いし、彼等と当たった時も結構な威力でぶつけ合ってたし……。テンウィルよりもいとも容易く壁破られるのかな……。せつな……)
余計な会話もなく、ニコーラは教諭の合図とともに軽く頭を下げて魔法を放つ。
アルベラはできる限りの強度の壁を作り、それを受けた。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
押し合いが終わり、ニコーラはお行儀よく頭を下げて去っていった。
(そつない。そして素っ気ない……)
アルベラは彼女を見送り、自分の手を見て首を傾ぐ。
(あの子、確かにテンウィルより上のはず……壁一回も壊されなかったけど……もしかして手加減された……?)
アルベラは首をひねっている間に、三人目の相手が向かいに来ていた。
「よろしくお願いいたします」と、テンウィルほどではないが緊張気味の男子生徒の声が聞こえてきた。
「ええ。よろしく……」
(ん?)
茶髪に、つんつんした青い前髪とそのサイドの少ない白髪。頭の中で「ダンスの奴」と呼んでいたアルベラは、記憶を漁ってようやく出て来た名前に「ああ」と声を上げた。
(……ドヤナティ! グレッタ・ドヤナティ!)
始めに名前を聞いたとき、「ドヤ顔ドヤナティ」と勝手に名付けていたはずなのに、それさえも忘れていて自分の記憶力に呆れた。
「ドヤナティ様……やっとお会いできて嬉しいです。同じクラスなのに、全然お関わりになる機会がありませんでしたものね」
アルベラの満面の笑みに、彼は驚きながら一瞬顔を赤らめる。
「……ダンスの件。とても楽しませていただきましたわ。ぜひお礼をと思っておりましたの」
「ふふ」とアルベラが恨みを込めてほほ笑むと、「さー」という音が聞こえてきそうな勢いで彼の顔は青ざめた。
「始め!」というヘトルズ教諭の声が聞こえたが、彼は魔法を放つ体制を取るでもなく、少し戸惑ったようにアルベラを見て視線を落とした。
何かを考えている様子の彼に、「どした?」とアルベラはただ黙って彼を見ていた。
彼は顔を上げると気まずそうに視線を泳がせたが直に諦めたように肩を落とす。
「……その節はどうも」と、グレッタはぼそっと言った。
(おや……?)
「あの時はすみませんでした。あんなガキみたいなことして。……実際ガキだったんですけど」
「はあ……。ええ」
まさかこうも素直に謝られるとは、とアルベラは暫し呆然としてしまう。
「俺、もうああいうのは辞めたんで。……だから、これで多めに見ていただけたら幸いです」
彼は深く頭を下げる。
近くのペアが魔法で押し合いながら、アルベラとグレッタへ不思議そうな視線を送る。
周りの反応が視界の端に入り、「別にそれは良いのだが……」とアルベラは首をかしげてグレッタへ視線を戻す。
……肩透かしだ。
もうちょっとネチネチと嫌味を言ってやろうと思っていたアルベラにとって、彼の対応はとても肩透かしだった。
(毒気抜かれたな……)
アルベラは「ほうっ」と息をつき尋ねる。
「ドヤナティ様。もういいですわ、あれきりの事でしたし。その分だと『ジーン様』とも和解いたしましたの?」
彼は頭を上げるとばつが悪そうに「いや、それは無理です……」と零した。言った後に何かを思い出したのか、その顔は苦々しく歪んだ。
「あいつと話すとか……どきど……色々あって緊張するようになってしまったので。謝罪とか……もう一生無理です」
グレッタは忌まわしい記憶に耐え切れず「ああ、なんであんな事になった……!」と一人ごちり、両手で頭を抱え込んでいた。あんな事とは勿論、大声で「好きだ」なんだと喚いた時のことだ。彼の心で、あの時の記憶は大きな傷とり深く刻み込まれていた。
アルベラはグレッタの言葉を聞きながら、ニコニコ顔で「ん?」と首を傾げる。
(『どきど……』? ん……??)
