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三章 エイヴィの翼 前編(入学編)
183、学園の日々 13(友との和解)
しおりを挟む不安な表情のスカートンを招き入れ、アルベラはごくりと唾をのむ。
(まさかスカートンから来るなんて。どうしよう……この間の件。この空気はどうにかしたいけど、謝るのは変だよね……。ユリへの嫌がらせは続行してかなきゃいけないわけだから、行いを改めることはできないわけだし……だからと言って『私にはこうしなきゃいけない都合があるの』とか言ってスカートンに理解を求めるのはなぁ……)
エリーにお茶を入れてもらうと、何となく気まずくなって、アルベラはエリーへ申し訳なさそうな顔を向ける。
「ごめん。外してくれる? 今日はもう好きにしてていいから」
「あら。承知いたしました」
エリーはにこりと微笑み「ごゆっくり」とスカートンへ言葉を投げかけて出ていく。
スカートンは軽く頭を下げ、おずおずとアルベラへ目を向けた。
「あの。……私気になってて」
「ええ」
アルベラは冷や汗を背中に感じつつ、いつもの調子で頷く。
自分からは何を話たらいいかわからなかった。だから情けないと思いながらも、今の流れはスカートンへと任せる。
「アルベラ、ユリさんと何かあった?」
「……いいえ。なにも」
「そう。あの時ね、食堂でユリさんがアルベラにお菓子を渡しに来た時。あの時、私はアルベラがユリさんを傷つけようとしたように見えたの。それって私の気のせい? それとも……」
もじもじと自分の手元を見つめていたスカートンの震える瞳が、アルベラへと向けられる。
その先に言葉が続かなそうなのを感じて、アルベラは「ええ」と頷いた。
「スカートンが感じた通りよ」
紅茶を口に運ぶが、味も香りもどうでも良かった。ただこの気まずさを紛らわす動作が欲しかった。
「アルベラは、なんでユリさんを傷つけたかったの?」
「……。あの子が気に入らなかったの」
少し考えるような間を置いてアルベラは答える。
スカートンの視界で、さわりと精霊が揺れた。
アルベラの口許には、余裕を感じさせる、社交時仕様の微笑みが貼り付けられていた。
精霊の様子と、なぜ今アルベラにそんな笑みが必要なのかと、スカートンは首をかしげる。
「アルベラは何で、ユリさんが気に入らないの?」
貴女には関係ない。
その一言が言えず、アルベラは目を伏せる。
代わりに「この微笑みだけは絶対に崩さない」と口は弧を描いたまま固定する。
「平民の癖にあんなへらへらにこにこしちゃって、気に障るの。他の子は大丈夫なのに、なんでかしらね。そう言う顔なのかしら?」
「……本当?」
スカートンの丸い瞳が、言葉を聞いて悲しげに揺れる。
それは何をみているのか。目があっているような、微妙に合っていないような。そんな印象をアルベラに与えた。
(精霊でもいるのかしら)
アルベラはスカートンが精霊を見れることを知っている。だから視線についてはあまり不思議に思わなかった。
そのままそちらへ気を取られていてくれたら良いのに、とアルベラは密かに思う。
「ええ。あの子だけ、やけにね。…………小さい頃に一度街であったせいかしら。自分より確実に下だって思っていた子が突然学園で目の前に現れて……。私と対等の場所に立たようなあの子の顔が気に入らないの」
自分の心情を分析するようにそう言って、彼女はまた紅茶を口に運んだ。
スカートンはそんな友人の姿をなにも言わず見つめる。
そんな彼女へアルベラは柔らかく微笑んだ。
スカートンには、それがとてもわざとらしく見えた。
「アルベラは、ユリさんが嫌いなのね?」
「ええ」
「ユリさんを傷つけて楽しく感じる」
「ええ」
ふわり……ふわり……と精霊が揺らめく。まるで嫌な波を避けるかのように。皆がアルベラの返答と同じタイミングで揺れた。
スカートンは確認するように言葉を重ねた。
「彼女が学園に来なくなって、二度と自分の目の前に現れ無くなれば、清々する? 消えて居なくなってしまえば良いって、思う?」
アルベラは目を細めた。普段のトーンで少し困ったように首を振る。
「……そういうのじゃないの」
精霊はアルベラの周りに留まったまま。自分達のペースで漂う。先ほどの何かを避けているような、または揺らされているよかのような。それらの動きは見られない。
「じゃあ、アルベラはユリさんを退学に追いやったり、不幸にしたいわけではないのね」
「ええ。ただ趣味程度に、ちょっと嫌がらせをして楽しみたいなって」
にこりと笑う彼女の回り、ふわりと、同じタイミングで精霊が揺らめいた。
「私、そんなのいやよ……」
スカートンはその様子へ目を向けたまま、独り言のように小さく呟いた。
アルベラには、スカートンが何を考えているのかよくわからなかった。
質問を投げかけるだけ投げかけて、頷いて。
(もっと注意やら避難やらも言われると思ってたけど……)
絶交を言い渡されるだろうか。顔にビンタの一発でも食らわせられるだろうか。
それならそれで良いのに。
むしろその方が分かりやすくて断然良いと、アルベラは味も匂いもしないカップを口に当てる。
自分にはスカートンを嫌う理由はないが、スカートンには自分を嫌える正当な理由があるのだから、と考える。
「……私、アルベラと喧嘩がしたいわけじゃないの。ずっと、こうやってもやもやしていたくないの」
短い沈黙を破りスカートンはそう言った。
「それは私も」とアルベラは声に出してしまいそうになり口を閉じる。
読めない表情で見つめ返してくるアルベラへ、スカートンは真っすぐな目を向ける。そこには先ほどまであった迷いも怯えもない。
「この間、アルベラがやろうとしていたことは嫌なの。けど、その一つだけで私はアルベラを嫌いにはなれない。―――だからいつも通り、友達でいましょう?」
そう言ってスカートンは勇気を振り絞ったような顔でアルベラを見つめた。
「いつも通り……」
アルベラの中でぴたりと思考が停止する。
(……?)
何が、「だから」いつも通り友達なのか。よくわからなかった。
スカートンは手を伸ばし、テーブルの上でカップを握るアルベラの手を両手で包み込んだ。
アルベラは困惑する。
「私、ユリさんについての話……聞いたはいいけど、アルベラの気持ちとか考えは全く理解できなかった……。本当にそう思ってるのか。そう思ってたとして、なんでそういう風に感じるのか……」
『なにより、事実を言っているようには見・え・な・か・っ・た・』
スカートンはその一言は飲み込む。
精霊の様子からその宿主の感情や心を探るなど……、その行為を姑息だと後ろめたく感じているスカートンにとって、口が裂けても人に言いたくはない事だった。
それに、先程のアルベラの答えが、スカートンの見立て通り嘘だったとしても、それは彼女に何かしらの抵抗や理由があって出した物だ。
言わないと判断した上で友が出した答えを、更に言及したいとはスカートンには思えなかった。
「……けどその事をどうにかしたかったんじゃないって聞いてて思って……私はただこの変な空気が嫌だったの。だから、それを止めようって言いに来たんだって思い出して……。今までみたいに、普通に話したり、ご飯食べたり、たまに遊んだり。そうしたいなって」
アルベラは眉を寄せ、困惑した表情で首を傾げた。
「……ごめんなさい。スカートンが言ってる事……私もちょっと………………混乱しててよく理解できないみたい」
「ええと……」とアルベラは呟き確認する。
「ユリの事は理解できない。けどこの変な空気は無くしたいから。あの件は水に流そう、目を瞑るって事?」
スカートンは首を振った。
「違うの。私はやっぱり嫌よ。アルベラがああいう風に、誰かを傷つける姿は見たくない。……アルベラじゃなくても、誰かのああいう姿を見るのも、傷つけられる誰かを見るのも嫌。けど、それは私にはどうにもできないでしょ……?」
シルバーグリーンのまつ毛が悲し気に、大きな瞳に影を落とす。
「アルベラとユリさんの間の事は、事情がよくわからない私にはどうにもできない。……私に何か出来るならしたいけど、アルベラはそれを望む?」
真っ直ぐに見つめられ、アルベラは首を振った。