「そこ! 魔法を展開しなさい!」
魔法展開していない二人へ、ヘトルズの怒号が飛んだ。
「あら」
「すみません!」
アルベラは速やかに壁を展開させ、グレッタも慌てて壁を作る。
「『移動側』が先攻!!!」とヘトルズの声が響いき、「はい!」とグレッタは声を上げ、慌ててアルベラの作った壁へ魔法を放った。
離れた場所の壁に意識を向けつつも、アルベラはニコニコ顔を張り付けたまま、つい先ほどの彼の言葉や表情に「ん?」と疑問符を浮かべていた。
(私の香水は……一時的な物。の、はず……………………いやいやいや。まさかまさか)
『一週回って好きになっちゃえよ作戦』というふざけにふざけた、あのお遊びが、まさか成功していたとでも言うのだろうか……?
(んー……? どっちだぁ……? さっきのあれはどっちの好きだぁ………………? そもそも好きなのかぁ……?)
にこにこ顔のご令嬢の視線に、グレッタはどこか居心地の悪さを感じつつ、魔法を放つ手を緩めないよう注意する。
(……やっぱまだ根に持たれてるよな。ジェイシの巻き添え食らったわけだし。……けどあの人、普通に全部避けてたよな。涼し顔で。……やっぱりあいつとつるんでるだけの事はあ……)
「つるんでいるだけの事はある」という言葉の裏に、自分がニセモノの彼の実力を認め、更には尊敬しているかのような気持ちがある事まで感じてしまい、グレッタはぶんぶんと頭を振った。
(っだあ!! くっそ、あいつ!! 全然あの頃の仕返しとかしてこないし! 徴集の件とかかなり問題になってもいい筈なのに、周りの大人に言いふらしてる様子もないし!! むしろ水に流したみたいに、困ってる時とか他の奴らに向けるのと同じく普通に手貸そうとするし!!! っあああ!!!! 何だよくっそおおおおお!!!!)
グレッタの放つ魔法が急に荒々しくなる。
「なにか頭の中で必死に戦ってらっしゃる……」とアルベラはそれを受けながら、壁が壊れないようぐっと堪えた。
(あれは、あれはどっちだ。どっちなんだ……)
もし自分のあの悪戯が成功していたとして、これは素直に喜んでいい事なのだろうか。
自分の招いた結果に胸をもやつかせ、アルベラは今日の魔法学の授業を終えたのだった。
***
「そうでしたのね……、ルーディン様は魔法が……」
ランは言葉を選びながら返す。
「そうなんだ。けど変に気は使わないで。体は至って健康だし、そこまで生活に支障があるわけじゃないしね。魔法が使えなくても、そういうのを補える便利な道具は世の中沢山あるし」
「けど見学だけってお暇じゃないですか? どうせだったら他の授業を受けたり、普通に空き時間扱いで校外に出るとかも許されますよね?」
サリーナの言葉に、ルーディンは隣の席に座る義弟とそっくりなくすくす笑いを浮かべた。
「そういうのも考えたんだけど、せっかくならガーロンにもっと強くなってもらうのもいいかなって。一級クラスなら、ジェイシやベルルッティから手ほどきを受けられる事もあるかと思って。勿論ラツからも」
「お義兄様の優秀な護衛と手合わせできるなんて、嬉しい限りですよ」
当の「義弟」もくすりと笑って返せば、辺りは波が立つようにざわめいた。―――主に女生徒が。
今までも当然、食堂内で食事を済ませる王子様の姿があれば、周りの注目は自然と集まっていた。
だが、この現在の周りの様子を見て、アルベラは改めて今まで皆がそれなりに「あまり見過ぎないように」と配慮していたことを実感した。
今日の視線はいつも以上に露骨なのだ。
それもこれも、ラツィラスとルーディンが、並んで食事をしているから。