(事情……? 私が一方的にユリを嫌ってるって話した筈なんだけど)
「そうよね」とスカートンは儚げに息をつく。
「なら、私は二人の問題になにも出来ない……。根本的な部分で何も出来ないなら、その問題には関わらないわ……」
(問題)
スカートンは自分とユリの間に、何か深い事情があるとでも思っているのだ。アルベラはそう感じ「無いって言ったのに」と息をついた。
(まあ、それはそれで、納得してくれたなら)
「……けど、スカートンは私がユリに意地悪するのは許せないんでしょう?」
「うん……。だからまた、私はどうしようもなくなったら、悪いと思う方にこの間と同じような事をしちゃうと思う。問題の根本的な部分には関われないけど、きっと」
(物理的……制裁……)
アルベラは表情をひきつらせ言葉を失う。
「そ、それは……」
それは確かに恐ろしいが、裏を返せば「私の目の前での悪事は許さない」という警告か、はたまた「私が見ていないところでなら好きにして」という容認にもとれてしまう。
どちらの意味合いだとしても、アルベラ的には結局目を瞑ると言っているのと変わらない気がする。
アルベラはどう答えたら良いか分からなくなっていた。
事は非常にシンプルだ。
「今まで通り」
この一言がすべてなのだ。
アルベラがそれに乗れるなら乗れば良い。乗れないなら、こちらから絶交を言い渡せば良い。だが、後者を選ぼうとすれば自分の中に明確な拒否があった。
自分も、スカートンという友人の存在が惜しいのだ。
だが、だからといって前者を選ぶとなると、単なる好みの問題で渋ってしまう。
本当にそれでいいのかと。
自分の嫌なことをする友人なんて、さっさと友人という枠から外して他人へしてしまうべきだ、と。
スカートンの立場に立った自分が、ノコノコとスカートンの優しい申し出に乗ることを許せないでいる。
「……私は絶対、またユリに嫌がらせする。それを止めはしない。……けど、それでもそれは置いといて、今まで通り友達でいようって……」
「アルベラ……?」
「……」
アルベラはテーブルに突っ伏す。ゴンっとテーブルから音が上がった。
スカートンはアルベラの片手を握ったままびくりと肩を揺らした。
(なんて私に都合のよすぎる……うーん。落としどころ……)
額をテーブルに当ててぐりぐりと押し付けるアルベラの姿に、また、スカートンは瞳の中で不安の色を濃くし始めていた。
(このままスカートンとは仲良くして、それでいてスカートンの嫌がるユリへの嫌がらせは続行してって……? ……なんか浮気壁のある人間になった気分。彼女だか彼氏に、『見えないところでの浮気は多めに見るから一緒にいましょう?』って言われて、『ラッキー』って飛び付くような……。実際そんな心境でもあるからそれが尚の事腹が立つ……)
アルベラはため息を漏らした。
(『暫く距離を置きましょう』……っていうのが妥当なのかな。……うわ……余計にカップルの別れ際感の増す台詞……)
アルベラは目を座らせる。
ふと、片手に感じる小さな振動に気付き、アルベラが顔を上げると、不安でいっぱいという様子のスカートンの顔が目にはいった。
アルベラの視線に気付いた彼女は可憐な笑みを浮かべる。
「……?」
(さっきの顔は……気のせい……?)
「アルベラ」
「え、あ、はい」
「お腹空かない?」
「お腹……?」
確かに、もう夕食の時間だ。
もしかして、スカートンはもうこのままこの話を切り上げるつもりなのだろうか、と思いアルベラはつい安心するような息をついていた。
(……って、だめだめ。なーなーにしたら今回スカートンが来てくれた意味ないでしょ)
「……?」
ぎゅっと手を握られスカートンを見れば、彼女は先程浮かべた儚げで可憐な笑みのまま、こてりと小さく首をかしげた。
「ね? アルベラ、一緒に夕ご飯食べに行きましょう。今日は何があるかしら。いつも通り、普通に楽しくお食事しましょう?」
(え、スカートン……?)
どこかサイコ的な彼女の微笑みに、アルベラの背筋に寒気が走る。
アルベラがスカートンの手の下から自分の手を引き抜こうとすると、それはがっつりと掴まれてしまう。
(ひっ?!)