腹違いの王子同士が公共の場で時間を共にする。これは、入学以来全く見られなかった光景だった。
近くの席の者達は、見目麗しい二人の王子様の姿に殆ど食事が進んでいない様子だ。
いつも以上にうるさいということは無いし、いつもがそこまでうるさいというわけでもないのだが、辺りのざわめき方は明らかにいつものそれと違う。
イベントごとが起きているような、どこか浮足立った女生徒達の声が多く感じる。
なぜ二人が食事をすることになっかというと、魔法学の授業終わりの事だ。
サリーナが軽い気持ちで、近くを通りがかったルーディンに「ルーディン様もご一緒にお食事しませんか?!」と声をかけたのだ。
断られる事前提で誘ったサリーナは、第四王子様の口からあっさりと出た快諾の言葉に驚き、自分で誘っておきながら驚きのあまり硬直した。それをランがフォローし話を繋げ、今に至る。
にこにことほほ笑みながら食事をするラツィラスとルーディンの姿に、アルベラも微笑みを浮かべながらスープをすくい口に運ぶ。
(…………え? ……え? え? なにこれ……。え、なにこれ……? 嫌だ、なんであの子あんなにいつも通りなの、逆に怖いんですけど。第四王子は本当にあの子の事何とも思ってないの? 慕ってるの? ていうかそうじゃなきゃこの空間凄い気持ち悪いから! 見てて耐えられないから! ………………け、けど。この兄弟がこのままどんなやり取りをするのかも気になる。……自分では触れたくないけど、このまま人に藪を突かせてそれを眺めていたいとも思う………………ううむ……)
胃の辺りを抑えたくなるような不安と、あえて石を投げ反応を見てみたいという好奇心の狭間、アルベラは作業的に食事の手を動かしていた。
「アルベラ様は次は何の授業で?」
隣から穏やかそうな低い声が尋ねる。ガーロンだ。
アルベラの右隣りにはガーロンが座り、そのさらに右にはルーディン。そのさらに右にラツィラス、と並んでいた。向かい側には通路側からジーン、ラン、サリーナ、ウォーフ、スカートンと座っていた。
普段なら、この曜日はキリエも共に食事をしている事が多いのだが、彼は兄の手伝いとかで、魔法学が終わって早々に教員棟へ向かっていったのだった。
キリエから向けられるのと同じような視線。
ガーロンと知り合って約一か月半。
アルベラは何となく、この青年の好意に気づき始めていた。気づいてはいるが、その気持ちは今は知らぬ物として扱っている。
彼女は使い慣れた「外行きの皮」を被り、お嬢様らしい朗らかな対応で返す。
「魔獣学です」
「へえ。魔獣にご興味が?」
「興味がなくもなかったのですが、……実は消去法でして。この時間で選択できる授業の中で一番面白そうと思えたのがその授業だったものですから」
やんわりと、どこか演技めいた苦笑を浮かべるアルベラに、ガーロンは「アルベラ様は素直なのですね」とくすぐったそうに微笑んだ。
その顔に「貴方の方がよっぽど素直です」という言葉を飲み込む。
(分かりやすく自分に思いを寄せる男性……。私がもっと冷酷無情になれたなら、彼を良いように手の平で転がして、良いように扱えたんだろうけど……)
そんな事を考えながら彼を見れば、穢れなく、恋心にキラキラと輝く瞳が目に入った。まるで無垢な子犬だ。
アルベラは後ろめたさに視線を逸らす。
(私ってこの人にどう見えてるの。他の人とのやり取りとか授業中の様子とか見られてるはずだし、完璧に綺麗な面だけ見せられてるはずないんだけど……見た目か? 見た目なのか?)