「ス、スカートン、あの、少し考えさせて欲しいの。……お互いどうするべきか……ちゃんとお互いのためになる落とし所を、ね?」
「考える? 考えるって、私とアルベラが友達かどうかってこと?」
「……え、ええと、まあ、……そう言う感じの事も含め。ほら、本当にこのままスカートンが私といても、結局また嫌な思いをするかもしれないし、同じこと繰り返してその度にこういう風になるの嫌じゃない?」
「同じことなんて繰り返さなきゃいいじゃない」
スカートンは満面の笑みでそう言った。
「何回もこんなふうになったら疲れちゃうもの……。こういうのはこの一回きり。理解はしあえなくても、こういう風にちゃんとお話できて知る事はできたんだからもう大丈夫。同じことが起きても私達は同じようにならないわ。……アルベラは私と友達で居るの嫌?」
(あ、あれぇ……、何か雲行きがぁ……)
アルベラはスカートンの瞳にぞっとする。まるで底無し沼だ。王子様への想いを語るときのそれと一緒の目だ。
スカートンは瞬きもせず、長い髪の合間からアルベラを見つめる。一瞬たりともアルベラの姿を視界から逃さないように、アルベラが自分から逃げる機会を与えないよう見張るかのように……。
「嫌じゃない、嫌じゃないけど、……けどほら、お互いの為じゃないかもっていう」
「お互いのため? 今まで通りお友達でいるのがお互いのためじゃないの? アルベラはそんなに私から離れたい? 私が一緒に居たいって言ってるのに、アルベラもそれは嫌そうじゃないのに……? 時間を置いたとして、それっていつまで? ユリさんとの問題が解決するまで? その問題が解決する保証はある? 解決したとして、私の事ちゃんと覚えててくれる? アルベラが本当に私の事を考えてくれてるなら後でとかじゃなくて今この場でいままで通りの友達でいるかどうかを教えて」
スカートンはアルベラへ顔を寄せ、ギョロりと片目を髪の合間から覗かす。
アルベラは心の中で叫び声をあげた。
(こわいこわいこわいこわいこわいこわい……!!!)
「ねえ、アルベラ……。私達、今まで通り友達よね?」
スカートンの髪は魔力の光を灯し、二人の周りで風が渦を巻いていた。
(コ、コロサレル……)
答えを促され、アルベラはこくりと唾を飲み声を絞り出した。
「す……スカートンは…………わ、わたしの ともだち、です……」
「……」
すっと乗り出した体を引き、椅子に座り直したスカートンは前髪を退けて「えへへ」と笑った。
まるで花の妖精を思わせる可愛らしい笑顔だが、今はその笑顔ではアルベラの心を和ませるには至らなかった。
(こ、こわい……)
助けのない状況に、アルベラはエリーを退室させた自分を呪った。
「良かった。じゃあ食堂に行きましょう。私、今日は何だか沢山食べられそう。あれからずっと食が進まなかったの」
「う、うん……ごめんなさい……不安にさせてごめんなさい……」
アルベラは手を引かれるまま、スカートンと共に食堂へと向かった。
***
「……?!」
ガルカは窓から部屋に入り、片足を床につけてぎょっとした。丁度ストーレムから帰ってきた所だ。
テーブルランプだけが灯った室内。誰もいないと思っていたら、ソファで膝を抱えているお嬢様の姿があったのだ。
(俺としたことが、人の気配に気付けなかったとは……。というかこれは人なのか。コントン同等に闇に溶けてたぞ……。関わりすぎてアレの性質が感染ったか? そんな話し聞いたことないが)
気が沈んで暗くなってるアルベラは、視認してしまえば今はしっかり匂いも気配感じた。
気を抜きすぎたな、とガルカは息をつく。
「どうした」
「……分からない……スカートンが怖い……」
アルベラはどこか遠くを見つめてそう呟く。
「は?」
「けど……捨てられなくてよかったっていう感覚もあって…………正直、なんか……ほっとしてて。スカートンは今まで通りで良いっていうし、ユリへの事も無理に止めたり、率先して関わったりするつもりはないっていうし……自分に都合がいいってわかってるのに……『ぶっちゃけラッキー』って思ってる自分もいて……もう、何がどうあれば正しいのか分からない……」
ガルカは「ああ」と頷き、詰まらなそうに目を据わらせた。
「あの悪臭と仲直りできたなら良かったな。元に戻ったならそれでいいだろう。うじうじと面倒くさい。俺は寝るぞ」
窓から入ってきた彼は、服を正しながら部屋を突っ切って扉へと向かう。
「……あんた何しに来たわけ?」
自室をただの通路のように扱う奴隷へ、アルベラは魂が抜けた声のまま疑問を投げかける。
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