「え、ええと……。取ってみたら期待以上に楽しかったです。実際授業で教わった魔物を目にする機会もありましたし……」
「それは有意義な授業ですね」
「ええ……はい……」
(む、無理無理。キリエもだけど、良いように扱うとかはこの人も無理……なんか心が痛い……)
でなくても記憶に浅い傷がまだ残ってるというのに、とアルベラは正面に座るスカートンへチラリと視線を送る。
目があった友人は、にこりと可愛らしい笑みを浮かべた。
「魔獣ってどんなのを見たの?」
(だ、大丈夫。これはいつものスカートン。怖くない怖くない)
「あ、アイスベアーっていうのと、コユキンボっていうのをね」
ユキアラシは針だけなので省く。ちなみにあの針は持ち帰って八郎に送ったところ、本体から離れて時間もたってるので、ただの棒でしかないと言われてしまった。
「コユキンボって、真っ白な毛玉みたいなやつよね。たまに公園やとかで見るわね。教会の庭とかにも、寒い日なんかはたまに出たりするわ」
「へえ、そうなのね」
「けど、アイスベアーはそれなりに山奥へ行かないと出ないのでは? アルベラ様は登山の御趣味でもおありで?」
「……ええ。まあ。その日は祖父が遊びに来まして、散歩がてらに連れて行って頂いたんです」
「お爺様が山へですか」
「はい……体力のある方でして……」
良い澱むアルベラに、ガーロンの正面に座るウォーフが小さく噴き出す。
「確かに卿は体力有り余ってるわ。で、嬢はそのアイスベアーどうしたんだ?」
知っていながら尋ねるウォーフへ、アルベラは何事もないように「遠くから見てたら消えましたわ」と返した。
「何も無くてよかったわね」とスカートンは微笑み、「ええ、本当に」とガーロンも頷いた。
「そうかいそうかい。そりゃ良かったな」
(程よい距離から爆破して消してやりました、なんて言えねえわな)
くつくつと笑う彼に、隣りに座るサリーナが「なんですか? 面白い話でも?」と彼を見上げる。
「いや。ちょっと思い出し笑いをな」
ウォーフが王子様方の話に耳を傾ければ、話題は学園の庭に植えられている植物や、借り出し可能な騎獣の話へと移っていた。
年が同じ義弟へ可愛がるように笑いかける義兄と、そんな義兄へ柔らかく笑い返す義弟。
その姿を見ただけでは、その一方が苦手意識を抱いている等とは全く気づけなかったことだろう。
(徹底していらっしゃる……)
自分の右側と左側で交わされる話に耳を傾け、たまに口を出しながら、ウォーフは第四王子と第五王子のやり取りに注意を向ける。
***
放課後。
(なにがあった)
自室に戻ったアルベラは、今朝普通に、何事もなく使用していたはずの椅子を無言で見つめる。
椅子の背もたれの一か所が、まるで獣に嚙み砕かれたかのように不自然な割れ方をしていたのだ。
(コントン……の顎のサイズじゃないし。あの二人のどっちかか? ……まあいいや。それよりこの手紙)
扉の下から投げ込まれていた自分あての封筒を開き、アルベラはその場でさっと目を通す。
部屋の扉が「キィ」と開き、後ろからガルカの「ん?」という声が聞こえた。
彼はアルベラの姿を認めるや否や、後ろを指さし口を開く。
「俺じゃないぞ。このオカ、ぐっ―――」
「すみません、お嬢様。ちょっとした事故で握りつぶしてしまいまして。もう少しで新しく注文した椅子が届きますので」
ガルカに続いて部屋に現れたエリーは、恥ずかしそうに頬を染めた。
その片手ではガルカが顎を握り潰されんばかりの握力で掴みあげられ、ぶら下がっている。
アルベラは「はぁ」と呆れの息をつき、背もたれの割れた椅子に横向きに浅く腰かける。
「そう、じゃあ椅子はそれでいいとして。来週末、姐さん方が用あって王都の組合で仲間と集まるんですって」
「まあ。楽しそうですね」
エリーはガルカを離し、頬の辺りで両手を合わせる。
「うん。だから二人も開けといて。旅のメンバーで顔合わせしましょう、ですって」
アルベラはテーブルに封筒を置く。
その差出人欄には、セクシーさが漂う字で「アンナ」と書かれていた。
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